4-13

 6月3日(月)。


「くぁ……」


 東京進出というかつてない冒険を行った翌日とあって身体と精神が悲鳴を上げていたのか、予定の時間に起きる事が出来ず、朱宮さんからの着信でようやく目が覚めるという、要するに寝坊ってのをやらかしてしまった。


 幸い今日は彼も早朝から忙しくなったとの事で、元々会議は出来そうになかったらしい。

 なんでも、事務所の先輩が経営する声優養成所の授業に緊急で呼ばれ、朝一から打ち合わせが入ったとの事。

 アニメやゲームの声を当てたりイベントに参加したりするだけが声優の仕事じゃないそうな。


 結果的に普段の朝とそれほど変わらない生活リズムで登校する事になった俺は、自席で1人スマホを眺めている。


 ちょっと前までは来未との会話しかなかった俺のSIGNのトーク履歴は、いつの間にか来未以外との会話で埋まっていた。

 直近のものは、昨日の電車内で交わした水流との会話だ。

 いつもなら学校に入る前に通知音の設定をオフにしないといけないけど、昨日からそのままになっている。


 会話の内容は、水流がガメスで話そうとしていた"自分語り"が大半を占めていた。

 面と向かって話すのは抵抗あったみたいだけど、SIGNでは割と饒舌だった。

 もしかしたら、ずっと誰かに話したくて、そのきっかけを探していたのかも知れない。


「ふぁ……あ~」


 学校が退屈な訳じゃない。

 家で予習復習をやらない俺は、ここでしっかりと勉学に集中しておかないと、あっという間に落ち零れる。

 だから嫌でも緊張感を持っていないといけない……んだけど、今日はどうにもピリッとしない。


 原因は、今サブバッグから取り出したこのスマホの中にある。

 少しずつ滲みが消え輪郭を帯びていく目の前の会話に思いを馳せながら、俺は意識を微睡ませていた――――





『スクールカーストが嫌だったから』


 ――――ゲームを始めたきっかけは? 


 そんな俺の質問に対する水流の返答は、殆ど揺れる事のない車内にあって、俺に随分と大きな振動を与えてきた。


 スクールカースト。

 勿論、意味がわからない訳じゃない。

 クラス内における生徒の序列であり、ある種暗黙の規律とも言える。


 ただ、実態はそこまで高尚なものじゃない。

 言うなれば"空気"だ。


 この人は大声で笑っても許される、そんな空気。

 担任を目の前で呼び捨てても許される、そんな空気。

 この人の話に白けた態度を取ると仲間外れにされてしまう――――そんな空気。


 そこにあるのは、強制力も罰もない、ただの空気に過ぎない。

 でも皆が共有する事で、空気は規律になる。

 罰よりも厄介な圧を携えた規律に。


 ただ、俺自身は一度もこの洗礼を浴びた事がない。

 スクールカーストは男女とも存在するけど、男の方が陰キャには寛容だ。

 だから俺は、全く関係のない所で生きてこれた。


 ……と言うより、陰で悪意あるイジリをされているのは明白だけど、その悪意はとても薄く、こっちの具合を悪くする程じゃない。

 これに関しては、表情を作れないという俺の性質がプラスに働いている気もする。

 思った事が顔に出ない分、面白味もないんだろう。


 そして何より――――俺にはゲームがある。

 夢中になれるものがあるから、心の中が澱まない。

 切り替えも直ぐに出来る。

 

 だから、水流がゲームとスクールカーストを結びつけた事に違和感はなかった。

 俺も似たようなものだから。


 ただし、彼女の環境は俺よりもかなり深刻で厄介だったらしい。


 今から2年前、水流が中学一年生の頃の話。

 彼女自身が苛められたり、酷い目に遭わされたりした訳じゃないけど、いわゆるグループ……派閥同士の睨み合いが毎日あって、ギスギスした空気が教室中に蔓延していたという。


 担任が気弱だった事もあって、ほぼ学級崩壊状態の中、カースト上位を巡って数名の男女が『自分はこれだけ教師を蔑ろに出来る』『大人を笑い物に出来る』と幼い自己顕示欲を競い合い、マウントの奪い合いを1年中続けたそうだ。


 彼等に少しでも逆らえば、良くて無視、最悪イジメの標的にされる。

 それが怖くて、他の生徒も傍若無人に振る舞う。

 最初は空気を読んで行っていた事が、やがて自らのストレスの捌け口や優越感を満たす行為となり、善悪の判断なくやり続けていく。


 学級崩壊の多くは、そんな構図で常態化してしまうのかもしれない。


 水流はそういうのが嫌で、ゲームを始めたらしい。

 ゲームなら一人でも出来るし、無視されようと問題ない。


 あの子は空気を読んでない、私達をナメてる、嫌がらせしよう――――そうなるのは必然だったけど、それでも彼女はゲームに没頭した。

 現実から逃げていたのは、最初だけだった。


『楽しくなったから。毎日が』


 水流の目には、教室の惨状は映らなくなっていた。

 それが生徒として正しい姿勢かと問われれば、多分違うんだろう。

 でも、結果として彼女は悪行に一切荷担せず、自分の楽しいと思う事を見つけ、壊れたクラスに染まらず有意義な時間を過ごした。


 3年になった今の水流が、周囲にどう思われているのかは俺にわかる筈もない。

 そろそろ高校受験に本腰を入れないといけない時期だろうし、いつまで〈アカデミック・ファンタジア〉を続けられるかも不明瞭だ。


 それでも――――いや、だからこそ、水流はクリアしたいと切に願っている。

 その意気込みや熱量は、SIGNからでもしっかり伝わってきた。


 一方で、俺に対する第一印象も聞いてみたりもした。

 結果……


『暗い人って感じ。だっていつもムスッとしてるから』


 ある意味、重要な証言を得た。

 やっぱり普通はそう思うよな。

 もう1stインプレッションに関しては、根本的な解決――――表情を取り戻さない限りは改善出来ないかもしれない。 


『だから店員に気軽に話しかけててビックリした。人見知りしないのは羨ましい』


 ……というのが2ndインプレッションだったらしいから、結局のところあんまり評価は芳しくなかったらしい。

 嫌われてはいなかった、というだけでもマシと思っておくべきなんだろうけど。


 俺の方は、水流――――エルテの中の人に対する印象が大きく変わった。

 可愛いもの好きなのは、エルテの容姿からも明らかだから驚きはなかったけど、意外にも彼女は昔のゲームにも結構詳しかった。

 なんでも昔のゲームの方がキャラ作りが甘くて、そこが可愛いそうだ。


『最近のキャラは設定ありきで動いてる、みたいな感じが多くない?』


 その言葉には、結構ハッとさせられるものがあった。

 それに対し、オンラインゲームのNPCは割と昔のキャラっぽい――――単に作り込みが甘いだけとも言うが――――ところが気に入ってるそうな。


 ~♪♪♪♪


 ……と、こんな時間に着信か。

 相手は……水流だ。

 昨日あれだけ話したのに、まだ足りないのか?


『先輩、今日アカデミ来る?』


 ああ、その確認か。


『8時くらいに』


『なら30分前にこっちに連絡入れるから』


 なんだ?


『話しておかないといけないこと、ある』


『大事な話っぽいね』


『うん。真面目な話』


 ……そろそろ授業が始まる。

 ここらで切り上げておこう。


『実は私』


『授業始まるから一旦終わろう』


『ラスボス うん了解』


 ちょっと待てーーーーーーーーーーーーーーーっ!


『ちょっと待った』『え?いきなり何?』『ラスボスなの?』『水流って本当にラスボスだったの?』


 俺にしてはかなり珍しい、怒濤のトークラッシュを試みてみたけど……返答なし。

 もう電源切ったか……


 あんの中坊、なんちゅーところで切りやがるんだ。

 そりゃ終わろうって言ったのは俺だけど!


「始めるぞー、席に着け」


 あーもう、こんな悶々とした状態で授業なんて頭に入るか!

 今日の学校生活はもう完全にダメだな……集中出来そうにない――――





 案の定、授業内容が全く頭に入らないまま、昼休み。

 午後の授業の準備をしながら、俺はなんとなく見慣れた教室の景色をいつもと違う心持ちで眺めていた。


 行儀悪い座り方でゲラゲラ笑いながら話す女子生徒。

 一人静かに机に突っ伏す男子生徒。


 このクラスにもきっと、スクールカーストは存在している。

 それがわかりやすく顕在化されてはいないけど、間違いなく序列はあるんだろう。


 誰が権力者で、誰が被虐者なのか。

 そんな目でクラスメートを見た事は一度もないから、正直言って全くピンとこない。


 もしかしたら彼等にとって、俺は最下層なのかもしれない。

 いや寧ろその可能性が圧倒的に高そうだ。

 自分の中ではそこまで深刻に受け止めていなかったけど、『ミステリアス君』なんて呼ばれてる時点で、やっぱり小馬鹿にはされてはいるんだろう。


 それでも――――そう自覚しても尚、特に感情が波立たないのはきっと、俺にとってこの教室がさして重要な場所じゃないからだ。


 ゲームに人生の大半を費やし、友達も作らず虚構の世界を歩く。

 それに何の後悔も不満もない。

 そんな行為は時間の無駄だ、将来の役に立たないと誰に言われようとも『そうですか、辛辣ですね』と無感情に返すだけの覚悟は出来ている。


 ゲームはこんな俺に居場所をくれる。

 表面化しない喜怒哀楽を不思議に思わない。

 こんなありがたいものはない。

 

 将来ゲームに携わる仕事が出来ればいいな――――とも、思えないけど。


「はーいお前ら、バカやってないで席に座りなさい。バカやってる分だけ将来社会的に死ぬ確率が少しずつ少しずつ上昇してますからねー」


 ……なんだ?

 まだ昼休みの最中に担任が入って来るなんて珍しいな。

 何かトラブルでもあったか? 


「これから持ち物検査やりまーす。全員即座に荷物を全部、机の上に置いてくださいねー。何か一つでも隠したら内申書に『ただしコソ泥』って書くからねー」


「おいおいおいマジかよ!」

「抜き打ちとか嘘だろ!?」

「そんなのプライバシーの侵害じゃねーのかよ!?」


 当然、不満の声が噴出しているけど、確か法律的にはギリセーフだったっけ、抜き打ちの持ち物検査。

 まあ見られて困るような物は何もないし、サクッと終わらせよう。

 学生鞄と、サブバッグと……


 ……ん?


 このバッグ、昨日の東京遠征の時にも持っていったんだよな、確か。

 そりゃそうだよな、他に気の利いた外出用バッグなんて持ってないからな。


 昨日は疲れてたから、荷物の出し入れなんてする前に寝ちゃったんだよな。


 ……って事は?


「次……は春秋君ですね。君は真面目だから何も余計な物は持ってきてないとは思いますけど、一応中身全部ブチまけて下さいね」


「先生に大事な質問があります」


「勿論受付けますよー。教師ってそういう仕事ですから」


「ちょっとした小旅行にこのバッグを持っていって、そこに旅先の息抜き目的でゲーム機入れてたとして、それって不純ですかね?」


「まさか。ただしそれはそれとして、それをすっかり忘れてて翌日学校にそのまま持ってきちゃった……なんてマヌケなコトやらかしてたら没収待ったなしですけどね」


 ……そうですか、辛辣ですね。

 という訳で、俺は担任からゲーミフィアを没収されるのと同時に、ミステリアス君から『学校にゲーム機持ってくるヤベー奴』にジョブチェンジするハメになった。

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