6-2
6月15日(土)。
関東甲信地方に梅雨入り宣言が出されて早一週間。
今年は空梅雨だと盛んに気象予報士が訴えていたように、まとまった雨が降る事なく雨雲だけが思わせぶりに空を汚していた日々だった。
おかげでカフェの客足は鈍らなくて済んだけど、かといって伸びる筈もなく、いつも通りの静かな一週間だった。
でも、さすがにそう都合良く踏み留まれる訳がなく、本日は早朝から建物に穴でも開くんじゃないかってくらいのマシンガン豪雨に見舞われている。
こうなってしまうと、悲しいかな飲食業は手の打ちようがない。
まあ、一年間の間に降水日が何日くらいあるかなんて当然計算に入れてる訳で、雨が降ったからといって嘆く必要はどこにもないんだけど。
そもそも山梨は日本でも屈指の年間降水日数が少ない県。
日本海側に比べれば随分マシなんだから贅沢は言ってられない。
「深海、来未、今日はもうあがっていいぞ」
勿論、大雨だからといって店を閉める訳にはいかない。
でも、土砂降りの日に客が来る事はないから、俺達が手伝えるのはせいぜい掃除や食器の整理くらい。
それも午前中で終わった為、今の親父の言葉を待つまでもなく、この日は午後から完全な自由を得た。
「いよっしゃあー! 午後からはアニメ祭りだ! ヒャッハー!」
早々に昼食のあんかけチャーハン(余りの食材で母さんが料理)を食べ終わった来未は、録り溜めているアニメの消費に使うらしい。
それも有意義な時間の使い方だろう。
積んでいるゲームを遊ぶのと違って、1クール12~13話のアニメは比較的短時間で完走出来るし、こういう空いた時間の活用には丁度良い。
家庭用ゲームだと、そうはいかない。
勿論、既にプレイ中のゲームなら全く問題ない。
集中してプレイする事で、いつも以上の進捗が期待出来る。
でも、積んでいるゲームの消費となると話は別だ。
……家庭用ゲーム好きなら、一度くらいは経験があるだろう。
購入したは良いものの一度も遊ばずに眠らせているゲーム。
結構プレイしてはみたものの、何かのきっかけで中断し、それ以降なんとなく再開する気になれず放置しているゲーム。
そういう、半ば地縛霊と化しているゲームソフトを、ハードのすぐ傍に積んでいる経験が。
そしてそれは、家庭用ゲームだけの話じゃない。
オンラインゲームにも当てはまる。
評判だから遊んでみたものの、課金なしでは限界が来てしまい、かといって課金するのは抵抗がある……くらいの思い入れのスマホゲー。
当初はドキドキワクワクしながら進めていたものの、徐々に人間関係が自分の理想からかけ離れ、なんとなく特定の人物や全体的な空気感に嫌気が差し、ログインするのが億劫になったMMORPG。
普段は得られない、親戚から貰ったお小遣いのような降って湧いた自由時間だからこそ、普段は手を出せないこれらの負の遺産を清算したくなるものだ。
でも、これらにうっかり手を出してしまうと、通常時の余暇さえも盗み尽くす世紀の時間泥棒を生み出しかねない。
アニメのように4~5時間で見終われる訳じゃないんだ。
その十倍、下手したら二十倍以上の時間を持って行かれる。
楽しいゲームなら問題ない。
だが一度積んだり中断したりした時点で、そのゲームに対する情熱は失われているし、何よりそれほどハマらなかったからこそプレイが滞っている訳で、そこにお宝は眠っていない。
あるのは『購入したから』『一度始めたから』という自分自身に対する妙な義務感のみ。
俺も何度か、この罠に引っかかって無意味な時間を過ごした。
ミュージアムとプレノートの為にプレイしなければ……と自分を追い込んでしまい、良い所が見つからずネタにさえもならない中途半端なクソゲーをクリアしたりもした。
でも今は違う。
やるべき事が山積みだ。
今日一日を使って、出来るだけそれを消化していきたい。
まずは、あらためてrain先生との会話を試みたい。
出来れば朱宮さんも交えたいから、両者のスケジュールを抑えなければ。
恐らく夜になるだろう。
なら、午後は裏アカデミの攻略に費やすか?
でも一つ問題がある。
キリウス関連の事情で終夜が動き辛くなってるんだよな。
あいつはワルキューレに属していながら、そのワルキューレのアカデミック・ファンタジアを妙な形で発展させた裏アカデミをプレイしている。
幾ら代表が手引きしているゲームとはいえ、社員にバレたら糾弾されるのは目に見えてる。
不正ログインの件で社内の監視が厳しくなっている今、彼女が裏アカデミをプレイするのはリスクが大きい。
『すいません、今週末はゲームをお休みします』
……案の定、いつの間にか終夜からSIGNが届いていた。
事情は察してるから気にするな、と返しておこう。
水流とブロウにも伝えないとな。
となると、これからやるべき事は二つに絞られた。
キリウスに関する情報収集と、rain先生に関する情報収集だ。
今まで噂レベルだった事もあって敢えて避けてきたけど、ゲーム内でキリウスを名乗るキャラと絡んだ以上、そうも言っていられない。
過去にキリウスが起こした悪行の噂を仕入れよう。
rain先生に関しては、ハッキリ言ってゴマすりの為の材料集めだ。
上手く交渉すれば、公式ホームページのTOP絵くらい描いて貰えるかもしれない。
有名イラストレーターが描いたイラストがTOPやwhisperのアイコンを飾っていれば、注目度は一気に増すだろう。
その上でフォローして貰えば、十分な集客効果を得られる……と思えるほど現実は甘くないけどさ。
現実には店まで足を運んでくれる人は少ないだろう。
それでも、潰れるのを指を咥えて待つよりはマシだ。
通販ショップみたいにネット上でアクションを起こして貰える事で大きな効果が得られる職種なら良かったんだけどな。
……ネットか。
何か、ネット上で出来ないかな。
カフェそのものは無理でも、このカフェやミュージアムとネット民を繋ぐ何かが。
なんとなく、見えて来た気もするけど……ダメだ、これっていう具体的なビジョンは浮かばない。
この件は後回しにしよう。
「兄ーには何すんの? またオンゲ?」
「今日はリアルの方で情報集め」
「へ? 珍しいね、兄ーにがネットで攻略見るなんて。日和った?」
「いや、ちょっと別件でな……ほら、何日か前にお前にrainってイラストレーターについて聞いただろ? あの件。俺が今やってるゲームのキャラデザやってて、興味湧いたんだよ」
カフェの盛り上げで競っている以上、来未にrain先生と接点を持った事は話せない。
というか、話したら会わせろだのサイン貰ってだの鬱陶しい絡まれ方するだろうしな。
「あ、もしかしてウチの宣伝をお願いするつもりとか? 無理だってば、幾らお金出しても。こんな田舎のカフェの為に絵なんて描いてくれないよ」
「来未……経営者の前でそんな悲しい事言うなよ……」
親父がガチで凹んでしまった。
でも来未の発言は正しい。
実際、何度か試した事があったんだよな。
ゲームカフェを経営するにあたって、親父は親父なりにアピール材料を模索していた。
どこでもいいから、人気ゲーム会社とコラボが出来ないかと模索し、交渉した事もあったらしい。
それが無理なら、せめてスタッフやクリエイターにカフェへと足を運んで貰い、色紙の一つでも貰えないかと。
でも、彼らだって暇じゃない。
都内や会社の近くなら兎も角、わざわざ数時間かけて移動してまでこのカフェに来る理由も義理もない。
当然のように交渉は不発に終わり、コラボは諦めた……とその昔愚痴ってた。
その古傷も痛んだんだろう。
「来未、俺を親父と一緒にするなよ。俺は親父ほど無謀じゃない」
「そうだね。兄ーにはお父さんほど無計画じゃないもんね」
「ああ。英語なんて全く出来ないのにカッコつけて日本語版の出てない洋ゲーに手を出してプレイ中にアヘ顔晒しながらそっと電源切るような命知らずじゃない」
「中二だよね……終わってるよね」
後ろで張本人がお前ら親の陰口を堂々と叩くなと憤怒しているけど、本人のいる前で陰口も何もない。
構うと面倒臭いから無視しておこう。
「兄ーにがどんな作戦を練ってるのか知らないけど、本当にrain先生が協力してくれたらって想像するのは素敵ですわぁ」
「何それ来週演じるキャラ?」
「んーん、気分。それより、来未達はスゴいよ。ねえ、聞きたい? 来未達が今どんな計画立ててるか知りたい?」
……これを話したいから、自分から話題を振ったのか。
敢えてスルーしてもメリットないしな……
「何か良いアイデアでも出たのか?」
「ふっふーん。聞いて驚け。星野尾ちゃんがテレビでウチの宣伝をしてくれる事になりました!」
な……
「何ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!?」
親父の声が鼓膜を鷲掴みしてきた。
や、やかましい……
「マジか我が娘よ! テレビって、それマジかよ!」
「ホントだよ。星野尾ちゃん芸能人だから、そういう事だって出来るのさーぁ」
なんと……
競争的にはかなり不利なんだけど、単純にこの家の子供兼従業員としては普通にありがたい。
テレビの影響力って今でもそれなりに大きいからな。
でも、凄いな星野尾さん。
オンラインゲームのスタッフをやってる時点で裏方に回ったと思ってたけど……まだまだ芸能人としての自分を諦めてないんだな。
そういう自分の道を諦めない姿勢は見習いたい。
「それで我が娘よ、どの放送局なんだ? ゲームカフェだから一般人が多く見る局より災害や大事件があっても平常運転の局の方が客層とマッチすると思うんだが」
「ケーブルテレビだよ」
「……けぇぶるてれび?」
「うん。北海道のどこかの町のケーブルテレビって言ってた。地元密着の放送局で、200人くらい見てるみたい」
遠いな!
いや、っていうか効果の有無以前にそこで山梨のカフェを宣伝するタレントとか普通に空気読めてないから!
「……」
さっきまで期待に打ち震えていた親父の顔が一瞬で真顔に……!
見習いたい、この表情の落差。
「千里の道も一歩から、だよ。ね、兄ーに」
「あ、ああ……」
何処で覚えたのか知らないけど、中々立派な事を言う。
でも来未、お前達が進もうとしている道の先に、多分このカフェの未来はないと思う。
さて、こんな事で時間食っても仕方ない。
自室に引きこもって調査しよう――――
「はーい、いらっしゃいませ」
……ん?
客か?
おいおい、こんな大雨の中客が来たのか。
雨の音で入り口のドアが開いた音すらわからなかった。
いや、でも母さんの勘違いって線もあるな。
こういう大雨の時や風が強い日は稀にドアを叩くような音が聞こえてくるんだよ、外から。
「深海ー。貴方にお客さんよー」
「え……?」
でも、どうやら違ったらしい。
客は客でも、俺に?
こんな豪雨の中?
「……」
「……」
妹と父が俺の方を訝しそうに見ている。
「俺が呼んだんじゃないよ?」
「でも、呼ばれないのに来る? こんな日に」
「いや知らんって。取り敢えず行ってくる」
何故か俺が鬼畜プレイで悪天候の中あえて呼び出したみたいになってるけど、当然そんな訳がない。
本当に誰だ?
まさか終夜が会社をクビになって、泣きながら俺に助けを求めに来たとか……いやいや、ないない。
でも、だったら一体誰が――――
「はい、これで頭を拭いて」
「ありがとうございます」
カウンターの方から声がする。
雨の音が大きいから、ハッキリとは聞こえない。
声だけで人物を特定するのは無理だった。
とはいえ、目と鼻の先。
その来訪者の顔を見るのに、時間はかからなかった。
ただ――――
「……?」
その顔に見覚えはなかった。
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