8-17
――――不思議な光景だった。
それは"異様"とも"異形"とも言い換える事が出来たかもしれないけど、少なくとも無気味って訳じゃなかった。
翼が生えている。
宙を舞うシャリオの背中に、巨大な翼が。
ただ、絵本の中にあるような、白くて神々しい天使の翼とは程遠い。
まるで夕焼けの空が染み込んだような、オレンジ色の――――花簾のような翼だ。
「ようやく戻れた」
満足そうな顔には到底見えない。
でもシャリオの言葉は確かな安堵感を含んでいる。
彼女にとって、この身体の変化は大きなステップだったんだろう。
正直、事態がまだ呑み込めていない。
わかっているのは、このディルセラムに来た事でシャリオの『足枷』が外れた事。
とはいえ、足枷が何の意味を指しているのか、そもそも彼女は何者なのか――――それはまるで理解出来ない。
翼が生えているんだから天使、そう断定出来るような神々しさはない。
一方で、血を連想させるほど真っ赤でもない。
どう解釈すればいいのか……
「……」
シャリオがゆっくりと地上に降りてくる。
垂れ下がった翼の先端はそれに伴い、まるで長く伸ばした髪のように地面へと着いた。
「行こっか」
「いやいやいや……」
何しれっと説明なしに行こうとしてるんだよ、この人は。
いやもう人とも断定出来ないけど。
「無口だからって何もかも省略して良い訳じゃないよ? 一体何者なのかちゃんと話して」
「シーラ、冷静だね」
「思いっきり取り乱してるよ……大声で叫ぶ一歩手前ぐらいには」
もしこの異常な変化が、もう少し悪魔寄りの姿だったら、素直に叫んでいただろう。
言っちゃ悪いが、中途半端だから反応がし辛い。
まして、元々超然とした所があったシャリオだし。
「私は、この世界の実証実験士じゃない」
「それは俺も同じだから、もうちょっと具体的にお願い」
「んー……【九幹】ってわかるかな」
なんかどっかで聞いたような……
『我の名はアスガルド。世界樹を預かりし【九幹】たる盟主が一人である』
……ああ、いたなそんな奴。
最近色々あって、すっかり存在忘れてた。
刹那移動で妙な空間に迷い込んだ時に会った、イケメン盟主。
ほぼ神様みたいな存在だ。
「え、もしかして九幹の一人? でもあれって確か、一つの世界に一人の筈じゃ」
「知ってるんだ。凄いね。あ、私は九幹じゃない。多分、シーラが知ってる九幹はアスガルドだと思うけど、私は違う九幹……違う世界の創造主の使いの者。一応、役職は【熾天使】って言うんだけど」
「あ、やっぱり天使は天使なんだ」
翼生えてて天使じゃないってのも妙だしな。
「本来はこの世界の住民じゃないから、熾天使としての力は特定の場所以外では出せない。そこを突かれて足枷を付けられた所為で、帰れなくなってた」
足枷ってのは、彼女をこの世界に縛り付ける為のものなのか。
まあ、実際に足枷をはめられていた様子はなかったしな。
「……」
「……」
「……」
「いや、説明終わりみたいな顔してるけど、全然足りてないからな? まず力を失った後にどうして人間のフリして実証実験士になったのかを説明してくれないと……」
この子、説明というか段取りそのものが下手だな。
あんまり会話自体をした事がないのかもしれない。
「本来の世界に帰れなくなったから、足枷を外したかった」
「成程。足枷を外す何らかのアイテムなり魔法なりを手に入れる為、実証実験士になったのか」
「それ」
いやもう半分通訳みたいになってるけど……まあ良いか。
「一度試しにここに来て、熾天使の力で足枷を外そうとしてみたけどダメだったから」
「この島だと、天使の力が開放できるって事?」
「そう。ここは天国に一番近い島だから」
天国――――それが彼女の住む世界の名前。
天国って、この世界じゃ死後の楽園みたいな意味で使われてるけど、どうやら異世界の名称らしい。
「それで、足枷を外す為にイーターロウを思い付いた訳か」
「普通に防御力を下げる魔法を使っても、足枷には効果なかったから。『結界のペナルティ』って形にして、ようやく上手く行った」
正攻法じゃダメって意味では、イーター退治と同じ。
奇しくもそこが一致したから、アイリスと行動理念が重なったんだな。
「これで理解して貰えた?」
「ああ。よくわかった。でもまだ、別世界の天使のシャリオがどうしてこの世界に来たのかはわからない」
正直、これは答えては貰えないだろう。
かなり重大な任務とか背負ってそうだしな……
「この世界の異常について調べる為だけど」
「……あ、答えてくれるんだ」
しかも凄く普通というか、真っ当な理由。
折り重なっていながら、完全に同化しきれていないこの状況を、他の世界の創造主――――九幹の命で探りにきた訳か。
「アスガルドは生意気で鼻につくから、弱味握って罵倒したいってエイル様は言ってた」
「へー」
正直、神々のそういうせせこましい争いは聞きたくないかな……
ウチの自称女神が聞いたら飛びつきそうな話だけど。
「そういえば、エルテも人間じゃないんだね。今わかった」
「あー……そうそう。世界樹の支配者だったっけ」
普通に人間として接しているから、ウッカリ忘れそうになるんだよな。
実際には世界樹の管理者ってポジションだった。
ウチの隊には人外が二人いる訳か。
まあ、戦力になるなら人だろうと天使だろうと何でも良いけど――――
「ちょっと待って。シャリオ、まさか今から天国に帰るつもりじゃ……ないよな?」
「一応帰れるようにはなったから、帰ろうと思えば帰れるけど」
……そう言うって事は、帰る気はないのか。
でも、どうしてだ?
天国に帰る為に奔走してきた訳だよな……
「さっき言った事、全部本当だから」
「……?」
目の前で起こった事が凄まじ過ぎて、『さっき言った事』が何を指すのか一瞬わからなかった。
『みんなが好きだから』
だから、ふと頭にその言葉が浮かんだのは、自分にとっても驚きだった。
意識せずとも思い出したのは、意識にこびり付いていたからだ。
それくらい、印象深い……というか、嬉しい一言だったんだろうな。
「ここで戦うなら、天使の力が使える。みんなを助けられると思う」
「それは心強いけど……どれくらいの強さなんだ?」
「過剰な期待は禁物。この世界のイーターは異常進化してるから、私でも簡単には倒せない」
……苦労すれば倒せる、とも取れる言い回し。
頼り切りって訳にはいかないまでも、主戦力にはなってくれそうだ。
「了解。だけど、より正しく戦力を分析したいから、この状態での攻撃や防御を一通り見せて貰えると有り難いかな」
「それは構わないけど、その前に克服しないといけない事があるから」
……あ、そうだ。
天使になったからって、精神面まで強化されている訳じゃないんだろう。
しかも、ナイトメアによる精神力低下もそのままだろうし、まだこの島で彼女が戦力になれる保証はない訳か。
とはいえ、今のシャリオは本来の力を取り戻して精神が昂ぶっていると見た。
説明不足が目立つとはいえ、彼女にしては口数多いし。
これならきっと、トラウマも克服してくれる筈だ――――
『で、ダメだったと報告されたエルテは頭の整理をする時間を頂戴としんみり記すわ』
「何故しんみり記す。仕方ないだろ、誰だって過去の嫌な出来事は思い返すのも嫌なんだよ」
エルテに事情を説明する最中、見違える姿になってパワーアップしたシャリオは、沿岸部で膝を抱えてプルプル震えていた。
基本は表情を変えない子なんだけど、今は泣きそうな顔になっているのが一目でわかる。
『思い出したのは、足枷ってのをはめられた時なのとエルテは質問を記すわ』
「いや、それが全然違ったみたいで……一番良好な関係だった部下が『私もアンタの上司の下で働きたかったなー』って友達と喋ってるのを立ち聞きした場面だったらしい」
『それはキツイとエルテはゲッソリ記すわ』
なんでも、熾天使って役職は天使のトップに位置しているらしい。
彼女は史上3位の若さでその地位を得たとか。
でもその分、年上の部下が大勢いてやりにくかった上、数少ない年下の部下でしかも慕われているとばかり思っていた子からあんな事言われたんで、完全に心が折れたらしい。
その後も立ち直れないまま生ける屍状態で仕事を続けていたのを見かねたエイル様が、気分転換も兼ねてこの世界に派遣したとの事。
何を考えているのかわからない子だったけど、思いの他辛い過去を引きずっていたんだな。
あのオレンジ色の翼が垂れ下がっているのは、彼女の心の反映かもしれない。
「今のシャリオを戦力外にする訳にはいかないし、エルテが見本になって勇気付けてやってよ。私に出来るんだから貴女にも出来る、みたいな」
『それはメンタル弱ってる子にやると当てつけにしかならないと、エルテは冷静に記すわ』
「う……それもそうか」
余計に惨めな気分にさせるだけだな。
確かに悪い手だった。
『そうは書いても、このままじっとしていても仕方ないから、先に私が幻覚に挑んでくると力強く記すわ』
「ああ。俺はその間、シャリオを慰めておく」
『慰めなくてもよくない?』
……だから急に素になるなよ、ビックリするだろ。
『途中まで一緒に来て貰わないと、どこから幻覚エリアなのかわからないと、エルテは冷静かつ端的に正論を』
「わかったわかった、行くから」
『まだ書き終わってないってエルテは憤慨を記すわ』
何故か怒るエルテを宥めながら、さっきまでいた幻覚エリアの境界線上まで速やかに移動する事にした。
勿論徒歩で。
流石にこんな近距離で刹那移動は使えない。
さて……
「世界の支配者、天使、一国の王女とその影武者か。ムチャクチャな部隊になってきたな」
エルテが相手だと、会話にいちいち気を使おうとはならない。
思った事をそのまま口に出す、これで良い。
付き合いも大分長くなってきたしな。
『……』
「いや、沈黙をいちいち書かなくていいけど。何なの」
そう思っていたのは、俺だけだったのかもしれない。
エルテは暫く何も書かないまま歩き、俺より大分先に進んだ時点で――――
『エルテは素直に記すわ』
今度こそ本当に、冷静かつ端的に本心を記した。
『怖い』
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