8-30

 この森の中でも、最も目立つ大きな樹の上部にへばりついているスライムバハムートを、その樹の隣の天辺から見下ろす。


 形状、そして色は想像していた通りの外見だ。

 ドラゴンの形をしていて、かつ半透明の青。

 ドラゴンの最上級に位置するバハムートと、スライムの特徴を融合したようなイーターだ。


 大きさは――――バハムート自体を見た事がないから、ドラゴン基準で巨大なのかそうでもないのかはわからないけど、少なくとも顔だけで俺の全身より遥かに大きい。

 倍……いや三倍くらいはあるか?

 近くで見ると、その馬鹿馬鹿しいほどの巨躯が嫌でも圧迫感を与えてくる。


 ただ、身体は完全なドラゴンのそれじゃなく、蛇に近い。

 軟体だから、どんな形状にも変化する事が出来るんだろう。

 それでも、ドラゴン属特有の獰猛な瞳と牙までしっかり見えるから、ドラゴン感は強い。


 シャリオと一緒に上空から眺めていた時の印象とはまるで違う。

 やっぱり圧倒的だ。

 出来れば、ドラゴンスライムとも遭遇して、違いを確かめてみたかった。


 そんな知的好奇心はさておき……まずはドゥーグリアの実を試そう。

 これは単に嗅覚を刺激するというアイテムじゃない。

 嗅覚を持つ生物が神経痛で身悶えるほどの、刺すような刺激臭がする実らしい。


 使用した事は一度もない。

 かなり稀少な実との事で、非売品な上に入手経路も定まっていない。

 王家の貯蔵庫に一つだけあった物をステラが見つけて、研究用に持ってきたものの、使う機会がなく放置していたとの事。


 スライムバハムートとの距離はかなりある。

 少なくとも、料理店の客席と厨房よりは遥かに離れている筈だ。

 幾ら強烈な臭いでも、ここまで届くとは思えない。


 ここから、スライムバハムートの顔目掛けて実を落とす。

 幸い、まだ奴はシャリオの持つ世界樹の旗に気を取られて、俺の事なんて気にも留めていない。

 問題はスライムに嗅覚が存在するか否か、その一点だ。


 バハムートの形状だから、鼻らしき部分はある。

 ドラゴンの嗅覚が人間より遥かに発達しているってのは、何処かで聞いた事がある。

 でもスライムベースだったら……かなり勝算が薄い気がする。


 頼む、効いてくれ。


 そんな祈りを込めて、ドゥーグリアの実をスライムバハムート目掛けて投じた。


 あれだけ的がデカいと、外す事はない。

 吸い込まれるように、実はバハムートの顔の先端、鼻腔らしき部位へと飛んでいく。

 そしてそのまま――――


 吸収された。


 当然、木の実だから割らないと中の臭いは生じない。

 臭いが発生しない限り、効力なんて得られる筈もない。



 失敗。



 ……な訳ない。

 想定通りだ。

 奴の身体が何でも吸収するのは、事前に把握済みだ。


 でも、だからといってこの場であの実を割ったら大惨事。

 先に俺が死ぬか気絶する。

 そんな自爆をしにここに瞬間移動してきた訳じゃない。


 じゃ、行きますか。


 再度刹那移動を敢行。

 跳躍した先は――――スライムバハムートの鼻先。

 つい今しがた、ドゥーグリアの実が体内に吸収されたばかりだ。


 勿論、すぐ溶かされる訳じゃないのも自分の身体でさっき確認した。

 暫くは体内に留まっているだろう。

 それをここで叩き割る。



 アウラの針で。



 一切の攻撃を受け付けないスライムバハムートの体内に入った実を、外側から割るのは不可能に近い。

 でも、必ず1ダメージを与えるこの針を思いっきり投げ込めばどうなる?


 針も体内に吸収され、そのままゆっくり下降し、やがて先に止まっていたドゥーグリアの実に辿り着き……


 針が刺さる。


 そして、ドゥーグリアの実に1ダメージを与える。


 木の実にHPなんて概念は存在しない。

 ダメージを受けた時点で割れる。


 割れたら――――



「ンヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――――――――!!!!」




 ……!


 思わず耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴。

 よし、間違いなく効いた!


 でも今はガッツポーズしている暇はない。

 現在進行形で自由落下しているんだから。

 奴に触れず、尚且つ鼻先に刹那移動した時点で、俺の身体は宙に投げ出されていた。


 勿論、このまま落ちたら死ぬ。

 もう一度刹那移動で今度は地面に――――



「っ!?」



 ……着地したつもりだったけど、平衡感覚がムチャクチャだった所為でその場に倒れ込んだ。


 よくわからない理屈だけど、刹那移動で移動した場合、力学的エネルギーは魔法力が相殺でもしてるのか、落下中であってもその衝撃が移動後に襲いかかって来る事はない。

 世界樹魔法の理屈は、凡人には良くわからない。


 何にせよ、思い描いていた作戦自体は大成功。

 懸念していた移動先のミスもなく、後はみんなが無事がどうかを確認するだけ――――



「シーラ!」



 ……ん?

 今の声は、まさか……


「ブロウか!? 何処にいる!? 無事だったのか!?」


「ここだ! 上! 見上げてくれ!」


 普段あまり大声を出さない奴だから、何気に珍しい鬼気迫る声。

 それがしたのは、ほぼ真上の……木の枝。

 ブロウの身体が、長く伸びた枝の途中に引っかかっていた。


「……何してるの?」


「つい今、スライムバハムートに吐き出されたんだ!」


 何?

 って事は、やっぱりブロウ達は吸収されてたのか。

 でもまだ溶かされてなかったから、さっきの刺激臭で体内の物を強引に外へ出そうとして、ブロウ達の一緒に出したんだろう。


 尻尾を引っ込めてくれれば上出来くらいに思っていたけど、予想以上の成果が得られた。


「すまないが、どうにかして僕を落としてくれないか?」


「了解」


 オーケストラ・ザ・ワールドを抜き、刹那移動でブロウの引っかかってる枝の上に跳び、枝を斬る。

 同時にブロウごと刹那移動。

 

「おっと……ありがとう、助かったよ」


 安堵の溜息と同時に、ブロウは力なく微笑んだ。

 全身がテカってるのは、スライムの粘液の所為だろう。


「それにしても凄いな、その瞬間移動能力。完璧に使いこなせているじゃないか」


「……でも、頼り過ぎないようにしないとな」


 MPの回復を試みると、二つ目のルルドの指輪が壊れた。

 運頼りとはいえ、ちょっとペースが早い。

 まだ余裕はあるけど、戦闘中に何度も使っていたら指輪が底を付きかねないな。


 スライムバハムートは……この位置からだと、森の木々が邪魔で見えない。

 でもあの悶えようなら暫くは大丈夫の筈だ。


「取り敢えず手短に情報交換しよう。何があった?」


「……グレストロイが突然、僕達を無視して特攻を試みたんだ。慌てて後を追ったけど制止できず、途中でスライムバハムートの尻尾に遭遇した」


「で、飲み込まれたんだな。何にくらいかわかるか?」


「いや、僕も移動中に不意を突かれたから、正直周囲の事は殆どわからない。グレストロイが大声を上げて宣戦布告しながら突っ込んだ所為で、こっちの居場所は筒抜けだったんだ」


 うわ……最悪だな。

 事情を知らないブロウ達にしてみれば、グレストロイが発狂したとしか思えないだろう。


「俺の推測だけど、グレストロイはエルオーレット王子が操作してるんだと思う」


「え……?」


 その根拠を最小限の言葉で伝える。

 最初は信じ難いって顔をしていたブロウも、次第に痛恨の極みといった表情になり、最後には膝を折って地面を拳で殴っていた。


「イーター討伐を何だと……ゲームのつもりなのか……!」


「確定した訳じゃない。けど状況的に……」


「ほぼ間違いない。殿下は一体何をお考えに……」


 枝にぶら下がっていた時より遥かに感情を剥き出しにして、ブロウは何度も首を横に振っていた。

 こいつなりに、気持ちを落ち着かせようとしているんだろう。


「ふぅ……ここで憤っていても仕方ないな。これからどうする?」


 流石レベル150。自制心も人一倍か。


「取り敢えず、仲間と合流だな。もう本隊も別働隊もない。合流できたメンバーで再編して、スライムバハムートを討つ」


「討てるのか……? 僕達に、あれを」


 弱気になるのも無理はない。


 レベル150のブロウが一瞬で為す術なく無力化され、危うく殺されかけた。

 その上攻撃は通じないし、不意打ちし放題と来た。

 並大抵の戦術では太刀打ち出来ない。

 

「一つわかった事がある。あのスライムバハムート、嗅覚があるみたいだ」


「聴覚もある。つまり、他の生物のように五感が存在しているんだね」


「ああ。見た目や攻撃方法から、スライムの要素が濃いと思ってたけど、生態的にはバハムート寄りらしい」


 なら、バハムートの弱点も持ち合わせているかもしれない。

 仮に弱点がないなら、習性でも良い。

 ドラゴン属の習性――――

 

「口から火を吐くかもしれないね」


 ……まあ、それは確かにそうだけど。


 元々遭遇する機会の殆どない種族のイーターだから、俺は勿論ブロウでもあまりピンと来ていない。


 取り敢えず、火を防ぐ方法だけでも練っておくか?

 といっても、エルテの魔法かメリクの盾くらいしか……


 待てよ。

 火を防ぐ方法……か。


「何か、思い付いたのかい?」


「ああ。これが決まれば、もしかしたら倒せるかもしれない」

 

 その案をブロウに伝える。

 正直、自信はそれほどないけど……


「やってみる価値はあるね。寧ろ、それ以外ないかもしれない」


 幸い、ブロウには好感触だった。

 でも、他の人の意見も聞きたい。

 何より、大勢の助けがないと実現出来ない手段だ。


「仲間を見つけられるだけ見つけよう。ただ、グレストロイとその一味は……」


「わかってる。彼らを味方とは見なさない」


 ブロウの厳しい答えに頷き、刹那移動でシャリオのいる空中へと跳んだ。


 グレストロイ以外の連中は、王子の件について知らされていないかもしれない。

 でもこの苦しい状況で、その確認をいちいちやってる余裕なんてない。


「……また来た」


 流石に三度目ともなると、シャリオも呆れ気味だ。

 こっちも着地のコツは完全に掴めた。


「味方の位置を特定したいんだけど、出来る?」


「楽勝。上手くいったんだね。敵さん、悲鳴あげて引っ込んでいったよ」


「ああ。新しい作戦も考えてる。シャリオにもデカい見せ場用意するから、よろしく頼む」


「出来る範囲で」


 相変わらず淡白だけど、やる気がない訳じゃないんだよな。

 天使なのが発覚して以降……厳密にはその少し前くらいだけど、シャリオとは妙に意思の疎通がスムーズになった気がする。

 人間以外にも色んな種族がいて、わかり合える事もある。


「……」 


 感傷に浸る訳じゃないけど、さっきまでスライムバハムートがいた位置を睨み、決意を改めた。



 必ず仕留める。

 どんな手を使ってでも。


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