10-16
終夜父が入ったのは、意外……と言ったら失礼かもしれないけど、かなりカジュアルなカフェチェーン店だった。
店名は『シルクムーンカフェ』。
山梨にもある、全国展開している有名チェーン店だ。
当然だけど、店内のレイアウトや雰囲気は山梨の店舗と殆ど変わらない。
メニューも多分同じだろう。
このカフェの特徴は、パンメニューの豊富さ。
というか、ほぼパンを食べさせる為のカフェだ。
ドリンクやデザートも充実しているけど、モーニング、ランチ、イブニングどのメニューもパン類で統一されているから、パンの印象が圧倒的に強い。
客層は女性が多めだけど、男も何人かいる。
ただし殆どカップルだから、俺達はハッキリと浮いている。
てっきりお堅いレストランか珈琲店だと思っていただけに、ちょっと戸惑ってしまった。
「実は1号店の頃から利用しているカフェでね。その時は確か中央区だったか……もう20年以上前になる」
「終夜……娘さんが生まれる前ですね」
「ああ。当時は接待で色んな飲食店を練り歩いたものだが……意外と好まれるのは、こういう入りやすい店だった」
それは、なんとなくわからなくもない。
いや、世のゲーム好きやゲームに関わるお仕事をしている人達がみんな庶民的なお店が好きっていう訳じゃないのは理解してるけど、なんとなく。
「中途半端な時間になってしまうが、昼食をとろう。好きな物を頼んでくれ」
「では御言葉に甘えて遠慮なく」
ゲーム会社の社長に遠慮するのは却って失礼だ。
かといってパスタを頼むのはちょっと違う気がする。
ちょうどランチセットが始まる時間だし……
「チーズフォカッチャセットをお願いします。ドリンクは紅茶を」
「私はサンドイッチセットをタマゴサンドと珈琲で」
「畏まりました」
注文をリピートしたのち、店員は颯爽と奧へ戻って行く。
流石プロ……ってのも変な話だけど、明らかに変な組み合わせの俺達に対して全く好奇の目を向けなかった。
こういうところはウチも見習わないと……って無理かな、来未は特に。
「では早速で悪いが本題に入ろう。まずは再開してくれたようで何よりだ」
裏アカデミの事を言っているのはすぐにわかった。
期限やプレイ状況を指定しないとはいえ実質的なテストプレイだから、向こうとしては中断されるのは思わしくないんだろうな。
「ネタバレになるから、現状の到達率は伏せておくとして……どうだね。ここまでの手応えは」
「色々思うところはありましたよ。純粋なゲームとして楽しむのは、もう難しいですね」
精神医療に利用する為のゲームと聞かされてしまったら、エンタメとしての純粋さはもう持てない。
まして俺にとってはこれが初めてのオンラインゲームだからな。
「やはりそうか。医療用と明かした上でスタートするのは、ゲーム性を著しく損なうと思っていたが……」
「途中で聞かされた分、マシと言えばマシかもしれません。最初からそういうものだって話を聞かされていたら、多分もう続けていなかったと思います」
「貴重な意見をありがとう。大いに参考にさせて貰うよ」
……単なる大人の対応、というだけかもしれない。
でも少し気になる事があった。
「その医療利用の件ですけど、俺以外にも明かしているんですか?」
「ああ。テスターの中から無作為に選んで、『最初から明かしているテスター』と『途中で明かしたテスター』と『一切明かさないテスター』に分けている」
そういうサンプリングか。
妥当と言えば妥当だ。
それぞれに生じる心証を参考にする事で、商品化する際のスタンスを決定するんだろう。
とは言っても、医療支援を謳うのなら最初から明かすのが大前提だと思うけど。
「そうだな。君にはより深く、私達がやっている事を理解して貰った方が良いデータが取れそうだ」
「……」
つまり補足説明をしてくれるつもりらしい。
ありがたい反面、こっちが言いたい事を言う時間がなくなる危険もあるけど――――
「勿論、君の話を聞く時間も取ってある。レコーディングの視察という名目でスケジュールを取ってあるからね」
「……どうも」
正直返答には困ったけど、ありがたいのは確かだ。
これで一応、余計な心配はしなくて済んだ。
「既に天川先生を通して説明してあるように、君達にテスターとして参加して貰っているアカデミック・ファンタジアは、精神医療を目的とした支援プログラムの一環として開発を進めている。あくまで支援であって治療目的ではないので、その点は誤解しないで貰いたい」
「病気を治したり、症状を和らげたりする目的じゃないって事ですか?」
「無論、治療できるのならそれは最高の結果だ。だが治療する事を前提としてゲームを作る事は出来ないし、そのつもりもない。あくまで選択肢の一つとして、ゲームが心の病と呼ばれるものに対して効果的である事に期待できる……回りくどい表現で済まないね。薬機法に引っかかるようでは商品にならないのでね」
よくわからないけど、直接的な表現は法律が許してくれないのかもしれない。
例えば『このゲームをプレイすれば精神疾患が治ります!』みたいな宣伝をしちゃマズいっていうのは、俺でもなんとなくわかる。
「君達の世代には馴染みがない表現だろうが……ゲームは元々、心の病の原因とされてきた歴史があってね。不登校の原因から始まって、依存症や脳への影響など、それはもう悪し様に言われたものだよ」
「その辺の話は、よく父から聞いてます。オンラインゲームが普及し始めた頃は特に酷かったみたいですね」
「ああ。『ゲーム脳』なる言葉も流行語になっていたしね。学力の低下の原因と言われた事を逆手にとって、学習用のゲームソフトが大ヒットした事もあった。脳活性化なるコピーを多用して……あれも正直、余り感心できる事ではなかったが」
その辺の事情は、一般人の俺にはわからない。
そういえば、学習用のゲームって一度もプレイした事ないな。
俺が物心ついた頃には既に流行は終わっていたし。
「ただ、反骨心だけは見習いたいと思ってね。濡れ衣を着せられたのなら、その濡れた衣を乾かして、商品にしてやろうと思ったのがきっかけだった」
「ゲームの精神医療への利用を提案したのは、やっぱり終夜社長なんですか?」
「ああ。尤も、私が当初目指していたのは、そこまで大袈裟なものではなかったよ。ゲームを通して、塞ぎ込んでいる心を解き放ちたい。或いは寂しい思いをしている中で生まれた淀みや鬱屈した感情をなくしてあげたい……そんな烏滸がましい気持ちだけだった」
だとしたら、それは……
「終夜の為、だったんですか?」
思った以上に自然な形で、聞きたい事を聞く事が出来た。
この話は間違いなく、終夜親子の関係性に関わってくる。
「傷付いた終夜の心を癒やす為に始めた事なんですか?」
「……」
終夜父は――――答えない。
正直、違うって返答は想定していない。
これに関しては絶対的な自信がある。
だから焦りもない。
ひたすら、終夜父が答えるのを待つ。
恐らく、言葉を選んでいるんだろう。
……いや。
終夜の事を何処まで話して良いか、現状についてどれだけ話せるのかを考えているのかもしれない。
なんとなく、迷っているように見えるから。
「そうか。娘は君にそこまで話していたんだな」
やがて観念したように、終夜父はフーッと息を吐いた。
「その話をした時、あの子は私をどう言っていたか聞いてもいいかい?」
「はい。自分の名前がどういう由来で付けられたのか、そして……」
ここからは、本人のいない場所で言うのはちょっと抵抗がある内容だ。
後でこの話を聞いたら、きっと良い気はしないだろうな。
でも躊躇はしない。
もう俺は、この一家にかなり深く関わっている。
ここで投げ出すのは、見放すのと同じだ。
「その期待に応えられなかった、って言ってました。諦めたとも」
「……」
終夜父の顔に反応らしきものはない。
構わない。
ここまで明かした以上、続けるしかない。
「本人の弁をそのまま言います。『家族と過ごす時間は少なかったのに、どれだけ忙しくても生き生きしていたのを覚えています。仕事が楽しかったんだと思います』」
「娘が……そう言ったのか」
「はい。父は母にも自分にも興味がなかった。だから恨まなきゃいけなかった、と」
でも恨めない。
それは本当に悲しい事だ。
恨むべき相手を恨めないのは、心が物凄く無理をしている状態で、それが長く続いている訳だから。
「……終夜はずっと自分を責めてました。自分がちゃんと出来なかったから、家族がバラバラになったって。全てが本心とは言いませんが、本音だと思います」
辛い。
なんでこんな事を言わなきゃいけないのか。
なんで……こんな事を言わせたんだ、この人は。
だけど、それを聞く事は出来ない。
向こうから言ってくるのを待つしかない。
「そうか……」
ここで他人事のような言葉を発したら、テーブルを叩いて出ていく事も考えた。
実際、最初はそういう反応をしてくるんじゃないかって危惧もあった。
でも――――違った。
「父親失格、なんて言葉に……私は何処か、胡座をかいていたんだな」
その言葉の意味を100%理解するのは多分無理だ。
だけど、伝わってくるものはあった。
この人も……本意じゃなかったなろう。
家族がバラバラになったのも、終夜に深い傷を負わせてしまったのも。
「君の言う通りだ、深海君。私は傷付けてしまった娘の心を癒やしたくて、このプロジェクトを始めた。それが出発点で……着地点だった」
終夜父の顔は終始俯いたまま、そこからポツリポツリと昔話が始まった。
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