5-41
サ・ベルという世界は元々、世界樹を培養するために生まれた外郭であり内界でもあった。
例えるなら、胎児を育てる自然の揺りかご。
世界樹が自身の内部に一世界を構築できるだけの大きさと力を付ける為に存在する、母なる大地だ。
そこはあくまでも世界樹を育てる為の世界。
世界樹の内包する世界とは次元が異なる。
だから、世界樹が自身の一部を分割してサ・ベルに出した場合、分割された世界樹は定着するものの、お互いに干渉はしない。
また、分轄した世界樹は不完全な存在であり、それがまた一個の世界樹として中に世界を持つ事はない。
分離された世界樹として、成長はするものの異質の植物として存在し続けるのみ。
だから分轄という手段は有効だった。
しかし、世界樹は――――ミスをした。
それが膨大な試行回数によって生じるやむを得ない過誤なのか、世界樹自身に致命的なエラーが生じていたのか、世界樹内部の誰かが人為的に引き起こした"事件"だったのかは定かではない。
世界樹は、本来切り離すべきでないものを切り離してしまった。
内部世界の一部だ。
本来なら、内部世界を育む中で生まれていった余分なもの――――例えば人間の蓄積された悪意の塊や、己を滅ぼす事に繋がる独善的かつ行き過ぎた愛などが該当する。
栄え過ぎた文明が生み出した殺戮兵器などが顕著な例だ。
そういったレコードを、世界樹は丁寧に取り除き、自身の一部と共に外側へと廃棄していた。
それが分轄だ。
だが、世界樹は何故か、自身の育ててきた世界の一部を破棄してしまった。
大勢の人間、動植物、自然、幾つかの言語、歴史、文化――――そういったものを内包した世界樹の一部をサ・ベルへと放り投げてしまった。
サ・ベルは人間を育てない。
世界樹以外の自然も、何もかもを育てない。
育てないということは、時間を動かさないという事だ。
その日から、オリジナルの世界樹に捨てられてしまった一部の世界は、時を失った。
正確には相対的な時間経過を失ってしまった。
分轄された世界樹の中では確かに時間が流れているものの、それはあくまで内部だけであって、サ・ベルから観測したその世界はほぼ止まっている。
一方、内部世界の一部を欠損した形になったオリジナルの世界樹は、即座にその再生を始めた。
当然だ。
世界樹にとって内部世界は自身の一部であり、切り離された根や枝を再生するのと同じように、同じ世界を再構築しようとした。
だが、一度折れた枝が完全に同じ枝を伸ばす事はない。
傷付いた葉が同じ傷を付けて生え変わる事などあり得ない。
再構築された世界は、以前とは少し違う――――『本来ならこれくらいの文化水準になっているだろう』という予測を元に再構築され、以前より時が進んだ世界が作られた。
そして、ここからが問題だった。
同一の情報は、収束する。
オリジナルの世界樹内に再構築された世界は、分離されサ・ベルに破棄された世界樹内の世界と引かれ合った。
同じものが二つ存在してはならない。
統合されなければならない――――そんな法則があるらいい。
強力な力で引かれ合った二つの世界は、やがて世界樹という外郭を破り、そして――――サ・ベルで折り重なった。
本来なら、その時点で世界は崩壊する筈だった。
サ・ベルは、世界樹以外のものを存在させるようには出来ていないのだから。
だが結果として、二つの世界は折り重なったまま定着した。
理屈は一つしかない。
その二つの世界は、世界樹と同一である――――
とはいえ、この理屈は大きな矛盾がある。
世界樹内の世界が完全に世界樹と同一の存在であるならば、そもそも容量の限界以上に育つ筈がない。
それは生命の危機を意味するし、それを回避するのが生物の本能だ。
そもそも幾ら世界の生みの親とはいえ、親が子と同一個体である筈がない。
血は繋がっていても、別の存在だ。
世界樹内で生まれた人間も植物も石ころも、世界樹そのものではない。
だったら、何故サ・ベルに定着出来たのか?
その疑問について、研究者は未だ回答を得ていない――――
「……」
気付けば、眠れないまま一時間以上はベッドの上で目を瞑っていた。
日中に聞いたテイル……ステラの話は、常に御伽噺のような現実味のないものだったけど、それなりに説得力を有してもいた。
詳しい理屈はわからない。
わかったのは、オリジナルの世界樹がミスした結果、その世界樹の中と外に同じ世界が生まれてしまったって事だ。
ただし全く同じじゃない。
世界樹内に再構築されたのは、破棄してしまった世界から一定時間が経過したと想定して作られた世界。
でも、情報的には同一の世界だ。
その二つの世界が統合するために引かれ合った結果、どちらも世界樹を飛び出して、サ・ベルで折り重なった。
だが、二つの世界はサ・ベルとは存在する次元が異なる。
結果として、何故か定着はしたものの干渉することはなく、二つの世界は宙を漂うかのように不安定な状態で結合してしまった。
例えるなら、足場の不安定な橋の上で二人の人間が組体操するようなもの……だろうか。
まあ当然、上手くいきっこない。
二つの世界は中途半端な形で重なり、完全に統合出来ないままでいる。
ステラの説明を聞く限りでは、分離された側の世界が俺達が元いた世界――――つまり十年前のサ・ベルだ。
ただし厳密にはサ・ベルじゃなく、サ・ベルという空間に放り出された世界……か。
面倒だし十年前の世界(仮)としておくか。
十年前の世界(仮)と、現在の世界。
今は、その二つが隣接している状態に近いらしい。
その二つの世界に住む人間の大半は同一人物。
だから、世界間を移動すればどちらかの自分は消える。
正確には統合される。
俺は十年前(仮)――――つまりオリジナルの世界樹の外に破棄された世界の俺だった。
だけど、オリジナルの世界樹が再構築した世界に足を踏み入れた事によって、そっちにいた十年後の俺は消滅したんだ。
どうして再構築された方が消えて、こっちが残ったのかはわからない。
オリジナルが強いからだろうか。
まあ、それは考えても仕方ない。
下手に考えたら妙な罪悪感が生まれてしまう。
それよりも問題は――――ステラだ。
『ステラとテイルは同一人物。なのに統合されない。だからお互い別々の名前を付けた』
彼女はそう説明していた。
身体が急に若返ったり成長したりしたのも、その件と何か関係がある可能性が高いらしい。
お互いの世界が、十年という時間の差を埋めようという力を無意識下に働かせている結果なのかもしれない……とか言っていた。
……ややこしい!
理屈はわからないでもないけど、鬱陶しいくらい面倒臭い。
とはいえ、これでようやく自分が置かれている立場や状況、そして今この世界に何が起こっているのかが少しずつ見えてきた。
イーターの凶悪化に関しても、確信は持てないけど想像はつく。
世界が折り重なる前、俺達がこっちの世界に来る前に存在していたイーターは、世界樹自身が作り出した存在だろう。
だとしたら、世界樹にとって天敵ではあり得ない。
自分の天敵をわざわざ生み出す理由がないからな。
となると、イーターは分轄した世界樹を喰わせる為に生み出した存在と考えるのが妥当だろう。
だとしたら……それが凶悪化する理由は一つしかない。
従来のイーターでは不十分と感じたオリジナルの世界樹が、内部世界を再構築した際にイーターをパワーアップさせたんだ。
自分が誤って外に出してしまった十年前の世界(仮)を内包した分割世界樹をイーターに始末させようとしていたのかもしれない。
それまでより遥かに多くの物、多くの情報を中に詰め込んで分割した世界樹だからな。
それまでのイーターでは処理出来ないと判断したんだろう。
そして世界が折り重なった事でイーターも統合され、再構築した方のイーターが残った。
俺達は再構築前の方が残った訳だから、そこのズレはあるけど、そもそもどういう基準で一方が消えて一方が残ったのか定かじゃないから、矛盾とは言えない。
でも、だったらどういう基準で――――
いや、止めておこう。
この件は考えてもキリがないし、何か新しい手がかりでも見つからない限り正解は見えてこないだろう。
それより自分達の事を優先して考えないと。
『ステラの研究チームに、君達が欲しいから』
ステラは実験体である俺だけじゃなく、他の三人とも協力関係を継続したいらしい。
あれだけ毛嫌いしていたブロウに対しても協力要請していた。
理由は単純明快で、仲間が少ないからだ。
ステラとテイルは同一人物でありながら何故か統合されず、二人が同時に存在している。
どちらもこの国の第一王女だ。
第一王女が二人存在する訳にはいかないし、既にリッピという影武者がいる以上、そっくりの影武者を用意したという体で一緒にいる事も出来ない。
だからテイルは放浪の研究者となり、ステラは王城に残って研究を始めた。
この歪な世界と世界樹を壊し、イーターの脅威に晒されない世界に作り替える為……か。
ま、こんな話は誰に言ったところで信じないだろうし、どうせ白い目で見られるんだから言いたくもないよな。
俺がなんとなくテイルとステラの関係を察したから言う気になったんだろう。
そういう意味では、余計な事に首を突っ込んだ気もするし、核心に触れて鼻高々って気持ちもある。
知らない方が楽だったかもしれない。
他の連中と同じように、凶悪化したイーターに通じる武具の開発に貢献した方が幸せだったかもしれない。
でも俺達は、踏み込んでしまった。
今更ステラの話が妄言だとは思わない。
きっと俺達は、彼女の世界と世界樹を相手にした実験に付き合わされる事になる。
実証実験士冥利に尽きるじゃないか。
今はそうシンプルに考える事にしよう。
明日からはオルトロスの一員としての仕事をしながら、ステラに協力する日々が始まる。
ステラのやっている事はオルトロスは勿論、他の王族さえ知らない。
仲間は今のところリッピと……あとテイルの助手の……名前忘れたけど、あの男の娘だけだ。
気分は二重スパイだな。
ステラとオルトロスは敵対している訳じゃなく、方向性が違うってだけなんだけど、秘密裏に動くからどうしてもそんなイメージになってしまう。
そう言えば、キリウスとアンフェアリについて聞くの忘れてたな。
まあ、時間はある。
明日以降、そういう空気になった時に聞いてみるか……
……
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――――――――――――――――――――――――
「……ふぅ」
ようやく一章完、といったところまで進んで一区切り。
集中力が途切れ、視界が現実へ還っていく。
〈裏アカデミ〉の世界観がようやく判明した。
俺としては、中々悪くない……というか好みの世界観だった。
この『世界の原理が判明した瞬間』っていうのはファンタジー作品で一番グッと来る時なんだよな。
同時に、そのゲームに入り込めるかどうかが決まる瞬間でもある。
俺としては、色々あるけど〈裏アカデミ〉を継続して行きたい。
他の三人はどう思ってるんだろう?
ゲーム内のキャラじゃなく、ユーザーとしての意見を聞いてみたいところだ。
ブロウは無理だけど、他の二人にはSIGNで連絡してみようか――――
……と思ってた矢先にスマホが鳴り出しやがった。
終夜からのSIGNか。
さてはあいつも俺と同じように、今回の展開を語りたがってるな?
どれどれ……
『キリウスがネット上に出現しました』
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