8-18
『自分が一番嫌だった事とまた向き合うのは怖い』
普段のエルテとは違う、率直な言葉。
それは疑うまでもなく、彼女の本心そのものだ。
瞬間的に声を出すんじゃなく、一度筆記した上で意見を伝える性質上、エルテは常に感情論から一歩引いたところで会話をしている。
自分の言葉を客観視できる間がある。
だから失言は殆どないし、吟味した言葉で思いを伝えられるメリットがある。
でもその反面、常に客観性を伴う彼女の言葉は、時に感情がこもっていないようにも思える。
相手の反応を気にして、無難な言葉選びをしている時だってあるだろう。
もしかしたら、それが大半かもしれない。
そういう意味では今、エルテの生の言葉を初めて伝えられた気がした。
「心当たりはある? 一番嫌だった記憶」
その問い掛けに、エルテは力なく首を縦に振る。
なんとなく、割り切れていないような顔で。
エルテは口封じの呪いを受けた事で、声を出せなくなった。
でもエルテは、声を出せない事に引け目を感じている素振りは一切見せていない。
恐らく、呪いを受けた時の事はトラウマにはなっていないだろう。
それよりも――――声を出せない事で周囲からどう思われていたかが気になる。
実証実験士として高いレベルにいる彼女だけど、当時はどうだったのか。
もし、その事が原因で見限られていたとしたら……
『でも、やるしかないとエルテは力強く記すわ』
その言葉は、いつも通りのエルテ。
自分の意思を丁寧に言語化して、客観性を伴って伝える言葉だった。
俺は……
……
――――
――――――――
――――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――
「……」
俺は、その事が妙に痛ましく思えた。
これはゲームだ。
ゲームを盛り上げる為の、プレイヤーキャラ同士の会話だ。
予め用意されたイベントシーンの会話じゃないけど、お互いがそれぞれのキャラになりきって、これから起こる出来事に対し気分を高揚させる、ある種の演技だ。
役になり切る。
それはrole-playingの本来の意味であり、古来から伝わるゲームの楽しみ方。
ゲームに興味のない他人が見たら、さぞかし滑稽に映るだろうけど、これがゲームの醍醐味の一つでもある。
勿論、ゲーム内で操作するキャラと自分をシンクロさせる義務はない。
自分とは明確に違うキャラクターを形成し、設定した行動理念と性格に従って動かすのも、一つの楽しみ方だ。
必ずしも思い入れを持つ必要はない。
俺は、家庭用ゲームに対してもキャラに入り込むタイプのプレイスタイルだ。
より浸透性の強いオンラインゲームの自己カスタマイズキャラなら、尚更そうなる。
なら、水流は?
『現実とゲームは違いますから』とは言っていたけど、それが自分とゲーム内キャラを切り離している証拠にはならない。
もし、俺と同じキャラに入り込むスタイルだとしたら……エルテの口調が変わったあの時、水流は何を思ったんだろう。
何か、嫌な記憶が蘇ったりしたんじゃないだろうか。
俺は正直、生きて来た中で一番嫌な思い出と言われても、余りピンとは来ない。
母さんを新しい母親として紹介された時には、幼心に明確な拒絶反応が芽生えたのは覚えているけど、それが嫌な思い出とは思わない。
表情が作れない事で、陰ではどう言われていたのかわからないけど、少なくとも目の前で馬鹿にされた記憶はないし……やっぱりパッとは出て来ない。
水流は大丈夫なんだろうか。
楽しむ為にゲームをやってて、トラウマスイッチをONにしてしまうなんて、とんでもない貰い事故だ。
画面上では、幻覚が生じるエリアに入った途端にイベントシーンに突入し、エルテが過去のトラウマと向き合う事になった。
当然それはゲーム内の事であって、プレイヤーには関係ない。
でも、キャラへの思い入れが深ければ深いほど、そのキャラが体験した事を自分に置き換えてしまうのもまた、よくある事だ。
その後、無事エルテは幻覚を克服し、それに触発されたシャリオもどうにか嫌な記憶と向き合う事が出来た。
天使だった彼女は飛ぶ事が出来るから、空中からイーターの探索も行える。
森林だから、小型のイーターまで把握するのは不可能だけど、大型のイーターの生息エリアは彼女によって特定出来た。
ただし、スライムドラゴンが何処にいるかまではわからなかった。
どうやら木々を上回る巨躯って訳じゃないらしい。
スライムだから、普段は液体化して地面にペッタリ張り付いているのかもしれない。
そんなこんなで、後半はダイジェスト気味に消化され、下見エピソードは無事終了。
いよいよイーター狩りが始まる。
スライムドラゴン討伐はこのゲームにおける重要な戦いになるから、あらためてオーダーという形で発注され、それを受けるとシナリオが進むみたいだ。
ゲリラクエストみたいな感じになるかと思ったけど、単純にラボ【モラトリアム】として受けるオーダーという形。
まあ、他のキャラがみんなNPCなのは間違いないからな。
既に正午を回っているし、流石にこれからイベントバトルってのは無理がある。
他の三人に確認を取って――――
「今日はここまでにしようか」
最初にLチャットで意思表示してきたのは朱宮さんだった。
なら俺も……
「私も賛成です」
『同じと記すわ』
……最後かよ。
みんなリアクション早いな。
「俺も同意見。で、いつにする?」
「ごめん、僕は明日は都合が悪いんだ。明後日ならまとまった時間がとれる」
「私は今日くらいの時間ならいつでも大丈夫です」
朱宮さんと終夜は明後日ならいけるって感じか。
俺も特に問題はない。
4日後……日付変わったから3日後だけど、週末にキャライズカフェがオープンするけど、それまでに出来る事と言えば、rain君に頼んである漫画をアップロードするくらいで、会沢社長のプロジェクトに一枚噛むのはまだ先の話だからな。
「俺も明後日で問題ない。エルテは?」
最後に残ったエルテに話を振ってみる。
水流も多分大丈夫だろう――――
『少し時間が欲しいかも。明日返事させて欲しいと、エルテは記すわ』
……一瞬、妙な緊張を覚えた。
やっぱり、さっき精神的なダメージを受けたんだろうか。
「全然構わないよ。都合が悪いようなら、明日あらためて日程を組もう」
「私も大丈夫ですよ。大事な戦いですから、万全を期して望みましょう」
朱宮さんと終夜の優しい返事に、俺も追随しなければ……そう思いつつも、手が動かない。
水流は……もしかしたら、ここでアカデミック・ファンタジアをやめてしまうかもしれない。
何故かわからないけど、そんな深刻な受け止め方をしてしまっている自分がいる。
「俺も大丈夫」
結局、そんな短い言葉しか返せなかった。
口の中が妙に渇いている。
まるで自分の身体じゃないみたいだ。
ログアウトしてからも、平常心に戻る気配がない。
なんだろう、この感覚は。
自分の心なのに、自分で制御できない――――
……っと。
SIGNの通知音か。
三人の内の誰かだろうけど、多分……
『先輩、ちょっといい?』
やっぱり水流か。
俺が素っ気ない返事だったのを気にしたのかもしれない。
いや……
『いいよ。でもその前に、今日はお疲れ』
『あ。うん。お疲れ様でした』
多分違う。
だから、気持ちを落ち着かせる。
俺自身の。
深呼吸。
意識してやるのなんていつ振りだろう。
……よし、少し冷静になった。
『前に、何かあったら先輩にまず相談するって言ったの覚えてる?』
『もちろん』
初めてのオフ会で八王子に行った時だ。
忘れる訳ない。
『だから、相談したいんだけど』
確かあの時は――――得体の知れない裏アカデミからは撤退した方が良いって、俺の方から水流に助言したんだった。
あの時は継続を選択したけど……今は?
もう深い時間だ。
長い話になるかもしれないし、中学生の水流をこれ以上夜更かしさせるのは先輩として良くないだろう。
でも――――
『いいよ、聞く』『どした?』
このままじゃ寝付きが悪くなる一方だ。
多分水流も、俺も。
『ありがと』『あ』『そんな深刻な話じゃないから』
……取り敢えず、そういう事らしい。
懸念してたアカデミをやめるって話じゃなさそうだ。
でも、緊張は解けない。
この妙な予感が正しければ、多分水流は……
『嫌なこと思い出して、キツい』
やっぱりか。
エルテとしての体験を通して、自分の過去を引きずり出されてしまった。
途中で素の水流が見えた時からずっと、そんな気がしていた。
『過去にあった一番嫌な事?』
『そう』『まだ子供の時の話なんだけど』『私、声出せない時期があったんだ』
……え?
『幼稚園の途中から、小学生にあがってすぐまでの間』『短い期間だったけど』
短い――――とは言い切れない。
幼稚園にいつ頃から通い始めたかはわからないけど、多分3歳か4歳。
つまり、3年くらいって事になる。
『病院では診てもらった?』
『うん』『でも異常はなかったって』
異常なし……って言葉は、取り方が難しい。
発声機能に異常がない、脳に異常がない、精神的に異常がない……どれを指しているのかで話が全く違ってくる。
似た病状を持っているし、『ゲーム好き以外と上手く会話できない』という終夜についてアヤメ姉さんと頻繁に話してるから、声の出ない症状について多少は知識がある。
3歳程度の子供の場合は、言葉の発声だけが極端に遅れるケースも少なからずあって、その場合は特に大きな異常はなく、自然と遅れを取り戻す事も多いそうだ。
でも中には、コミュニケーション能力や脳の発達の遅れ、脳の機能障害、劣悪な家庭環境などが原因で深刻な言語障害を持つ子供もいる。
ある程度、病名も知ってはいる。
でもそんな聞きかじりの知識で、生々しい病名を水流に誇示する必要は何処にもない。
それに、今の水流を見る限り、機能障害や両親の虐待・ネグレクト等は除外して良いだろう。
だとしたら理由は……
『その頃の記憶はハッキリしないけど』『多分私、わざと声を出してなかったと思う』
幼少期の水流の心の中にあった。
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