5-22

 彼女の――――星野尾さんの口調は、これまでと何ら変わる事のない元気いっぱいでフランクなものだった。

 明るく芯があって澄んだ声にも変化はない。


 それなのに、俺は猛烈な寒気に襲われ、凍えそうになっていた。


「どうして――――」


「答えは明白でしょ? 星野尾もそのゲームをやってるからに決まってるじゃない!」


 寒気は呼吸器を苛め、息苦しさを生む。

 なんとなく悟られたくなかった。

 自分が今、激しく動揺しているのを悟られてはいけない気がした。


「――――知ってる?」


 だから、必死で自分を抑えて、顔面を片手で覆いながらそれだけを聞いた。

 俺の中では相当に切羽詰まっていた。

 混乱の最中にあった。


「……」


 けど目の前の女性は明らかに俺以上に動揺していた。

 というか、涙目になっていた。


「来未ぃ……お兄様が星野尾を殺す目で見てる……」


「兄ーにはどんな時でもあーゆー顔だから大丈夫! でも来未も正直恐い!」


 泣きたいのはこっちなんだけど……なんて言い草だ。

 別に脅迫した訳でもないのに。


 でも、わかる気がする。

 無表情ってとてつもなく恐く感じる時がある。

 日本人形を照明のない場所で見たら、幽霊と間違えるくらい不気味に見えるように。


「いや、キレてはいないから。でもおかしいよね? 星野尾さんが〈裏アカデミ〉のプレイヤーだとしても、俺達のオフ会のスケジュールを把握する理由にはならない。どうして知ってるの?」


「裏アカデミ? それが正式なタイトル?」


「あ、ごめん。便宜上俺がそう呼んでるってだけなんだけど」


 でも生みの親の終夜父も使ってたから、オフィシャルと言えばそうかもしれない。


 ……って、こんな話してる場合か!


 露骨に話の腰を折りに来てるな……

 このまま向こうのペースに引き込まれて、なあなあで済まされると厄介だ。


 今回の件は絶対に放置は出来ない。

 多少人の目は気になるけど……


「星野尾さん、こっちに来て俺達と一緒に食べましょう」


「え!? でも星野尾は来未と……」


「もし断ったらウチのカフェ出禁」


「んな――――!?」


 この人の弱点は既に把握済み。

 来未の部屋に遊びに行けないという事実は、相当なダメージになるだろう。


「兄ーに、それ職権乱用!」


「いや違うだろ……」


 にしても、何処から出したのって声で吼えたな……

 さすが声優経験があるだけあって、発声が素人のそれじゃない。

 案の定、周囲の客がザワつき出した。


「それに、ここで注目を浴びてその写真をSNSにアップされたら困る立場にあるのは誰ですか?」


「来未! 貴女のお兄様って鬼畜! こいつムッツリ鬼畜よ!」


「人に得体の知れない属性を付けないで頂きたい」


 ともあれ、星野尾さんにこれを断る勇気はなかったらしく――――


「先輩、遅……その人は?」


 苦虫を虫歯に詰め込まれたような顔で、俺達のテーブルまで付いて来た。

 当然、来未も一緒だ。


「ウチの妹の友達で、星野尾祈瑠さん。俺に用があって追いかけて来たらしい」


「追いかけて……って、山梨から?」


「相応の理由があったみたいだ。ちょっとその辺、色々聞きたいからここで同席させても構わないよね?」


「私は良いけど……」


 幸い、水流はそんなに動揺していないみたいだ。


 なんとなく彼女の事はわかってきた。

 最初は終夜同様、極度の人見知りかと思ってたけど、どうやら違うらしい。

 水流は『緊張するシチュエーション』に極端に弱いんだ。


 だから、こうして俺や終夜とある程度話し込んでいる状態だと、初対面の相手にも怖じ気付かないし震えもしない。

 前にウチのカフェに来た時、俺の両親相手に問題なく接してたからな。

 それでなんとなくピンと来た。


 問題は……


「――――」


 案の定、既にフリーズしている終夜だ。

 凄いな……『目が死んでる』って良く聞く表現だけど、リアルに目の当たりにしたのは初めてだ。

 瞳孔が開いてるとかじゃないけど、焦点が不気味なほど宙を漂ってる……


「終夜。この人は〈裏アカデミ〉に参加してるプレイヤーらしい。だからゲーム好きだ」


「そ……そうですか」


 よかった、案外あっさり解除された。

 それでも人見知りなのには変わりないから、笑顔がこの上なくぎこちないけど。


「兄ーにがお世話になってます。妹の来未です」


 接客業に慣れてる来未は、やたら丁寧に水流へ向けて頭を下げていた。

 終夜とは面識あるけど水流とは初対面だったな、そう言えば。


「あ……は、はい。みず、水流瑪瑙です。私こそ先ぱ……お兄さんにはお世話になってます」


 あれ?

 星野尾さんには大丈夫だったのに、来未には妙に緊張してるな。

 俺の仮説は間違ってたのか……?


「あと御両親にもお世話になりました」


「……へ? エルテ、春秋くんの御両親とお会いしてるんですか?」


「はい。とても良くして貰いました」


「そ……そうなんでか……そうなんですね……へぇー」


 ……何故空気が重くなる?

 お前も確か面識あったろ、ウチの一家まとめて。

 大した会話はしてなかった気もするけど。


「それじゃ、これから星野尾さんを尋問するから席をちょっと変わって。終夜と水流はこっちに」


「え!?」


「そっちにって……先輩の隣に座れってこと?」


 不評を買ってしまった。

 こいつら、そこまで俺の隣が嫌か……地味にこういうのショックなんだけどな……


「そりゃそうだろ。尋問相手が隣ってのも妙だし」


「春秋くん、尋問好きですね」


「え。リズ、尋問されたことあるんですか?」 


「一応……」


 なんだそのドヤ顔と照れと辟易とが合わさったような複雑な顔は。

 でも確かに、終夜がウチに来た時に続いて今回も『尋問』なんて物騒な言葉を女子に向けたのは反省材料だ。

 ……星野尾さんは女子って年齢でもないのかもしれないけど。


「とにかく、ちゃちゃっと移動して。話が進まないから」


「星野尾は別に進めなくてもいいんだけど……」


「なら永久出禁」


「わかったから! 話すからそれだけは許して!」


 ……実際に俺には彼女を出禁にする権限なんてないんだけどな。

 何故か来未もそれを指摘しないし、この際悪人のままでいるとしよう。


 そんな訳で、色々と揉めつつもどうにか尋問……もとい、会議の準備は整った。

 俺の方の席が、奥から順に水流、終夜、俺。

 向かいの席が来未、そして星野尾さんだ。


 ……狭いな。

 隣の終夜の身体に触れてしまいそうになるけど、それはどう考えてもアウトだから気をつけないと。

 こういう公の場は電車と同じで、疑わしい行為は絶対に避けないといけない。


「それじゃ、早速だけど星野尾さん。どうして俺達のオフ会の事を知ってたの?」


「……?」


 流石に終夜と水流も驚いたらしく、目を丸くして星野尾さんの方を凝視していた。

〈裏アカデミ〉をやってるっていうさっきの彼女の言は、何の理由にもなっていない。

 同じゲームのプレイヤーでも、同じラボに所属してない限りラボ限定のチャットログは見られないんだから。


 だとしたら、ここにいる面々以外でオフ会の情報を知っていた人間は一人しかいない。

 ブロウ――――の中の人だ。

 星野尾さんがブロウだとしたら、全て辻褄が合う。


 いや……合わないか。

 そもそもそれが真相だったら、頑なにオフ会参加を断る理由がない。

 今ここにこうして現れている以上、理屈が通らない。


 彼女はブロウじゃない。


 となると、いよいよ訳がわからない。

 他のラボのプレイヤーに作中でのチャットが漏れる訳ないし。


 ……本当にそうなのか?


 普通のオンラインゲームならそうだ。

 でも、〈裏アカデミ〉は明らかに過去のオンゲーの常識とはかけ離れたゲーム。

 他のプレイヤーの会話を盗み聞きするスキルとかアイテムがあるかも――――


『あの貴方が飲んだ液体に含まれてるの。体内情報に直接書き込まれるタイプだから、アイテムと言っても物じゃないの』


 ……ある。

 いや、厳密には違うかもしれない。

 でも、少なくとも他者の位置情報を知る事が出来るアイテムは存在している。


 そしてそれは、既に俺にも付けられてしまった。

 位置情報通知タグとか言ってたな。


 もしこのタグに、『会話情報習得タグ』って種類の物があったとしたら?

 若しくは位置情報通知タグにその機能が備わっていたとしたら?


 チャットを盗み見出来る能力があるのだとしたら……?


 可能性はある。


 実際、"あのキャラ"は俺らがピンチの時を見計らって俺を自分の所までテレポートさせた。

 俺だけじゃなく、イーターの位置情報も把握しているから、その位置関係で危機的状況かどうかがわかるから……と。


 でも、実際には会話が筒抜けだったとしたら?

 もしそうなら、あのキャラを操作していた人物こそが星野尾さん……って事になる。


「どうして?」


「それは……」


 迷っているのか、星野尾さんは俯いて俺から目を逸らした。

 表情を隠す意図もあったのかもしれない。

 

 ……ここはもう、駆け引きなんてしてる場合じゃない。

 さっさと勝負に出た方が良い。


「星野尾さん、もしかしてあのテイルなんじゃないですか?」


 確信はない。

 星野尾――――星の尻尾だからテイル(Tail)なんて、余りにも単純過ぎる。


「そうよ! 星野尾の正体はあの、あのテイルだったの!」


 えええええ……


「驚いた? その顔、驚いた顔よね? フフン、そうよね、思いもしなかったでしょうね。星野尾とは全然違うキャラだし」 


「いや、口調こそ違うけど明らかに重なる部分あるし……いや、冗談じゃないですよね? マジで?」


「大マジなの」


 うわ、その返し……


「確定ですね」


「確定だとエルテは絶句したまま記すわ」


 絶句してないし、口調がゲームのエルテになってるぞ水流。

 でも、それだけ動揺してるって事だろう。

 まさかあのテイルが……俺にとって天敵のような存在が、こんな身近にいたなんて。


 いや、問題はそこじゃない。

 テイルが俺達のチャットを自由に閲覧出来る理由。

 一つ、これだけは確認しておかないといけない。


「テイルはNPC? 星野尾さんは……〈裏アカデミ〉のスタッフなんですか?」



 ――――答えは、即座に彼女の口から提供された。

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