10-20

 終夜の事を話し終えた後は、余り弾まない会話で淡々と繋ぎつつ、注文したメニューが届くのを待った。

 その間、ウチのカフェのコラボやプロモーションについても半ば強引に話してみたところ、好きにして構わないとの言質を得た。


 親父や母さんが『口約束は過信するな』と何度も言っていたから、本当は契約書でも作って欲しいところだけど、流石にこの人がケチを付けてくるとは思えない。

 そこは全面的に信じても良いだろう。


「大変お待たせ致しました。チーズフォカッチャセットとサンドイッチセットでございます」

 

 注文してから20分、ようやく食事にありつけた。

 ……と言っても、偉い大人と二人で食べる食事に美味しいも何もない。

 どんな味がしているのか覚えられる気がしない。


「娘が生まれる前、ここで妻と食事した事があってね」


 ……はい?


 いや、それを俺に話してどんな反応を期待してるんですか?

 っていうか、元妻ですよね。

 実は離婚届に判を押してないのか……?


「お、思い出の場所だったんですね」

 

 こっちとしても、こんな事しか返せない。

 なんで俺にそんな話を……


「ああ、大事な場所だ。今日でそれが更に深まった」


「……」


 だから、それにどんなリアクションすればいいのかわかんないって……


「君は、何かきっかけがあったのか? ゲームを好きになるような何かが」


 えー……話題が二転三転して頭がこんがらがるんだけど。

 もしかして、向こうも向こうで俺みたいな遥か年下と会話する事に困ってるんだろうか。


 そりゃ、娘と同い年の奴に何話していいかわかんないだろうけど、こっちの方が負担は遥かにデカいのはわかって欲しい。

 このフワフワした会話を、この食事が終わるまでずっと続けなきゃいけないのか……


「いえ、特には」


「物心ついた時には、もう遊んでいたのかね」


「はい。だから、きっかけと言えばゲーム機が家にある環境そのものだと……」


 そこまで話して、ようやく気が付いた。


 そうか。

 この人、終夜に話をする時の取っ掛かりを見つけたいのか。


 生憎、俺は当時終夜と会った事すら覚えていない。

 期待に添えるような事は何も……


「君が最初にプレイしたゲーム……いや、一番初めに印象に残ったゲームは何かね?」


「一番初め……ですか」


 それも覚えていない。

 でも、どうやらこのゲームで間違いない。


「それは多分、ソーシャルユーフォリアです。全くと言って良いほど当時の記憶はないんですけど」


「本当にそうかね? 断片的でも良い。何か少しでも覚えている事はないかい?」


 随分と執拗に深掘りしてくるな。

 やっぱり、これから終夜と話をする上で俺の思い出話で口火を切りたい……って事なんだろうか。


 それなら協力したいところだけど、生憎本当に何も――――



『お前は笑ってはいけない』



 ……いや。


「何か……本当に断片的って言うか、正しい記憶かどうかもわからないくらい曖昧なんですけど、何かのシーンを魅入られるようにずっと眺めていた気がします」


「その記憶の中に映っているゲームは、ソーシャルユーフォリアなのかね?」


「わかりません……」


 残念だけど、今のだって白昼夢でも見たかのような、本当に自分の事だったのかどうかさえわからないような心許ない記憶。

 明確に答えられるようなものじゃない。


「ありがとう。では違う質問をしよう。『キリウス』という言葉に聞き覚えは?」


「それは……ありますけど。裏アカデミにも出て来てますし」


 勿論、ネット上で不正アクセスの常習犯って噂が流れている事も知ってる。

 寧ろ最初に知ったのはそっちの方のキリウスだ。


 なんでその名前をここで――――


「子供の頃に聞いた記憶は?」


 子供の頃……?

 そんな昔から存在していたのか?


 あ、そうか。

 聞きたいのはこれか?


「記憶にはありません。ただ、ソーシャルユーフォリアに出ていた名前だってのは知ってます。攻略本で見ました」


「そうか……」


 俺の答えは、終夜父の期待通りじゃなかったらしい。

 まあ、それは仕方ないけど……なんでキリウスの事を聞いてきたんだ?

 

 以前、終夜父は俺にキリウスの正体を明かしている。

 キリウスはAIだと断言していた。

 ただ、裏アカデミ内で他のNPCに採用しているAIじゃないとも言っていた。


 あの時は全く意味がわからなかった。

 正直今もよくわからない。

 ただ、ここで敢えて以前説明したキリウスについて再び言及したって事は、俺にとって無関係な存在じゃないんだろう。


「キリウスは亡霊みたいなものだ。もし今後、アカデミック・ファンタジアの中でエンカウントする事があっても、関わらないようにして欲しい」


「え? でも……」


「前に説明したように、正体はAIだから気を遣う必要はない。RPGの住民に遠慮して話を聞くのを躊躇うプレイヤーなどいないだろう?」


 ……正直、わかり難い例えだった。

 ゲーム好きってどうしてこう強引にでもゲームで例えようとするんだろうな……


「私からは以上だ。長々と付き合ってくれてありがとう」


 いつの間にか終夜父はサンドイッチセットを完食していた。

 こっちはまだ半分近く残ってるのに……やっぱり社長ともなると、会議なんかで忙しいから食事のスピードも自然と早くなるんだろうか。

 まあ、俺には関係のない世界の話か。


「君の実家のカフェ、調子はどうかね?」


「あ、はい。一時期は近所に大手のチェーン店が入って大ピンチでしたけど、今のところはどうにかやれてます」


「キャライズカフェだったか。企業案件ばかりになった所為で、そのしがらみで失敗が多いと聞くが……」


「そのまんまでした。お陰でこっちは助かりましたけど」


 そうは言っても、いつ復調するかわかったもんじゃない。

 その前にこっちも先手を打って、可能な限り客の流出を抑えないといけない。


「ネット上で流行っているコンテンツを現実の店舗で大々的に取り上げても、結果が思わしくない事もある。今は猫も杓子もネットの時代で、実際宣伝活動において最もコストパフォーマンスが良い方法ではあるが、過信しないようにな」


「はい。結局は地方の小さなカフェですから、ご近所のお客さんが第一ですし」

 

 それが大前提。

 近くに住んでいる人達の溜まり場になれれば、安定した売上は見込める。

 咲良ひなげしと鍵宮クレイユのコラボはあくまでも起爆剤でありブランディングで、これが集客の要になるって期待は最初からない。

 

「それがわかっているなら大丈夫そうだな。ではそろそろ出ようか」


 結局、終夜父は俺が食べ終わるのを待っていてくれた。

 先にお会計だけ済ませて帰る事も出来ただろうに。


 そういう所をもっと娘にも見せる事が出来れば、全然違う関係性を築けると思うんだけど……まあ、相手が娘だとそう簡単にはいかないんだろうな。


「ごちそうさまでした」


「こちらこそ、良い話を沢山聞かせて貰った。また連絡させて貰うよ」


 最後に不吉な事を言って、終夜父はタクシーに乗って何処かへと向かった。

 これからまた色々な仕事が待っているんだろう。


 規模は全然違うけど、俺だってそうだ。

 今日がこれで終わりな訳じゃない。

 そろそろ星野尾さんも休憩に入っている頃だろうし、早く戻ろう――――





「すみません! この『あら、とってもお上手ですこと』をもう一回お願いします!」


 ……まだ休憩に入ってなかったのか。

 自分でリテイク出してるし、星野尾さんの意気込みが物凄く伝わってくる。


「随分熱心な子だなー。ゲームのボイスって流れ作業で録る事多いのに」


「量も多いし、都合上無理やり間延びさせる事も多いから、ちゃんと演じても仕方ないもんな。でも良いよな、新鮮で」


 それに対するスタッフの印象は概ね良好だ。

 彼らにとっては日常的な事でも、星野尾さんにとっては大勝負。

 多少の温度差は仕方ないけど、もっと冷めた目を向けられる事も十分あり得る中、結構良い現場のような気がする。


 まあ、収録現場なんて全然知らないから適当だけど……


「頑張ってるね、彼女」


「はい。それはもう、人生懸けるくらい……」


 え?


 今の声って、もしかして――――


「朱宮さん!? うわビックリした! なんでここにいるんですか!」


 しかもスタッフに紛れてたから全くわからなかった……敢えてオーラ消してたな。


「いや、祈瑠の収録がここであるって聞いて。ウチの事務所、割と近くなんだよ」


「そうだったんですか」


 声優ってあんまり事務所にいるイメージないんだけど……余計な事は言わないでおくか。


「……」


 朱宮さんは真剣に星野尾さんの収録を眺めている。

 プロとして、しかも名の知れた声優として、彼女の仕事をどう思っているんだろうか。


「どう……ですか?」


「基本的にゲームの音声収録は時間との勝負だから、演技プランは大分単純化されるんだ。最初から全部の台詞を複数パターン言わせる現場もあるよ」


「? えっと……」


「あ、ゴメン。要するに、演技力やプランニングみたいな能力を推し量るのは少し難しい現場って事」


 ああ、そういう事か。


「そんな中で自分からリテイクを出すのは、声優としては結構リスキーでね。本職じゃない彼女だからこそ周りも付き合ってあげている。シビアな言い方をすれば、そういう事になるね」


「……厳しい意見ですね」


「これでも一応、そこそこのキャリアがあるからね。だけど別に非難してる訳じゃないんだ。もし祈瑠が自分の爪痕を残したいだけでやってるなら、堂々と否定するんだけど」


 より良いものにしたい。

 より質の高いボイスを提供したい。


 そんな星野尾さんの思いは俺にだって伝わるくらいだ、専門家のスタッフ陣や朱宮さんに伝わらない筈がない。


「彼女みたいに、現場に活力を与える存在は貴重だよ。技術や経験は幾らでも身に付けられるけど、そういう気質は持って生まれたものが大きいから」


「それって……声優としてやっていけるかもしれない、って事ですか?」


「それはわからない。敢えて言うけど、色々な意味で難しい職業だからね」


 そう言いつつ、朱宮さんは指を小刻みに動かして近付くよう訴えてくる。

 内緒話の時の所作だ。


「入る事務所や頼る相手を間違えて大変な思いをした同業者を沢山見てきたから、オススメの職業とまでは言えないんだ。良い事もあるけど、悪い事もそれなりに、ね」


 ……まさか収録の現場でそんな事を言うとは。

 誰にも聞こえてないよな……?


「それでも星野尾さんがこの仕事をやっていきたい、って言ったら……協力してあげます?」


「勿論。彼女が傷付かないよう、出来る限りの事はする」


 あ、意外と素直。


「あの口の悪さとか、生意気な所は手に余るけど……あいつが一生懸命生きてるのは散々見てきたからね。それなりに思うところはあるよ」


 それがどういう感情なのか――――俺なんかが口を挟んで良い事じゃないから、聞くのは止めておいた。





 

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