10-19

 子供の頃の記憶は常に曖昧だったから、そこに出てくる人の顔もハッキリとはしていない。

 母親の顔も。

 そして――――ゲーム画面を前に一緒に遊んだ子の顔も。


「君と娘が遊んだのは、ほんの僅かな期間だけだ。君も娘もゲームにのめり込んでいたようだが、余り親しくはならなかったのか、会話は殆どなかったらしい。覚えているかね?」


「いえ……小学生になる前の話ですから」


「仕方ないな。物心つく前の事だ。覚えていない方が自然だろう」


 終夜から、俺と過去に会っていたなんて話は一度も出て来なかった。

 向こうもきっと記憶にはないだろう。


 俺にとって終夜との初対面はアカデミの中だ。

 当時、ソウザと名乗っていた朱宮さんのキャラと、アポロンとで組んでいたラボ【ノクターン】。

 そこに、リズが加入したいって事で俺にコンタクトを取ってきた。


 あの時の事は鮮明に覚えている。

 オンラインゲーム初挑戦だった俺にとって、それは決して日常じゃなかったから。


 それに、終夜も当時は盛っていた。

 呪いの武具やアイテムが好きで、それを身に付けて悦に浸る……ってキャラを頑張って演じていた。

 しかも『友達以上恋人未満になってくれ』って際どい要求までしてきた。


 この言葉の意味は未だによくわからない。

 終夜はそういう関係に憧れている、みたいな事を言っていた。

 でも、あいつとそれなりに付き合ってきた今、それは真実じゃないって判断にほぼ傾いている。


 終夜はそういう、男女の仲みたいな事にそれほどガツガツしていない。

 俺に対してこの言葉を用いる時は決まって、何かキャラを演じているかのような、ちょっと芝居じみた物言いだった気がする。

 無理している感じじゃなかったけど、少なくとも終夜自身が望んで発しているような言葉には思えなかった。


 そう言えば……一度、この事に関して掘り下げようとした事があった。

 終夜がウチに来た時だ。

 確かたミュージアム内で……終夜が『友達の話』と称して、恐らく自分の事を話してくれたんだ。


 あの時、俺はなんて言ったんだったっけ?



『もしかしてあの「友達以上恋人未満」ってやつ、ワルキューレと関係ある?』



 ……そうだ。

 終夜がファンアートを書き始めたのがワルキューレのゲームだって聞いて、なんとなくそう思ったんだ。


 終夜にとってワルキューレのゲームは、ある意味血よりも濃い父親との繋がり。

 子供の頃の終夜にとっては全てだったのかもしれない。

 それくらいのものを感じたんだ。


 だから、あの突拍子もない『友達以上恋人未満』って表現も、昔プレイしたゲームからの引用なんじゃないかって勘ぐった。

 子供の頃に印象的だった表現や言葉って、何年経っても忘れないからな。


 その時、終夜は否定していた。

 でも明らかに動揺していたように思う。


 あれは――――図星だったんじゃないだろうか。



「あの……唐突に変な事聞きますけど、ワルキューレのゲームに『友達以上恋人未満』って言葉、出て来た事ってあります?」


「いや、唐突ではないよ。少し思い出したんだな」


「え?」


「ん……? 違うのかね? 君が娘と遊んだゲームに出てくる表現だよ」


 それって、もしかして……


「ソーシャル・ユーフォリアのヒロインが主人公に対して言うセリフの中に、その表現がある」



 あ――――





『こういう関係はね、友達以上恋人未満って言うんだって』





 あ……ああ……



「春秋君? 大丈夫かね?」


「あ。はい。すみません」


 思い……出した。

 なんで忘れていたんだ?


 そうだ。

 俺は子供の頃、ソーシャルユーフォリアに熱中していた。

 レトロゲーとしてじゃなく『数年前のゲーム』として。


 完璧に記憶が蘇った訳じゃない。

 というか、そんな昔の事を綺麗に覚えている方がおかしい。

 でも、断片的に幾つかのシーン、幾つかの視界が頭の中に浮かんでくる。


 真っ暗な部屋。

 そこに、俺と……同世代の女の子。

 テレビ画面に、ソーシャルユーフォリアの一場面が映っている。


 画面内にいるのも、男のキャラと女のキャラが一人ずつ。

 ソーシャルユーフォリアの主人公ユーフォと、ヒロインの魔王リアだ。


 この二人の関係は歪だった。

 宿敵同士の筈なのに、戦う内に情が芽生えて、やがて大切な存在になっていく。

 でも決して結ばれる事はない。


 魔王を倒す為に生きてきたハンター。

 人間を滅ぼす事を使命としてきた魔王。


 本人達の感情はどうあれ、馴れ合いが許される間柄じゃない。


 だから二人は袂を分かつ。

 人間と魔族の戦争を終わらせる為に、出来る限りの事を尽くそうと。


 その別れのシーンだ。


 決して恋人にはなれない。

 友情が芽生えた事を周囲にバレる訳にもいかない。


 そんな両者の関係を、魔王リアはそう表現した。



 友達以上恋人未満。



「古い言葉だよ」



 不意に……でもないか。

 俺の意識が過去にいっている間、終夜父は終夜父で違う時空にいたらしい。


「我々が若かった頃、その言葉は様々な媒体で使われていた。流行語とまでは言わないがね。今で言うところの厨二心というものを擽るような、そんな甘酸っぱい言葉だった」


「親父も似たような事を言っていた気がします」


「そうだな。君の父親は私より下の世代ではあるが、若い頃にはまだ使われていたんだろう。なんとも煮えきらない所が、当時の世相にも合っていた」


 その世相を知らない俺にとっては、実感なんて持てる筈もない。

 でも、確かに古い言葉ってのはなんとなくわかる気がする。

 今ではとてもネットミームにはなりそうにない。


「そういう訳だから、特に独創的なセリフという訳でもない。普通に使われていた言葉を……まあ、そうだな。人間臭さを感じるセリフを入れて欲しいと、私が指定した気がする。この言葉を使えと言った訳ではないがね」


「魔王リアを、人間臭く見せる為にですか」


「ああ。この物語にプレイヤーを感情移入させるには、彼女を出来るだけ身近に感じて貰わなければならなかったからな」


 友達以上恋人未満は、魔王を人間に限りなく近くする為の言葉……だったのか。


 終夜は……そんな事情を知っていたとは思えない。

 ゲームを開発していた頃には生まれてもいないだろうし、まだ子供の頃にこんな話をされても理解できるとは思えない。


 でも終夜は、間違いなくソーシャルユーフォリア内のセリフとして『友達以上恋人未満』って言葉を覚えた。

 多分……俺とプレイしている最中に見た。

 そしてその関係性を、俺に突きつけてきた。

 

 こんなの――――確定じゃないか。


「終夜は……覚えていたんですね」


 俺の事を覚えていた。

 俺が誰なのか理解した上で、この言葉を俺に言ったのか。


 俺が覚えているかどうかを確認する為?

 それとも、思い出して貰う為……?


「父親として失格だが、中学に上がって以降の娘とは踏み込んだ話はした事がない。だから、どの程度まで君の事を覚えていたかはわからないが……まだ子供の頃、短い間だが君と遊んだ時の話はよく口にしていたよ。暗闇の中、君がゲームに熱中しているのを、あの子は横目でじっと眺めていたそうだ」


「どうして……?」


「私の作った……は語弊があるが、私が企画を担当したゲームがプレイヤーを虜にしている事を、誇らしく思ってくれていた……のだと思う。希望的観測でしかないのだがね」


 ……そうか。

 確かに、それ以外にはなさそうだ。


 終夜は父親の事を嫌っていた訳じゃない。

 嫌いじゃないからこそ、自分の方を向いてくれなかった事に失望したんだ。


 そしてその気持ちを、今もきっと持ち続けている。


「……その後に君が表情をなくしたと聞いて、私は正直、娘が何かしたんじゃないかと不安になったよ。当然、君の親もそう考えたに違いない。だが決して、娘の所為にしようとはしなかった。母親を亡くした事が原因だと私には説明していたよ。恐らく違うとわかっていながら」


 親父がそういう気の遣い方をするのは、なんとなくわかる。

 俺も同じ立場なら、きっと同じ事を言うだろう。


「娘は娘なりに考えがあって、君に接触したんだろう。私や天川先生がそう仕向けた訳ではない。言うまでもないかもしれないが」


「はい。それは理解しています」


 終夜父とは疎遠だし、アヤメ姉さんがそんな指示を出したりもしないだろう。

 俺の表情の件については、驚くほど慎重だったからな。

 過去の記憶を刺激するような真似は、絶対にしない筈だ。


「あの……一つ良いですか」


「勿論。何かな?」


 俺がここに来て、この人と話をしているのは、俺の過去を曝く為じゃない。

 コラボの件も大事だけど、それよりもずっと大事な用件が出来た。


「終夜に何もかも話して下さい」


 この人は、終夜を大事に思っている。

 それがわかった今、俺に出来る事がある。


「貴方が終夜の為にしている事、終夜をどう思っているか、それを隠さずに御自身の口から伝えてくれませんか?」


「……」


 終夜父だってわかってる筈だ。

 どれだけ終夜の為を思っても、裏アカデミなんていう回りくどい、本当に回りくどい愛情表現をしたところで、あいつに伝わる訳じゃないと。


「私が今更何を言ったところで、あの子には伝わらない……私はずっと、そう思い込んできた。今もそれは変わらない」


「なら今、変えてください」


 この人なりに、抱えてきたものがある。

 大人だからこそ出来ない事もある。

 それはわかってる。


 社会経験なんてないガキの俺にでも、わかる事だ。


「貴方の言葉は終夜に届きます。貴方は根っからのゲーム好きですから」


 終夜父の顔から――――初めて感情が動いた。


「届かない筈がないんです。貴方がずっと、勝手に届かないって思い込んでいただけ……じゃないかって思います」


「……確かにな。それは盲点だった」


 終夜父の言葉は、本当に心の底から発していたように聞こえた。


 こんな当たり前の事を、こんな年下の子供に言われて……


「私は、世界一の間抜けだな」


 それでも、突破口を見つけたような――――不思議な表情をしていた。


 だから俺は思う。

 きっと、きっかけ一つで終夜家は変わるって。



 そう、思いたい。





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