茶碗蒸し
苦い。これが幼い私が最初に抱いた「銀杏」に対する印象でした。
幼い私は茶碗蒸しが大好きな人間でした。回転ずしや和食のあるレストランでは、必ず食べるほど大好きでした。温かみのある甘さの虜でした。しかし、私は一つだけ、ただ一つだけ茶碗蒸しに対して文句を持っていました。
何故、銀杏などと言うものを入れているのか。
甘い茶碗蒸しを求めていたのに、水を差すようにあるそれは幼い私にとって邪魔でしかなかったのです。私は一種の憎悪に近いものを持っていたでしょう。
私はそれを嫌嫌口に運んでいました。酷い時にはそっとスプーンに乗せてどこかにやっていました。
成長した私は久しく茶碗蒸しを食べていませんでした。皮肉なことに大きくなると、食は楽しむものではなく、必要だから行う機械的な習慣になってしまうのです。
そんな私はたまたま入った回転寿司店で茶碗蒸しの名前を見つけました。主張せずメニューの隅にいる彼を見つけたとき、私は幼いころに戻ったような気がしました。
タッチパネルを操作して、茶碗蒸しを一番初めに注文しました。寿司を三巻ほど食べた後、彼は私の目の前に来ました。
白い器を見たとき、私は再開を喜びました。
蓋を開けると、少しの湯気と薄黄色いつやっとした表面が私を迎えてくれました。
小さなスプーンですくい、口に運ぶとほのかな甘さが私を癒してくれました。私は静かに、しかし、確実に動きを止めずに食べ進めました。甘い茶碗蒸しを食べ進める中、あることに気づきました。
銀杏がいないのです。最初、私は無くても別に構わないと思って食べ進めました。さらには、いないことに微かな喜びを感じていました。
しかし、食べれば食べるほどあの苦みを私は欲していたのです。
その時に私は気づいたのです。あの苦みは茶碗蒸しのほのかな甘さを際立たせるものだったと。
子供の頃の幼い私は、与えられた甘さに浸かっているだけで満足していました。けれど大人になった私は、苦みを敢えて味わうことにより、与えられた物以上の甘さを感じることが出来るようになっていたでしょう。
これは成長に感じられましたが、私の心には一瞬だけ悲しみが通り過ぎていきました。
私は銀杏の無い茶碗蒸しを綺麗に平らげ、席を後にしました。
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