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 翌日――――6月2日(日)。


 祝日のない6月の休日は貴重で、世の飲食店全てが『雨だけは降ってくれるな』と祈っているのは想像に難くない。

 けれど自然とは斯くも無慈悲なもの。

 梅雨入り前にも拘わらず、この日は河童も溺れそうな豪雨が全国の商業施設を蹂躙していた。


 降雨量・年間降水日数が少なく日照時間が長い山梨県もこの日は例外じゃなく、台風でも来たのかと思うような雷雨で早朝から外がやかましかった。

 ただ、俺が今起きているのは、その騒音の所為じゃなく――――


『こういうのはどうだい? whisperに専用アカウントを作って、プレノートの中の名文、名言を延々と呟き続ける。名付けて「ライク・ア・bot」。どう?』


「それ、ライクどころかまんまbotじゃないですか」


 昨日約束していた、朱宮さんとのSIGNの為。

 ……時間の都合上仕方ないとはいえ、寝起きで頭が働かない中でアイディアを出し合うのは結構無謀だったかもしれない。


「そもそも、それだと朱宮さんの声が活かせないと思うんですけど。折角のストロングポイントを放置するのは勿体ないですよ」


『そう言って貰えるのは嬉しいけどね。僕を立てる必要はないんだよ。あくまでカフェとプレノートの宣伝が第一』


 あらためて思う。

 なんて良い人だ。

 名の通った声優さんが、ウチみたいな個人経営の弱小カフェにここまで肩入れしてくれるなんて……


「でも現実問題、朱宮さんの声を利用しない事には新規開拓は望めないんで」


『リアリストだね。そういうプロフェッショナルに徹する部分には共感を覚えるよ』


「打算的なだけなんで、過大評価は止めて下さい」


『ははは。それじゃ、そろそろ時間だから今日はこの辺で』


「了解です。俺も明日までにアイディアをまとめておきます」


 そんなやり取りで、この日の会議は終わった。

 意外にも、朱宮さんはスタンプを一切使わない。

 そういう所でも気が合うらしい。


 取り敢えず、今日すべき事の一つはこれで終わった。

 外は相変わらずの悪天候で、カーテンを開けても景色は滲んでしまっていて輪郭すらおぼろげ。

 こんな日に外出するのは、相当億劫に違いない。


「それでも、足を運んで下さるお客様が必ず来ると仮定して店を開けるのが、地域密着型のカフェってもんだ。精神論? バカ言っちゃいけないぜボーヤ。プロってのは努力や根性を美徳とはしない。売り物にするのさ。『頑張ってますよ』ってアピールにさえ値段を付けるんだ。ただし、付ける値の倍以上の努力が必要だがね。だから深海、こんな天気の日でもちゃんと待機……おい深海! どこ行った深海!?」


 遠くから親父の声が聞こえた気がしたけど、間違いなく気の所為だろう。

 ここは自分の家じゃなく、ましてや山梨県ですらないのだから。


 先日、終夜と会う為に神奈川を訪れたばかりだけど、今回やって来たのはその隣にある日本の中心都市――――東京。

 朱宮さんとの会議を終えた俺は、先程まで使っていたスマホを鞄にしまい、2番ホームのベンチから腰を上げた。


 駅に降りればそれだけで自慢。

 一泊した日にはもう英雄。

 住もうものなら末代までの語り草。


 田舎者の学生にとって、東京ってのはそういう場所だ。 

 

 現在地の東京駅周辺は山梨以上に雨脚が強く、バケツの水をひっくり返したような勢いだというのに、駅構内は人・人・人の群れ。

 今から何らかの国民的行事でもあるかのような賑わいを見せている。

 きっと、これが東京の日常なんだろう。


 そして、こんな俺でも東京駅のヤバさについては聞いた事がある。

 兎に角考えなしに動くな、下手に動けば一生出られない……と、以前東京に住んでいたというクラスメートが目を血走らせて語っていた。  


 実際、日本にダンジョンという空間が実在するとすれば、それはここしかない。

 それくらい完璧に迷宮だ。

 

 特に厄介なのが階層の多さで、そもそも駅という概念そのものに齟齬があると思えてならないくらい、別次元の世界が上に下にと広がっている。

 そしてそれに伴い、エスカレーターの数が尋常じゃないから、どこにいっても似たような風景に見えてしまう。

 恐ろしいトラップだ。


 それでもなんとかホームから改札を抜け、命からがら地下一階へ到着。

 本来なら、差し詰め『ここからが本当の地獄』ってところだけど、幸いにも目的地は八重洲中央口の地下というわかりやすい場所だった為、所要時間内になんとか辿り着く事が出来た。


 東京キャラクターストリート。

 東京駅一番街の地下街エリアにある、去年10周年を迎えたキャラクターグッズ専門店街だ。


 この中にあるテナントの一つで、今年開店したばかりの『ロード・ロード ストア』の前で足を止める。

 ここが今日の目的地であり、エルテとの待ち合わせ場所だ。


 国民的RPG『ロード・ロード』初の専門ショップで、主にキャラクターグッズの販売を行っているお店とのことだけど、意外と小さい。

 来未のコスプレ資料用に女性キャラのグッズを買っておこうかと思ったんだけど、良い物は置いていないのかもしれないな。


「さて……いるかな」


 そう心の中でニヒルに独りごちつつ、俺は昨夜のテイルとの会話を思い返していた――――






『それは良い考えだと、エルテは拍手を送る心持ちでここに記すわ。日を改めて、正式な場で会いましょう』


 エルテの返答は、俺にとって余りに予想外なものだった。

 まさか二つ返事で受理してくれるとは。


 いや……待て待て、どう考えても怪しいぞこれは。

 つい先日、即答でオフ会に難色を示していた奴が急に心変わりするなんて、不自然過ぎる。


「いいの? 前に親睦会の話をした時、キッパリと断られた記憶があるんだけど」


『親睦会は嫌。でも貴方と二人で会うのなら構わない。と、エルテは両者を明確に区分しここに記すわ』

 

 複数人で集まる親睦会はダメ、俺と一対一で会うのはOK。

 ……ますます怪しい!

 なんか胡散臭い壺とか買わされそうな気がしてきた。


 そもそも、もし彼女がゲームスタッフの一員だとしたら、プレイヤーの俺と会おうとするだろうか?

 この時点で既に、スタッフじゃないと断定しても良いんじゃないか?

 だとしたら、『世界樹の支配者』を自称する病んだプレイヤーって結論になっちゃうけど……まだそう決め付けるのは早い気もする。


『そっちから誘ってきた割に反応が鈍いわね、とエルテは呆れ気味に記すわ』


 う……確かに。

 こっちから仕掛けておいてこの狼狽えよう、カッコ悪いかもしれない。

 こうなったら腹を括ろう。


「悪い。断られるの覚悟だったから、ちょっと驚いた」


『ナンパ目的なら今からでもお望み通りの展開にしてあげるけど? とエルテはイイ女ぶってここに記すわ』


 ……なんか発言がオヤジ臭いな。

 ま、目的はナンパじゃないんだから、彼女が男だろうがオッサンだろうが構いはしない。

 というか、その可能性を常に頭に入れておかないと、実際そうだった時の心的ダメージに耐えられない。


「了承してくれてありがとう。早速日時と待ち合わせ場所を決めたいんだけど、何時なら空いてる?」


『明日なら大丈夫。場所は――――』





 ……と、その後は具体的な地名を挙げずにあくまでゲーム内の世界観で許容される表現を用い、この待ち合わせ場所を決めたんだっけ。

 というか、そんな縛りプレイじゃ"中心都市"くらいしか適切な言葉が思い付かなかったから、東京しか選択肢はなかった。


 そんな回想をしながらも、店内に入りエルテを探しているんだけど、一向に見つからない。

 お互いが直ぐにわかるよう、目印として"世界を閉じ込めし小箱"……要するにゲーミフィア本体を右手に持って来るように約束してあるから、本人がいれば直ぐにわかる筈。 

 

 けれど、決して多くない店内の客の中に、ゲーミフィアを持っている人はいなかった。

 どうやら俺の方が早く着いたらしい。


 なら仕方ない。

 来未や両親へのお土産でも探して――――


「シーラ」


 不意に背後からそんな声が聞こえて来た。

 シーラ……?

 あ、俺の事か。


〈アカデミック・ファンタジア〉のプレイ期間もそれなりに長くなっているけど、現実でシーラなんて呼ばれた事がないもんだから、今一つピンと来ない。

 ……なーんて言い訳をしつつ、振り向くのを躊躇していたのは……その……声が……男……のものだったから。


 覚悟はしてたよ。

 してたけれども。

 いざ現実になった瞬間、こうも思う。


 出来る事ならこのまま無関係を装って山梨に帰りたい……!


「キミ、シーラ君で合ってる?」


 そんなテンパっている俺に、無慈悲な男声の追撃が。

 仕方ない、割り切ろう。

 ゲーム内で女性を演じているプレイヤーさんとの会話なんて初めてだし、これも貴重な経験だ。


「は、はい。そうです」


「ああ、良かった良かった。やっぱりキミか」


 振り向いた先にいた男性は、推定年齢40前後の容姿で水色のパーカーを着こなす、カジュアルでフェアリーな方だった。

 そのラフな外見は、俺の中で勝手に持っていたゲームスタッフのイメージから逸脱するものじゃない。

 もしかしたら、やっぱり――――


「待ち合わせしてる人、さっき貧血で倒れて駅の事務室に運ばれていったよ。いやー、その時に頼まれちゃってさ。ゲーミフィア持ってる人にこう伝えてくれって。見つかって良かったよ」


「へ?」


「いや、だから事務室に」


「エルテが?」


「そんな真顔で言われても……名前は知らないよ。エルテって言うの? 日本人だったけどなあ」


 ……なんだこのフェイントは。

 一度は男なのを覚悟しただけに、すっごくモヤモヤする。

 いや、本人もこの人にも何ら責任はないんだから、悶えてる場合じゃないか。


「ありがとうございます。お時間を取らせてしまってすいませんでした」


「いやいや。それじゃ」


 推定年齢40前後の容姿で水色のパーカーを着こなすフェアリー……もとい、ちゃんとした大人の男性は颯爽と店を後にした。

 なんて良い人だ。

 東京ってスゴい所だな。


 さて、それより事務室だったか。

 にしても、貧血とは……もしかして病弱なのか?

 こうなってくると、俄然女性の可能性が高くなってきた。


 ……っていうか、もしこの流れで『残念! やっぱり男でしたー!』ってなったら、俺の顔にも怒りの表情が浮かぶかもしれない。

 それも期待しておこう。


 そんなこんなで、駅員から事務室の場所を聞き、再び移動。

 案の定二回くらい迷い、その度に駅員に場所を確認しながら右往左往し、10分ほど悪戦苦闘した後にようやく到着――――


「はじめまして。エルテです」


 そこには、青ざめた顔で横たわる女の子の姿があった。


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