4-22
この日の学校も、特になんの編綴もない授業と休み時間が交互にやって来る、ごくごく普通の一日だった。
中間テストが終わって間もない事もあって、全体的に緊張感が薄いし、ハリもない。
まだ梅雨に入っていない時期だけど、天候は曇り。
イマイチ冴えない、それでいて特に大きな失望や苦痛がある訳でもない――――そんな時間を過ごした。
退屈だとは思わない。
授業の積み重ね、宿題の消化がいずれ訪れる大学受験というビッグイベントに立ち向かう為の糧になる。
要はレベリングの日々だ。
レベリングを楽しいと思えない人間は、RPGをプレイし続けるのは難しいと思う。
ある意味では単純作業だけど、レベルが上がればそれだけ出来る事が増える。
レベルアップの際の各ステータスの向上、増え続ける所持金、そしてスキルや魔法の取得。
これらがもたらす小気味良い幸福感を勉強にも感じる事が出来たなら、一流大学に入るのだって夢じゃない。
ま……今はどの大学に入って何を目指すとか、大それた考えはないんだけどさ。
目の前の出来事を理解してこなしていくだけで精一杯だ。
でも、そう思えるのは俺が環境に恵まれているからだとも思う。
例えばこのクラス。
少なくとも露骨に誰かが誰かを苛めていたり、無視されている生徒がいたりといった荒んだ状況にはないように思う。
とはいえ、俺が単に洞察力に欠けていて、水面下では陰惨な迫害が行われている……なんていう可能性も、ないとは言い切れない。
水流が中学1年の時には、学級崩壊の状態がほぼ1年間続いたと言っていた。
やっぱり1年っていう時期は、そういうのが起こりやすいんだろうか。
お互いの力関係がハッキリしていない、未知で未熟な生徒達が数十人も同じ空間で過ごしているんだから、必然的に"何か"が起こりやすいのは理解出来る。
高校1年という時期が、果たしてその条件に当てはまるかどうか……
「江頭君、ちょっといい?」
ふと、それが気になって隣の席の江頭君に声を掛けてみた。
「春秋から声掛けてくるの珍しいな。何?」
「このクラスって、カーストとかハッキリしてる?」
「……お前、そういうの気にする奴だったの? 意外だな」
「ちょっと思うところがあって。で、どうなの」
「んー……そりゃ男も女もそれなりにグループ出来てるし、なんとなく何処が影響力あるとかランク的に上みたいな漠然としたのはあるんじゃないかな。出口、どう思う?」
「あ? 何が?」
――――前の席で帰る準備をしていた出口君にまで話題が広がるも、答えはほぼ同じだった。
それなりの顕示、それなりの遠慮は存在するものの、特にカーストを意識した発言や行動は見られないし、拘っている生徒は皆無。
担任が結構ズケズケ物を言うタイプで、その割に結構好かれているのも大きいのかもしれない。
結局のところ、教室の空気を左右するのは担任の言動や態度だったりもするからな。
「もしかして春秋、どこかのグループに入りたいの? 止めといた方がいいと思うけどな」
最終的に江頭君は俺の質問の動機をそう結論付け、若干引きつった笑みを浮かべ教室を後にした。
彼に悪意はない。
ただ、俺という人間がこの教室でどんなポジションにいるのかを正確に把握していて、その上での助言だったんだろう。
今更――――最後に、そう言いそうになってた口の動きがなんとなく読めてしまった。
ま、友達付き合いを全くしてこなかった人間が急にカーストなんて口にすれば、そういう反応になるのも無理はない。
寧ろオブラートを5枚くらい重ねてくれた彼の心遣いに感謝しよう。
逆の立場だったらと考えると、結構面倒な発言だったとも思うし。
実際、今更クラスでの身の振り方を変えようとか、誰かと仲良くしようとかいうつもりは全くない。
仮に誰かが俺に悪意を向けてきて、それが原因で教室が居心地の悪い場所になったとしても、それはそれで構わないとさえ思っている。
ここに俺の居場所はあるけど、居場所は居場所でしかなく、図書館で本を読む時の居心地と殆ど代り映えしないんだから。
……ん、SIGNに着信アリ。
アヤメ姉さんか、珍しいな。
『時間があるなら麦茶でも飲みに来い』
今日は診察日じゃなかったと思うけど……暇なのかな。
時間はあると言えばあるし、ないと言えばない。
今日は水曜だから明日のゲーム発売日に向けてカフェが大忙し……と言いたいところだけど、そこまで有力なタイトルのリリース予定はないからほぼ平常通りと予想され、手伝いも強制じゃない。
表情については特になんの進展もないし、断ってもいいんだけど……ここは折角声を掛けてくれたアヤメ姉さんの厚意を酌んでおこう。
『今から行く』
『待ってるぞ』
淡白なやり取りだけど、身内との会話なんてこんなもんだ。
さて、病院に行くとするか――――
「……?」
一瞬、視線を感じた気がしたけど……
もう江頭君も出口君も教室にはいないし、戻って来た様子もない。
他に話をするクラスメートは……いるにはいるけど、周囲にその心当たりのある人物は一人もいない。
気の所為か。
ま、よくよく考えたら他人の視線を感じ取るなんて特殊能力、持ってないしな。
こういうのが続くと、いよいよ本格的にアヤメ姉さんのお世話になるんだろうけど……
「――――進展なしか。ま、悪化していないだけ良しとしないとな」
少なくとも今の所、そこまでの深みには達していない。
問診を終えたアヤメ姉さんの不敵な笑みを眺めながら、俺はそう結論付けた。
「悪化ってするものなの? これって」
「するさ。表情が作れないというのは、自己コントロールの喪失と考えられる。それが進行すれば、今度は感情が制御出来なくなったり、自己認識が曖昧になったりするかもしれない。そういう危うさがあるからこそ、私はこうして君を定期的に見ている訳だが」
……成程。
そして多分、この事を初めて明かしたのも、このタイミングというアヤメ姉さんなりの根拠があっての事なんだろう。
「とはいえ、冴えない声をしているな。そんなに麦茶がマズかったか?」
「マズいって言うか薄いよ。ここまで節約しなくちゃいけないほど儲かってないの? ここ」
「生憎、君の家ほどじゃない。それなりに患者は抱えている。ただ今日はキャンセルが入ってな。精神科ではままある事だが」
その話は以前、聞いた事がある。
精神科において、患者は必ずしも自分が病気だと自覚しているとは限らない。
周囲にムリヤリ連れて行かれるケースもあるし、半信半疑のまま扉を叩く事もある。
だから予約していても時間通りに患者が来ないなんて日常茶飯事。
キャンセルの連絡を入れるだけマシだそうだ。
「それで、麦茶が原因じゃないのなら覇気のない理由はなんだ? 学校で嫌な事でもあったか、それとも実家が潰れそうで不安を抱えているのか」
「実家は潰れそうだけど、それは今に始まった事じゃないから」
とはいえ、流石病院の先生。
表情のない俺の心境さえもしっかりと言い当ててくる。
「……ちょっと今やってるゲームで苦労してるだけだよ」
「ゲームでの苦労なら寧ろ喜々としているだろう? 君なら」
う……反論出来ない。
実際、歯応えのあるゲームに遭遇するとワクワクするからな。
例えそれが理不尽な難易度だとしても。
「そのゲームがコンプライアンス的に問題があるかもしれなくて……場合によってはプレイ出来なくなるかもしれないんだ」
「ほう。それだけそのゲームにのめり込んでいるのか」
「うん。今回はこれまでやってたゲームとは少し違って、オンラインゲームって言うんだけど、他人と一緒に遊ぶタイプのゲームで……」
「オンラインゲームくらい知ってる。今はオフラインよりこっちのが主流だろう」
……あれ?
「アヤメ姉さんってゲーム詳しいの?」
「こういう仕事をやっていると、嫌でもアニメやゲームに詳しくなるぞ。理由を知りたいか?」
「いや……止めとく」
なんとなく想像出来る。
キーワードは『引きこもり』だろうな、多分。
「君の場合は家が家だし、成績も優秀らしいから特に問題はない。ただ、ストレスが溜まるようなら一旦引け。ストレスが主因になる病気は少ないが、トリガーになる病気なら山ほどある。私が診る範疇の疾患で言えばほぼ全て該当するくらいだ」
「わかった。胆に命じとく」
とはいえ、それが実践し難いのがオンラインゲームの難しい所。
ソロプレイなら問題ないけど、パーティプレイだと離脱は自分だけの問題じゃないからな……
ある意味、社会を学んでいるとさえ言える。
そう言えば、昨日のあのミネズス村での出来事も社会の縮図っぽかったな。
郊外にデカい働き口が出来て、中央が廃れる……社会って言うより田舎の縮図だけど。
『〈裏アカデミ〉はデスゲームじゃないけど、リアル面でのサバイバル要素もあるの』
……ふと、テイルの言っていた言葉を思い出した。
その後に、プレイ実績によっては就職も可能だとも言ってたな。
これってもしかして……〈裏アカデミ〉は現実の社会と何かしらリンクしてるって事じゃないのか?
あの村人達がやっていたネーミングの仕事って、現実にフィードバックされているんじゃ……
例えば、今開発中もしくは稼働中のゲームに登場させる武器や魔法の名前を、プレイヤーに考えさせる。
そしてその中にセンスのある人間がいたら、接触を図ってスカウトを検討する、とか――――
……いやいや、考え過ぎか。
幾らなんでも、センスのある名前を付けられるからってゲームスタッフにスカウトする訳ないし。
それこそゲーマーの淡く虚く痛々しい空想ってなもんだ。
「声にハリが出てきたな。少しは気分転換になったか?」
「うん、ありがとう。でもまさか、今日の分も診察代に含む……なんて言うんじゃないよね?」
「はっはっは。何をバカな事を。これも立派な治療の一環だぞ? 石に齧り付いてでも請求するからな」
……大人って怖いな。
でもこれくらい必死じゃないと、社会では生き残れないのかも知れない。
ウチの店も。
「ま、その辺は親と相談して下さい。んじゃ」
「無理はするなよ。睡眠はしっかりと摂れ。眠れない日が続いたら睡眠導入剤を処方するから遠慮せずに連絡しろ」
「それ、教育上大丈夫なの?」
「必要だと判断したら処方する。それが薬の意義であり、医者の存在意義だ」
……つまり、プロの目から見て今の俺は睡眠薬を使ってでも安眠をしないとマズい状態って訳か。
キリウスの件だけじゃなく、水流とのリアルエンカウントとか朱宮さんとの共同作業とかも同時期に重なって、自覚以上に色んな事に疲れてるのかもしれない。
今日の〈裏アカデミ〉は少し早めに切り上げて、睡眠時間をしっかり確保しておくか。
「了解。それじゃ」
「うむ。聞き分けの良い患者は実にラブリーだな」
良くわからない褒め言葉は適当に受け流して、さっさと出よう。
ここって総合病院みたいな威圧感はないけど、なんだかんだで病院特有の閉塞感はあるから、外に出た時は結構開放感が生まれるんだよな――――
……?
今、病院の前に誰かいなかったか?
気の所為か、それとも扉を開けている間にいなくなったのか……
恐らく前者だろうな。やっぱり疲れてるみたいだ。
今日はもうログインなしにしておいた方が――――
……あ。
このタイミングでスマホがブルって来たって事は……
『先輩。今日は何時くらいにログインする?』
……人間関係が広がるにつれ、どんどん不自由になっていく。
困った事に、それが少し楽しくもある。
仕方ない。
少しログイン時間を遅らせて、それまで仮眠しておくか――――
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