8-49

「君も知っての通り、叔母さん……君の義母は昔からゲーム好きでね。親戚が集う席にも寄りつかずにゲームに熱中しているような人だった」


 どうしてここで母さんの話が……?

 と一瞬思ったけど、関係ない話を急に入れて来るほどアヤメ姉さんはわかり難い人じゃない。

 関連があるから話題に出したんだろう。


 俺は母さんの事を、全て知っている訳じゃない。

 余り深く立ち入った事がない、っていうのが本当のところだ。


 母さんを嫌っている訳じゃない。

 でも、お互いに遠慮があるのは如何ともし難い。

 血が繋がっていないという事実を受け止めきれていないのか、心の何処かに『言い過ぎたら離れて行ってしまう』って不安があるからだと思う。


 でも、それだけじゃない。


 母さんと親父がこのカフェやミュージアムを建てたのは、俺がまだ幼い頃の話。

 俺自身の中に、その頃の記憶はない。

 のちに写真や本人達の言葉で得た情報に過ぎない。


 だから俺は、母さんの第一印象を知らない。

 自分がどう思ったのか、母さんを『母さん』と呼ぶに至った経緯はどうだったのか、その時の心情はどんなだったのか――――何も覚えていない。


 多分、そこが一番大きいんだと思う。

 

『俺は母さんを本当はどう思っているんだろう?』


 そういう猜疑の目が、常に自分自身に向いている。


 母さんは優しい。

 元々ゲーム好きなのは知ってるけど、ぶっちゃけ世代が違うし、俺とは好みのジャンルが全然違う。

 多分、親父とも違うだろうけど、そういうズレを全く感じさせないように努めてくれている。


 ウチの家族は多分、平均的な家庭よりは幾分か仲が良い方だと思うけど、それは全部母さんと来未のおかげだ。

 だからこそ、自分の中にそういう空気を壊してしまう何かが眠っているんじゃないかって懸念は常にあるし、消える事はない。


「君にこんな事を言うのは、少し気が引けるが……親戚の間では変わり者扱いされていたよ」


 だから、そのアヤメ姉さんの言葉には少し驚いた。

 母さんなら、そんな扱いされる事なく無難に振る舞えただろうに。


「私の母も例外じゃなかった。実の妹だけれど何を考えているかわからないと良くボヤいていたよ。でも私はマイペースな君の母親を結構気に入っていてね。割と可愛がって貰っていた」


「それは常々聞いてる」


 だからこそ、俺の治療をアヤメ姉さんに一任したんだろう。

 それまでの治療が全く上手くいってなかったし、『表情が作れない』って症状でどんな医者を頼れば良いなんてわかりっこないけど、だからといって信頼できない人に息子を委ねるような母さんじゃない。


「だから私も、あの人の影響をそれなりに受けている。ゲームに関しても」


「……え?」


「不思議に思う必要はないだろう。マイペースとはいえ、自分の世界に浸る人じゃない。懐いてくる相手がいれば、自分の好きなものを布教したくなるというもの。染められるまでは至らないにしろ、一通りは押しつけられたものだ」


 アヤメ姉さんにゲームを……母さんがそんな事するタイプとは思わなかった。

 でも多分、今よりずっと昔の話だ。

 母さんにだって若い頃があって、その頃は今とは違っていても不思議じゃない。


「前置きが長くなったが、私と終夜氏の接点はそういう背景もあっての事だ」


「ああ、成程……」


 確かに、アヤメ姉さんの方もゲーム業界にアンテナを張っていたのなら、両者が繋がるのは必然だったのかも。

 じゃなきゃ、幾らそれなりの地位にいる人でも『ゲームを医療に活かしたい』なんて言ってきたら怪しい団体だと訝しむだろう。


「彼は独自のチームを組んで、ゲームと医療の結び付きについて国内外の様々な論文を読み漁っていたそうだ。精神面に問題を抱えている人間に好影響を与えられるゲームを作るには、何が必要か……そういうアプローチを目指す中で、私に相談を持ちかけてきた」


「それで、全面的に協力する事になったの? 監修を引き受けるとか」


「生憎、私にそこまでの価値はないよ。商品化する上での監修は、大学病院勤務の精神科医に依頼すると言っていたしそれが正解だ。ただ、そこに持って行くまでの過程で『何を軸にすべきか』を彼は迷っていた。ゲームのどのような部分が精神医療に役立てるのか。最も単純な発想なら、ゲームをプレイする事によるリラックス効果。これは誰でも思い付くが、人をリラックスさせる物などこの世界にはごまんとある。何の目新しさもない」


 だろうな。俺だって容易に思い付く。ゲームをプレイしている間は嫌な事を忘れられるし、気分転換にもなる。精神的に不安定な状態でゲームをして落ち着くなんて、世のゲーマーの大半が経験している事だ。それが売りになる訳がない。


「少し専門的な事を言えば、ゲームで遊んでいる間、人間の脳には快楽物質であるドーパミンを大量に分泌される。これが依存の原因にもなっているが……精神疾患の中にはドーパミンの過剰分泌や減少が引き金になっているものもあってな。ドーパミンに限らず、特定の脳内物質を刺激するゲームがあれば、精神医療に役立つというアプローチだ。まあ、これ自体もありふれてはいるが」


「ゲームで脳内を制御するって事?」 


「乱暴な表現だが間違ってはいない。本当にそんな事が可能なら、症状によっては薬を使わず制御可能となるかもしれない。精神科の薬は脳に多少なりとも作用するから、成長過程の子供には使い辛い一面があってね」


 何気に怖い事を……


「ゲームならば、子供が抵抗なく入っていける。楽しい治療ならば継続できる。精神疾患の治療で最も重要なのは、この二点。導入と継続だ。これが出来ないから苦労する。薬さえ飲み続ければ日常生活を送れる患者が、未治療のまま悪化していってしまう。そういう患者が一人でも減るのなら、終夜氏のアプローチには価値があると判断した。だから、アドバイスを送ったんだ」


「どんな?」


「ゲームに完全没入している状態は、特定の……まあ濁す必要もあるまい。解離性障害やそれに類する疾患の治療に繋がる可能性がある、とな」


 解離性障害……俺の症状の大本命がそれだ。

 要するに、アヤメ姉さんは――――


「君への治療のアプローチとして、彼を利用する事にした訳だ。向こうも確実なサンプルが一人得られるのだから、試す価値はあると判断したようだな」


「……って事は」


 さっきアヤメ姉さんが言った『君を彼の作っているゲームに引き入れた』って言葉に繋がってくる。

 つまり、俺を裏アカデミに誘ったあのキャラは……


「察しのとおり、私がフィーナだ」


「マジかよ!」


 察していても思わず大声が出てしまうほどの衝撃。

 まさかアヤメ姉さんが裏アカデミに直接関わっていたなんて……


「終夜氏が何故、既に配信中のゲーム……アカデミック・ファンタジアを再利用して新しいゲームを作っているのかは知らない。だが、あのゲームは没入感を生み出すには最適だ。下手に現実のようなグラフィックだと逆に没入できないというユーザーの特性をよく理解しているよ」


 それは俺も感じていた。

 海外のゲームによく見られるリアル感を重視したようなグラフィックだと、没入感は意外と出ない。

 完全に現実と一致するのは不可能なんだから、下手に現実っぽいと現実との差が逆に浮き彫りになって、やっぱりこれはゲームだという思考に傾く。


 でもアニメ調だと、全く別の世界って意識になるから、邪念なく意識を委ねられる。

 想像の中でその世界に入り込むのなら、アニメ調のグラフィックの方がよりスムーズだ。


「裏アカデミって俺は呼んでるんだけど、あの裏アカデミは俺みたいな精神的問題を抱えている人間を治療する目的で作られたゲームって事なの?」


「いや、そこまでの具体性はないだろう。どういった影響を与えられるのか、与えられないのかの試作品といったところだろう」


 ……そうか。



『そうなの。でも決してテストプレイじゃないの。このゲームは、実証実験士であるユーザーが作り上げていくの』



 以前、ゲーム内でテイルがこう言っていたのは、そういう事だったのか。

 確かにテストプレイじゃない。



 テストされていたのは……


 "実証実験"されていたのは、俺達ユーザーの方だったのかよ。



「はは……」


 思わず渇いた笑いが出てしまう。

 まさかそんな裏があるなんてな。


 まさに裏アカデミ。

 我ながら良いネーミングセンスしてた訳だ。


「じゃあ、ここに手紙を置いたのもアヤメ姉さんだったんだ」


「喜べ。この時代にラブレターを貰うなんて経験、まずないだろう? 私も少しだけ学生時代を思い出した」


「姉さんが学生の頃って、まだメールとかもなかったの?」


「あったさ。ただ、手紙という文化も辛うじて残っていた時代だ。廃れてはいたがな」


 そんなアナログな方法で、最先端……っていうよりは見切り発車のゲームに誘われたなんて、皮肉この上ないな。

 

 でも、これで納得がいった事も一つある。


 終夜、水流、そして朱宮さん。

 道理で問題抱えている人間ばっかりが集まった訳だ。

 最初からそういう連中に声掛けしてたのか。


「けど……なんでこのタイミングで俺にバラしたのさ。治療目的なら、知らない方が今後も効果出てたんじゃないの? 俺、まだ表情ないままだし」


「治療である事を伏せてのテスト、治療である事を開示してのテスト。両方を行う為さ。私の目的は君の治療だが、向こうは君だけという訳にはいかない」


 ああ、そういう事か。

 でもさっき、アヤメ姉さんは『このタイミングがベスト』って言ってたよな。

 あれって、俺にバラすタイミングとして今が最適、って事じゃないのか?


「本来なら、私のキャラ……フィーナが裏切り者だとわかったタイミングで開示しようと思っていたんだが、君が思いの他食いついていないように感じてな。今回のボス戦には相当入り込んでいたように見えた。だからここで行こうとなったんだ」


「あー……」


 なんか地味に拗ねてないか、アヤメ姉さん。

 っていうかフィーナの裏切り展開って、もしかしてアヤメ姉さんの立場とシンクロしてる?

 リアルでも俺を騙していた訳だし……


「まさかリアルの方に伏線張っているとは思うまい。どうだ、少しはフィーナに興味を持ったか?」


「んー……」


「……そんなにフィーナは地味だったか?」


 それは凄く答え辛い質問だった。 


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