異世界転移にはロジックがあるー最強能力(限定的)持ちの学生が、小竜と音声ナビと共に異世界を攻略するー
次郎吉
第0節. レンと小竜とエルデ・クエーレ
1. 異世界の爽やかな草原にヒトと小竜と
野草の柔らかい感触。
そよ風に揺られた樹々の音。
自然の素朴な香。
自分は眠っているのだろうか。
二度寝の時にしばしば出会う、夢と現実の狭間を行き来する感覚にレンは身を委ねていた。
「…………ぃ………ぉい」
頭の遠くの方で、誰かの忙しい声が聞こえた。
脳内に染み込むように響き渡る、重厚なバスボイスだ。
と同時にひんやりとした皮質が、仰向けに寝ているレンの頬をペタペタと打つ。
心地良さと、多少の煩わしさを感じながら、レンの意識は覚醒へと向かった。
(誰か家の中にいる?誰か来る予定あったっけ?今日は七夕だけど……んー鍵閉めたはず。…………てことは家じゃない?どこで寝たんだっけ、昨日お酒は飲んでないけど……誰の声……いや……でも―――草……そと……外!?)
レンの頭が急速に回転を始める。水道の蛇口を全開にしたように記憶が溢れ出た。
(そうだ…いつも通り学校に向かったら、建物の入り口に違和感を覚えて…そしたら空間が割れて…スマホっぽい機械が飛び出して……空間の中に草原が映し出されて………スマホに触ったら光って……体が引っ張られて…そして………そして?)
これまでの経緯を思い出したレンは、今の状況を正確に把握するために瞼を開けた。
清洌なセルリアンブルーがレンの視界に広がっている。
通常であればその青を汚すように鉄筋のビル等の建物が存在するのだが、今は一切無い。
そこにいるのは純然たる青と、真上から幾分かずれたところにいる太陽だけだ。
レンは上半身を起こしてみた。
どうやらここは高原みたいだ。
野草が地面一帯に、所々にアカシアと見られる大きな木が生えている。
レンが背負っていたリュックもすぐ近くに落ちていた。
少し遠くには林が存在しており、さらにその向こうには山が聳え立っている。
(やっぱり外だ………しかもここは………あの変な空間の中の景色にそっくりだ………)
レンの背筋にヒヤリとした悪寒が走る。全身に力が入り、自分が緊張するのを強く感じた。
「お、やっと起きたか。声をかけても頬を叩いてもなかなか起きないから心配したぞ。」
(そうだ!声!)
先ほどから聞こえていた低音である。
レンが意識を飛ばしていた時から、呼びかけていてくれたのだろう。
起きたレンを見て安心したのか、その声は先ほどよりも穏やかだった。
レンはそう判断すると、体をそのヒトの方へと向け、お礼を言おうとした。が、
「うわぁあああああ!!」
出てきた言葉は、情けない叫び声でしかなかった。
そしてレンはすぐさま両手で草をかき分け、座りながら後ずさった。
レンのすぐ目の前には体長60センチほどの程のくすんだ灰色をした“トカゲもどき“が鎮座している。
背中には体と同じ色のコウモリの翼のようなものが、雄々しい尾も生えている。
手や足には鈍い光沢を放つ灰色の大きな爪が備わっていた。
器用なことに後ろ脚とその尾でバランスを上手く保ち、座りながら、エメラルドのようにキラキラ光る緑色の瞳をレンに向けてくる。
「なんだヒトの姿を見るなり叫び声をあげやがって、失礼な奴だな。そういうの良くないぞ」
レンの反応を見た生物は大きな口を開け鋭い牙を見せながら、窘めるように息を漏らした。
声のトーンは穏やかだが、レンの眼には凶悪な風貌で睨んでくる巨大なトカゲにしか見えない。
「ト、ト、トカゲ!……喋って……!!」
レンは再度情けない声を上げてしまう。
レンは目の前の異常事態に混乱した。
一方で、トカゲもどきは呆れたようにレンを見てきた。
「おい。俺は蜥属じゃなくて竜属だ。」
目の前の生物はどこか誇らしげにそう主張した。
蜥属とか竜属とか、レンにとっては意味がわからない言葉ではあったが、どうやら意思疎通はできるらしい。
レンの頭の中の、ほんのわずかに冷静さを保った部分がそう判断した。
「それに喋って何が悪い」
たしかに“悪く”はない。だが“おかしい”。
ほとんどの動物はヒトの言葉をしゃべることはできない。
声帯や舌の構造が、それに適してはいないからだ。
(一部の鳥類はヒトと同じ言葉を発することはできるけど、あくまで音を出すことができるだけで、流暢に言葉を操ることはできない、はず)
だが、目の前の生物は違う。
明らかにレンの発する言葉の意味を理解し、ヒトの言葉を使用している。
(このトカゲの声帯と脳は、一体どうなっているんだ)
レンは一瞬、この生物が体の構造的にどう言葉を発しているのかに関して、非常に興味が沸いた。
が、すぐにその考えを四散させた。
それどころではない。
レンは深くゆっくりと深呼吸をした。
活発に動く心臓の脈動を感じることができる。
どうやら自分は落ち着いてきたらしい。
レンはそう判断すると、意志疎通が可能である目の前のトカゲもどきに返事をした。
「あ、いや、ごめんなさい。えーっと……あなたのお名前は?……あ、自分の名前はレンと言います」
レンはそう言い、どうも、と軽く頭を下げた。
「ゴテイネイにありがとう、レン。……俺は――そうだな、ディルクとでも呼んでくれ。さっきも言ったが竜属だ」
目の前の子竜、“ディルク”が笑顔らしき表情(目が細くなり頬が上がったことから、レンは辛うじてそう判断した)を浮かべながら名乗る。
「――どうやら異世界からの旅人は随分とのんびり屋みたいだな」
(異世界の旅人?自分に対して、そう言った?)
その発言に、レンの思考は脳内へと瞬時に持っていかれる。
そして次の瞬間、やっぱりという納得と、“なぜ“という疑問がレンの中に生まれた。
目の前のトカゲもどき、もといディルクのようなしゃべる竜など日本には、いやおそらく地球にはいないだろう。
ここはあの気を失う時に見た空間の中なのだろうか。
地球とは違う世界なのだろうか。
空間を見たときに強烈に感じた違和感を、今微弱ではあるが恒常的に感じている。
少なくともここは日本ではない。
日本にいたときにはこのような心をキュッと掴まれるような、どこか切なさに似た違和感を覚えたことはない。
しかし………。
(なぜ、この竜ディルクは、自分のことを異世界からの旅人と断言できたんだ?)
仮に違う世界だとしたら、なぜ、言葉が通じるのだろうか。
そもそも、なぜ目の前に空間が出現し、自分がスマホに連れて行かれたのだろうか。
レンの心に疑問が、次々と沸き出てくる。
「その……ディルク、さんはどうして自分が別世界の人間だと」
「っち!」
レンは途中で言葉を止めた。
なぜならディルクが舌打ちをしながら、こちらに向けていた顔を急に動かし、30メートル程向こうの林の前の茂みを睨み付けたからだ。
ディルクの凶悪な面が歪み、追加で唸り声が牙の隙間から漏れている。
レンもディルクに倣って視線を向けると、茂みはガサガサと微かに音を立てて揺れているのが確認できた。
そして、音の原因はゆっくりと正体を現す。
ゴールデンレトリバー程の大きさの薄墨色をした獣が二匹。
(キモチ悪い、犬?)
レンの第一印象はそれだった。
その獣はグルグルと威嚇しながらこちらを睨んでいる。
口元からは粘性の高い唾液と思われる液体が滴り落ちていた。
体全身から灰色の粒子を柔く発している。
獣の瞳は赤く充血していた。
「……えっと、あの方々も喋れるんですかね?ディルクさん」
一縷の望みを期待して、レンはディルクに聞いた。
「馬鹿!あれは狼”怪異”だ!喋れる訳ないだろう!」
ディルクが怒鳴る。
そして、その小さな翼を広げ、レンと同じ目線まで浮かび、わずかに前方に位置した。
「ですよね!明らかに雰囲気おかしいし!あの犬、灰色の粒子みたいなの纏ってるし!ってか、怪異ってなんですかっ!?」
そのレンの叫びにディルクは驚愕の顔を向ける。
「灰色の粒子だと?!おまえっ!……っまあいい!話は後だ。くるぞ!」
くる?
くる。
「くるって襲ってくるってことですか!?」
「当たり前だろ!さっさと構えろ!」
目の前の竜が怒鳴りながらレンに指示を出したが、レンには意味が分からなかった。
「構えろってなにを!?」
「その鞄の中に武器を入れてるだろう!」
「はああっ!?」
まさか。そんな馬鹿な。
レンは即座に思う。
日本から持ってきた通学途中のリュックサックに武器が入っているわけがない。
ディルクのリュックに対する言動に疑問を感じたものの、レンは藁にもすがる思いで近くに投げ出されていたリュックを漁り、それらしいものを探した。
(ルーズリーフ――コンビニの袋とおにぎりのゴミ――A4クリアファイル――筆記用具――スマホ――指差し棒…………指差し棒?)
もしや、ディルクのいう武器とはこれのことだろうか?
発表の時に演者がスライドを指し示す銀色の棒。
確かに、金属製であり、本気で刺せればそれなりの殺傷力はあるのかもしれない。
伸ばせば1m以上になるからリーチもある。
少なくともスマホの角で、ゴンゴン叩くよりはマシだろう。
レンは急いで銀色の差し棒を取り出し、1メートル程に伸ばしロックをかける。根元を両手でしっかりと握り、立ち上がった。
手が汗ばんでいる。軽い虚脱感を感じた。
「俺がやるから、お前は自分の身を守ることだけに集中しろ!絶対にあいつらから目を背けるな!」
ディルクの指示を聞き、レンは差し棒を構えた。
そして僅かに安堵する。どうやらディルクが戦ってくれるらしい。
狩猟や武道の経験が全くないレンにとっては非常に助かる言葉だった。
ディルクが狼怪異と呼称した獣たちは、既にレン達の10メートル程前方に居り、前足に伸ばしながらグルグルと唸っている。
彼らは、レン達を獲物として認識したのだろう。
ここから始まるのは命の遣り取りだ。
レンの脳裏に、死神が一歩一歩、ゆっくりと、自分に近づいてくる光景が浮かび上がった。
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