5-17

 6月10日(月)――――16時20分。


「ふはー……ふー……ひー……」


 まるで水泳の息継ぎみたいに必死になって酸素をかき集めながらも、なんとか予定通りの電車に飛び乗る事に成功。

 東京方面へ向かうその特急列車での移動時間は1時間半の見込みだ。


 呼吸を整えつつ、トイレに入って制服から私服に着替える。

 昨日降った雨の影響なのか、駅の階段を全力で駆け上がった所為で汗が噴き出ているのか、身体中に湿気が絡みついて鬱陶しい。


 ……よし、着替え終了。

 一先ずこれで第一段階はクリアだ。


 取り敢えず、この移動時間を利用して今後の事を考えよう。


 これから行われる――――オフ会について。


 オフ会の開催を訴えた俺は、必然的に幹事の役割を担う事になった。

 当然、初めての経験だ。

 何しろ放課後に友達とカラオケやゲーセンへ遊びに行った経験さえほぼ皆無だからな……


 そんな俺に幹事なんて荷が重過ぎる気もするけど、言い出した以上は仕方がない。

 幸い、ネットで調べたら幹事の仕事内容はすぐに把握出来た。


 まずは目的・コンセプトの決定。

 これは明確で、今回の集まりは〈裏アカデミ〉についての意見交換だ。


 これから、どういうスタンスでこのゲームと関わっていくべきなのか。

 そもそも中学生の水流にこのままプレイさせても大丈夫なのか。

 終夜父は信頼に値する人物なのか。


 ゲームスタッフで代表の娘である終夜を中心に据えて、それらを話し合うのが第一目的だ。


 次に参加者の選別。

 これも既に終わっていたから問題ない。

 ブロウには何度か説得を試みたけど、どうしても時間が取れないって事で仕方なく不参加の表明を受理するしかなかった。


 そして最も幹事らしい仕事と言えば、オフ会の日程および会場の決定。

 これが一番厄介だった。


 参加者は三人しかいないし全員学生だから、日程を合わせるのは難しくない。

 問題なのは水流の修学旅行だ。


 水流が二泊三日の修学旅行から帰宅するのは今日――――つまり月曜。

 俺が山梨、終夜が神奈川、水流が東京と同じ関東圏とは言え居住地はバラバラだから、土日祝日以外に集まるのは難しい。

 6月には祝日がないから、最速でも今週の週末って事になる。


 これが普通のゲームのオフ会なら、別にそれでも全然構わないんだ。

 焦る必要ゼロだし。


 でも今回の場合、これからのゲーム内での行動や安全面についての話し合いだから、これをやっておかない事には〈裏アカデミ〉を先に進める事は出来ない。

 これまではあのゲームと終夜父にそこまでの不信感はなかったけど、今はそうも言ってられないからな……


 単純に話し合いってだけなら、SIGNでグループ作って話せばそれで済む。

 でも今回のオフ会の趣旨は『腹を割って話す事』。

 顔を突き合わせて、お互いを信頼した上で話さないと何の意味もない。


 だから当初は、水流が修学旅行中の北海道に押し掛けて彼女の自由行動中にオフ会しよう……なんて案が浮かんでくるくらい、俺は切羽詰まっていた。

 当然、そんなハイレベルなストーカーみたいな真似は出来ない。

 そもそも北海道までの移動にかかる費用を考えたら実行不可能だ。


 そこで現実的な案として、本日――――月曜の開催を提案してみた。

 会場は、山梨と横浜のほぼ中間地点にある八王子駅周辺……の何処か。

 普通は会場の予約をしておくものらしいけど、飲み会とかじゃないから適当に近くのファミレスにしようって事で話が纏まった。


 今日は修学旅行最終日で、水流は17時に東京に帰ってくるらしい。

 そこで現地解散になるから、そのまま八王子行きの電車に乗って18時に着く予定。

 俺も終夜もそれくらいの時間に着く事になってる。


 幸い、水流は明日修学旅行の振替で休みらしいから、ある程度遅くなっても大丈夫。

 問題は門限だけど、それも『修学旅行の打ち上げを友達とするから帰りは9時くらいになる』って親に話した結果、OKが貰えた上に車で迎えに来て貰える事になったらしい。

 門限を設けてる割に結構ガバガバな気もするけど……


 終夜に関しては一人暮らしだし、門限なんてのはない。

 

 問題は、駅から家までの帰り道。

 幾らなんでも夜間に女の子一人家まで歩かせるのはあり得ない。

 タクシーで帰って貰うしかないだろな。


 幸い、終夜の家は駅からそう遠くない。

 前にあいつの家に行った時にはタクシー代を出して貰ったし、今度はこっちが出そう。

 今回は片道だけど。


 ここまでして平日に強硬開催しなくても……と一瞬後悔しそうにもなったけど、中学生の水流に何度も交通費を払わせる訳にはいかないし、今日開催して良かったかもしれない。

 修学旅行の打ち上げって設定なら、行きの運賃も親から出して貰えそうだしな。

 

 それに、こういうのは早めに実行に移さないと、時間が経過するにつれて『やっぱ止めとこうかな』ってなりかねない。

 ただでさえ男一女二のオフ会なんてハードル高いし。


 ……あ、なんか妙に緊張してきた。


 ダメだダメだダメだダメだダメだダメだ!

 今回は下心一切なしで臨まないと。

 合コンじゃないんだから。


 にしても……まさか高校生活の中で他校の女子と外で会う機会がこうちょくちょくあるなんて夢にも思わなかった。

 しかもどっちもゲーム好きで、どっちも可愛いからな……今までの人生からは想像もつかない恵まれた環境だ。


 でも、どっちかと恋人になりたい……みたいなのは今のところはない。

 というか、まだ知り合って間もない現時点では嫌われないようにするのが精一杯で、そこまで辿り付けてない。


 一般的な恋愛がどうなのかはわからないけど、俺の場合は相手に脈があるかどうかハッキリするところが出発点。

 この万年無表情の男を受け入れてくれる人かどうか――――っていうのが頭にあるからだと思う。


 アヤメ姉さんにその話をしたら、結構深刻な顔で『その考えは後ろ向きだが、無理して消そうとはするな』と言われた事があった。

 多分、劣等感とは少し違う病理的なものなんだろう。


 ……なんとか落ち着いてきた。


 今までゲーム三昧の生活を送ってきたとはいえ、恋人のいる日常への憧れはある。

 エロい事への好奇心も当然ある。

 でもこの無表情でそれを表面化したら、ムッツリ……というよりただの頭のおかしな奴と思われかねないから、どうにか封印しなくちゃいけない。


 今までだってなんとかなってきた。

 きっと今回も大丈夫だ。

  

 それに、懸念は俺自身だけじゃない。


 ゲーム好き以外とは上手く話せない――――以前終夜はそう言っていた。

 ならゲーム好きの水流相手なら問題ないだろう……と言いたいところだけど、本当に大丈夫なのか心配で仕方ない。

 フリーズするくらいの薄い醜態ならまだしも、妙な事を口走って自爆しやしないかとハラハラする。


 水流も水流で、今でこそ俺と軽口叩き合うくらいになってるけど、初対面時は結構ヤバめな反応してたんだよな。

 なんかガタガタ震えてたし。


 自分で企画しておいてなんだけど……このオフ会、本当に大丈夫なんだろうか?





「は、は、初めまして! 終夜! 終夜細雨! 終夜細雨と申します!」


「……(ガタガタ)」


 6月10日(月)――――18時05分。

 全然大丈夫じゃなかった事を確認。


 駅で落ち合った私服姿の終夜と水流は、どちらも俺が懸念していた事を見事に実行に移していた。

 終夜の挨拶は選挙運動みたいに意味不明のテンションだし、水流はさっきから縦揺れの震えが止まらない。


 幹事の俺がどうにか取り持つしかないんだろうけど……どっちに話し掛ければ良いんだ?

 一対一で会った時とは全然違う緊張感だ。


「……おい。ゲーム好きが相手なら問題ないんじゃなかったのか?」


「何言ってるんですか。わたし普通に超弩級の人見知りなんですよ?」


 自慢げに言う事か!

 

「水流、見ての通りこいつポンコツだから、そんなに緊張しなくても大丈夫だぞ」


「酷くないですか!?」


 涙目でそう訴えてくる終夜はちょっと可愛かったが、今は俺の感性なんてどうでもいい。

 案の定早くも迷走し始めている二人をどうにか和ませて、何処か話し合いが出来る場所に導かないと。

 21時にこの八王子駅に水流の迎えが来るらしいから、あと3時間しかない。


「っていうか春秋君、エルテちゃんの中の人と知り合いだったんですか? 聞いてませんけど」


 水流に聞こえない声でコソコソと面倒な事を言い出す終夜の顔は、既にテンパり過ぎて青ざめている。

 この状況で話し合いはちょっと無理だな……


「言う必要ないだろ……お前は俺のなんなんだ」


「友達以上恋人未満です」


 ……一応了承した身としては返す言葉もない。

 そうか、そういう設定だから俺の異性関係は把握しておきたいのか。


 終夜の思わせぶりな言動には思わず『それって俺の事が好きなの?』と言ってしまいたくなるけど、こいつが友達以上恋人未満を提案してきたのは初対面時だからな……

 その段階で好きも嫌いもないから、友達以上恋人未満っていうのが俺への好意に繋がるものじゃないのは確定している。

 そろそろどういうつもりでこの関係を望んだのか、聞き出さないといけないな――――


「……(ガタガタ)」


 でも今はそれどころじゃない。

 っていうか水流の震えを止めないと周囲から病気かと思われそうだ。


「と、取り敢えずどこかに入ろう。なんかリラックス出来る場所がいいかな」


 ……自分で言っておいてなんだけど、なんかホテルに入る時のベタな誘い文句っぽいな!

 ダメだ、こんなんじゃダメだ!

 二人がこんななのに俺まで混乱してたら、時間だけが無駄に過ぎていく事になる!


 落ち着いて考えろ。

 このメンツでカラオケやボーリングじゃリラックスは出来そうにない。

 やっぱりゲーム関連の場所が良いだろう。

 

 水流と前に行ったような家庭用ゲームの出来る施設はこの辺りにはない。

 となると、王道だけど――――


「そうだ、ゲーセンなんてどうかな?」


 全員私服だし、この時間ならいきなり補導される事もないだろう。

 30分くらいそこで遊んで、リラックスした後に夕食を食べられる場所でオフ会を開催って流れを作れれば――――


「あ、あの」


 おっ、水流の震えがようやく止まった。

 でも顔色は終夜同様決して良くない。


「ゲーセンって不良の溜まり場だよね……私無理……」


「いや、いつの時代の印象だよ。今じゃ寧ろ年寄りが多いよ」


「え? それなら大丈夫かな」


 おじいちゃん子だからなのか、水流の知識は少し時代がズレているところがある。

 だからレトロゲーにも関心があるんだろうけど……


「……」


 終夜がこっちを睨んでいる。

 こいつもゲーセンに偏見があるクチか……?


「なんか……親しげですね……わたしのいないところでいつの間にか好感度稼いでたんですね……」


「今度はヤンデレ設定?」


「そんなんじゃないですよ! もう、わかりましたよ、ゲーセンに行けばいいんでしょ!? 行きますよ!」


 昔、来未が言っていた。

 女は色々と大変だから、不機嫌な日があっても怒るなと。

 終夜はその日なのかもしれない。


「先輩、あの人がリズの中の人なんですよね」


「あ、うん。そうだけど。仲良く出来そう?」


「無理かも」


「えー……」


 まだオフ会さえ始められていない段階で、俺の胃は早くも蜂の巣みたく穴だらけになっている……気がした。


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