4-23

 医者っていうのは、もしかしたら現代に生まれた予言者なんじゃないか――――そんな突拍子もない事を本気で考えてしまうくらい、今の俺は追い詰められてる。


 身体が重い。

 尋常じゃないくらい重い。

 夕食の後、仮眠するつもりでベッドに寝転がってから暫くして、徐々にその感覚に蝕まれていた。


 起き上がれない程じゃないけど、起き上がるのがこの上なく億劫なくらい、全身がしんどい。

 疲労というより、これもう風邪か何かなんじゃ……


 熱測ってみるか。


「……」


 口じゃなく脇で測る派だけど、こういう時ってしっかり挟めてるか心配になる。

 熱があったら学校休めるばんざーい、なんていう年齢でもないし。


 ん、音鳴ったかな?

 いや……今のはSINGの通知音か。

 その判断が一瞬で出来ないくらい脳が弱ってるのかな……


『お父さんと連絡を取りました』『結論から言うと、意図的に犯罪者を雇ったり荷担させたりする事は絶対にあり得ないそうです』


 ま、そういう回答になるよな。

 そもそも、キリウスが仮に不正ログインを本当にしていたとしても、本人が『していない』と言っていた場合、その正誤を雇う側が証明出来る訳もない。

 ついでに言えば、悪人が自分の悪行を素直に吐露する筈もない。


 ぶっちゃけ、意味のない確認作業だった。

 それでも一応、気休めにはなる。

 少なくとも終夜にとっては。


『了解』『わざわざごめん、ありがとう』


『とんでもありません』『おかげで私もスッキリしました』


 ならよし。

 どっちにしても、確証がない内は『気を付けつつ続行』以外の選択肢はないんだ。

 腹を括ろう。


 ……と、そろそろ熱を確認しよう。

 SIGNに夢中で音は聞こえなかったけど、もう1分は過ぎてるしな。


 ん……平熱か。 

 って事は、風邪とかじゃなく疲労の蓄積なんだな。


 いや本当、アヤメ姉さんってスゴいんだな。

 俺がもう直ぐこうなるのを見計らって呼んだんだろう。

 表情のない人間の体調をそこまで正確に予測出来るって、尋常じゃない観察眼だ。


 ……さて、どうする?

 今日は〈裏アカデミ〉止めておくか?


 熱があるなら即座に決断出来た。

 でもただの疲れだったら、ちょっとしたら回復するかもしれない。


 何より、今の状況で一日空けるのはちょっと辛い。

 水流からもSIGNあったし。


 よし、やろう。

 いつもほどの集中力はないけど、今日に関しては逆にその方がいいのかもしれない。

 ゲームの中に入り込むより、ある程度距離を置いてプレイした方が、内外の両方に問題のある現状に対応出来る気がする。


 ログインしよう――――





「僕はキリウスを探した方が良いと思う」


 Cチャットに4人全員が集まった直後、ブロウはこれまでになく強い自己主張をして来た。

 思いつきや閃きで言っている訳じゃないのは明らかだ。


「あの村に関わるかどうかはともかく、キリウスと名乗る人物が何か重大な事を知っているのは間違いない。なら街を巡るよりその人物に会って話を聞く方がよっぽどこの世界について何かわかる可能性が高い」


『エルテは反対だと即座に表明するわ』


 それに対するエルテの反応もまた、ワガママって訳じゃない。

 意見の対立自体は以前と同じ構図だけど、あの時とは色んな意味で状況が変わっている。

 今、行動を二分するのは危険だ。


「リスクを回避したい気持ちはわかる。でも、最早キリウスという存在は僕達の戦いにおいて避けられないものになってる。テイルの脅迫に等しい依頼とは関係なくね」


『エルテも別に怖いから避けてるというだけじゃないと強く反論を記すわ』


「なら聞こう。何故キリウスと関わるのをそこまで嫌うのかい?」


 エルテは……水流は俺と会った時、『私をキリウスと疑っているんでしょう?』と詰め寄ってきた。

 俺をスタッフだと勘違いしていた所為で、自分に対して何らかのマイナスな疑いが掛けられているという不安・恐怖があった所為だろう。


 でも、もしかしたらそれだけが原因じゃないのかもしれない。

 水流自身、他者からそう疑われてしまう原因があって、それに心当たりがあるのだとしたら……?


『エルテはかつて、キリウスと名乗る人物と接触した事があると驚愕の事実を記すわ』


 ……自分で驚愕とか言い出されてもな。

 確かに衝撃の事実なんだけど、なんか素直に驚けない。


 でも、辻褄は合う。

 少なくとも水流は、キリウスについて何らかの情報を持っている。

 だから過剰に反応し、俺とリアルで会う決意を出来たんだ。


「エルテさん、それ本当ですか!? どういう経緯で接触したんですか!?」


 神キャラなんてすっかり忘れたらしく、ほぼ素の終夜のままリズが詰め寄る。

 それに対するエルテの回答は――――


『ただし、実際に会ったり話したりした訳じゃないと念を押して記すわ。文通……とも少し違うけど、それに近いやり取り』


 要はネット上で絡んだって言いたいのか。

 whisperかSNSか、それとも何処かの掲示板か……何にしても、キリウスと名乗る人物と言葉を交わしたのは間違いなさそうだ。


『ここでキリウスと呼ばれているのと同一人物かどうかはわからないけど、エルテは昔、キリウスと名乗る人物と同じパーティだった事があると告白を記すわ』


 ……え?


「そっそうなんですか?」


 リズのドモりは、恐らく狙ってのものじゃないだろう。

 思わずタイプミスしてしまう終夜の気持ちはわかる。

 まさかそこまで近い関係だったとは……


 でも『昔』ってニュアンスから察するに、〈アカデミック・ファンタジア〉での事じゃないのかもしれない。

 キリウスは別のゲームで有名になったプレイヤーネームだ。

 別のオンラインゲームでパーティを組んでいたのかもしれない。


 SIGNで確認してみるか。


『そうだよ』『本当は、先輩には知られたくなかったけど』


『なんで?』


『犯罪者と仲間だったって、思われたくないから』


 ……そういう事か。

 これでようやく繋がった。

 水流が『疑わしいだけでアウト』と言っていたのも、キリウスに過剰反応していたのも、自分が疑われていると怯えていたのも、全部。


『キリウスに関わっても良いことは何もないとエルテはここに明言を記すわ』

『噂されてるみたいなことを本当にしてたかどうかは知らないけど、してもおかしくない人だった』


 ここまで水流が断言する以上、相当な難アリのプレイヤーだったのは間違いない。

 酷い事を言われたりされたりしたのかもしれない。


 犯罪の噂が流れてるくらいだから、ネットで調べれば人間性については幾らでも出て来るだろうけど……ネット上の情報は信頼性に欠ける。

 水流の証言が唯一の判断基準だ。


 なら、答えは一つしかない。


「俺はエルテの言葉を信じる。そこまでエルテが言う人物とは関わるべきじゃない」


「僕も異論はない。相当厄介な人物だと認識しておくよ」


 恐らくブロウも、そういう噂は幾らでも目と耳に入れているんだろう。

 なら疑う理由は何もない。


 ただ――――


「それでも、僕は接触すべきだと思う」


 決意は固いらしい。

 それだけ、この〈裏アカデミ〉の世界について知りたがっている証拠だろう。


 俺達一般ユーザーの視点では、『犯罪に手を染めていても不思議じゃない人物』と『犯罪に手を染めた人物』との間に大した差はない。

 犯罪を実際に行っていようといまいと、嫌な奴とは関わりたくないってのは不動なんだから。

 例え嫌な気分にさせられようと、それでも探して会ってみるべきというブロウの言い分は、オンラインゲームにおいては少し行き過ぎのように感じる。

 

 ゲームは娯楽だ。

 楽しくないのなら、それは娯楽じゃない。

 わざわざ不快な思いをしてまで攻略するゲームなんて、あっちゃいけない。


「僕はここでお別れした方がいいのかもしれないね」


 俺と終夜が同意しなかった事で、自身の孤立を悟ったのか――――ブロウはそう告げた。

 悲しげなのか達観しているのか、チャットの文字からは感情が伝わってこないから何もわからない。

 

「一人で探すのか? それはちょっと無謀だろ」

 

「キリウスを探すついでに仲間も探すよ。テイル様に聞けば同じ目的の実証実験士が他にいるかもしれない」


 そう言えばこいつ、あのキャラを崇拝してたんだったな。

 キリウス捜索が彼女の意向である以上、いずれはこうなる運命だったのかもしれない。


『エルテは止めておいた方が良いと強く警告を記すわ』


「忠告ありがとう。でも僕は追うよ」


『エルテだってそれなりに経験を積んだ実証実験士よ。ただ口が悪いだけの人間をここまで毛嫌いはしない』


 お互い、少しムキになっているようにも思えた。

 単に俺が体調の問題で深入りしきれていないだけかもしれないけど。


 仲裁すべきだろうか?

 でも、譲れないものがあるのなら、敢えてくっついていても仕方がない。

 確かにこの世界では強さよりも頭数こそが重要で、それを分散させるのは大きなデメリットになるけど……


『キリウスはパーティ内の人間関係をムチャクチャにするような奴』『あの時のパーティは全員がお互いを疑いの目で見るようになってた』


 俺にだけ、水流はSIGNで補足をしてくれる。

 その内容は具体性こそないけど、多分その場にいない奴の悪口とか悪意ある嘘を平気で言うような人間なんだろうと推察するに十分なものだった。


『私にとってそのゲームとパーティは現実を忘れさせてくれる大事な場所だったのに』『全部メチャクチャにされた』


 悲しみが、伝わってくる。

 同じ文字でも、水流と一度会っている事実が、彼女が語っていた過去が、彼女の感情を俺に伝えてくる。


『もう同じ目に遭いたくない』『先輩たちをそんな風にしたくない』


 ……そっか。

 水流の気持ちはよくわかった。

 俺もそうなりたくはないよ。


『でもここでブロウが俺達から離れたら、結局はキリウスって存在にかき回されてることになる』


『それは』『そうかもしれないけど』


 厳しい事を言ってしまったかもしれない――――そんな後悔がズンと頭にのし掛ってくる。

 正直、今の俺がどこまで水流を思いやれているのかはわからない。

 わかっているのは、彼女にとってゲームは現実からの逃避の場であり、大切な場所だった事。


 そう、過去形だ。

 今の水流のクラスは学級崩壊なんてないんだから、逃避の場じゃない。


 それでも〈アカデミック・ファンタジア〉をプレイして、今はこうして〈裏アカデミ〉にログインしている。

 ゲームが好きだからだ。

 オンラインゲームを、人との繋がりを欲しているからだ。


 その場所を取り上げたくない。

 水流は――――同士だ。


「あの、ちょっといいですか」


 そして多分、俺と同じ事を終夜も思ったに違いない。

 ずっと黙っていたリズが、その重い口を開いたのは決意の表れだと直ぐに感じ取れた。


「テイルさん以外の研究者を探しませんか?」


「研究者を?」


 予想していなかった所からの提案に、ブロウは少し戸惑っている……ように思えた。

 これはあくまでも勘だけど。


「テイルさんは、キリウスを探す術を持っていないから、私達に捜索を依頼したんだと思います。でも、他の研究者だったら、もしかしたら……」


 ……そうか!


「特定の人物を捜し当てる発明品を開発できるかもしれない」


「はい。さすがシーラ君、わたしの考えていることはお見通しですね」


 何故か嬉しそうな終夜の反応はともかく……確かにそれが現状でのベストだ。

 上手く見つかれば、キリウスと接触せずに居場所を探れる上、この危険極まりない世界をアテもなく探し続けるよりもずっと安全だ。

 まあ、研究者のアテもないんだけど……それでもリスクはかなり抑えられる。


「後の事は、研究者が見つかってから考えても遅くはありません。どうですか?」


 リズの堂々とした提案は、ブロウの答えを待つまでもなく、会心のものだと断言できた。

 そしてブロウもまた、返答の必要さえないと判断したらしい。

 彼の次の発言の対象は、リズじゃなくエルテだった。


「すまなかった、エルテ君。僕は自分のことばかりを考えて、君の気持ちを足蹴にしていた。僕がここで抜けるのは、君に嫌な思いをさせるだけなのに」


 その憂慮は、エルテの人となりをある程度わかっているからこそ。

 もし彼女の事を無神経だと思っていたら、決してそうは思わないだろう。


『気にしないでとエルテは海より広い心でそう記すわ』

『よかった。指震えてた』


 少し不遜な彼女の発言が、ブロウへの気遣いによるものだという事を、今届いたばかりのSIGNの文章が伝えてくる。


 そして、今回最大の功労者――――


「全ては神の導きです」


 リズの取って付けたような、キャラ設定に忠実な締めの言葉を見て、俺は思う。


 いつの間にか、この4人だからこそ――――そういう関係になっていたんだな、と。


「名前、付けるか」


「え? なんのですか?」


「このラボの。まだ決めてなかったし」


〈アカデミック・ファンタジア〉では、ギルドの事をこう呼ぶ。

 この4人でなくちゃいけないのなら、ラボに名前を付けておかないとな。


「ではこの女神リズが名を授けましょう。エリュシオン、で如何でしょう」


「却下」


「なんでですか!? 今回頑張ったのに! カッコいいじゃないですか!」


 それとこれとは関係ない。

 そもそもエリュシオンって死後の魂が暮らす楽園だろ……不吉過ぎるわ。


「ブロウは何か案がある?」


「いや。今回僕はやらかしてしまったから、名付け親になる資格ないしね。ははは」


 あ、何気に気にしてるっぽいな。

 和を乱すだけじゃなく、珍しく余裕なかったもんな。

 それだけ、ロリババアのテイルに気に入られたいって事なんだろうか。


「エルテは?」


『シーラに任せるとここに記すわ。これは決して責任転嫁とか恥ずかしい思いをしたくないとか、そういう逃げの精神じゃないと念を押して記すわ』

『こういうの苦手だから許して』


 ……なんかSIGNの方が翻訳機みたいになってるな。


 で……結局俺が決めるのか。

 ま、俺今回何もしてなかったし、これくらいは請け負うか。


 ここに集まった4人は、何か特別な共通点がある訳じゃない。

 ブロウ以外とはリアルでも知り合いになってるけど、だからといって仲良しって訳でもない。


 いつの間にかこの10年後のサ・ベルに迷い込んで、なんとなく集まって、なんとなく協力して……いつの間にか結成した、流され上手な4人。

 本当なら、真っ先に決めておかなきゃいけないラボの名前さえも今になってようやく着手するような、単なるゲーム好きの4人。


 まるで、放課後の教室でなんとなく居残っていたような……そんな4人。


「【モラトリアム】にしよう」


 これから幾ばくの猶予が俺達に残されているのかはわからないけど――――この4人でクリアしたい。

 終わりがあるというこのオンラインゲームを、最後までプレイしたい。


 みんなでエンディングを迎えたい。

 そう思うようになったのは……一体いつからだろう?

 でも自覚したのは、間違いなく今日だ。


 いつの間にか身体から重さが消えていた。

 電源を切ったゲーミフィアの黒い画面には、微笑む俺が映っている。


 俺にしか認識できない表情。

 他人から見れば無でしかない。


 この顔をみんなにも見せたい。

 言葉以外で今の想いを伝えたい。


 そう願い続ければ、いつか叶うだろうか。


 抜け出せるだろうか。


 この迷宮よりも複雑なモラトリアム・ルームから――――

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