9-44

 母さんと意志の疎通が出来ていなかった訳じゃないし、仲が悪かった訳でもない。

 それに、心が通じ合ったような感覚は今も全然ない。

 それでも、少しだけ靄が晴れたような気持ちになれたのは、自分の中で一つ大きな区切りがついたからなんだと思う。


 それからの一週間は、俺にとって特別でも何でもない、ごくありふれた日常だった。


 平日になると学校へ行き授業を受けて、たまに近くの席の男子と会話して、放課後になると家へ帰る。

 家では夕刻まで店を手伝い、一般家庭より少し遅めの夕食をとって、部屋へ戻って〈アカデミック・ファンタジア〉にログインする。


 本筋のストーリーは進めず、サブオーダーを消化して行くプレイスタイルの為、余りワクワク感はない。

 家庭用ゲームのレベリング期間に近い。

 しかも、魔法や呪文を覚えたり武器を新調したりする事が特にないから、強くなった実感も湧かない。


 それでも、一日の終わりにゲームをする事で、生活のリズムが出来る。

 約10年もの間、ずっとこうして生きて来たから、やっぱりこういう生活の方が馴染むと改めて思った。


 LAGの客入りは、キャライズカフェがオープンする前と比べて、少しだけ落ちていた。

 7月は結構売上が良い月だから、梅雨の6月より落とすのは本来良くないんだけど、閑古鳥が鳴くっていう最悪の事態まで想定していた事を考えれば十分だろう。


 家庭用ゲームは相変わらずシリーズものが圧倒的なシェアを集めていて、今夏の目玉と言われていたビッグタイトル『インクォーツ3』がいよいよ発売され、期待通りの大ヒットを記録中だ。

『水晶化』という半透明な物質を作り出せる力を持った主人公が、インクで染められて何もかも見えなくなった世界から色をなくして『可視化』を実現し、ちゃんと見えるようにしていく……というアクションゲームの第3弾だ。


 ただ、このゲームはキャラクターものとは言えないから、ウチのカフェと相性が悪い。

 一応、来未のコスプレは用意していたけど、客の反応は『あ、新作出ましたね』くらいの素っ気ないリアクションが殆ど。

 ゲームマニアよりも一般のゲーム好きの間で流行るタイプのゲームだ。


 そんな訳で、あまりヒット作の恩恵に与れないまま無風の一週間が過ぎた。 



 そして、待望の7月19日――――終業式。



「良いですか小童ども。高校一年生の夏休みはですね、その後決して縮まる事のない圧倒的な学力の差がつくピンチでチャンスです。ここでサボった奴が人生詰みます。『いや別に勉強する為に生きてないし』とか『将来の夢には何の役にも立たないし』とか思ってる子もいるのでしょうが、そんな事はどうでも良いんです。この40日間、たった40日間をマジメに過ごすだけで取り敢えず生き残れます。大事なのはここで脱落しない事。ちゃんとしましょう、ちゃんと。ちゃんと生きれば楽しい事はたっくさんあります。別に勉強漬けの一日を過ごさなくても良いんです。やる事やっとけば、それ以外の時間は自由。十分面白い一日になります。クレバーな人生を送って下さいね。んじゃ一学期終わり! ハローグッバイ!」


 担任のファンキーな挨拶が終わり、俺達は暫く学校から開放される事になった。


 さてと……


「んじゃ、夏休みにバイトする奴はちゃんと届出持ってきなさーい」


 はい、既に書いてます。

 この学校、長期休暇の時期に限りバイトは許可されている。

 ただし当然ながら親の同意が必要で、捺印された許可願いってのを出さなくちゃならない。


 基本的には不健全な職種はNG。

 ただし、そこの線引きはかなり曖昧で、それこそ風俗や深夜まで働く業種の場合は論外だけど、接客業を完全シャットアウトにしている訳じゃなく、何処までがOKのラインかは届け出てみないとわからない。

 尚、ウチのカフェみたいに家を手伝う分には届出の必要もなく、長期休暇以外の日でも問題なく行える。

 

「春秋君は……ゲーム制作のお手伝いですか。中々個性的なバイトですね」


 本当は芸能人のマネージャーなんだけど、星野尾さんの知名度を考えると、ここで敢えてそこを強調するのは止めておいた方が良いと思って無難な方にしておいた。

『誰ですかそれ。そんな名前も知らない人のマネージャーとか騙されてるに決まってます。ダメー』

 って言われたら色んな意味で最悪だからな……


「高校生が働けるのは22時までで、1日8時間、1週間で40時間が限度です。時間厳守でお願いします」


「はい、勿論」


「先生の偏見ですが、この手のお仕事はなんとなくブラック上等、趣味の延長だから時間なんて気にしないみたいなイメージなので、くれぐれも染まらないように」


「いやいや。それは多分大昔の話ですよ」


 ……実際には今も変わってないと思うけど、正直に言う必要はないだろう。


 取り敢えず許可は出たから、これでいつでも遠征に行けるようにはなった。

 後は星野尾さんの連絡待ち――――



『来週の月曜、開けておいてね!』



 早っ!

 もうSIGN来てた!


 週末じゃないのは当然として、週の頭か。

 まあ木曜は外して欲しかったから、それ以外なら全然良いんだけど。

 日帰りだし、別に用意する物は特にないし、学生だからそこまで格好に気を付ける事も……



『星野尾のマネージャーなんだから身嗜みはしっかりね』『髪もちゃんと整えておくように』『必要な物はこっちで揃えておくから荷物は最小限でOK』



 ……俺の頭の中、覗かれてる?


 身嗜みか。

 勿論、ビジネススーツなんて持ってないし着る必要もないけど、清潔感のある格好が良いのかな、こういう場合。

 だったら丁度、水流とのデートの時に買った服があるから大丈夫だ。


 あとは……髪か。

 そういや、最近切ってなかったから少し伸びたな。

 午後から切りに行くか。


 来未は駅の近くの美容院で切ってるけど、俺は近所の床屋。

 まあ……髪型変えたところでって感じだし、切る所を変える必要はないかな。

 そもそも、そんな金ないし……



『散髪するなら必要経費でお金出すから、ちゃんとした所で切りなさい』



 この人マジで俺の心読めるんじゃないか?


 つーか床屋はちゃんとした所じゃないのか?

 いや別に行きつけの床屋をディスられた訳じゃないけど。

 

 まあ、折角出してくれるって言ってるし、たまには美容院に行ってみるか?

 来未の行きつけの……店名は忘れたけど、あそこにはお試しで一度行った事あるし。

 ただ、お任せでお願いしたけど特にこれって感想もなかったから、どんな髪型にされたのかも覚えてないんだよな。


 ウチのクラスで一番髪に気を遣ってそうな男子は……神崎君かな。

 あんまり話した事ないけど、まあいいや。

 聞いてみよう。


「神崎君。ちょっと良い?」


「ん? おー春秋。珍しいじゃん何なに?」


「夏休みにちょっと髪型変えようかなって思ってんだけど、何処がいいかなーって」


「おっ、良いじゃん。いつもは何処行ってんの?」


「近所の床屋。『山本理髪店』ってトコ」


「あー。だったら駅の上の方にある『アルグロア』とかいんじゃね。メンズサロンだけどそんな高くないし、シャンプーなしでもやってくれるから安く出来るよ」


「ありがとう。そこに行ってみる」


 床屋なんてダセーとか言われると思ってたけど、普段は床屋に通ってるのを『リーズナブルな所がお望み』って解釈してくれたらしい。

 メチャクチャ良い奴だな神崎君。

 神が付くだけある。


 でもサロンか……まあ美容院もサロンも一緒なんだけど、サロンってだけで急にハードル上がるよな。

 メンズサロンだったら来未も誘えないし、一人で行くしかない。

 ちょっと抵抗あるけど、取り敢えずスマホで料金確認してみよう。


 ……安!

 シャンプーなしとはいえ2500円からやってくれんの?

 しかも学割あるから、カラー入れても5000円以内か。


 まあ、入れないけど。

 でも俺がいきなり染めたらビックリされるだろうな。

 もしくはツーブロックとか……まあやんないけどさ。


 よし、行ってみるか。

 何事も経験だ。

 笑えないから愛想悪い客とは思われるだろうけど、そこはもう割り切るしかない。


 取り敢えず予約を取ろう。


 SIGNで予約できるみたいだから……友達登録して……カットを選択、と。

 日時は――――あれ、今日は空きがないのか。

 明日は午後からなら空いてるみたいだから、16時で良いかな。


 

『はじめまして。予約をさせて頂きたいのですが、希望の時間帯に空きはあるでしょうか?

 希望日時は7/20(土)16時、名前はヒトトセフカウミ、メニューはカットです』



 これで良し、と。

 あとは返信待ち。

 そんじゃ帰るか。



「これからカラオケ行く人~」


「駅前のマック行こうぜ!」



 部活に入っていないグループは、夏休み突入記念で遊ぶ予定を立てている。

 幾ら担任がマジメに過ごせ、ちゃんと勉強しろって言っても、そんなの耳に入んないよな。

 だって明日から夏休みなんだし。


 勿論、俺を誘おうっていう奇特な奴はいない。

 俺が家の手伝いをしているのは、大抵の男子は知っているからな。

 俺としても、わざわざ声をかけて貰っても断るしかない訳で、そんな心苦しいプロセスを今更味わいたくもない。


 昔は、みんなと騒いで遊びたいって気持ちも多少はあった。

 誘って欲しい、自分も輪の中に入れて欲しいって。

 ゲームで遊ぶのは楽しいし、それが日常の柱なのは不動だけど、それはそれとして、普段遊ばない遊び方に憧れるくらいの感覚は俺にもあった。


 でも今は、そういう気持ちは全くない。

 ここに自分の居場所を作って来なかったんだから、当然だ。


 例えば、突然クラスメイトの男子達が『今からお前の家のカフェに行って良い?』って言い出したらとしたら、それは喜ばしい事なんだろう。

 勿論、断る理由はない。

 だけど、そういう声が掛かる事はないし、俺も『マック行くくらいならウチに来てくれよ』なんて言えない。


 本当は、それが出来れば一番良いんだろう。

 単価は控えめでも大人数で来てくれればそれなりの売上にはなるし、もしかしたら生徒の中の誰かが常連になって家族や友達を連れて定期的に来てくれるようになるかもしれない。

 店に貢献するって、本当はそういう事かもしれない。


 なのに俺は、そういう道筋を作って来なかったし、これから作る事もない。

 自分の居場所に、学校の人間関係を持ち込みたくないから。

 だから、別の形で貢献してきた。


「……」


 今日も静かに教室を出る。

 誰とでも話せるけど、誰とも話さずに。 


 

 学校は俺にとって――――そういう場所だ。






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