8-50

 裏アカデミの目的が精神医療とゲームのコラボ、ってのは良くわかった。

 そして恐らく今はまだ試作段階であって、まだ実用化がどうこうって次元じゃないのも容易に想像できる。


 でも、だとしたら――――


「どうして終夜父はあんな意味不明な声明文を投稿したんだ……?」


「声明文……ああ。4、5日前のアレか」


 アヤメ姉さんも知っていたか。

 まあ協力者なら当然だよな。


「彼が新たに立ち上げたゲームブランド名はクリティックル。クリニックと似ているだろう? あれにはそういう意味も込められている」


 ……言われてみれば。

 クリティカルとクリティックを合わせた造語だとばかり思っていたけど、本命はそっちか。


「そこまでは聞いているが、あの声明文とやらについては全く知らない。なんとなく想像はつくが」


「え、つくの?」


「ブランド立ち上げのタイミングで発したものなのだから、宣伝のつもりだったんだろう」


 ……宣伝?

 あれが?

 現在のゲームの在り方を否定し、その上で娯楽じゃないゲームを作るという決意表明をダラダラ長々と書き連ねたあれが?

 

 あの終夜父の言い分で納得できたのは、『今を生きる子供達の選択を否定してはいけない』って所だけだ。

 世間的に見れば、学生の俺は子供の範疇に入るのかもしれないけど、娯楽の定義を作る子供って意味では、既に俺はその立場にはない。

 もっと下、小中学生の世代が作るものだ。


 それを上の世代、特に大人が否定するのはバカらしい。

 子供が喜ぶゲームを作るのは大人の使命だ。

 だからこそ俺はレトロゲームが好きでも『昔のようなゲームを作って欲しい』とは思えないし、思わない。


 レトロゲームはゲームがまだ娯楽の最先端だった頃のレガシー。

 それで良いと思うし、それには大きな価値がある。

 今新たに同じ物を作る必要はない。


 でも、ゲームが娯楽の枠内から完全にはみ出してしまったら、それはもうゲームじゃない。

 ゲームを真似た違う何かだ。

 eスポーツがスポーツかスポーツじゃないかって議論とは訳が違う。


 もし、ゲームが本当に医療に利用できて、今とは違う社会的地位を得たとして……それがゲーム業界の新たな道になり得るんだろうか?

 今、ゲームが好きでゲームを楽しんでいる層に、その新時代のゲームってのは届くんだろうか?


 ゲームとは名ばかりの医療器具になって、それを誰も『楽しい物』とは思わなくなる。

 そんな物が主力商品としてゲーム市場をリードするようになったら、娯楽としてのゲームは全て『もう時代後れ』になってしまって、ゲーム文化そのものが廃れてしまうんじゃないのか?


 ……なんて懸念は所詮、俺の主観に過ぎない。

 でも、あの声明文が宣伝になったとは到底思えない。

 

「ゲーム業界とゲーム好きを敵に回しただけじゃない? あれ」


「確かに攻撃的だったな。だが考えてみろ。彼は古巣に砂を掛けて出て行った上、その古巣の現役ゲームをテスト用にアレンジしている。ケンカなら最初から売っているんじゃないか?」


「……だよね」


 だとしたら、最初から彼は……終夜父はゲーム業界を叩く事で宣伝――――炎上を狙っていた訳か。


 あの声明文やそれ以前のwhisperで、知名度向上を得られるほどの炎上を実現できるとは思えない。

 あくまで一部のゲーマーに有名ってだけで、有名クリエイターほどの知名度は終夜父にはないから当然だ。


 でも……それらを過去の呟きとしてストックしておいて、大きな爆弾を投下すれば話は変わってくる。

 裏アカデミの公開だ。


 今は秘密裏にプレイヤーを募っているだけで、商業化もされていない。

 いわば同人ゲームに過ぎない。

 ワルキューレ側も抗議はしているだろうけど……それ以上に事を荒立てれば、お家騒動と囃し立てられて評判を落とすのがオチだから、デメリットを考えると踏み込めずにいるんだろうな。


 でも終夜父は違う。


「もし彼が精神医療への利用目的でアカデミック・ファンタジアのアレンジ版……それも最高峰のグラフィックやPCのようなNPCといった目玉だらけの裏アカデミを公開すれば、世間はきっと終夜氏の方に注目するだろうな」


 ワルキューレの元社長が新ブランドを立ち上げ、アカデミック・ファンタジアの姉妹作を作った。

 しかもそれは既存のゲームとは違う、医療目的という社会貢献の色合いが強いゲーム。

 ゲームユーザーなら『社員に黙って古巣のゲームをパクった外道』という意見が大多数を占めるだろうけど、元々ゲームを余り快く思っていない親世代やゲームに興味のない人達は、そこに目を向けてくれないかもしれない。


『医療に役立てるのなら良いじゃない』


 多分、そういう方向に評価が向かう。

 娯楽と医療を天秤にかけると、どうしてもそうなってしまう。


「ゲーム業界からは総スカンだろう。彼のやっている事は不義理の極みだ。しかし、彼がこれから相手にしようとしているのは一般人だ。『ゲーム会社の代表者はゲームを自分で作っている人』と誤解している人も多い。その代表者が違うブランドで古巣のゲームをトレースしたところで『違う出版社の雑誌で昔と似た漫画を描いた漫画家』くらいにしか思わないかもな」


「それが、裏アカデミの狙い……ですか」


 ゲーム業界、ゲームファンからの批難による炎上は大した痛手にならず、知名度アップの燃料になるだけ。

 燃えれば燃えるほど良い。

 だから、あんな声明文を出したって訳かよ。


「……フザけんな!!」


 無意識に、近くの棚を叩いてしまった。

 幸い、展示物が壊れたりはしなかったけど……手は痛む。

 でもそれ以上に心が痛い。


 何処かの知らない誰かだったら、別に怒りはしない。

 でも、何でよりによって……ゲームを愛している、ワルキューレを愛している終夜の――――終夜細雨の父親がそれをするんだ!


「やはり、君は怒るか」


「当たり前だろ! ゲームを娯楽以外の分野に広めたいのなら好きにすれば良いよ。でもこんなやり方……!」


「ああ。ワルキューレの社長として、或いはそれ以前から、経営側の立場としてゲーム業界を見てきた人間らしいやり方ではないな」


 ……どういう事だ?


「大昔、まだネットがない時代の頃……私もリアルタイムを体験した世代じゃないが、当時ゲーム業界で名を上げるには、地道な営業で雑誌やゲームショップに売り込む必要があったそうだ。口コミでバズる為には、まずゲームを置いて貰う、紹介して貰う必要があった。ネット上で宣伝も販売もサービスもなんでも可能な今とは全く違う時代の話だな」 


「それは俺も知ってるけど……」


「当時は決して華やかじゃない、ニッチな業界だったと聞いている。そんな狭い世界で顔を突き合わせてきた人達に、泥を塗るような事を好んでするだろうか」


「……業界全体が仲間意識を持っていた、なんて事はないと思うけど」


「そこまでではないにしろ、だ」


 アヤメ姉さんの言いたい事はわかる。

 他に他分野のブレインがいて、そいつが首謀者だって予想だ。


 でも俺は、多分違うと思う。


 終夜父の事はよく知らないけど、娘の終夜はもう良く知ってる。

 あいつを見ていたらわかる。


 終夜父もきっと、ゲームが大好きだったんだろう。


 そんな彼が、他人の言葉でゲーム業界や現在のゲーム市場を批難するとは思えない。

 するなら自分のプライドをかけて、自分の言葉で――――だ。


 家庭用ゲームは終わった。

 家庭用ゲームは死んだ。

 終夜は何度もそう言った。


 父親への反発、いや……父親への諦観だと思っていた。

 でも、もしかしたら父親の口癖だったのかもしれない。


「今後、アカデミック・ファンタジアに関わり続ける事が君にとってプラスになるかマイナスになるか、私にもわからん。ただ……今の君は、表情を変えずに怒っている。怒っているのが良くわかる。それは確かだ。だから……君にこのゲームを続けて欲しいと思っている」


 アヤメ姉さんの顔は、珍しいくらい強張っていた。

 でもそれは、やっぱり医者の顔だった。


「私は君を治したい。身内だからじゃないし、特殊な症例だからでもない。これは私の意地だ」


「精神科医としての意地?」


「医療従事者としての意地だ。治りたいという意思を持ち、必死に治ろうと努力している。そんな患者が治らないのは到底受け入れ難い。自分が治せないなら、治せる誰かを紹介する。そういう紹介力も医師の重要な能力だと私は考える」


「その紹介相手が……終夜京四郎って事?」


「君が治るのなら、医者じゃなくても良い。ゲームでも良い。今の君は、このゲームにただならぬ感情を抱いている。ブレイクスルーの可能性があると、私はそう思う」


 決して語調を強めてはいないけど、アヤメ姉さんは自分の信念や精神科医のプライド、そして医者としての人生を賭けて、俺を治そうとしてくれているのは伝わった。

 いや……今伝わった訳じゃない。

 ずっと、伝わっている。


 なら答えは一つしかない。

 

「勿論続けるよ。でも治る為じゃない。このゲームを途中で投げ出すつもりはないんだ」


「それで良い。深海、嬉しがれ。怒れ。哀しめ。楽しめ。ゲームとはそういうものだ」


 まさか、アヤメ姉さんがゲームについて俺と同じ価値観を持っているとは思わなかった。

 こんな心強い同胞はない。

 どうせ涙なんて出ないし泣き顔も作れないけど、少し泣きそうになった。


「……では、そろそろ戻るとしようか。あまり特定の患者とイチャイチャするのは良くないからな」


「アヤメ姉さん」


 少し照れたような声で踵を返した姉さんを思わず引き留める。


「礼なら不要だ。君が治るのなら私はそれだけで――――」


「明日デートに着ていく服のアドバイス欲しいんだけど、相談乗ってくれない?」


「……私はいつから君の親友になった?」


 うわ、本当にゲームに詳しいんだなアヤメ姉さん。

 恋愛ゲームのお約束まで知ってるのか。


「まあ良いだろう。君を私の趣味に染めてやろう」


「いや、ちょっと待って。やっぱいいや。自分で考えるから」


「そう遠慮するな。では君の部屋に行こうか。どうせここにはもう客も来ないだろう。クローゼットの中を見せて貰うぞ。全部な。そこに隠してある父親から盗んだエロゲーも」


「隠すかそんな物!」


 いろんな感情が渦巻いている今の俺は――――それでも無表情のままだった。


 でも何かが動き出しそうな、そんな予感もしていた。



 明日は、決戦の日だ。

 


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