第10章 寝落ちの君とワールズ・エンド

10-1





「――――のう、ユーフォ」


 沈む夕日を澱んだ目で眺めながら、魔王リアは問いかける。

 もう幾ばくも残されていない時間を、ただ漫然と見上げながら。


「本当に、こんな結末しかなかったのか? もっと他に、我等が進むべき道があったのではないか?」


「それは無理だよ。僕がいる限り、人類に平和は訪れない。今更僕が何を言おうと、彼等の中で僕は裏切り者として完結してるから」


 ユーフォは諦観と同時に、何処か憂いを帯びた目でそう答える。

 彼もまた、この時間を惜しむように空を仰いでいた。


「……かも知れぬな。我とて同じ事。魔王としての責務を放棄していると見なせば部下達は我を見限るだけでなく、この命を奪おうとするであろう。無論、奴等如きに仕留められるつもりはないが……絶対とは言い切れぬ」


「……」


「或いは、この我の体内に流れる魔王の血が沸く。そうなれば、我の自我など立ち所に消し飛ぶだろう。人間を根絶やしにするまで、魔王として蹂躙し続けるだろうな。お前はそれを望むか?」


「バカ言うなよ。そうならない為に、二人でこうして頑張って来たんじゃないか」


 今や全人類の希望の星となった、最強の戦士ユーフォ。

 世界征服を宿命付けられていながら、人間と共存する事を選んだ魔王リア。


 二人は長い戦いの果てに結託し、人間と魔族の戦争を止める方法を模索し続けて来た。

 一度は戦争を停止し、話し合いの席を設けるという約束までこぎ着けたが、それを人間サイドが裏切ってしまった。

 ユーフォにとって、それは青天の霹靂だった。


 人類に裏切られたばかりか、『奴は人間を魔王に売った悪魔だ』と罵られ、賞金首とされてしまったユーフォに最早、人間界での居場所はない。

 彼が選んだのは、魔王との合流。

 あくまで魔王の友人という立場であり、魔族に魂を売った訳ではないが、人間サイドから見ればどちらでも変わりない。


 ユーフォは人間を裏切った。

 それが、史実として今後何百年、何千年先も語り継がれていくだろう。


「後悔はないよ。僕はもう人間に必要とされていないし、人間扱いすらされていない。そんな目に遭ってまで、人間界に居続ける意味はない」


「本当に裏切る事になっても……か?」


「うん。僕が選んだ道だ。選ばされた訳じゃない。僕は僕の意志で、人間界を滅ぼす」


 ユーフォは既に壊れている。

 しかしそれは、人間という種としてのアイデンティティの崩壊。

 彼を一つの生命として見るならば、自分の命を守る為の行動としては間違いなく正しい。


 魔王と組んで、自分を滅ぼそうとする人間を返り討ちにする。

 人の身でありながら、人類を滅ぼす。

 ユーフォは、そんな業を背負う人生を選んだ。


「……先に言っておく。仮にこの戦争でお前がめざましい戦果を挙げたとしても、魔界はお前を歓迎はすまい。我の客人として最低限の筋は通すだろうが、それも確約は出来ぬし、決して居心地の良い生活は待っておらぬぞ」


「構わないよ。同族殺しが幸せを掴んで愉快な人生を歩むなんて、都合が良すぎてしっくり来ない。でも、進んで地獄に落ちるほど自分を卑下するつもりもないよ」


 そこには、魔王を倒し人類を平和に導く事を夢見た少年の面影はなく、全てを諦めた儚い眼差しだけがあった。


「……すまぬ」


「どうしてリアが謝るの?」


「我は魔王だ。これはどうあっても抗えぬ。人類だの魔族だの世界だの、そんなのを全て放り出して、放浪でもしながら自然を眺めのんびり余生を過ごすような生き方が出来れば、お前にそんな顔をさせる事などなかった」


「何だよ。それじゃまるで、僕がリアの所為で手を汚すみたいじゃないか」


「……」


 魔王リアは笑う。

 笑うしかない。

 優しいその少年は決して首を縦に振らないだろうが――――彼の人生を歪めてしまったのは紛れもなく自分だと、リアは理解していた


 ならば、せめて。


「勝利を確約しよう。我の軍勢に加わる以上、敗北は絶対にない。三年……いや、二年で人類を滅ぼし、世界を支配する」


「うん」


「それから……お前はどうするつもりだ?」


 魔界にユーフォの居場所はない。

 先程、リアはそう断言した。


 ならば彼は何処へ行く?


「眠るよ」


 迷いなくそう答えたその答えは、答えになっていなかった。

 だがリアは、ユーフォの言わんとする事を理解し、ゆっくりと項垂れる。


「僕は魔王リアに下る訳じゃないし、魔族になる訳でも魔族に溶け込むつもりもない。だから、人類の滅亡は世界の終わり。世界が終われば、人間は眠るしかない」


「……嫌な奴だ。そこで『死ぬ』と言えば、我に止められるとわかっていてそのチョイスか」


 人間は眠る。

 眠らなければ生きられない。

 だからユーフォの発言は、人として生きる意志を表明した事になる。


 無論、それは言葉遊びの類でしかないのだが。


「本当に良いのか。お前は、そんな生き方で本当に満足なのか」


 ある意味、魔王リアはユーフォよりも人間臭い生き物だった。

 初めての友人が不幸になるのを、ただ傍観するしかない自分を――――呪った。


「……」


 ユーフォは答えず、ただ微笑んだ。

 風がその髪を撫でるように吹く。

 でも決して、穏やかでも爽やかでもない風だった。



 それから――――二年の月日が流れた。



 その間、人間は死に、死に、また死に、死に、死に死に重ね、死を死で洗い続け、死で死を蝕んた。

 大量の血を大地が吸い上げ、その後にただの雨を降らした。



 そして、魔王もまた、地に伏した。




「……嘘……だろ?」



 人類の大半は滅びた。

 だが彼等も最後の力を振り絞り、凄まじい抵抗を見せた。


 人類が最優先の標的として命を奪おうとしたのは、魔王ではなく――――ユーフォだった。

 裏切り者に粛清を、という風潮もあったが、一番の理由は彼が多くの人間にとって都合の悪い存在だったからだ。

 

 ユーフォは純粋に、魔王と戦って勝つ為に強くなった。

 けれどその過程で、多くの人間に嫉妬心を生み出した。

 強くなればなるほど、多くの人達と関われば関わるほど、彼を妬む者も増えた。


 だから、ユーフォは狙われた。

 そしてそれをユーフォも把握していた。

 自分が人間サイドにとって、どれだけ邪魔な存在かを知っていた。


 そんな自分が魔王軍に行けば、人類は結託する。

 共通の敵が明確であればあるほど、人間は強固な絆を作れるのだから。


 それが、今の自分に出来る唯一の貢献。

 ユーフォは、そんな悲しい決意を胸に魔王リアとの合流を決断した。

 それは決して魔王を滅ぼす為ではなく、最後に自分の命をもって彼等を――――人類に満足と納得を与える為だった。


 だがそんな自分を、リアは庇った。

 庇って倒れた。

 とても悲しい目をして、それでも最後は微笑んでいた。


「どうして……」


「そんな……顔を……するな……」


 最後の力を振り絞り、魔王はユーフォの顔に手を添える。

 彼女を貫いた聖剣は、その肉体の魔素を全て喰らい尽くしていた。


「お前と……共に歩んだ日々……は……」


 楽しかった。

 それは言葉にならず、魔王討伐を果たした人類の歓声と勝ち鬨にかき消された。


 何かが決定的に壊れた瞬間。



「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」



 それは、新たな魔王の誕生を告げる慟哭の音色となった――――









「……」


 あらためて、『ソーシャル・ユーフォリア』覇王編のラストをプレイして思う事は……やっぱり好きになれないという感想だった。

 そして同時に、自分が如何にこの作品の内容を忘れていたかを自覚した。


 どうして忘れていたのか、今ならわかる。

 俺はこの作品のストーリーに、現実を重ねていたんだ。


 といっても、当時はまだ小学生にもなっていない子供。

 ストーリーそのものを深く考察できる筈もないし、ちゃんと理解もしていなかっただろう。


 それでも、あの頃の俺はこのシチュエーション……魔王が死ぬ場面を、母親の死と重ねていた。

 自分の親が死んだ事を全然実感できていなかった俺に、『ソーシャル・ユーフォリア』は死の喪失感や怖さを教えてくれた。


 だから忘れていた。

 余りにも、死が恐ろしくて。


 母親が死んだ事実を猛然と突きつけてくるこのゲームが怖くて仕方なかった。


 突然、表情が戻ったあの日。

 俺は何故か、その事を思い出していた。

 

『……そうか』


 この事をアヤメ姉さんに電話で報告したら特に驚いた様子もなく、拍子抜けするくらい静かな対応だった。


『明日、顔を出せ。状態も見たいが、話さなければならない事がある』


 それだけを言って、一方的に通話を切った。


「……」


 スマホで自分の顔を撮影してみる。

 今までなら無表情な自分しか写らなかったのに、今はぎこちなく笑ったり、しかめっ面をしたり、そんな自分が画像として取り込まれていた。


 まだ一般人と同等とは言えないかもしれない。

 でも、どうやら俺は……


 自分を取り戻したみたいだった。




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