5-39
サ・ベルというこの世界が何故、存在しているのか。
世界樹は一体何故、万能の樹脂を人類に恵んでくれているのか。
これらの事に疑問を抱く人間は、実のところ少なくない。
しかし大抵は一度頭を抱え、結論など存在しないと結論付け、やがて考えるのを止める。
存在しているのだから、それでいいじゃないか。
恩恵があるのだから、享受すればいいではないか。
そうやって人は自分には見えない、計り知れない理由を、理由ではなく"前提"にしていく。
前提であれば、いちいち疑問を挟む必要はない。
それは"制約"と置き換えても良い。
人は一人でも生きていける。
ただしその場合、衣食住全てを自分一人で取得し続けなければならない。
他の誰かと、或いは社会の中で生きていくならば、代替物――――例えば金銭を得る為に労働をする事で、間接的にそれらを手に入れられる。
それが制約であり、前提だ。
だから人は、数多くの疑問を見ない振りして生きている。
余りにも膨大な数の理由を、前提に置き換える事で、思考に割くエネルギーを節約している。
そうしないと、数十年――――場合によっては百年以上生きる人類という種は、己の寿命を全う出来ないだろう。
だが、ごく稀に自分の視界に収まる物、頭に入ってくる情報全てに疑問を投げかけ、理由を模索する人間もいる。
それが研究者だ。
彼らはどれだけ幼稚と笑われようと、しつこいと罵られようと、より原始的に物事を捉え、現代のその先へ文化水準を押し上げてきた。
そうして積み重ねてきた一番上にある現代。
ヒストピアという国には、研究者と呼ばれる職業に就いている人間が三万人はいると言われている。
彼らは、果たして世界の存在理由や世界樹の志向、世界樹の
ステラがそう考えるようになったのは、彼女がまだ八歳の頃だった。
彼女がどれだけ天才であろうと、その年齢では自身の思考をそのまま外部に伝えれば変人扱いされるだろう。
事実、一度だけ伝えた事があった。
国王や兄は誰かの受け売りと笑い、疑り深い大臣は反王制勢力からの洗脳を心配し、召使いたちの中には"憑き物"呼ばわりする者までいた。
ステラはその事実を目の当たりにし、絶望しなかった。
己の年齢ではこの帰結が当然だと悟っていたからだ。
だからステラは以後他言する事なく、城内の書庫からこの国の歴史書を引っぱり出して読み漁り、文化水準の進化やその時代の情勢を学んだ。
そうやって生きてきた彼女の中で確かな事として確立されているのは、現代のサ・ベルが抱える非共有の問題――――文化の停滞と探求者の喪失。
イーターの脅威に晒され、イーターを倒す事しか考えられなくなった研究者の現状こそが、その原因であり致命傷。
10年もの間、凶悪化したイーター相手に手も足も出ない状態が続いているのはその所為だとステラは確信していた。
だから彼女は、この問題を解決する事こそが自分の存在意義と定義付けた。
そして八歳から九歳になるその日、解決の糸口を自ら掴んだ。
「我はステラの心の澱みより生まれし瘴霧の民。隠世の彼方より揺曳せし世界樹を駆逐する幽玄の兵器を開発するため、この肉体に英知ある者を取り憑かせようぞ」
憑き物呼ばわりされた過去を利用し、実際にそうだと周知させる。
この宣言により、ステラは王族としての人生のレールから脱輪した。
『あの子は暫くそっとしておこう』
『好きなようにさせてやろう。時間が経てば健常に戻るかもしれない』
『戻らないなら影武者をそのまま王女として扱えば良い』
たった一度の会議で、結論は出た。
憑き物、要するに気狂いかもしれないと憂慮されたステラは誰にも咎められず、研究者としての道を歩む事となった。
沈黙に包まれた室内は、さながら墓地のようだった。
笑う事が許されない、そんな空気だった。
与太話だと指摘するのは極めて困難だった。
『冗談にしては作り込み過ぎてると、エルテは思った事をそのまま記すわ』
「ちょっ! エルテさんそれは言っちゃダメです!」
言ってないけどな……なんて軽いトーンでツッコむのさえ躊躇してしまう。
説得力だ、原因は。
有無を言わせない説得力が、ステラの話にはあった。
彼女の言葉は理路整然としていたし、かといって仰々しさもなかったし、淡々とし過ぎてもいない。
言葉に現実味がある。
率直にそう感じた。
だから、彼女の王族という血筋に関係なく、茶化すような発言は躊躇われた。
「リッピィア様は今の話を――――」
「聞いての通り私は王女じゃないから、リッピちゃんで良いってば」
「……リッピちゃんは今の話を知っていたんですか?」
話の腰を折られるのは面倒だし、向こうの意向に合わせよう。
場所や聞いてる人物で呼び名を変えるの面倒なんだけどな……
「そうだよー。私が王女になる可能性大なのも知ってたし、だから逃げ出したいって思ったし」
「成程。そのリッピちゃんの気持ちをステラ王女は――――」
「ステラは王女を棄てた女。ステラで良い」
……面倒臭い、もう言われるがままでいいや。
「ステラはリッピちゃんがそこまで追い詰められてるのを……」
「知らなかった。ごめん」
「言ってなかったから当然だよー。それにステラは悪くないし。大体、次の王様は長男だし、私いなくても別に良いんだよね。失踪したとかテキトーに処理してくれれば」
そんな訳にはいかないだろうけど、イーターの脅威でどこの国も政略結婚どころじゃないのは想像に難くないし、王位継承順位第一位でもない王女が別にいなくなっても構わないって思われる可能性は一応あるかもしれない。
ましてリッピには肉親の情もないだろうし。
「ダメだよ、だってステラが嫌だもん、リッピいないと」
「ステラ……そんな泣かせる事言ってもー良い子良い子」
「子供扱い嫌」
重いのか軽いのか良くわからんな、この子達……
「ええと、そろそろ話を進めてもいいかな」
「進めてもいいけど貴方は敬語使って」
「す、すいません。では話を進めさせて頂きます殿下」
ブロウ、もしかして変態だって事見抜かれてないか?
なんか生ゴミ見る目で睨まれてるような……
「まず殿下のオーダー……御依頼について話をさせて頂きます。ステラ……様、昨夜の件を誰かに話されましたか? 殿下がキリウスという人物と一緒にいた件です」
「話してない」
「では、今後も他言無用でお願い出来ますか?」
「リッピが言わないで欲しいなら、そうする」
「スーテーラー、あーりーがーとーよー」
リッピは涙しながらステラの手を取ってブンブン上下に降り続けた。
この関係性なら、ステラが本当の王女だったとしても普通に呼び出せた気がする。
「……もしかして、本当に口止めしかったのは俺達の方でした?」
「あ、わかっちゃった? そうなんだよねー。ステラは多分言わないって思ってたけど、君達はわっかんないじゃん? よく知らないし。王女権限でオーダー出せば朝一で来るかなって」
「そうだったんですか。勿論、わたしもシーラくんも誰にも話してませんよ」
「うん。仲間にすら言ってなかったもんね。そこは信用する事にした」
図らずも、俺の臆病なまでの慎重さが今回は功を奏したか。
なんか反省した数分前の自分がアホみたいだな。
「では、これでオーダーは達成という事でよろしいでしょうか?」
「うん、いいよー。取り敢えず当面の危機は去ったしね」
これでリッピの件は片付いた。
次は――――
「あの、えっと、ステラ様」
俺が声を発しようとした直前、先んじてリズが口を開いた。
「ステラで良いってば」
「それではステラさんで。その見た目の人に呼び捨てや"ちゃん"付けは抵抗ありますので」
「むー。わかった」
呼び方でいちいち話が逸れるのは本人としても面倒だったらしい。
了承しつつも不満アリアリの顔だ。
「ステラさん。さっき言っていた『この世界と世界樹を破壊する為にいる』というのは、結局キャラ作りのための設定だったんですか?」
流石、女神を自称している者。
キャラ作りは気になるか。
普通に考えたら、リズの言うように『国王達から見放させる為の方便』として考えた設定に過ぎないだろう。
世界樹を破壊する兵器を作る、なんてのは確かに物憑きと思わせるには十分な非常識さだ。
でも――――
「当然そうだよ。そうに決まってるよ」
本人の回答とは裏腹に、違っていたら?
以前エルテが俺に『世界樹の支配者』だと言い放った時も、同じような疑念を抱いた。
尤も、あの時の疑念は『言葉通りだったとしたら?』だったけど。
その可能性は限りなく低い。
そもそも、本当にエルテが世界樹の支配者だったら、俺に打ち明ける理由がない。
ステラも同様だ。
でも考えてしまう。
もしどちらかが本当に、『支配者』や『破壊者』だとしたら……一体俺はどうするんだろうと。
つい、考えてしまう。
『どうしたの? 顔色が悪いけど』
珍しいな、エルテが定型句を使わずに問いかけてくるなんて。
「大丈夫。なんでもない」
『ならいいわ』
彼女は察しが良い。
もしかしたら、俺の考えている事がバレているかもしれない。
ま、バレたからってどうなるものでもないけど……
それより、俺にはやる事がある。
「ステラさん。もう一つ聞きたい事があるんだけど」
「何?」
「ステラさんが瘴霧の民を演じて取り憑かせたっていう"英知ある者"に名前はある?」
正直、嫌な予感はしていた。
単に憑き物を演じるだけなら、こんなややこしい設定は要らない。
そのまま瘴霧の民とやらがステラに取り憑いた事にすれば良い。
でもそれだと研究者っぽくないし、研究者っぽい奴に取り憑かれるのも妙な話だから、敢えて『悪者っぽい存在がステラの中で芽生えて研究者っぽい人格を植え付けた』っていうまだるっこしい設定にしたんだろう。
自分が研究者になる為に。
「あるの」
彼女は余りにも懲り過ぎている。
だとしたら、あの時の――――そして今のこの口調が、考えなしである筈もない。
「中々鋭いの、シーラ」
「……やっぱり、そうか」
理屈はわからない。
どういう経緯でそうなったのか、一体どうやって二つの人間を――――二人の研究者を使い分けているのかも。
でも、俺の懸念はどうやら正鵠を射ていたらしい。
彼女はどうやら、これまで俺を散々振り回していたあの女と――――
「あたしはテイルと同一人物なの」
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