9-38
天才に打ちのめされて、夢を諦める――――
そんな、ありふれた話。
歴史に道があるとしたら、きっとその辺の道端にだって転がっているだろう。
だけど、終夜が本当に諦めたのは、夢とか目標とかじゃない。
本人は向上心と言っていたけど、それも多分違うんじゃないかと思う。
終夜が手放してしまったのは――――
「バトンか」
「……?」
本人はピンと来ていないみたいだけど、間違いない。
終夜は父親からバトンを受け取りたかったんだ。
革新的なゲームの製作という、決して凡人は踏み入る事の出来ない領域に向かって走る為のバトンを、終夜は受け取る事が出来なかった。
それは才能を受け継げなかったとも言えるし、縁や運の問題かもしれない。
所詮、内情なんて誰にもわかりっこない。
わかっているのは――――
「終夜はゲームを作りたかったんだろ? だからワルキューレに入ったんだよな?」
「……」
父親のコネ、なんて揶揄される事を覚悟してでも、終夜は父親の会社に学生の身で所属する事を選んだ。
社会人で今後食べていくのも難しいっていうなら兎も角、まだ働く必要すらない俺達にとって、コネで会社に入れる事になんて何の魅力も感じる事は出来ない。
例え将来の夢がゲーム製作に関わる事でも、その前にまず相応の力を付けなければやっていけないだろう。
「私なりに描いていた青写真ならあります」
今日の終夜は、いつもみたいに自分の核心を隠したりはしない。
俺がここへ来ると言い出した時から、覚悟を決めていたんだろう。
「絵の才能はなくても、別の才能でゲーム製作に携われるかもしれないって期待はありました。こういうゲームが作りたいっていう企画とか、別の誰かが立てた企画をわかりやすく清書して伝わるようにするとか、収益モデルの構築とか。絵を囓っていればコンセプトをビジュアルに起こせるし、人見知りでもゲーム好きの皆さんとならちゃんと話せるし、ゲーム市場の事をある程度は客観的に見る自信もありましたから」
「プロデューサーとして働いていた父親を見てきたから、か」
「……」
答えなくても、想像はつく。
終夜は多分、いや間違いなく、父親の事が大好きだったんだろう。
反発しているのが何よりの証拠だ。
「……父は本当に楽しそうでした。わたしたち家族と過ごす時間は少なかったのに、どれだけ忙しくても生き生きしていたのを覚えています。仕事が本当に楽しかったんだと思います」
今の終夜父からは、そういう気持ちを感じ取る事は出来ない。
自信や厳しさは嫌ってほど感じてきたけど。
「本当は、恨まなきゃいけなかったんです。お母さんを蔑ろにして、私にも……興味はなかったんだと思います」
……やめろ。
そんな事を言うな。
「だからわたしが、興味を持たれれば、家の雰囲気も、良くなって……お母さんも、笑顔に――――」
「いい。わかってる。もう十分だ終夜」
バトンという表現は、残酷なくらい適切だったのかもしれない。
しばしば『絆』と形容されるそのバトンには、ただ継承というだけじゃなく、『繋がり』っていうのがある。
親子の繋がり――――終夜はそれをゲームに求めていたんだ。
……だとしたら、俺に何が言える?
俺の家は、まさに終夜が欲していた『ゲームで繋いだ絆』そのものじゃないか。
その事を終夜に言ったところで、嫌味以外の何物でもない。
「わたしがちゃんと出来ていれば、凄いゲームを生み出せるような才能を父に少しでも見せられれば、違う未来になっていたんだと思います。でもわたしは出来ませんでした。結局、お母さんは耐えきれなくなって……出ていって、何もかも、壊れて」
「終夜」
「それをわたしは時代の所為にして……家庭用ゲームなんてもう誰も興味ないから、わたしがちゃんと出来なくても仕方ないって……」
挑発だと思っていた『家庭用ゲームは死んだ』という終夜の言葉は、実は悲鳴だった。
どうしようもない自分や、どうにもならない事への悲痛な叫びだったんだ。
「どうしてこんな、ダメな人間になっちゃったんでしょうね。やっぱり、夢を見過ぎたのが良くなかったんですかね」
「そんな事はないだろ」
「そうですよ。最初から身の程を弁えて、不適合でも頑張って学校に通えるように努力してたら、少なくともお母さんは出て行かなかったと思うんです。わたしが足枷にならなかったら……お母さんの生き甲斐になれてたら……なれなかったから……」
終夜の目に涙は浮かばない。
ただ、黒いだけの瞳が何処かを見ているだけ。
もしかしたら、ここにはない暗い海の底でも眺めているのかもしれない。
「惨めです」
自分の半生をひらすら罵倒し続けた終夜は、最後にそう締め括った。
ただの自虐や自嘲じゃない。
――――絶望だ。
父親にも、母親にも見放された。
見捨てられた。
普通ならそう考えて、やさぐれてしまうだろう。
でも終夜は、全部自分の所為だと言う。
もしかしたら、母親がそう言ったのかも知れない。
家庭を顧みない夫と、余り上手く行かない子育てに疲れ果てて、ポロッとそんな事を言ってしまったとしても不思議じゃない。
勿論、そんな訳がない。
そして、両親の所為にせず自分の責任だと言う終夜は立派だと思う。
でもその高潔さが自分を追い込んで、いつも限界スレスレのところにいるから、ちょっとした事でフリーズしてしまうんだと思う。
言いたい事は幾らでもある。
言ってあげたい事や、気付いて欲しい事は沢山。
だけど、終夜が欲した環境そのもので生きて来た俺が何を言っても、きっと終夜の心には響かないし、届きもしない。
届ける方法は一つだ。
俺も、同じ処まで沈むしかない。
終夜だけじゃない。
俺だってブッ壊れているんだ。
表情を取り戻せないまま、いつの間にか高校生になってしまった。
終夜はずっと、俺に求めていた。
『友達以上恋人未満』という限定的な関係性を望み、同じゲームをプレイし続ける事を願っていた。
何度となく聞いた『それでこそ春秋君です』って言葉の中も、自分の欲する言動を俺に求めている証だったんだろう。
具体的に口にする事はないだろうけど、終夜はずっと、俺に壊れた経緯を話して欲しかったのかもしれない。
同類が他にもいるって、安心したかったのかもしれない。
例え環境に恵まれたとしても、同じような結果になっていたと、そう思いたかったのかもしれない。
残念だけど、その期待には応えられない。
俺は、自分が壊れた理由を把握していないから。
だから、わざわざ家まで押しかけてはみたけど、力にはなれない。
「……俺さ、母さんが苦手なんだ」
――――筈だったのに。
自分の意志とは無関係に、俺の口は勝手にそんな事を口走っていた。
「……前に夕食にお呼ばれした時には、とてもそうは見えませんでした」
「だろうね。そんな素振りは一切見せてないから。だから多分、来未も親父も終夜と同じ意見だと思う」
でも、俺自身は違う。
母さんを『母さん』としか呼べない事に、ストレスを感じていた。
常に気を遣っていた。
そして、逆も然り。
母さんはいつも、俺を気遣っていた。
俺と本当の親子のようになる為に、無理して砕けた態度で接してくれている。
本当の親子は、お互いを気遣ったり立てたりはしない。
相手に合わせた言動をしたり、傷付かないよう細心の注意を払ったり……そんな事を家の中で続けていれば、疲れてしまう。
「母さんが本当の母親じゃない事を、ずっと気にしていないフリをしながら生きている感じ。それは別に苦痛って訳じゃないけど、厄介だなとは思っていて、本当は余り母さんと話をしたくない」
「ちょ、ちょっと待って下さい。何が何だか……春秋君のお母さんって、実の母親じゃないんですか?」
「うん。親父の再婚相手だから」
「……信じられないです」
本当にビックリしたのか、終夜はさっきまでの地獄に落ちたような目をやめて、戸惑った表情を浮かべている。
良かった……と言って良いのかはわからないけど、誰にも言った事のない本心を晒した甲斐もあったか。
「表面上は仲良くしてるし、母さんの事は信頼もしてて大事にも思ってる。でも、家族全体の事を考えたら、長男の俺と母さんは絶対に良好な関係じゃなくちゃいけない……って縛りがちょっとキツいんだ」
「そういう……ものなんですか」
「そういうもの。勿論、反抗期もなかったし、向こうも母親らしい振る舞いで俺を叱ったりもする。それは俺達にとって義務なんだよ」
ここまで喋る気はなかった。
でも、ここまで本心を掘り下げないと、終夜に言葉を届かせる事は出来ない――――そう思ったのは確かだ。
けど、もう少しストッパーが働くと思ったんだけどな。
「じゃあ、春秋君が表情を作れないのって、それが原因……?」
「わからない。この話はアヤメ姉さん……精神科の先生にもしてないから」
「だ……ダメじゃないですか! ちゃんと話さないと治るものも治りませんよ! っていうか、そんなレアで重い話をわたしにして良いんですか……?」
本当は良くないだろうな。
こういうのは、例え本心でも墓場まで持っていく感情だと思う。
実際、そのつもりだった。
表情の問題については、改善の兆候も出て来ている。
物凄くセンシティブな時期だ。
俺が今した事は、もしかしたら治療を大きく遅らせる事になるかもしれない。
でも後悔はない。
終夜は仲間だ。
仲間が苦しんでいるのなら、自分も苦しむ覚悟がないと。
「終夜にだから話した。他には誰も話さない、こんなの」
「……それって、わたしが余りにも可哀想過ぎるから、自分も弱いところを……って事ですか?」
痛いところを突いてくる。
でも、その通りだ。
頷く気にはなれなかったけど。
「終夜。完璧な不正解はあっても、完璧な正解ってのは多分ないよな」
「え……?」
「俺も母さんも多分、最良の関係を築けたと思うんだ。血の繋がってない親子としては。でも結局、俺はどうしたって母さんを話すと疲れる。って事は――――」
お手上げのポーズ。
「そういうもんなんだろ」
他に言いようもない。
だから納得するしかない。
「……完璧な親子関係っていうのも、ないんでしょうか」
「あったとしても、探すほどの価値はないよ。多分」
我ながら、その答えはファインプレイだったと思う。
終夜は、呆れたように眉尻を下げ――――ほんの少しだけ笑った。
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