10-14





 ……


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「……ふぅ」


 良かった。

 自分で意識せずにゲームの中に潜ったのは初めての経験だったけど……自然に元の状態に戻ったみたいだ。


 もしかしたら、二度と戻って来られないんじゃないかって危惧が、今になって襲ってくる。

 ゲームに没頭している間は勿論、そんな事は考えもしないけど。


 とうとう、黒幕の存在……多分そいつがラスボスなんだろうけど、そこまで来た。

 そいつを倒せば、裏アカデミのテストプレイは終了だ。


 それがゲームクリアを意味する訳じゃないのはわかってる。

 体験版を最後までプレイして、それでクリアした気になる奴はいない。

 でも、一つの区切りにはなる。

 

 NPCの裏切り、それ自体は特に何も思わない。

 ゲーム内で主人公を裏切る仲間なんて、今まで星の数ほど見て来た。

 そんな事に一喜一憂する時期はとっくに過ぎている。


 それなのに……なんだろうな。

 このモヤモヤした感情は。


 ゲーム内のシーラは、エメラルヴィがスパイだって予想できていた。

 主人公がプレイヤーの思慮を離れ、そういう立ち回りをするのは、RPGではよくある事だ。

 主人公はプレイヤーの分身とよく言われるけど、実際にはそんな事はないからな。


 ただ、多分今俺が感じている事は、シーラも感じているんだろうな。

 いや……逆か。

 シーラの感情が俺の中に入り込んでいる気がする。


 ゲームを楽しむ上で、登場人物の感情とシンクロするのは良い事だ。

 その方が臨場感があるし、ダイレクトにゲーム内の空気を味わえる。

 何より、心が心地良く動く。


 小説だって漫画だってそう。

 アニメなら尚更だろう。

 情報が多ければ多いほど、入り込む要素も増えて行く。


 ゲームはその中でも一番と言ってもいいくらい、多くの情報を俺達ユーザーに与えてくれる。

 ストーリーやキャラの設定だけじゃない。

 その道中、自分でプレイした時間が全て、思い入れへと変わって行く。


 戦闘シーンで思わぬ苦戦をした時には、そのキャラが傷付き狼狽している姿を想像する。

 誰もいない袋小路に迷い込んだ時には、仲間から非難されて苦笑いを浮かべる主人公を思い浮かべる。


 そういう積み重ねが、没入感を後押しする。

 繰り返し経験していく内に、入り込み方のコツも掴めてきた。

 いつの間にか、どんなゲームにでも瞬時に没入できるようになった。


 没入時間〈イマーシブモード〉……まだ中二になる前の来未が厨二病全開で付けた、大層な名称。

 実はこっそり気に入ってたりする。

 一生、誰にも明かすつもりはないけど。


 ゲーム内で体験した喜怒哀楽、悲喜交々が俺の情緒の教師。

 ゲームで沢山の事を学んできた。


 そんな俺だから――――わかってしまう。

 何度だってわかってきた。

 裏切られる辛さを。


 ゲーム外で裏切られた事なんて一度もない。

 現実の人達はみんな優しくて、表情のない俺に対して気を遣ってくれる。

 決して嫌なイジり方はして来ないし、腫れ物に触るような態度も取らない。


 でもそれはやっぱり、自然な反応じゃないんだろう。

 俺が、そうさせてしまっている。


 ゲーム内のシーラは空気を作った。

 エメラルヴィが諦める空気だ。


 絶対と言える裏切りの証拠はなかった。

 ただ、怪しいという判断材料の積み重ね。

 それでも奴が最後は諦める……と言うより折れる方向に持っていく為に、仲間を集めて圧力をかけた。


 俺は一人だ。

 一人でそれをやっている。

 しかも、何年もずっと。


 そう気付かされた。


 モヤモヤした感情の正体は多分、それだ。

 シーラの場合はそれを仕掛けた事に対する申し訳なさで、俺の場合は……そんな自分に気付いた事への失望。

 いや、とっくに気付いていたんだけど……それをゲーム内で客観的に見せられた事で、ちょっと辛くなった。


 だけど必要な事だ。

 シーラは必要な事だからやった。

 俺は……自覚する事が必要だった。


 多分、誰かに『周りに気を遣わせるな』と言われたら、直そうとはするけど苦悩の方が強く出ていたかもしれない。

 そんな事を言わせてしまったという自責の念と、何でそんな事を言うんだって憤りとが混ざり合って、感情がグチャグチャになって……上手くいかなかったかも。


 自分で気付く事が大事だ。

 ゲームは、そういう気付きの場でもある。

 ゲームは何処までも自分主体なエンターテイメントで、だからこそ自分で気が付ける。


 スパイがどうとか、黒幕がどうとか、色々思うところはあったけど……結局は自分の事ばっかりだな。

 

 ん……?

 SIGNか。

 水流かな……


 あ、違う。

 終夜か。



『おつかれさまでした』


『お疲れ。スパイがいるって予想してた?』


『いえ。全く』『だから今もピンと来てません』


 ま、そうだよな。

 俺も別にエメラルヴィに『なんだよ』とか『フザけんな』みたいな感情はないし。

 思い入れが全くない訳じゃないけど、そこまで深く関わってきたキャラでもないもんな。


『でも、だからかもしれません』『裏切られた事への感情が、なんかフワっとしたものになりました』


 ……これはエメラルヴィの事を言ってるんだろうか?

 いや、違う。


 終夜も俺と同じなのかもしれない。


『それ自分の事?』


『わかりますか』


 やっぱりか。

 終夜も俺と同じように、リズの心情とシンクロしてたんだな。


『私は父と母のことを考えてました』


 ……家族崩壊のきっかけになった終夜父。

 家族を見限って子供から離れた終夜母。


 終夜にとっては、二人とも裏切り者だろうな。


『不思議です』『その時の事を思い出したのに、そんなに嫌になりませんでした』『夢とかで見た時はもっと気持ちが重くなるのに』 


 ……そうか。


『多分、ゲームに置き換わる事で裏切られたって感情が和らぐんだと思う』『あくまで物語の、自分じゃないキャラ達の話だからな』


『そうかもしれません』『自分の事じゃないけど、自分で自分の事に置き換えるのって、そんなに嫌な気持ちにならないんですね』


『俺もそう感じてたよ』


 きっとこれが、ゲームを精神医療に使うって事なんだ。


 俺も終夜も、そして水流も朱宮さんも、何かしらの精神的な問題を抱えている。

 そんな俺達が、リアル寄りじゃなくまるでゲームの中に迷い込んだようなグラフィックの裏アカデミをプレイしていく内に、そのゲーム内でキャラが抱いた感情を、自分の感情と共鳴させていた。


 そうする事で、深く傷付かない範囲で自分の事を理解していく。

 自分で気付くから傷付かない。

 自分で体験して行くから怖くない。


 これがもっと直接的な……終夜で言えば、リズが両親と上手くいってないとか、仕事が忙しくて構って貰えないとか、そんな内容だったら逆に反発してしまって心に入れようとしないだろう。

 ゲーム内のシナリオやキャラの台詞の中に、ふと自分を重ねるからこそ、抵抗がない。

 そして内々に溜め込んでいたものが、少しだけガス抜きされる。


 こういう事を繰り返して行けば、トラウマだったり辛い経験だったりが薄れていくかもしれない。

 そうする事で、改善に向かう事もあるのかも。


『少しだけ気が楽になりました』『これでダンボールを片付けられそうです』



 ……え?



『あのダンボールって、お前にとって何だったんだ?』

 

『自分でもわかってませんでしたけど、さっきわかりました』『多分、現実逃避だったんだと思います』『まだ荷造りの途中で、ここは私の新しい居場所じゃないって思えるから』



 そういう意味があったのか……


 確かにあのダンボールの山は荷造りを思わせる物だった。

 あらためてあの部屋を思い浮かべたら、まだ引っ越しの途中くらいに思える。


 終夜はずっと、そんな心境で生活してたのか。

 気付けなかった。


 いや……無理か。

 本人でさえ、今ようやく気付いたんだから。


 これも、例えばゲーム内で沢山の箱に囲まれたシーンが描かれたとしたら、無意識に反発して全く思い至らなかっただろう。

 殆ど関係ないからこそ、逆に気付ける。



 ……そういうふうに計算して作られたシナリオなのか?


 

 裏アカデミは終夜父のプロデュースしたゲームだ。

 まだテスト段階とはいえ、終夜父は相当熱を入れている。

 古巣を裏切ってまで……



 裏切り……?

  


 今までは全く思いもよらなかった。

 でも、考えれば考えるほど符合していく。



 もう一つの世界。

 どうにもならないほど凶悪化した敵。

 ボロボロにされてしまった未来。


 表アカデミのキャラクターデザインは、ずっと終夜がああなりたいと願っていたrain君。

 裏の方もそのrain君の絵柄と似ている。



 そして、王都の設定資料。



 あれは終夜が、アカデミに使って欲しくて書いた資料。

 でも勝手気ままに書いたものだから採用されなかった。


 それが、裏アカデミの王都で採用されている事実。



 まるで――――終夜の為に作られたような……終夜の心の中を薄く、でも確実にそうとわかるように描写したような世界観。

 だとしたら、あのゲームは……



 裏アカデミは、終夜の心を癒やす為に……



 フリーズしてしまった心を氷解させる為だけに、作られたゲームなのか……?




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