8-32

 その姿はまさに飛竜。

 半透明な身体が空の色に溶け込んで、輪郭が曖昧ではあるけど……余りにも圧倒的な存在感の所為か、しっかりと認識できてしまう。


 マズい。

 空を飛べるのは想定外。

 スライムとしての特性が強く出ていると思っていたけど、やはりバハムートの名を冠しているだけあって、あれは間違いなく竜族の王だ。


「全員散らばれ! 一箇所にいたら一瞬で全滅だ!」


 実戦経験に長けているブロウの声が轟く、その刹那――――スライムバハムートの口元が妖しく光る。


 まさか……アルティメフィアを撃つ気か!?


「マズい! 早く逃げ……」


「皆さん! 僕の後ろに!」 


 ブロウの言葉を遮るように、大声でそう叫んだのは――――メリクだった。

 普段の間延びした声じゃない。

 それが一層危機感を煽る。


 完全に二人の意見が割れた。

 リーダーの俺が纏めなきゃバラバラになる。

 そしてもう猶予はない。


「ブロウ! みんな! メリクを信じろ!」


 咄嗟の判断と、ブロウを蔑ろにしない為のギリギリの言葉を、半ば破れかぶれで叫ぶ

 俺に出来る事はもう。これくらいしかない。

 今から回避行動をとったところで、刹那移動を使える俺以外に躱せるとは思えないし、ここはメリクの防衛能力とLv.138の厚き盾の底力に賭けるしかない!


「【第一防衛壁】展開!」


 メリクがそう叫んだ瞬間、彼の持つエヴァラックの盾が粒子になって――――俺達の前に巨大な光の壁を創造した。

 赤と緑の光が絡み合うように曲線なき複雑な紋様を紡ぎ、元の大盾の数倍……いや十数倍の大きさに広がる。


 そして次の瞬間。



 視界そのものが一瞬にして消し飛んだ。





「……!」


 覚悟する間もない。

 余りの視覚情報の変動と急激に上昇した気温に、意識が遠くなりそうになった。


 生きて……いるのか?

 あの世に旅立った訳じゃないのか?


 そう本気で思うほど、周囲は様変わりしていた。

 俺達がいるメリクの真後ろを除く一帯――――王城の敷地面積くらいの範囲で、全ての木々や植物が消し飛んでいた。

 地面も深く抉れ、まるで俺達のいる一帯だけが隆起しているような状況だ。


 なんて威力、そして攻撃範囲……

 あんなのとても回避なんて出来やしない。


 ……化物だ。


 唯一、メリクの防御壁から外れた場所にいたヴェオボロは……恐らくもうこの世にはいないだろう。


「リッズ! 星屑のステッキを使って!」


「は、はい!」


 いち早く状況を見極めたリッピィア王女の指示通り、リズが星屑のステッキを振りながら回転すると、今度は周囲が広範囲にわたって星屑に囲まれた。

 これで何処まで誤魔化せるかわからないけど、無防備な状態よりは遥かにマシだ。


「ああもう、アタシの口紅があればもっと安全に戦えたのに……」


 エメラルビィの口紅……確か【スネーク《気配消失》】っていうイーターから感知されなくなるパッシブスキルが備わっていたんだっけ。

 確かに、それがあれば大分有利に戦えた気がする。


「確か一点物だったっけ。勿体なくて持ってこなかったとか?」


「……なくなってたのよ。きっとあの男の仕業よ……キーッ!!」


 ああ、元彼さんか。

 実際にどうかはわからないけど、深掘りしない方がよさそうだ。


「メリク! 大丈夫か!?」


 その叫声に思わず前方に目をやると――――崩れ落ちそうになったメリクを、すぐ後ろにいたアイリスが支えていた。

 まさか……


「…………僕は…………大丈夫です」


 ……良かった、無事だったか。

 でも、今の表現は……


「でも盾は……残念ながら……」


 メリクの手元にエヴァラックの盾はない。

 今のブレスを防ぎ切る代償になってしまったらしい。


 とはいえ、あの規格外の威力を貫通させず完璧に防ぎ切ったのは見事と言うしかない。

 凄い盾だったんだろう。

 当然、それを使いこなしたメリクもだ。


「メリク君、ありがとう。僕の判断のままだったら全滅していた」


「そんな……」


 やっぱり相当な衝撃だったみたいで、メリクの両腕は今も震え続けている。

 その腕を強引に掴み、ブロウが感謝の意を告げている様子は、これまでのメリクの境遇を思うと感慨深いものがある。


 とはいえ、いつまでも浸っている訳にはいかない。

 正直、もし連発されたらもう打つ手はないけど……流石にあの威力を何度も放つ事は出来ないのか、それとも星屑の目眩ましが思いの他効果的なのか、幸い追撃の気配はない。


 ただ、一つ気になる事が……


「シャリオッツは何処にいるの?」


 そう。

 リッピィア王女の言うように、上空に浮遊していた筈のシャリオの姿がなかった。

 まさか……やられちまったのか?


 もし世界樹の旗に過剰な反応をしていたのなら、もっと前に飛んでいても不思議じゃない。

 それより、シャリオが敵として脅威だと感じたから、真っ先に潰そうとしたって方があり得る。


 だとしたら、シャリオはもう……


「彼女の安否を気遣う余裕はない。シーラ、奴を地面に落とさない限り作戦は成立できないんじゃない?」


 ステラの指摘通り、俺の案は地上戦が前提条件だ。

 奴に飛行能力がある時点で成立しない。

 あの翼をどうにかしたいところだけど、遠距離攻撃しか出来ない上、魔法が全く通じないんじゃお手上げだ。


 どうする……?


「あ、あのっ」


 沈滞ムードが漂う中、おずおずと挙手したのは――――シャンテリージャだった。


「確か、敵から受けた攻撃の威力を上乗せできる【レフレクの矢】って武器がありましたよね? あれを使えば……」


 そうか! あの超強力なブレスの威力を付加できれば……


「いえ。幾らレフレクの矢でも恐らく通じない。あのスライムの身体はあらゆる攻撃を吸収してしまう。それに、装備した状態で攻撃を受けないと威力は加算されない」


「あっ……だったらダメですね」


 研究者だけあって観察眼に優れ、武器やアイテムに詳しいステラの言葉が重くのし掛かってくる。


 いや、ここで折れたら終わりだ。


 シャンテリージャの着眼点は決して悪くない。

 でも、スライムバハムートにダメージを与えようと考えたら駄目なんだ。

 空を飛ぶのは危険……いや、『空を飛ぶと不快な思いをする』と思わせる事が精一杯だろう。


 俺達が出来るのは、奴を刺激する事くらい。

 視覚か、聴覚か、それとも……


「……」


「なんだシーラ。私の顔に何か付いてるのか?」


「リッピ様。アイリスに授けた武器ってどんなのでしたっけ」


 名前は忘れたけど、その性質は記憶の隅に残っている。

 確か……


「スイートハートカッターよ。敵に投げつける事で魅了する効果が出来るブーメランね」


 そうだ、魅了だ。

 スライムバハムートにテンプテーション効果が通じるとも思えないけど……不思議なもので、逆にスライムバハムートが魅了に耐性を持っている気もしない。

 

 耐性ってのは、過去に同種族が一度攻撃を受けた事で生じる免疫が元になっているんじゃないだろうか。

 だとしたら、あんなイーターに魅了を試みる奴なんていないだろうし……試す価値はある。


「生憎、私の腕力では奴のところまで投擲するのは不可能だが……」


「それは大丈夫。俺が運べるから」


「そうか、その手があったか」


 とはいえ、シャリオが行方不明な今、空中には足場がない。

 俺がアイリスを背負って刹那移動で空にワープし、すぐに投げて貰って即座にルルドの指輪でMPを回復させ、もう一度刹那移動。

 これしかない。


 多少の怖さはあるけど、問題はない。

 指輪もまだこんなに沢山残ってるし……


「……え?」


 思わず我が目を疑った。


 両手にはめていたルルドの指輪が……悉く溶けている!?

 嘘だろ……?


「先程のブレスの熱。あれでやられた」


 ステラの言葉が恐らく正しい。

 この指輪、熱に弱かったのか。

 これは……想定外だ。


「一つも使えないのか?」


「わからない。試してみるしかないか」


 無駄遣いになるのを承知で、一つ一つ確認していく。

 右手の指輪は全滅。

 左も――――


「……駄目だ。使い物にならない」


 なんて事だ。

 十分な数の指輪があるから、ルルドの聖水も持って来ていない。

 現在のMPが切れたら終わり……つまり、あと一回しか刹那移動は使えない。


 これだと、空中に移動する訳にはいかない。

 そのまま墜落死するだけだ。


「くそっ……」


 刹那移動が使えない俺は、何の役にも立てない。

 リズみたいに有効な武器も持っていない。

 ここに来てお荷物になってしまうなんて……


「シーラ、心を強く持て。一度は使えるんだろう?」


 思わず項垂れていた俺の肩を掴み、アイリスが優しく喝を入れてくれる。

 いや……違う。

 この目は――――


「空中に跳ぼう。そして、地上にいるみんなに受け止めて貰う」


「なっ……!」


 覚悟の目だ。

 それも、生半可な覚悟じゃない。


「無茶だ! カッターの射程内ギリギリに跳んだとしても相当な高度だぞ?」


 それだけの高さから落ちてくる人間を受け止めたら、とても無事では済まない。

 幾らエメラルヴィやブロウでも、それはとても……!


『エルテが魔法で突風を巻き起こして、降下速度を落とすと提案するわ』


 不意に、俺の目の前に現れたエルテが、力強く書いた文章を見せてくる。


 確かにそれなら望みはある。

 ただし、一度も試した事がない上に刹那移動だって完璧に狙った位置に跳べるとは限らない。

 刹那移動、エルテの魔法、着地点で待つキャッチ係のどれかがミスをすれば……高確率で死ぬ。


「私だけを跳ばせれば、それが一番だが……そんな訳にはいかないんだろう?」


「ああ。使用者が瞬間移動する事が大前提の魔法だからな」


「ならシーラ、後はお前の決断次第だ」


 中々の無茶振りだな、アイリス。


 通じるかわからない攻撃をする為に、何の保証もない移動手段で空に跳び、ぶっつけ本番の方法で受け止めるという仲間達に命を預ける。

 思わず笑ってしまうくらい、無謀な作戦だ。


「腕力には自信がある。キャッチは任せろ」

 

 暫く黙っていたノルティックが、再び力こぶを見せつけてくる。

 今日、というかついさっき初めて意思疎通した奴を信じないといけないのか。


 無理だ。

 出来っこない。

 どう考えたって非合理、非現実的だ。

 

「シーラ。ブレス攻撃を受けそうになっていた時、君はどうして刹那移動を使って回避しなかった?」


 喉元まで声が出かかったところで、ブロウがそう問いかけてくる。

 それは……


「メリク君を信じろと言った責任を君は取ろうとした。僕の指示より彼の言葉を優先したケジメとして、君はあの場に残った。メリク君を信じている証として。違う?」


「……ああ」


「なら、僕達も信じて欲しい。必ず二人を受け止めてみせる」


 それはズルいな、ブロウ。

 そう言われたら断れないじゃないか。

 メリクにだけ贔屓していた、なんて後で言われたらたまったもんじゃない。


 ……ま、いいか。

 どうせ、この戦いで役に立てるのはここまでだ。


「万が一、俺とアイリスのどちらかしか受け止められない場合は、アイリス優先。それは約束して欲しい」 


「勿論。戦力になる方を残すさ」


「この野郎……」


 依然として絶望的な状況に変わりはない。

 でも、星屑に囲まれたこの空間内で、俺の心の中は不思議なほどに光輝いていた。


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