8-48
『悪いね。カフェの方が忙しい時間帯でお邪魔になると思って、こちらに直接連絡させて貰ったよ。』
その気遣い自体は社会人として当然の事なんだろう。
でも俺は、彼にスマホの番号なんて教えていない。
それでも電話に出たのは、表示が非通知じゃなかったからだ。
スマホの画面に表示されていたのは『終夜』。
勿論、彼の事を指している訳じゃなく、その娘の登録名だった。
「……どういう事ですか? それ、娘さんのスマホですよね?」
『おかしいかな? 親が娘のスマホを使うのは』
「異常ですよ」
随分無礼な言葉をチョイスしたけど、後悔はない。
目の前のアヤメ姉さんが露骨に怪訝な顔をしているけど、それを気に留める余裕もない。
「許可を得ての事なんですか? とてもそうは思えませんけど」
『その辺は推測に任せるよ。一応、犯罪には該当しないとだけは言っておこうか』
親が子供のスマホを勝手に使用した場合、罪になるのかどうか……調べればわかるんだろうけど、今の俺にはわからない。
つまり、この問答自体が無意味なものだ。
「……そこまでする必要があったんですか?」
『当然、あるから連絡を入れたんだよ。昨日は素晴らしい戦果をあげたようだね。出来るだけ早く、その感想を聞きたかったんだ』
たったそれだけの事で、娘のスマホを使ってまで俺にコンタクトを取るか……?
ランチタイムなのを配慮していたのなら、ちょっと時間帯をズラせば良いだけじゃないか。
『君達のカフェが今、大変な時期なのは知っているよ。ライバル店が近くにオープンするんだろう? そういう時期に、客でもないのに私用の電話を入れるのは流石に気が引けてね。これでも一応、修羅場の過酷さはどの業種の人間よりも理解しているつもりだ』
「でしょうね。ゲーム開発の修羅場は凄いって聞きますし」
『よく徹夜で仕事をすると言うが、実際には夜更け前頃にはペースも大幅に落ちて、ただ作業しているだけに過ぎない時間が流れる事の方が多い。だがゲーム開発の修羅場は、それこそ明け方が過ぎても全力疾走だ。そういう現場を生み出してしまっていたのは、実に心苦しいものだよ。過労死という言葉に敏感になる程度にはね』
ゲーム作りの過酷さは、ある程度ゲームが好きなら嫌でも耳に入ってくる。
社長の終夜父は、修羅場を体験する方じゃなく、それを与える方の立場なんだろう。
社員をそんな目に遭わせたくない、って気持ちがあるのかないのかは知らないけど……
『鉄は熱いうちに打てというように、感想も日が経てば変わっていく。まだ熱い気持ちが残っている間に話を聞いておきたかった』
「……わかりましたよ。何でも仰って下さい」
こっちもテストプレイとはいえ、無料で最新のゲームを提供して貰っている立場。
アンケートに答えるのは当然の義務だ。
『昨日は大規模な集団戦だっただろう。君の中に、ゲームに対する心境の変化はあったかね?』
……?
ゲーム内の問題点の洗い出しじゃなく、俺自身の感想?
まあ、ボス戦を経験したプレイヤーの生の声が知りたいっていうのは、制作サイドからすれば普通の事かもしれないけど……
「心境の変化はありました。今までのゲームとは達成感の質が違ったと思います」
『ほう。どのように?』
「やっぱり、仲間と一緒になって戦って、敵を倒すのは連帯感というか一体感というか、分かち合う感じがありましたよ。プレイ内容次第では、自分が足引っ張ったとか、誰彼が失敗した所為でとか、そういう気持ちも芽生えたかもしれませんけど、昨日はそういうのは一切ありませんでしたから」
『成程。やはり、そういう負の感情でオンラインゲームを避けているユーザーはまだまだ多そうだな』
「実際、一番の問題点でしょう。特に攻撃的な性格のユーザーが多いジャンルの場合は」
『まさにその通り。だがジャンルを問わず――――ゲームによって心の傷を負った人間は多い。オンラインゲームが普及していなかった時代でも、対戦プレイでの敗北や自分だけクリアできない劣等感で傷付いたユーザーはいたものだよ』
……一体何の話をしているんだ?
裏アカデミに関する聞き取りじゃないのか……?
『何か心に残っている場面やセリフはあるかね?』
場面か……一つに搾るのは難しいな。
本来なら、ボスを倒した場面って事になるんだろうけど、生憎その瞬間は別の空間にいた訳だし。
あ、でもセリフならそこで――――
「アスガルドが言っていた『歪みは悪に非ず』ってセリフはハッキリ覚えてますね」
「ふむ。それは何故かね?」
何故?
あらためてそう言われても、感銘を受けたとしか……
「良いシーンだったのはその前ですけど、このセリフは俺自身に投げかけられたみたいな感じだったから、それで記憶に残りやすかったのかもしれません」
『君自身に重なるものがあったという事かね?』
「そうでしょうね。でも、これは占いみたいなものって言うか、大抵の人が自分に重ねられる言葉じゃないですかね」
誰だって何かしら歪みがあって、それを肯定されれば悪い気はしない。
言葉自体は至ってシンプルだ。
それでも俺がこの言葉に感銘を受けたのは――――
「その言葉に辿り着くまでの過程があって、タイミングがあって、言う側の立場があって、聞く側の昂揚があって……そんなシチュエーションが重なった上での感動だったと思います」
『君は自己分析が上手だね。しかもしっかり言語化してくれる。若いのに大したものだ』
そんな見え透いたお世辞は今は必要ない。
俺が知りたいのは、この電話の本当の意図だ。
『もう一つ聞かせて欲しい。君は今でも、ゲームが好きかね?』
「ええ。好きですけど」
『アカデミック・ファンタジアをプレイして、その気持ちに変化は?』
「ないです。ますます好きになった、とまでは言いませんけど、今までにない体験をさせて貰ったのは事実です」
『……そうか』
不思議と――――最後のその言葉は、今まで彼が見せてこなかった何らかの感情がこもっているように聞こえた。
安堵でもないし、納得でもない。
一体何だったんだろう。
でも、そんな疑問はすぐに吹き飛ばされる。
『そこに天川先生がいるだろう。後の事は彼女から聞くと良い』
「……え?」
通話はそこで途切れた。
どういう事だ……?
天川先生って、アヤメ姉さんの事だよな?
終夜父は、アヤメ姉さんと知り合いなのか……?
いや、それだけじゃない。
なんでアヤメ姉さんがここにいる事を知ってる?
知っていて、このタイミングで俺に電話を掛けてきたのか……?
「今の電話は終夜京四郎氏で間違いないな?」
「う、うん……そうだけど」
事情はアヤメ姉さんも察しているみたいだ。
って事は、二人に何らかの意思の疎通があって、この場を設けたのか……?
「済まなかったな。騙し討ちのようになってしまったが、恐らくこのタイミングがベストだと思って仕掛けさせて貰った」
「仕掛け? どういう事?」
「何も取って食おうという訳じゃない。君の治療の為だ」
治療ってのは……勿論、表情の事だろう。
もしかして、終夜父が突然電話に出るってサプライズで俺が驚き顔になるとか、そんな計画――――な訳ないよな。
正直大混乱中だけど、まずは話を聞こう。
大丈夫、相手はアヤメ姉さんだ。
何か悪巧みするにしても、俺が苦しむような真似はしない……筈。
「今、君は終夜氏から幾つか質問を受けた筈だ。最後に口にしていた『歪みは悪に非ず』というのは、ゲーム内のセリフだな?」
「そうだけど……」
「そのセリフを、君は心に残した。感銘を受けた。そういう解釈でいいな?」
「う、うん」
「そのセリフは、私が終夜氏に頼んで入れて貰ったものだ」
……え?
どういう……事?
「終夜氏とは以前から交流があってな。彼はゲームを娯楽以外に活用できる方法を模索していた。娯楽ではなく、生活に根付いた……或いは社会に根付いた分野に応用すべく、その研究を重ねていたようだ。その過程で、私と接点があった」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 急に何? 話が見えないんだけど!」
「私と終夜氏のラブロマンスなどないから安心して聞け。彼はゲームを使った治療――――デジタル療法に強い関心を示していた」
デジタル療法?
何だそれ……?
「ヘルステックという言葉がある。ヘルスとテクノロジーを組み合わせた造語だ。要するにAIなどのテクノロジーを使った治療方法なのだが、精神医療の分野でもデジタル技術の活用は注目されていてな。その一環として、ゲームを用いた治療も研究が進められている」
「ゲームで治療……? ゲーム依存の治療じゃなくて?」
「無論、そちらの方が遥かに有名だな。ゲーム依存はかつて社会問題にもなったし、現代は国民総スマホ依存状態だが……今回、それとは全く別の問題だ。ゲームを利用して特定の疾患、特定の症状を改善に向かわせるというアプローチだな」
……そんな事が現実にあり得るの?
ちょっと理解が追い付かない。
突然の事ばかりで頭が混乱したまま硬直してる感じだ。
ゲームで病気を治す?
訳がわからない。
病気って薬や手術で治すものなんじゃないの?
いや……でも、精神科にはカウンセリングや催眠療法なんてのもある。
そういう療法の中にゲームを組み込む、って事なんだろうか……?
「君はゲームをする際、そのゲームに没入するだろう?」
「うん……出来る限り、ゲームの世界に集中したくて。自分がゲーム世界の住民になった感覚でプレイしてるよ」
「その状態を、心理療法における催眠状態に近いと解釈している論文があってな。ゲームの世界に没入している状態の君は、自分の内面……普段は決して表に出て来ない潜在意識を開いた状態にあるのではないかと、私は見ている」
……アヤメ姉さんには、これまで色んな事を話してきた。
ゲームが好きな事、ゲーム中にはどんな事を考えているか、どういう感覚なのかも、全部言葉にしてきた。
終夜父が言っていた『言語化』が得意なのだとしたら、きっとその所為だろう。
「なら、君が表情を作れるようになるカギはそこにあるかもしれないと、私はずっと考えていたのだよ。そんな時、終夜氏と知り合ってな。彼に協力する形で、君を――――」
アヤメ姉さんの顔は、凄く申し訳なさそうにも見えたし、決意を示しているようにも見えた。
でも、俺にとってその顔は……
「彼の作っているゲームに引き入れた」
初めて、彼女が医者なんだと強く意識させるものでもあった。
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