10-18

「君も知っての通り、娘はストレスが一定以上になると固まってしまう。これは比喩ではなく、文字通り硬直してしまうんだ。意識だけでなく身体も」


「身体も……」


 確かに、言われてみれば相当強張ってたっけ。


「ジストニア、という疾患を聞いた事があるかね?」


「あ、はい。名前くらいはアヤメ姉さん……天川先生から」


「症状としては、それが一番近いそうだ。ただし典型的なジストニアではなく心因性の可能性が高いらしい。同種のメカニズムと推察されるが薬の効きは良くなかったからね。元々ジストニアは明確な治療方法がない。対処療法以外には不確かな選択肢が幾つかあるのみだ」


 そうだったのか……多分俺よりも辛い疾患だ。


 にしても――――


「良いんですか? 病名まで俺に話して……」


「君がこの事を誰かに言いふらすような真似をしない人間なのは、天川先生から聞いているし私自身も同じ見解だ。君は娘の良き理解者だし、近い悩みを抱えてもいる。渡せる情報は全て渡した方が君にも娘にも良いと判断した」


 信頼……されてるんだろうか。

 大人の判断基準はよくわからないな。


「ゲームが好きな相手だと普通に出来るのも、その……心因性ジストニアの特徴なんですか?」


「いや、そういう訳ではないらしい。ストレスの反応によってジストニアと同等の症状が生じる為、ストレスを感じない、若しくは極めて軽微である事が症状の沈静化に繋がるようだ」


 つまり、ゲーム好きを相手に話をする分にはストレスを感じないって事か。

 これは推測していた通りだ。

 自分と同じ位置にいる相手だから、気負わずに話せる――――その気持ちはよくわかる。


「それでも、ゲームに関わる人間に囲まれていれば自然に話せるようでね。あの子が社会人として生きて行くには、ゲーム会社に勤めるのが最適……唯一の道だと思ったんだよ」


「だから、御自身の会社に終夜の居場所を作りたかったんですか。でも、最初に会った時にワルキューレと関わるなって言ってませんでした?」


「覚えていたのか。君は記憶力が良いな」


 そうじゃない。

 印象的な会話だったから覚えているだけだ。


 最初に終夜父と会ったのは、裏アカデミのゲーム内。

 まるで導かれるように、俺と終夜はそこにいた終夜父のアバターと出会った。

 その時に終夜父はMMORPGとワルキューレを否定していた。


 古巣を批判していたから、ケンカ別れしたか、愛想を尽かしたんだと思っていた。

 終夜に対しても厳しい事を言っていたし、正直ちょっとイタい人だと感じてもいた。


 今もその印象は変わってない。

 ただ、彼の言動には裏があるって事は、なんとなくわかってきた。


「不徳の致すところだが、私がああ言えばあの子は反発する。こうあって欲しいと思う事の逆を言う方が、あの子の心には届くんだ」


 そういう事か。

 それはとても賢くて……残酷な行為だ。

 もし俺がそんな事を親父にされたら、ムカついてブン殴りたくなるだろうな。


「……一番良いのは、あの子が自分の力で会社に必要な人材だと証明し、自分で道を切り拓く事なのは明らかだ。親の七光りだなんだと揶揄される心配もないし、自信を持つ事が出来れば精神的にも安定する」


 終夜父自身、自分の下に置く事が最善とは思っていなかったんだな。

 そりゃそうだ。

 家庭の不和を招いたのは、他ならぬ終夜父なんだから。


 終夜がどんな理由で心因性ジストニア……かどうかは確定してないけど、心因性ジストニアらしき症状を発症してしまったのかは、俺にわかる訳がない。

 だけど家の中で常にストレスを抱えながら生きていたら、病まない方がおかしい。

 その事を終夜父は悔いている。


 少しだけ、ホッとした。

 終夜父が何も罪悪感を持っていなかったら……ゲームを売る事にのめり込んで娘を蔑ろにした事を何も思わないような人間だったら、終夜は本当に救われない奴になるところだった。

 だからといって、この人に好感を持つ事なんて絶対に出来ないけど。


「私がワルキューレにいるのは、あの子にとってはマイナスでしかない。恨まれて当然の人間だからな。だが仮にもトップの人間が『子供を会社に任せて自分は去る』などと表明する事は出来ない。加えて、新事業への関心もあった。クリティックルを立ち上げた動機としては、そんなところだ」


「ワルキューレの社員を裏切った事になると思うんですけど、それは良いんですか?」


 聞かずにはいられない。

 俺が大人なら、もしかしたら気を遣って聞かないのかもしれないけど……俺はそんな気にはなれない。


「裏アカデミ……って勝手に呼んでますけど。もしあれをクリティックルで出すっていうんなら、そんな不義理はないと思います」


「その心配は不要だよ。君はゲームに詳しいから、ゲームの開発元と販売元が違う事は知っているだろう」


 勿論、知ってる。

 一つの会社が開発、宣伝、販売まで全て行うケースもあれば、そうじゃないケースもある。

 国民的RPGって呼ばれているゲームでも、開発元はあまり知られていない会社だったりするからな。


 ソシャゲも同じ。

 開発元と運営元は大抵異なる。


 って事は――――


「クリティックルで開発して、ワルキューレで販売するんですか? その事は……」


「一応、伝えるべき少数の社員にだけは伝えているよ。ただし難色を示されているがね」


 そりゃそうだ。

 例えば『もう一つのアカデミック・ファンタジア』って触れ込みで、アカデミのアナザーサイドって立ち位置でリリースする事自体は、企画としては十分あり得る。

 だけどアカデミ自体、大ヒットしているゲームって訳じゃないから、その外伝あるいは続編を多額の資金を使ってまで出すのはリスクが余りに大きい。


 反面、裏アカデミには本編のアカデミにはない魅力がある。

 グラフィックは遥かに上だし、没入感も相当だ。

 それは、実際にプレイしていて実感もしてきた。


「その……精神医療との融合とか、最新技術の導入とか、そういう付加価値を付けてまでアカデミに拘るのは……終夜が関わっているから、なんですか?」


「……それだけではないよ」


 って事は、それもあるって事か。

 もっとあのゲームをメジャーにして、終夜の自己肯定感を引き上げようとしているんだろうか。

 自分が裏切り者になってまで。


 もしそうだとしたら――――何処まで不器用なんだろう、この人は。


「終夜がゲーム好き以外の人間と普通に話す事は、絶対に出来ない訳じゃないんですよね?」


「ああ。少なくとも私はそう信じている。だが一朝一夕でどうなるものでもない。今の娘に必要なのは、心穏やかにいられる環境だ。私が……奪ってしまったものなんだがね」


 今まで、この人の事はずっと自信家だと思っていた。

 実際、ワルキューレは20年以上続いている会社だ。

 社会的に成功者なのは間違いないし、仕事に対して自信を持っているのは当然だと思う。


 だけど……今、俺みたいな何者でもない高校生から目を背けてバツの悪そうな顔を浮かべている終夜父は、ウチの親父よりも自信なさげに見える。

 この姿を見て、これ以上怒りは沸いてこない。

 彼は彼なりに、娘と向き合わない事で現実と向き合ってきたのかもしれない。


「君に謝らなければならない事がある」


「……俺に? 終夜にじゃなくて、ですか?」


「娘にはいつか、言葉がちゃんと届くと思った時に謝るつもりだ。今はまだ、私の言葉は空虚でしかない」


 それでも……謝り続け得る事に意味はあると思うんだけど、俺とは考え方が違うんだろうな。

 大の大人相手に、それを言えるほど俺は自分に自信がない。


「君の言う裏アカデミ……君が今プレイしている方のアカデミック・ファンタジアに君を巻き込んだのは、私の意向なんだ」


「……ああ。それですか」


「その様子だと、薄々気が付いていたようだね」


 そりゃ、フィーナの正体がアヤメ姉さんで、そのアヤメ姉さんと繋がりがあるって時点でピンと来るに決まってる。

 ただ、幾ら身内とはいってもアヤメ姉さんが患者の情報を医療従事者以外に渡すとは思えない。

 そこは気になってた。


「君の事はずっと以前から知っていたんだ。君がまだ子供の頃から」


「……え」


 そんな話、聞いた事もない。

 でも、そう言えば――――初めてゲーム内で会った時、初めましてって言葉はなかった。

 勿論、当時はそんな事気にも留めなかったし、今の今まで意味のある事だとも思わなかったけど。


「君の父親の春秋君は、若い頃にゲームデバッグのアルバイトをしていてね。最後まで粘ってくれる熱心な男だったから、自然と私やスタッフ達とも会話が増えた」


「親父と知り合いだったんですか」


「私は仕事仲間だと思っているよ。彼等のような職人がいるからこそ、ゲーム作りは成立するんだ」


 デバッガーの事を職人って表現する人、初めて見た。

 ゲームやスタッフに対しての姿勢は、ちゃんとしたものを持ってる人なんだな。


「ある日、君の父親が血相を変えて会社に連絡して来た。子供を夢中にさせるには、どんなゲームが良いかと」


 え……


 それって、親父が前に言ってた……



『色んな人達の意見を聞いて、力を借りた。同年代の子に一緒にやって貰うのが良いって、知り合いの子を連れて来て貰ったりな』



 間違いない。

 病床の母の弱った姿を子供の俺に見せない為に、ゲームを宛がってたって話だ。

 まさか、知り合いの子供って……


「その時に私が提案したのは、ゲーム仲間を作る事。君はそこで、娘と会っているんだ」



 幼少期の終夜が、家に来ていた――――





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