8-19
水流から送られてくるSIGNの文面は、要点を掻い摘んで出来るだけ長くしないよう心掛けた、優等生的な内容だった。
水流は長女として生まれ、両親は勿論、良家の祖父母や近所の住民、おじやおばからも可愛いがられていた。
豊かな愛情によって育まれた幼少期はとても賑やかで、毎日誰かしらが家を訪れ、沢山話をしていたという。
水流は、それがとても苦痛だった。
まだ幼い時期の彼女に、そういう気持ちが芽生えた理由はわからない。
何かきっかけがあったのか、それともなかったのか。
ただ、確実に感覚として残っているのは、家が騒がしくなるにつれ苦痛が増していた事だという。
その事を両親に話したかと聞いたら、少し間を置いて『話していないと思う』と答えた。
俺もそうだけど、3~6歳の頃の記憶なんて殆ど残っていない。
初めて自分で買った弁当の種類とか、ノートの表紙とか、そういうのは妙に覚えているんだけど、他はないに等しい。
水流だって同じだろう。
だから、その答えは意外でもなんでもない。
ただ、そういう曖昧な記憶の中に『わざと声を出さなかった』って実感が残っているのは、かなり意味深だなと感じた。
きっと鮮烈に、自分のやるべき行動として自覚したからこそだろう。
もしかしたら、とてつもなく早く訪れた反抗期だったのかもしれない。
自分に過剰なくらい構ってくる周囲に対し、水流は煩わしさを抱き、どうすればそれがなくなるか幼児なりに考えた末、黙る選択をした。
黙っていれば、向こうだって反応に困り、やがて話かけなくなる。
如何にも子供らしい、幼稚で有効な対抗策だった。
程なくして、水流家には人が集まらなくなった。
それでも水流は、声を出さずにいた。
引っ込みが付かなくなったんだ。
当初は、水流が機嫌を悪くして話さなくなったと正しい解釈をしていた大人達も、次第に別の可能性を考慮するようになった。
病院にも連れて行かれた。
大事になってしまい、子供ながらに気まずく思ったんだろう。
声を出すきっかけを完全に見失った水流は、その後約3年の間ずっと、無声の日々を過ごした。
憶測だけど、声を出す事に恐怖を抱いていたに違いない。
結局、小学生になって学校でクラスメイトに話しかけられ、長い沈黙の時間はあっさりと終わった。
両親は泣いて喜んだが、水流の中には罪悪感が残った。
それからは特に何事もなく、ごく普通の過程を辿って中学生になり、声が出さなかった時期についても昔の話と割り切れるようになっていた――――筈だった。
『もう大丈夫だって思いたかったから、エルテプリムってキャラを作った』
敢えて傷口に触れて、もう腫れてない、痛くも痒くもない、そう確認したかったんだろう。
その気持ちはわかる。
『最初は怖かったけど、大丈夫だった』『ずっと平気だったんだよ』『でも今日、急に怖くなった』『またあの頃みたいになるとかじゃなくて』『よくわからないけどすごく不安になった』
ずっと淡々と長文を送っていた水流が、急に短文を連投し始めた。
それが感情の吐露なのは明らかだったけど、文章自体はずっと硬いままだった。
……これで力になれてるんだろうか?
不安を口に出すのは良い事だって、昔アヤメ姉さんは言っていた。
でも、不安を文章にして送るのは、果たして良い事なんだろうか。
寧ろ、自分の不安を客観してしまって、余計落ち込んでしまうんじゃないだろうか。
俺に気を遣って送る事が、却って負担になってるんじゃないのか?
だったら――――
『週末、会って話さない?』
声を出して、声を聞いて、水流の心を知る方が良い。
その方が、力になれるかもしれない。
なんとなく、そう思った。
『それはデート?』
……またこの子はもう。
俺が会いたくて誘う訳だから、答えは決まってる。
『デート』
前に交わした約束を果たす時だ。
『どこか遊びに行こうよ』
生まれて初めて、女の子を遊びに誘った。
いや……男を誘った事もないな。
来未すらないんじゃないだろうか。
『行く』
返答は早かった。
これで断られてたら俺、多分明日は学校休むレベルで落ち込んでたと思う。
『いつが良い? 土日のどっちか』
『日曜が良い』
日曜はキャライズカフェのオープン日だ。
これは多分……
『キャライズカフェに行こ』
やっぱりか。
そろそろわかって来たけど、水流は気を遣い過ぎる所がある。
最初に会った時に見せた震え癖といい、幼少期のエピソードといい、本心とか恐怖を声に出すのが好きじゃない、若しくは苦手なんだ。
なら尚更、会って話した方が良い。
これまでも、遊びながらだと少しずつ解れていたし、そういう付き合い方が一番理解し合えるんじゃないだろうか。
『わかった』『旅費は全額俺が出す』
『いいよそんなの』
『ダメ』『デートなら俺が出す』
ここは譲れないよな。
俺だって男だから。
今月分の小遣いはもう残ってないから、来月のを前借りするしかないかな……
『せんぱいが出したら、これからもずっとそうなるよ』『そしたら会いにくくなるじゃん』
うわ……マジかよ。
顔、熱。
まさか俺がこんな事言われるなんてなあ……
『じゃあ今回は特別』『次からは折半にしたり俺が奢ったり、ケースバイケースで』
まさか次の話まで出されるとは思いもしなかった。
心臓ヤバ。
『お金大丈夫?』
『全然大丈夫』『じゃなきゃ言わない』
ここはもう強がりで押し切ろう。
ここでヘタレてたらダメだ。
『わかった』『日曜、できるだけ早くそっちに行くね』
『了解』『それじゃ、そろそろ寝ようか』
『うん』『おやすみ』
『おやすみ』
……ふーーーっ。
あー緊張した!
あとテンション上がった!
デート誘っちゃったよ!
予約してたようなものだから、OKは貰えると思ってたけど、でも緊張した!
今が夜じゃなかったらバタバタ暴れたい気分だ。
……そんな浮ついた用件じゃないのはわかってるんだけどさ。
水流が抱えている漠然とした不安を、消してしまわなくちゃいけないんだから。
俺にそれが出来るのかはわからないけど……兎に角、会って話をしてみよう。
日曜は水流とデート。
これ、カレンダーに書いておいた方がいいよな。
カレンダー持ってないから、明日買いに行こう。
……俺今日寝れるのかな。
6月27日(木) 09:16
案の定、一睡も出来ませんでした。
授業の声も遠くに聞こえる。
今日はもう全く勉強に身が入らない。
何しろ一晩中目が冴えてたから、考える時間は沢山あった。
そこであらためて思ったのは――――
俺達のラボ、モラトリアムに関してだ。
俺、水流、終夜、朱宮さん。
全員が何かしら精神面のトラブルを抱えている。
これは偶然だろうか?
俺は表情が作れない。
表情筋が強ばっているとかじゃなく、全く動いていない。
自分では動かしているつもりなのに。
水流は幼少期、声を出さずにいた。
今は普通に出せているけど、その時の自分を今も引きずっているみたいだ。
本音や弱い部分を声にできず、震えなどの形で出してしまうところがある。
終夜は自分と同じ趣味の人じゃないと会話がまともに出来ない。
それに、父親との関係にも問題を抱えている。
もし父親の裏切りによってワルキューレ内で孤立していたら、割と対人関係ボロボロかもしれない。
朱宮さんは売れっ子声優だけど、強烈な逃避癖があるらしい。
プレッシャーに弱い訳はないんだろうけど、一度崩れたら粉々になってしまうタイプだ。
あと、ロリババア趣味が設定じゃないとしたら、まあまあ病んでる気がしないでもない……いや、これは失礼か。人の趣味はそれぞれだもんな。
何にしても、割とハッキリとした問題を抱えている四人だ。
そんな四人が集まって、同じゲームでチームを作るなんて……偶然であり得るだろうか?
単に心に闇を抱えているだけなら、そんなの誰だって大なり小なりはある事だけど、俺達の場合は全員症状が表に出ている。
でもなあ……必然だとしたら、どういう経緯で、どんな意図でそうなったんだって話だよな。
仮に、俺以外の誰かが運営の支持で『こいつらと組め』ってリストか何か渡されていたとしても、それをする理由が全くわからない。
もし今後、終夜父と話をする機会があったら、聞いてみるのも良いかもしれない。
バイトって訳でもないのにテストプレイをやってるんだから、それくらいの質問は良いだろう。
……にしても。
デートかあー。
まだ三日後だけど、何か昨夜からずーっと薄く緊張してる。
心が全く休まらない。
失敗しないようにしないとな。
俺が年上なんだから尚更だ。
来未と出かけるのとは訳が違うんだから。
……一回あいつに頼んで疑似デートした方が良いかな。
年も同じだし、何か見えてくるかもしれない。
シミュレーションってやつだな。
ゲームの恋愛シミュレーションは現実には一切役に立たないからな。
やっぱり実際に経験しないとわからない事だらけだし……来未にバカにされたり呆れられたりするのは癪だけど、ここは我慢して――――
「Your girlfriend will be glad to see you when she ( ) home. ここのカッコに入る単語を言ってみろ。えー……春秋」
「visits yourでどうでしょう」
「ん……一文字を想定してたんだが、まあ良いだろう。ちなみにcomesなら『自宅に帰って来た時』になるから更に自然な文章で……」
「そこはvisits yourでお願いします」
我慢してでもお願いする価値はありそうだ。
でも、もうすぐキャライズカフェがオープンするんだよな……浮かれてる訳にはいかないよな……どうしよっかな……
なんて悩んでいた昼休み。
rain君から完成原稿が届いた。
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