9-36

 7月12日(金) 19:48


 明日は学校休みとはいえ、平日に東京を飛び越え神奈川まで来る俺……我ながら変な奴だとは思う。

 親父はともかく、来未や母さんは呆れてるだろうな。

 結局、家の手伝いもサボリだし。


 でもこの決断を後悔はしていない。

 ぶっちゃけ、SIGNだと悩み相談にならないんだよな。

 表情も声色もわからないから、終夜がどんな気持ちで発言してるの理解できないし。


 そしてそれは、俺に対して周囲が思っている事と同じ。

 表情を作らない俺の発言は、俺の事を良く知る身内以外には『何考えてそれを言っているのかわからないから不気味』と思われている筈だ。

 だから、SIGNの文章だけじゃ終夜の抱えている苦悩とか不安をしっかり受け止める事は出来ないと思うんだ。


 お節介かもしれない。

 でも終夜は俺を頼った。

 頼られた以上、出来る限りの事はしたいし、力になりたい。


 同じ種類の悩みを抱えている者同士、助け合いの精神は大事にしないと。


「……ここに来るのも久し振りだな」


 思わず声に出したくなる言葉だったんで、なんとなく独り言を呟いてみる。

 ラフォルテ登坂――――終夜の住むマンションだ。

 相変わらず高級感が外観に溢れている。


 エントランスに入ると、その高級感は更に度合いを増す。

 こういう所って独特の照明というか、大体暗めのオレンジ色だよな。


 パネル型のインターホンの前に立って、部屋の番号『303』を押す。


「山梨からはるばるやって来た春秋です。開けて」


 特に返答はなかったけど、ロックはすぐ解除された。

 以前と同様、誰ともすれ違う事なくエレベーター経由で部屋の前に到着。


 ……女子の部屋に入るのはやっぱ緊張するな。

 でも最初の時と比べれば、大分気持ちに余裕がある。


 家がカフェだから、女性との会話自体には免疫がかなりあった。

 でもプライベートで話をする経験はほぼ皆無だったから、当時は相当終夜の事を強く意識してたよなあ。

 今となっては、完全に仲間意識だけど。


「開いています。どうぞ」


 ドアをノックすると、以前来た時と同じ返事で終夜が迎え入れてくれた。

 声色は、あの時より幾分か沈んでいる。

 それを聞いて、俺の緊張はあっという間に萎んでいった。


「すみません。遠くからわざわざ」


「それは全然。気にしなくて……」


 中に入ると、明らかに以前とは違う点が一つ。


 ダンボールがない。

 あれだけ沢山室内にあったダンボールが、一つも。


 普通に考えたら、部屋にダンボールを敷き詰めているあの状況の方が異常で、今の部屋の方が正常なんだろう。

 でもあのダンボール群は収納家具の代わりでもあった。

 それが撤去された事で、この部屋には殆ど――――何もない。


「綺麗に片付けました。来客を想定していない部屋なのは変わらなくて申し訳ないです」

 

「それも気にしなくて良いって。こっちが突然押しかけたようなものだし」


 机とか座布団もないけど、そういうのは正直気にもならない。

 周りに話を聞かれる事のない環境で、そこに終夜がいる。

 十分だ。


「ただ、今日は差し障りのない話だけで終わるつもりはないから、そこは一応覚悟というか、腹を括って欲しい」


「はい。私もその覚悟で待ってました」


 ……もしこの会話を誰かが聞いていたら誤解しかねないやり取りだった気がするけど、今は関係ない。

 終夜と向き合う事だけを考えよう。


「来て早々聞く事じゃないかもだけど、終夜が学校に行っていない事、両親は知ってる?」


 不登校、というワードは使わずに、それでもセンシティブな内容を敢えて聞く。

 俺は別に学校に行く事が必須だとは思わないけど、その事を親が知っていないのは後々の事を考えると絶対に良くない。

 終夜の将来を考えるなら、ここで多少辛い思いをさせてでも現状を正しく認識する必要がある。


 俺も、終夜も。


「母さんは知りません。連絡も、殆ど。父は把握していると思います」


「自分から話したって感じじゃなさそうだな」


「担任の先生から連絡が行っていると思います。でも多分、それよりも前に自分で確認を取っていると思います。私を経由せずに。そういう人ですから」


 ……聞いていて悲しくなってくる。

『思います』『多分』『そういう人』

 終夜の言葉には、敢えて父親を遠ざけようって意思が強く感じられる。


 やっぱり、終夜の抱えている問題は生半可なものじゃない。

 だったら俺も……覚悟しなきゃいけないな。


「わかった。ならまずはそこからだ。父親と母親に、自分が学校に通ってない事を伝える。理由は言わなくて良い。まず現状を伝える事からスタートだ」


「本当にわたしの人生を決めてますね」


「ああ。でも勝手に言ってるだけだ。やるかやらないかは終夜次第。別に嫌ならスルーで良い。ただ今後の事を考えたら、筋は通しておいた方が良いと思う」


「筋……ですか」


 終夜は多分、それを『生んで貰った事』『中学時代まで育てて貰った事』『生活費させて貰っている事』への筋だと思っているだろう。

 でも違う。

 そんなのは別に、子供側が通す筋じゃない。


「終夜はアカデミを続けたいんだよな? だったら、ゲームが逃避の手段じゃない事を示した方が良い。ゲームを一日中したくて登校を拒否している、って見なされるのは終夜にとっても良くないし、ゲームに対しても失礼だ」 


 ゲーマーにはゲーマーの流儀があるんだろう。

 でも俺は、そういうのは知らないし興味もない。

 俺がゲームに関して大事にしているのは、ゲームはエンタメであるべきというその一点だ。


「……ゲームを逃げ場にしちゃダメですか?」


 やっぱり、そういう理由だったか。

 登校しない理由を『ゲームにバカになってるダメ人間だから』にしようとしていたんだな。

 きっとそれは、自分自身に対する言い訳なんだろう。


「ダメだ。終夜はゲームを仕事にしてきたんだろ? だったらゲームを登校しない口実にするのは良くない」


「今までもそうでしたよ?」


「仕事で学校にいけないのと、単に行きたくないのをゲームの所為にするのは全然違うだろ。ダメです。認められません」


 極力追い込まないよう、敢えて手でペケを作っておどけるような空気にする。

 実は、我が家でもこういう感じで雰囲気作りをする事は多い。

 っていうか、親父は常にそうだ。


「……春秋くんは厳しいですね」


 終夜の方も、俺が何を言いたいのかは汲み取っている。

 後は、終夜の決断次第だ。


「わたしの周りは、優しい人ばかりです。ワルキューレのスタッフも、学校の先生も、クラスの女の子も、みんなわたしに気を遣ってくれます。誰もああしろこうしろって言わないです。みんな、わたしを……」


 そして終夜は、吐露する事を選んだ。 


「可哀想な子だって思って優しくしてくれます」



 ――――もしかしたら。


 終夜の抱える一番の問題は、それなのかもしれない。

 俯きながら、震えながらそう話す終夜の姿を見て、そう思った。


「わたしは一応、ワルキューレに在籍している事になっています。でもそれは、そうしないとわたしが自分を保てないからなんです。無理やり、居場所を作って貰ってるだけなんです」


 なんとなく、そういう事だろうとは思ってた。

 今年高校生になったばかりの終夜が戦力として数えられていたとは思えない。

 代表取締役の娘だから、将来性を加味した上で――――という余裕も、今のゲーム業界にはないだろう。


 だったら、理由を想像するのは難しくない。

 ゲーム好きとしか話せない終夜を、ゲーム好きで囲う事でコミュニケーションに困らないようにしたんだ。


 もし普通に学生としての生活をしていたら、終夜は恐らく殆ど口を開かない子になっていただろう。

 そんな日が続けば、コミュ力は壊滅的だ。

 まして、家庭崩壊している状況でそれだと、終夜は間違いなく孤立してしまう。


 そうならないよう、謂わばお情けでゲーム会社に所属していた。

 だから、仕事をしなくても問題視されない。

 学生だからという以前に、特別扱いされていたんだ。


「わたしには、ゲーム開発に携わるだけの知識も才能もありません。アカデミック・ファンタジアの世界観を考案した事になってますけど……結局、わたしがした話の一部をスタッフの皆さんが膨らましてくれたに過ぎませんから」


「着想のきっかけになったんだったら、十分な功績じゃない? ゼロをイチにするのは大変って言うよ?」


「そう言えば聞こえは良いですけど、それはちゃんとイチにするのを狙って案を出した人への評価であって、わたしのは偶然です」


 ……実際、それは功績ではあっても仕事じゃないのかもしれない。

 終夜はゲーム好きのスタッフに『こういうゲームをやってみたい』と雑談の中で話しただけなんだろう。

 そこからアカデミック・ファンタジアを生み出そうと思ってやった事じゃないのなら。


「お情けで所属させて貰っているのは、わかっていました。それでも、いつか本当に会社の力になれる能力を身に付けたくて、絵の練習もしてみました。でも……ダメですね。わたしには、あの人みたいな才能はありませんでした」


「あの人って?」


「rain」


 その返答には、明らかな違和感があった。


 rain君の名前を出す事は、何も不思議じゃない。

 アカデミのメインキャラデザをやっているんだから、寧ろ一番近い位置にいる絵師だ。


 でも――――終夜があの人を呼び捨てにするのは、変だと思った。


「わたしの名前は、あの人にあやかって付けられたそうです」


「名前……?」


 不意に、rain君との会話を思い出す。



『ボクの本名、氷雨ひさめって言うんだ』



 ……確かに、同じ『雨』って漢字は入ってる。

 でもrain君と終夜はそこまで年は離れていない。

 終夜が生まれる頃は、rain君もまだ物心つくかどうかくらいの年齢だった筈だ。


「あの人の父親は、私の父と一度だけ仕事をした事があって、当時まだ小学生になる前のあの人が描いた絵を見せて貰った事があったそうです。とても子供とは思えない、大胆さと緻密さを兼ね備えた絵で、社内では天才児が現れたって評判だったそうです」


 まあ、ある意味当然かもしれないけど、やっぱりrain君の才能は幼少期からズバ抜けていたのか。

 でもそれと終夜に一体何の因果関係があるってんだ……?


「父は職業柄、優れた才能を持つ人と何度も出会って来ました。シナリオ制作の天才、音楽の天才、トータルプロデュースの天才……でも、みんな『完成された天才』でした。当たり前ですよね。市販のゲームを作ろうと集まった人達なんですから。だから、『未完成の天才』と出会ったのは、それが初めてだったそうです」


 終夜の目から、力が――――光が消えていく。


「それから父は、まだ開花していない才能を求めて、人材の発掘に尽力するようになったそうです。そして、生まれてくる私にもそれを期待していました。だから『雨』という字を名前に入れたそうです。霧雨のように、人の心をズブ濡れにしない程度に潤して、ちょっとした幸せを与えられる。そんな人間になるようにって」


 終夜の顔は、見えない。

 俯く角度が急すぎて。


「でも、わたしはあの人みたいにはなれませんでした。わたしは……期待に応えられなかったんです。誰の期待にも」


 だから、どういう気持ちでこの吐露を俺にしているのかは――――もう少し話を聞いてみない事にはわかりそうになかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る