2. 灰色の化物と不思議な力 

先に仕掛けたのはあちら側だった。


こちらの方を窺っていた狼怪異(というらしい)の1匹が、その鋭い牙を煌めかせながら、ディルクに飛び掛かる。


ディルクは泳ぐように空を飛びながら最小限の動きでそれを躱すと、すぐさま自身の尾で、狼怪異の腹を打った。


狼怪異はギャウと鳴き、草の上を転がりながらレンの数十メートル斜め先のアカシアの木の近くまで滑っていく。


その勢いから察するに相当な力が尾に込められていたのだろう、とレンは思った。


といってもレンでは狼怪異の突進も、ディルクの掌打も目で追うので精いっぱいではあったが。



「まだ若い怪異だな。………といっても怪異が相手じゃあ、手加減はできねぇが」


(どこのやーさんだよ………)


向こうの世界ならギリギリでペットのトカゲとして通用するかもしれない風貌を持つディルクではあるが、その腹の底に響く低い声は、昔見た任侠映画の登場人物を、レンに思い起こさせる。



「今日は神獣綬日ってこともあってか、気持ちよくぶっ放せそうだ」



ディルクは冷笑を浮かべると、未だ起き上がれず草の上に横たわっている狼怪異に近づき、ぴたりと動きを止め、その前足を2本、前に向けた。


何をするのだろうとレンは疑問を浮かべたが、


(!?光が集まってる)


次の瞬間、光の粒子がディルクの前足の前に集積し始める。

それはディルクに近づくにつれて急速に濃い赤みを帯びていき、融合していき、加速度的に大きくなっていった。


数秒後ディルクの目の前には、轟々と揺らめく太く短い、赤銅食のランスが存在していた。


「そらぁ!!」

ディルクが声をあげながら前足をふると、炎のランスは凄い速度で、少なくとも狼怪異の初めの突進よりは数倍以上早い速さで、発射される。


そして、それは草の上に横たわっている狼怪異に着弾し、


ドンッ!!!


凄まじい爆音と空気の衝撃をレンが感じたかと思うと、狼怪異のいた場所に数メートルはあると思われる火柱が上がっていた。


レンは茫然とその光景を視る。


(どういうことだ……どうやったら局所的に火柱をあげられるんだ?囲いどころか、空気の流れを作るものすら無い状態でどうやって………それ以前に炎があんなに綺麗に形作って空中に浮いていたのは?……しかも、あの火の槍の色は均一だった?――普通、酸素との接触面積の関係から、火は外炎と炎心で色が違うはずなのに)


レンは思考の渦に飲み込まれていたが、




「おい!!なにぼさっとしているんだ!!!」




ディルクからの重低音がレンを現実へと戻した。


(しまった!)


レンが慌てて前を向くと、もう一匹いた狼怪異が今まさにレンの喉元に喰い付いてこようとしていた。


大気が伸びきったゴムのように緊張状態になっているのを、極限状態の中、レンは感じた。


「くそ!!」


考える間もなくレンは瞬間的に横に飛び込んだ。

なんとか躱し、最悪の事態を避ける


しかしながら、狼怪異は体制を崩しておらず着地すると即座にレンの方へと体を向けて飛び掛かろうとする。


レンも直ぐに立ち上がり、右手に持っている差し棒を狼怪異に向けて構えた。


(危なかった……)

今まで生きてきて、これほどまでにアドレナリンが出たことがあっただろうか。



体全体でドクドクと鼓動する自分を、レンは感じた。


狼怪異は差し棒を構えたレンを見て、飛び掛かりはせずに様子を窺っている。


レンも視線を狼怪異から外さない。初め見たとき同様に、グルグルと涎を垂らしながら、その薄墨色の体を震わせている。

それに呼応するかのように狼怪異は濃い灰色の粒子を放出している。


(?)

と、そこでレンはあることに気付いた。



(粒子に流れがある?)



狼怪異の体全体から流れ出ていると思われた灰色の粒子は、どうやら背中の真ん中を起点としているようだ。


(そこに――何かがある?)


狼怪異が再度レンに飛び掛かってきた。


無意識だった。

なぜそうしようと思ったのか。その行動に対する論理性は全く考えなかった。


なるべく少ない動作で躱すと、レンは着地した瞬間の狼怪異の背中、灰色の粒子の起点を狙って差し棒を突き刺す。

柔らかいが弾力のある肉を突き破る不快な感触が、レンの手に伝わった。


そんなに深く突き刺した訳ではない。せいぜい数センチ程度だった。だが、



グギャアアァァ!!



狼怪異は大きな断末魔を挙げながら倒れこみ、幾度か痙攣すると、動かなくなった。


そして、風に攫われたかのように、その全身が粒子となって空気に溶けていく。

レンはじっとその様子を観察する。


(消えた……終わった…………殺した)


fight-or-flight、やるかやられるか、緊急避難、正当防衛、カルネアデスの板、弱肉強食、食物連鎖。


レンの頭の中にそういった言葉がグルグルと巡る。

全力疾走したかのような激しい息切れを起こしている。

全身に言い様の無い重厚な気怠さを感じた。




――――――――




「怪我はないか」

その呼びかけに、レンは視線をディルクへと向けた。

いつのまにやら、ディルクがレンの目の前で浮いている。


「あ……はい、大丈夫です。ディルク、さん。」

レンのその返答にディルクは顔を緩める。


「なら良かったが。――俺に“さん”はいらない。後、そのとってつけたような敬語もだ」


「そう言ってくれるなら――さっきはありがとう、ディルク。多分ディルクが居なかったら何もわからないまま、さっきの狼怪異っていうのに喰われて、自分、死んでたと思う」


レンが自ら発した言葉ではあったが、それは命の瀬戸際に直面していたという事実を再認識させた。

背筋に寒気が走る。


「そうだな。俺がいたのは、本当に不幸中の幸いだった」


ディルクがレンの目の前に浮かびながら同調した。


「お互いに聞きたいことは山ほどあるとは思う。だが、とりあえずここから移動するか。派手に炎源技を使っちまったし、また怪異が来るかもしれないからな。念のためだ。」


(炎源技?)

「移動って何処に?」


耳慣れない言葉を脳内に書き留めつつ、レンは疑問を口にした。


レンはつい先ほどこちらの大地に降り立ったのだ。レンに土地勘は全く無い。

安全な場所。危険な場所。ヒトがいる。狼怪異がいる。水がある。雨露を凌げる。


そういった重要な場所の情報が無い。現住人であるディルクだけが頼りであった。


「ここから虎刻ぐらい歩いたところに、ゲムゼワルドという街がある。そこに向かうぞ」


虎刻は距離や時間を現し、ゲムゼワルドは街の名前であろう。


単語の詳細な意味は理解できないものの、レンに異論はなかった。

帰るためにも、まずは安全な場所に移動して情報を整理することが最善なのだろう。


(ここはディルクに従っといたほうが良いな)


下手に反論や疑問に対する追及をおこない、ディルクを不快にさせた挙句、放置でもされたら、非常にまずい。



ディルクにはレンを助ける義務など無いのだから。



その事実はレンの心に緊張感を植え付けた。


「りょーかい」


そう言いながら、レンは右手に持っていた差し棒を縮めジーンズのポケットの中に入れた。


草の上に放り出されているリュックサックを拾い、ふと中を覗く。

そしてあることに気付く。


リュックサックの中におにぎりの包装がある。

正確には、おにぎりの包装“だけ”がある。


(――食われてる)


包装は何故かびりびりであり、爪痕が残っている。


朝学校に行く前、最寄りの駅前のコンビニで買ったおにぎりだが、レンに今朝それを食べた記憶は無かった。


今が何時ごろかはわからないが、レンは今日起きてから何も食べていない。

そう思うと、急に空腹感を感じ始める。


ディルクも近寄ってきてレンの手元を覗きこむ。そして、


「おっそれか!なかなか美味かったぞ!初めての味だった!包みを剥ぐのがちょっと面倒だったがな。異世界の食べ物も興味深い」


ディルクは楽しそうに弾み低くレンに告げるが、タイミング悪く、ぐーっというレンのお腹の音が鳴ってしまった。


そしてディルクはすぐに状況を把握したのか、殊勝な声に変わった。


「あー、俺も腹が減っててな、すまなかった!」


ディルクが前足を合わせ、勢いよく謝罪してくる。


「いや、大丈夫、大丈夫」

レンは軽快にそう答える。


「じゃ、じゃあ、この世界に二つと無い食べ物を食わしてくれたレンには、それ相応の礼をしてやる!街に行ったら美味い飯奢ってやるよ!」


悪戯がばれた子供みたいに、焦りながら喋るディルクだったが、どこかその姿はぎこちない。


ディルクに気を遣わせてしまったのかもしれないな、レンはそう判断した。


(不器用なトカゲ――いや、竜属だっけ?)


「それじゃあ行くか!」

ディルクは力強く言うと、レンの僅かに前方に位置し、空を泳ぐようにゆっくりと前進し始めた。


レンもそれに続き歩き始める。



精神的にも肉体的にもかなり消耗してはいる。


晴れ渡る空から注ぐ太陽の光もそれなりに強い。


目の前には草原が、その先には雑木林がある。

街など影も形も見当たらない。


舗装された向こうの道とは違い、自然の道だ。

愛用であるオレンジ色のウォーキングシューズを履いているとはいえ、慣れない道を歩くことになるだろう。


(これが異世界の光景)


レンは一歩一歩地面を踏みしめ、未知の大地を進むことに、

言い様もない高揚感を覚えた。




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