第08章 Over the Game

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 一度軌道に乗ったシリーズは、時にとてつもない爆発を生み出す事がある。


 普通、シリーズ作はリリースを重ねる毎にマンネリ化したり、他の人気作にシェアを奪われてジリ貧になっていく筈なのに、逆にプレイ人口を大幅に増やす作品が唐突に生まれたりする。

 ハードの普及と上手く噛み合ったり、時勢が味方してくれたり、その理由は様々。

 今は海外ユーザーも多いし、ネット環境があればパソコンで手軽に購入・プレイできるプラットフォームが充実しているから、一度流行ると火が点きやすいのもあるのだろう。


 そういう理由があるのはわかる。

 理屈の上では十分に起こり得る現象なのも。


 しかし、それはきっと不健全なのだろう。

 ますます新規のヒット作が出にくい市場になってきている。

 このままでは、先人の貯金を食い散らかすだけの穀潰しになってしまう。


 実際、家庭用ゲームもMMORPGも、すっかり新規ヒットが出なくなって久しい。

 スマッシュヒットはそれなりにあるし、口コミで好評が広がってロングセラーになった立派な作品もあるから、完全に土壌が腐った訳ではないが、そうなる日も遠くないと懸念してしまうくらいには良くない状況だ。


 あれだけ隆盛を極め、市場を拡大し続けているソシャゲであっても例外ではない。

 登録者数○○○○万、ダウンロード数○○○○万などの派手な数字が飛び交うヒット作の多くは、人気アニメを原作としたゲームや家庭用ゲームのスマホ版、或いは海外でヒットし日本上陸した世界規模のゲーム。

 そしてこのジャンルは一度ヒットしたゲームが5年、10年と続いていく性質上、どうしても定番作品が上位を独占してしまう。


 新しい風が吹かなくなっている。

 ならばゲーム業界は、ゲームを愛する者は、どこへ向かえば良いのだろうか。

 

 昔は良かったと声高に言うのは、最早老害の戯言でしかない。

 確かに家庭用ゲーム、オンラインゲーム、ソーシャルゲームそれぞれの黎明期には多くの野心が集まり、幾つも大きな花火を打ち上げ、壮観な景色を作り出してきた。

 だがもう、ゲーム業界に残された弾は少ない。


 VRが伸び悩んだのは痛手だっただろう。

 新たなシャングリラをここに見出そうとした開拓者は多かった。

 しかし最早、VRという技術はゲームでは持て余し気味で、違う分野に広がりを見せ始めている。


 けれど、私はこれを絶望とは思わない。

 そういう時代が来たのだ。

 ゲームを娯楽のまま、現実を忘れ違う世界に浸れる、楽しいだけのツールに出来る時代は終わったのだ。


 今のこの世界には、ゲーム以外の娯楽が溢れている。

 ただ呆然とタイムラインを眺め、動画を眺め、炎上騒動を眺めるだけで時間は楽しく過ぎていく。

 この時代の娯楽は『考える必要なく楽しめるもの』であり、それが正義だ。


 正義の定義を変えてはいけない。

 今を生きる子供達の選択を否定してはいけない。

 これまでも、これからも、その時代その時代の子供達が娯楽の何たるかを決めていくのだから。


 ならば二択だ。

 ゲームはどうなるべきか。


 現代の娯楽の定義に合わせ、考えずに楽しめるものを量産していくか。

 娯楽の定義から外れ、別のものになっていくか。


 ゲーム業界のメインストリームは、前者の方向に舵を取った。

 それももう何年も前の話で、既に方向転換は不可能。

 このまま座礁しない事を祈りながら進むしかない。


 だから、私は本流でなくて一向に構わないし、既にその準備は進んでいる。

 私が今取り組んでいるのは、娯楽である事から離れたゲーム。


 将来に役立てる事を目標に作ったゲーム。

 楽しみながら、自分が何をやりたいか、何で生きていくかを見つけられる、そんなゲームだ。


 学校では教えられない、しかし人生で必ず役に立つゲーム。

 学生は勿論、既に学校を卒業し社会人になった世代でも、それからの人生を実りあるものに変える可能性を秘めたゲーム。


 不可能に近い。

 馬鹿馬鹿しい。

 思い上がりだ。


 私もそう思う。

 だから挑戦したい。

 挑戦する価値はあるし、意義のあるチャレンジに出来る自信もある。


 クリティックル。

 このブランド名をどうか安直だと笑わないで欲しい。

 負け惜しみだと一笑に付すのは勘弁願いたい。


 それは今の時代の娯楽だ。

 私が目指すのは、娯楽から外れたゲーム。


 過去でも未来でもなく、今の時代に相応しいゲームを用意したいと思う。





 ――――長。



 そのとてつもなく長い声明が発表されたのは、星野尾さんから終夜京四郎の名を聞いた日の夜の事だった。


 理想を抽象的に長々しく語る文章は、読んでいて気持ち悪くなる。

 自分に酔ってるというか……相手に向かって話してる気が全くしないから、無気味に思えて仕方ない。


 実際、この声明を合計15回の呟きでwhisperに投稿した終夜京四郎に対する反応は、『ヤバい人になっちゃった』『壊れた』といった反応ばかり。

 それが却って話題になって、トレンド入りを果たし、一晩の間で幾つものまとめサイトに纏められはしたけど……こういう悪目立ちが長持ちするとも思えない。

 総じて『やっちゃったな』という寒い空気が流れ、ゲーム業界の闇という結論が下った。


「……」


 でも俺は違った。


 実際に本人とやり取りをした事も少なからず影響しているとは思う。

 終夜父は決して壊れてはいない。

 そしてこの声明で訴えた事の少なくとも一部は真実だ。



 裏アカデミック・ファンタジアは、意趣返しだと思っていた。

 社長である自分の意向を汲まない会社に見切りを付け、その怨みを張らす為に『裏』を作ったのかもと。

 でも、どうやらそんな意識はあの人にはなさそうだ。


 シリーズものばかりが横行するゲーム業界へのアンチテーゼ。

 それを入り口にして、自分の世界へ引きずり込む。

 まるで異世界のゲートを日常の中に解き放ったような印象だ。


 クリティックルというブランド名は、きっとクリティカルとクリティックを合わせた造語だと思う。



 クリティカル(critical)――――ゲーム界隈では「会心の一撃」の意味で使われる言葉。


 クリティック(critic)――――『批評家』『批判者』といった意味の言葉。


 

 クリティックは、ゲームの批評家、若しくはネット上で批判するユーザー。

 そういう人達に会心の一撃を食らわすブランド……そんなところだろう、多分。



 でも、これらの要素は正直大して興味はない。

 俺がこの長い投稿に釘付けになったのは、この一文からだ。



『ゲームを娯楽のまま、現実を忘れ違う世界に浸れる、楽しいだけのツールに出来る時代は終わったのだ』



 まるで、俺の主張を全面否定するかのような言葉。

 勿論、俺一人に喧嘩を売ってる訳もなく、偶々俺の持論と彼の主張が正反対だったってだけの事だろうけど……


 まさかこんな形で、自分の思いを完全否定されるとは思わなかった。


 ゲームはもう娯楽としては通用しない。

 だから違う役割を担うべきだ。

 彼はそう言っている。


 そして、その準備を進めているとも書いている。

 言うまでもなくそれは裏アカデミの事。

 あのゲームは、ただ楽しむだけじゃなく、将来の役に立つようなゲームデザインを目指している訳だ。


 そういえば、思い当たる事が幾つかある。

 城内での職能適性テストなんかはまさにそれだ。

 そういう要素を散りばめているんだろう。


 終夜父は、プレイする事で将来の役に立つゲームを目指している。

 でもそれは、俺が思うゲームの定義からはかけ離れている。


 このゲームを続けるべきか否かの葛藤は、これまで何度かあった。

 その中でも今回は一番の葛藤だ。


 完全にターゲットから外れている俺が、果たしてプレイし続けてもいいんだろうか?

 

 そんな疑念が頭の中で渦巻いている最中――――





 6月26日(水) 07:30





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