8-47

 6月29日(土) 13:44


 予想外の来訪者にペースを乱されたけど、ライクアギルドはいつも通りの土曜の客層でランチタイムを迎えていた。


「明日からも絶対来て下さいね! どうか我々を見捨てないで下さい! お願いだから捨てないで!」


 ……ただしオーナーが平常心の欠片もなかった。


 お客が帰る際、一人一人に切実な訴えをしているけど、どう考えても逆効果だ。

 ウチの客層は男がメインなのに、中年のオジサンが涙ながらに訴えたところで鬱陶しいだけだろう。


 かといって、来未に同じ事をさせる訳にもいかない。

 それに、親父のなんとかしたいって気持ちも伝わってくる。

 明らかにマイナスだとは思うけど、やめろとも言えない。


「ねーお父さん。幾ら新しくできるカフェにお客様取られそうだからって、そんな媚び媚びの対応してたら逆効果っぽくない?」


 だが妹は一味違う!

 なんか普通にサラッと言った!

 しかも客が普通にいる中で……我が妹ながら恐ろしい奴……


「く、来未! お前、お客様のいる前でなんて事を……!」


「でも媚び方が露骨過ぎて見てらんないし」


 確かに、一応親父の意思を尊重して自重してたけど、子供の立場としては親が媚びを売る姿は正直見たくはない。

 これに関しては、来未よく言ったと言わざるを得ないな……


「そ、そうか……? そんな事はないと思うけどな……ねえ?」


「……はあ」


 ぎこちない笑みで最寄りの客に同意を求めたものの、生返事しか返って来ない憐れな図。

 夕方以降の客なら、こういう時にノリで『そーっすね! 来未ちゃんの言う通りっす!』みたいに返す人もいるんだけど、この時間帯の客は総じてスタッフとの掛け合いなんて望んでいない。


「父が余計な事を言ってしまってすみません。どうか普段通りにお過ごし下さい」


 そして来未も当然、時間帯による客層の傾向は把握しているから、丁寧な対応に終始。

 幸い、それから店内の空気は普段通りに戻った。


 一方――――ミュージアムの方の客足も普段通りだ。

 減りもせず、増えもせず。

 でもそれって、凄くラッキーな事だったりする。


 元々、レトロゲームの資料やレポートをアナログで展示するという、時代に逆行した施設。

 本来ならとっくに役目を終えている筈なんだけど、幸いにして最低限の利用者数はキープできている。

 何気にこれ、Vtunerブームの影響もあると俺は睨んでいる。


 レトロゲームの実況プレイブームは一時大分落ち着いていたけど、Vtunerがそれを頻繁にやり始めた事で再ブームのような形になっていた。

 中には相当マイナーなゲームを実況しているガチなVtunerもいて、そういうゲームはネット上ですら攻略が載っていないもんだから、そのゲームの資料やプレイ日記を求めて俺の書いたプレノートを観に来ているんじゃないかと思う。


 推測なのは、実際にそう聞いた訳じゃないから。

『○○○がプレイしてたのを観て、気になったんですよー』みたいな事を言ってくる客がいれば確信が持てるんだけど、スタッフである俺にそんな陽気に話しかけてくる客は殆どいない。


 何にせよ、この感じだと午後にはもう利用者も来ないだろうし、ランチタイム終わったら来未に頼んで明日着て行く服を見て貰おう。

 本当なら買いに行きたいのが本音だけど、そんな金もないからな……



「すみませーん」



 お、来客か?

 でも今の声、なんか聞き覚えが……


「なんてな。元気にしているかね?」


「……なんだ。アヤメ姉さんか」


 まさかの精神科医の来訪。

 まあ、メンタルクリニック菖蒲は土曜は午前中だけだし、従姉だから別に来ても不思議じゃないんだけど……


「なんだとは御挨拶だな。遠路はるばる様子を見に来たというのに」


「徒歩で通える距離なんだけど」


「細かい事をグダグダ言うな。明日、近所に新しいカフェが開店すると聞いてな。叔母さんが少し心配だったんだが……旦那の方が酷かったな」


 どうやらあの媚び媚び接客を見られていたらしい。

 身内の恥さらし、と言いたい所だけど――――


「家族の為に必死なってるんだから、呆れないでやって」


「相変わらず、他者の良い面に目を向ける奴だな。そこが変わっていないのは良い傾向だ」


 アヤメ姉さんはいつだって、俺を何かしら肯定する。

 それはお約束だから、嬉しさや誇らしさは一切感じない。

 精神科医はいつだって、患者の自己肯定感を高める努力をしている。


「他に客がいたら遠慮しようと思ったんだが、その必要はなさそうだ。少しカウンセリングをしようか。何、遠慮するな。ボランティアだから金は取らないよ」


「いや、今日別に診て貰う日じゃないし」


「まあ聞け。我々精神科医は常に来て貰う側だ。患者はクリニックや病院に来る前に、今日は何を聞かれるか、それにどう答えるか、と身構える。そうするとな、どうしてもバイアスが掛かってしまうんだ。無論、作ってきたような回答や対応を見抜き、その先にある苦痛を取り除くのがプロの精神科医の仕事だが、それは理想論。偶にはこうやって、不意打ちで話を聞く事で得られるものがあるのだよ」


 長々と話した割に、その趣旨はただの自己都合だった。そりゃ勿論、俺の能面を治す為にやってくれている訳だから、自己都合は言い過ぎなんだけど。


「まあ、身内だから出来る裏技みたいなものだ。悪いようにはしない。少々付き合って貰おう」


「わかりましたよ……」


 まさかミュージアムでカウンセリングを受ける事になるとは思わなかった。

 ここは言うなれば自分の城。

 だからといって、普段のクリニックとは何か違う話が出来るとも思えないけど……


「ここ数日、何か表情筋を刺激するような出来事はあったかい?」


「一応、結構デカめの出来事があったかな。言えないけど」


「そうか。自分の顔に何か変化が訪れそうな兆候は?」


 ここで『言えないんじゃ治療にならない』と言わないのがアヤメ姉さん。

 全ての精神科医がそうなのかどうかは知らないけど、俺が本気で嫌がる事は、例え治療に必要な事であっても無理強いはしない。


 それで遠回りになるのなら自己責任。

 ……と姉さんが言った訳じゃないけど、俺はそう解釈している。

 勿論、治せるものなら一日でも早く治したいけど、だからといって『最近良い感じの年下の子をデートに誘った』なんて言える訳ない。


「あるような、ないような……いや、ちょっとあったような気もする。何かが動きそうな……でも、擬似的な自覚ならこれまで何度もあったからな……」


 自分の中では、表情は動いている。

 鏡の中の自分は決して愛想が悪い訳じゃない。

 でも、現実には真顔のままだ。


 そういう状態だから、俺の意識の中でも『今、顔がピクってなった』とか『自然と顔が綻んだ』とか『しかめっ面になった』みたいな自覚を持つ事はある。

 その時には顔の筋肉が動いているような感覚もある。

 でもそれは全て錯覚だった。


「成程、それは良い。ある意味『アウラ』のようなものだな」


「アウラ?」


「前兆と書いてアウラと読む……というのは冗談だが、ここで言う前兆アウラとは一般的な意味のそれではなく、医学の世界で使う用語としての前兆。片頭痛発作やてんかん発作が起こる直前に、それが起こると予感する感覚の事を指す言葉だ。殆どが視覚症候と言われているが、様々な形で現れる」


 そんな予知能力みたいなものが実在するのか。

 初めて知ったな。


「原因は一過性の脳血管収縮と言われていて、脳血管が収縮するトラブルが原因で頭痛になる場合、発作が原因で血管の収縮が起こって、それが前兆の原因になる場合も……と、これは蛇足だったな。要するに、前兆が起こるケースは例外なく脳が関係している」


「って事は、俺の表情も脳のトラブル?」


「まあ、元々最有力候補ではあったし、君のその感覚が前兆という保障もない。結局のところ、私の推論が若干補強されただけだな」


 なんて旨味のない時間……使いどころのない知識が一つ増えただけだった。


「何か言える範囲で変化はなかったのか?」


 んー……そう言われると、あったような気も……


 いや、実際あったな。


「最近ハマってるゲームで強敵を倒すミッションをクリアした時なんかは、その感覚が出た気がする」


「ほう。君らしいエピソードだな」


 アヤメ姉さんは当然、俺がゲーム好きなのは知っている。

 母さんもそうだからな。


「だが、今まで君は何百というタイトルのゲームで遊んできた筈だ。今更ゲームで好転するというのも、考え難い話ではあるが」


「でも、今やってるのはこれまでずっと避けてきたジャンルというか……なんて言うか、団体行動みたいなゲームなんだよね」


「オンラインゲームか」


 アヤメ姉さんの口からその言葉が出て来た事に意外性はない。

 前にもそんなやり取りしたからな。


「そうだな。人と人との繋がりの中で、強い満足感や充足感が生じたのだとしたら、それが好転の材料となれば余りにも綺麗だ。論文を書く上では綺麗すぎて微妙なくらいにはな」


「まあ、御伽噺みたいな話にはなっちゃうよね」


「無論、君がそれで治るのなら文句などない。そのゲーム、暫く続けてみると良い。君の場合、勉強を疎かにする理由もないしな」


 意外と信頼されてるんだな。

 ま、一応成績って形で実績は作ってるけど。


 ……っと、こんな時にスマホが鳴り出しやがった。

 この呼び出し音は通話か。


「どうぞ」


 まだ居座る気か。

 これを機会にお暇するかと思ったのに。

 別に邪魔とかじゃないけど、精神科医が自分の居場所に来るのって、なんか落ち着かないよな……


 さて、一体誰が……まさか水流じゃないよな?


「……」


 あっ!

 アヤメ姉さん、ニヤニヤしてやがる……!


 そうか、この電話がさっき俺が言った『結構デカめの出来事』に関連してると予想しての居残りか!

 なんて抜け目のない……精神科医って怖いな。


 まあ、水流だったら席外せば良いだけなんだけど、それだと露骨なんだよな……



 でも、そんな心配は杞憂に終わった。

 電話をかけてきたのは、年下でも女の子でもなく――――終夜父だった。


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