10-22

 8月7日(水) 19:34



 恵比寿駅の近くは当然のように飲食店の激戦区だけど、イタリアンのお店に限定してもかなりの数が並んでいる。

 その中では、今いるこの『DITA』ってお店は比較的ファミレスやカフェに近い雰囲気で、照明は明るいしテーブルも普通。

 タブレットじゃなくメニューを見て店員に注文する、ウチと同じ方式なのも親しみやすい。


「……」


 ……それでも、俺の隣に座る星野尾さんの険悪な雰囲気は変わらない。

 さっきはちょっと和んでたけど、rain君が合流した途端にこのモード。

 こういう、わかりやすい所は好感が持てるし良いんだけど、率直に居心地は悪い。


「単品メニューはどれも2000円以内だし、随分リーズナブルだね」


「でしょ? デザートも安いから頼みやすいし」


「ホントだ。これだと逆に狙ってる子は連れて来にくいんじゃない? アケさん」


「ははは」


 朱宮さん、そこは嘘でも否定して!

 普段から狙ってる女性を高い店に連れ込んでるかどうかの真偽はともかく、星野尾さんが軽く舌打ちしたの聞こえたから!


 にしてもrain君、いつもより微妙にテンション高いな。

 このままだと更に変な方向に話が行きかねない。

 ここは俺が話題を変えるしかないか……!


「カフェの倅としてちょっとお聞きしたいんですけど、タブレット端末で注文するのとメニュー表見て注文するの、どっちが良いですか?」


「どっちでも」


「んー、僕もどっちでも問題ないかな」


 話が全然広がらない!

 せめて理由を言って!

 これじゃ参考にもならないし何の意味もない……


「そうね。私はメニュー派。タブレットはUIが不親切だし、画面がゴチャゴチャしてると食欲までなくなってくるし。最近はスマホのアプリで注文できる飲食店も増えてるけど、せっかく外食するんだから雰囲気作りも大事よね。洗練されたフォントで書かれたメニューを見て、どんな料理なのか想像しながら注文するのも外食の醍醐味じゃない?」


 星野尾さんは星野尾さんで真面目に答え過ぎて何か申し訳なくなってきた!

 いやでも参考にさせて頂きます。


「どの業界にもDXの波は押し寄せてるから、最終的にはタブレットが主流になると思う。私たち絵描きもデジタルが主流になったみたいに」


「……」


 星野尾さん……rain君の話を聞きながらの笑顔がずっとぎこちないです……


「え、絵描きって言えば……最近ホラ、AIイラストが話題になってるじゃない? それはどう思ってるの?」


 かと思えば、ピリついた笑みのまま急にぶっ込んできた。


 正直、その話題は俺もちょっと気になっていた。

 詳しい事はよくわからないけど、AIを用いた画像生成システムで、絵を描けない人でもイラストを生成する事が出来るという話がネット上で話題になっている。

 ユーザーが生成したい画像を示すテキストを入力する事で、ネット上に無数に存在するイラストから学習したAIがそのテキストに沿ったイラストを出力する……らしい。


 これが倫理的に正しいものかどうかは、俺には判断が出来ない。

 ただ、長い時間をかけて技術を磨いてきた絵描きの中には、このAIイラストの登場で心が折れたという人も相当数いる。

 AIが人間に取って代わる……なんてのは大昔からゲームのシナリオでも結構題材にされてきたけど、それがいよいよ現実味を帯びてきた。


 当事者のrain君は、一体どう思ってるんだろう?


「祈瑠! そういうセンシティブな話題をこんな所で……!」


「全然良いけど」


 流石rain君、相変わらずカラッとしてるな。

 AIに対してもこの感じなのかな……?


「一言で言えば『最悪』かな」


 あ、全然違った。

 珍しく表情が険しい。

 でも当たり前か……そりゃ最悪に決まってるよな。


「心情的には中々受け入れ難いよね。単純にイラストの価値が下がる懸念もあるし。それで食べてる身としては、普通に『いよいよ厄介な事になってきちゃったなあ』って感じ」


「……ご、御免なさい。安易に触れてはいけない話題だった?」


「全然? 界隈ではこの話で持ちきりだし。AI関連の悪口言う為に絵師で集まって飲み会開いてる、って話も聞くくらい。それはもう、凄く盛り上がるらしいよ」


 そ、そうなんだ。

 まあ、whisperで不満を呟くよりは健全……なのかな?


「ま、そうは言っても出て来たものがなくなる訳じゃないから、今後の事は考えなきゃだけどね」


「何か対策があるのかい?」


 星野尾さんに半眼を向けながらの朱宮さんの問いに、rain君は天井を見上げるような仕草で首を傾げていた。


「まずデザイン関連で言うと、より感覚的な方にシフトしなきゃかなって。パッと一目で見て感情が動くデザイン。キャラデザもそうだけど、より尖った方向に向かわないといけないかもね」


「AIが真似できないような?」


「真似できないデザインはないよ。ただ、現状ではユーザー側の発想がAIイラストの要だから、そこを超えていくものを作っていく……って事になるのかな。最大公約数的な需要を満たすよりも、ある程度の層にグサッと刺さるデザインが求められるだろうし、必要になってくると思う。多分、今までの延長は全部AIの範疇になっちゃうから」


 rain君の説明は半分くらいは理解できたけど、もう半分は理屈の上ではわかっても本当の意味ではわからない気がする。

 それがどれだけ大変な事なのか、俺にはわかりようもないからな……


「後は『人間が創る絵』の価値を高める事、かな。デジタルからアナログに回帰して、手描きで一点物のキャンバスアートなり何なりを売りにしていく、とか。ま、もっと工夫していかなきゃだけど、これから生き残っていく為には技術以外の面でも自分の価値を認めて貰わなきゃいけない」


「それは、相当難しいチャレンジになるね」


「他人事じゃないよアケさんも。っていうか、AIを一番脅威に感じなきゃいけないのは声優だからね?」


 え……そうなの?


「え……そうなの?」


 おい星野尾。素人の俺と同じでどうする。


「既にAI音声でニュースを読み上げる番組もあるくらいだから、そう遠くない時期に声質もイントネーションも抑揚も何もかもコントロール可能な技術が完成するんじゃないの? そうなったら『作り手が希望する声』を『自分のイメージ通りに演技させる』ってシステムやツールが生まれるのは時間の問題でしょ?」


「それは確かにそうだけど、僕らの仕事がAIに奪われるとまでは……」


「わっかんないよ~? メインはともかく脇役はAI音声だけで良い、みたいな風潮になったら仕事は一気に減るんじゃないの? 特に、ある程度の年齢に達したら」


「ぐ……!」


 あ。

 朱宮さんがテーブルに突っ伏した。


「ちょっと、何してんのよみっともない。幾らカジュアルなレストランでも、最低限の礼節は弁えなさいよ」


 ここぞとばかりの星野尾さんからの叱咤を受けて、顔を上げた朱宮さんは心なしかゲッソリしていた。


「まぁ実際、ヴァーチャルなキャラクターがタレントみたいな売り方でガンガン荒稼ぎする時代だしね……そこの音声をAIで処理されたら、ちょっとマズい……かも」


 現状、声優は声だけでお仕事をしている訳じゃない。

 各自が自分のキャラを前面に出して、ラジオなりイベントなりで自分自身を商品にしている。

 その人自身を好きになって貰える事で、声を当てたキャラにもそのファンの関心が向く。


 だから、例えばAI音声のVtunerをタレントのように売り出し人気を博せば、そのキャラ名義で声優(AI音声)の仕事をする事も可能。

 勿論、機械音声っぽさが1mmでもあれば興醒めって人もいるだろうけど、そういう人達も慣れと定着で限りなく少なくなる。

 rain君の指摘は、決して冗談でも煽りでもない。


「はぁ……」

「はぁ……」


 結果的に星野尾さんと朱宮さんが一番ダメージを食らう会話になってしまった。

 ブーメランと流れ弾か……


「仮に、本当にそういう流れになったとして、アケさんは声優を辞めるかい?」


「辞める訳ないよ。そんな理由で辞める訳ない」


 それでも、堂々と朱宮さんは断言した。


「AI声優なんてのが生まれて、それが普及したとしても僕ならやっていける……なんて自惚れるつもりはないけどね。僕にしか出来ない演技なんて存在しないし、僕にしか出せない声なんてのも多分ない。取って代わられる存在というなら、元々そうなんだ。AIに関係なくね。だから、僕に出来るのは信頼を勝ち取る事しかない」


「信頼、ですか?」


「うん。スタッフからの信頼、ファンからの信頼。アニメやゲームをプレイした人の信頼。信頼にも色んな形があると思うんだ。『彼に任せれば問題ない』っていうのも信頼だし、『この人なら作品に情熱を注いでくれる』って思って貰うのも信頼。技術的な事も精神的な事も、全部ひっくるめて『頼もしい』『この人なら応援したい』って思って貰う事が、僕に出来る唯一の生き残り方……抵抗だと思う」


 それは、言い換えれば『責任』なのかもしれない。

 役を貰い、責任を背負ってその役に挑む。

 ファンはその責任を背負う朱宮さんに対して、喝采を送ったり批判したりする。


 これはAIに対しては抱けないもの。

 人間と人間だからこそ成立する、ある種のエンタメだ。


「マルゲリータをご注文のお客様~」


 お、やっと注文したメニューが来始めた。

 マルゲリータは確か星野尾さんだったっけ。


「ピザみたいなものだよね。この問題は」


 不意に、rain君がそんな事を言い出した。

 理解が出来ずrain君の方を見ると、少し照れ臭そうな笑みが返ってきた。


「このピザの味をボク達でコントロールは出来ない。どう切り分けたところで味が大きく変わる訳でもない。ボク達自身が美味しく味わえるコンディションでお店に入らないとダメなんだ」


 それは――――


「全然上手くないですね」


「意味わからない」


「僕もちょっとフォローは出来ないかな……」


「あれ?」

 

 特に何の生産性もなかった。






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