8-29

 既に本隊は全員が突入したらしく、森の前に人影はない。

 彼ら全員が事前調査に参加した訳じゃないだろうから、既に幻覚を経験し克服している人ばかりとは限らないけど、そもそも俺が幻覚だと自覚した瞬間に我に返った訳で、事前にその情報さえ知っていれば問題なくクリアできる筈だ。


 当然、別働隊のみんなにも同じ事が言える。

 正直リズだけはちょっと不安だけど、やってくれると信じよう。


「止まるな! このまま森に突入する!」


 先頭を走るアイリスがそう叫びながら、最初に森へと入る。

 続いてメリク。

 本来は盾役の彼が先頭であるべきだけど、後方への指示出しや状況の伝達には不向きな性格だから、アイリスを先に行かせる事になった。


 その後をエルテ、ステラ、リッピィア王女、リズと続き――――しんがりが俺。

 俺とリズは戦闘面では戦力外だから、前方より後方で王族の肉壁となる方が良い。

 万が一、後ろから襲われる事もなくはないからな。


 とはいえ、現状における森の中のイーターはスライムバハムート一体のみ。

 位置も特定できているから、余りあれこれ考えない方が良いのかもしれない。


 森の中は以前と何も変わらない。

 この島特有の物なのか、螺旋状の巨大な樹葉や動物の尻尾を無数にくっつけたような何かが垂れ下がった高木など、異形の植物が取り囲んでいる。

 気を抜くと、別の世界に迷い込んだような不安感が襲って来そうだ。


 幻覚も問題だけど、この森はそれ以外にも危険を孕んでいる。

 例えば毒。

 植物の中の幾つかは、人体に有害な毒を含有しているらしい。


 調査は事前に行われているから、ヤバい植物に関しては既に一通り理解している。

 踏むと毒素を撒き散らす白いキノコや、触るだけで重度の火傷を負う真っ赤な花など、その多くは特徴的な外見だから、集中さえ出来ていれば問題はない。


「みんな大丈夫か!?」


 幻覚だけでなく、そういった危険因子に対してのケアを含め、後方から大声で呼びかける。

 長距離を走りながら叫ぶのは結構しんどいけど、集団で動く以上は必要な事だ。


「私は問題ない!」

「……大丈夫です」

「心配要らない」

「なんて事なかったみたい!」

「ひーっ、ひーっ」


 ……リズは既にバテバテみたいだけど、幻覚にやられている様子はないし、問題なさそうだ。

 喋れないエルテだけは返事がないけど、多分――――


「っと!」


 突然、前方から何かが飛んできた。

 これは……紙飛行機か?

 我ながらよくキャッチ出来たな。


 広げてみると『楽勝』の文字が記されていた。

 走りながらこれ書いたのか、エルテ。

 最早曲芸、いや職人芸だな。


 何にせよ第一段階はクリアだ。


 次はスライムバハムートとのエンカウント。

 方角はアイリスもメリクもちゃんと頭に入っている筈だし、先に本隊が向かった事で人の足跡や草木を踏んだ形跡があるだろうから、迷う理由はない。

 このまま進めば、すぐにでも見つかるだろう。


 ただ、相手は未知のイーター。

 どういう能力を持っているのかは未だ不明瞭だ。

 万が一空を飛ぶ可能性も考慮して、上空にはシャリオにいて貰っているし、虚を突かれる事はないと思うけど――――



 ……?



 一瞬、何かゾワッとした感覚が芽生えた気がした。

 普段なら気の所為で済ませる程度の悪寒だけど、今この状況下においてはそうも言ってられない。

 

「今、何か感じなかったか!?」


 もう一度問いかける。

 すると、先頭のアイリスが一旦走るのをやめ振り返った。


「メリク、悪いが前方の監視をお願いする」


「……了解です」


 そのやり取りの直後、アイリスは俺の視界に入る位置まで一旦引き返してきた。


「何か感じたのか?」


「いや……わからない。誰も感じてないのなら、ただの誤認識だと思うけど」


「私は何も感じなかったけど、他のみんなは?」


 いつの間にかリッピィア王女をはじめ他の面々も集まり、確認を始めていた。


「私も、特に違和感みたいなものは何も」


『リズと同じ』


 リズとエルテも同意見らしい。

 メリクも特に言及しない様子から、何も感じてなかったのがわかる。


 やっぱり気の所為だったか――――


「……」


 余計な混乱を招いてしまったと謝罪しようとした俺を、ステラが先んじて手で制する。

 そして、素早い所作でイーター感知魔法【ポジレア】を使用した。


「いや、俺の勘をそこまで信用する必要は……」


「私は貴方をお飾りのリーダーとは思っていない。多分、他の子達も。貴方は何か大事なものを見つける奇妙な縁を持っている気がする」


「……え?」


 そんなの、考えた事もない。

 でも、心当たりがないかといえば――――ある。


 この世界に来て、何度も経験した。

 エルテやブロウ、テイルとの出会いはまだ良いとしても、偶然フィーナと再会したり、奇妙な白い建物を見つけたり、偶々キリウスと遭遇したり、あのアスガルドがいる謎の空間を発見したり。

 別に自分にとって都合の良い事ばかりじゃないけど、引きの良さは度々感じている。


 それが俺の能力って事はないと思うけど……


「その貴方が何かあると言うのなら、何かある」


「私もそう思います。何しろシーラは女神たるこのわたしを見つけた人ですから」


 リズは自分の事をさも特別な存在と言わんばかりに胸を張っているけど、実際はそこまで自己評価が高くない事は知っている。

 気を遣ってくれたんだろう。


 これでもし、何も出て来なかったら茶番も良いところ。

 大きな戦いを前に、無駄に事を大きくしてしまったな……



「やっぱり」



 ……何?


「反応あり。この近く、いやこの傍にいる」


 冷静なステラの声が、本当に俺の勘を信じていた事を窺わせる。

 何より、今のこの場で一番驚いているのが俺って……


「メリク! 一旦こっちに戻って来てくれ! どうやら標的はこの近辺に――――」


 アイリスが大声でメリクを呼び戻そうとしたその時。



 悪寒の正体が現れた。



 ――――足下から。



「……!!」


 足が……粘液に絡み取られている!

 俺だけじゃない、別働隊がいるエリア全体の地面が、いつの間にか半透明の粘液に浸されていやがる!

 スライムバハムートの仕業か!?


「エルテ! 地面に向かって炎系魔法を使え! スライムは炎が弱点の筈だ!」


 このパーティメンバーの中で最も世界樹魔法に精通しているエルテは、俺がそう叫ぶより前に魔法の準備を始めていた。

 彼女の翳した両手の上に炎の龍らしきものが生じ、みるみる肥大していく。


 初めて見る魔法だけど、名前は知っている。


 炎系の上級魔法メルビージュの更に上の位に位置する、頂上魔法【サラマンダー】……!

 究極の炎魔法だ。


 エルテが頭上から両手を振り下ろすと、その炎の龍が翼を広げ、口を大きく開け地面へ向かって降下した。

 俺達を巻き込まないよう、なんて配慮している余裕はない。

 エルテの足下に向かって、龍が突っ込む――――


「え……?」


 再び、驚愕の光景が目に飛び込む。

 サラマンダーが、飲み込まれた……のか?

 それよりも遥かに巨大な、地面から急に隆起してきた"何か"に。


 それがスライムバハムートの全身なのか、それとも一部なのかはわからない。

 ただ形状はわかる。

 サラマンダーを軽く飲み込み吸収したそれは、先の尖った"幼虫"のような形をしていた。


「地面の中に潜っていたのか!?」


「くっ……!」


 本来弱点の筈の炎魔法、それも人類最強の魔法が全く通用しない。

 これまでのイーター同様、桁が違う。

 このままじゃみんな飲み込まれて全滅だ。


 もしかしたら、もう本隊は全員犠牲になったのかもしれない。

 エメラルヴィも、ヘリオニキスも、ラピスピネルも……ブロウも。

 そう思うと、全身が恐怖と絶望に支配されて動けなくなる。


 たかが一体のイーターに、モラトリアムも討伐隊もこんなにアッサリと壊滅させられるのか?


 ……冗談じゃない!


「こ……のおおおおおおッ!」


 武器として携帯していたオーケストラ・ザ・ワールドで粘膜まみれの靴を切り裂く。

 この武器でスライムを傷付けられるなんて思っていない。

 靴を裂いて足を取り出す為の作業だ。


 勿論、靴を脱いだところで足下が広範囲にわたってスライムの支配下にある以上、まともな移動は出来ない。

 普通の移動手段だったら。


 でも、刹那移動なら逃れられる。

 粘液で地面に固定された靴を切り裂き、装備品じゃない状態にして、素足のまま瞬間移動。

 行き先は勿論――――



「シャリオ!」



 三度彼女の元へ。

 バズーカに着地して祈った瞬間、小指にしていたルルドの指輪が砕けた。

 魔法力の回復回数が限界に達したらしい。


 指輪はまだまだあるから、それは問題ない。

 問題なのは……


「何かあった? 凄い剣幕だけど」


 やっぱり気付いてなかったのか。

 って事は――――案の定、スライムバハムートらしき半透明なドラゴンが、さっきと変わらず木のてっぺんにへばりついて上空を眺めている。


 まさか部下がいたのか?

 いや、そんな事はないだろう。

 なら最初のポジレアで感知できない筈がない。


「スライムバハムートに襲われた。急に地面から粘液が湧いて来て、全員の足を取られた」


「……それで、シーラだけ逃げてきたんだ」


「ああ。このままじゃみんながスライムに飲まれちまう。かといって、エルテの魔法も全く通用しなかったし、どうすれば……」


 DGバズーカで威力を増幅したシャリオの魔法、もしくは天使特有の攻撃に賭けるしかないか?

 スライムバハムートにダメージを与えられれば、あの地面の粘液も一旦引っ込んで、スライムバハムートを守りに向かうかもしれないし。


「多分、尻尾」


「……え?」


「ここからは見えないけど、尻尾を地面に潜らせて、みんなの足下まで伸ばして広げたんだと思う」


 部下じゃなく、スライムバハムートの身体の一部に攻撃されたって訳か。

 余りにも攻撃範囲が広過ぎる。

 その上、完璧な不意打ちが可能……初見殺しにも程がある。


 なら尚更、本来への攻撃が有効だ。

 ダメージさえ与えられれば、尻尾もきっと縮こまるだろう。


 問題はその方法だけど――――


「多分、私の攻撃も通じない」


「……マジで?」


「サラマンダーが吸収されたのなら、あらゆる攻撃を吸収するタイプのイーターだと思う」


 確かに、超強力魔法すらアッサリ吸収したくらいだしな……

 シャリオでもダメなら、もう打つ手はないのか?


 いや、諦めるのはまだ早い。


「……」


 事前に用意して、俺も携帯している対イーター用の武器を頭の中で並べてみる。

 防御破壊用の【ヴァントフェアの槍】は、現状では役に立たない。

 敵から受けた攻撃を倍返しする【レフレクの矢】も無意味だ。


 残るは――――


 必ず1ダメージを与える【アウラの針】。

 嗅覚を刺激する【ドゥーグリアの実】。


 ……これだ!


「シャリオ。森の中へ下りて、みんなを奴の本体まで誘導してくれ」


「足を粘液で取られて動けないんじゃないの?」


「それを今から解除させる。俺を信じてくれ」


 正直、根拠は乏しい。

 でも勝算はある。

 それに賭けよう。


「了解。リーダーに従う」

 

 その返事を聞いた瞬間、俺はもう一度刹那移動を使い――――スライムバハムートの本体に向かって転移を試みた。


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