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〈アカデミック・ファンタジア〉には、コネクト登録した相手と一対一でのみ行う『Cチャット』、一対一だけじゃなく自分の周りのプレイヤーも会話のやり取りを視認できる『Aチャット』、所属しているラボのメンバーのみ行う『Lチャット』などのチャット機能がある。


 ただし、それらはあくまでもゲーム内専用のチャットで、今回のような状況では使えない。


 でも、それら以外にも他プレイヤーとの交流の場が存在するのでは――――そう思い、〈アカデミック・ファンタジア〉の公式サイトをくまなくチェックしてみた結果、案の定見つかった。


 公式のプレイヤーズサイト内にある掲示板だ。


 説明を読む限りでは、ゲーム外、すなわちキャラクター同士じゃなくプレイヤー同士で会話をする為の掲示板らしい。

 ゲーム内だと世界観が壊れてしまうような会話や、ゲーム以外の話題も交えて話したい場合に活用する為の場との事だ。

 オンラインゲームに疎い俺は、今までこの掲示板の存在を知らなかった。


 この掲示板にアポロンとソウザに向けてのコメントを投稿すれば、直接2人に送信は出来なくても、いつか彼等の目に留まるかもしれない。


 でも、それをすれば当然『挨拶が遅れた理由』を聞かれるだろう。

 もしそうなったとしても、今の状況を説明する訳にはいかない。

〈裏アカデミ〉の存在を、招かれていない人達に明かすのは御法度だった筈だ。


 適当にはぐらかす事は難しくない。

 家庭の事情と言えば良いし、そうすれば向こうも余り突っ込んだ話はしてこないだろう。


 ……それで本当に良いのか?

 彼等は初心者の俺に、本当に良くしてくれた。

 そんな2人に、最後に嘘を吐いてお別れするのか?


 俺は今、オンラインゲームを楽しんでいる。

 家庭用ゲームしか興味なかった俺が、〈裏アカデミ〉を心から楽しんでいる。

 その自分には正直でありたいし、極秘のうちに進められている〈裏アカデミ〉の情報が他者に漏れて、開発が滞る――――なんて事態は避けたい。


 でも、このまま不義理を働くのも良くない。

 短期的なプレイになるのは予め話していたし、最後の一週間ログイン出来なかったのも大きな迷惑にはなっていない……とは思うけど、例えそうでもアポロンとソウザにはしっかり詫びを入れて、もう一緒にプレイ出来ないとあらためて伝えなくちゃならない。


 嘘を吐く事になる。

 誠実さに欠けるお別れの挨拶になるだろう。

 でも、何も言わないでいるよりはマシだ。


 もし2人に罵られてたとしても、呆れられたとしても、それは当然の反応なんだから、しっかり受け入れよう。


 そう決意し、スマホを手に取って〈アカデミック・ファンタジア〉の公式プレイヤーズサイトから掲示板を覗いてみる。

 掲示板なんて一度も利用した事ないから、投稿方法も空気感も全くわからない。

 取り敢えず他の人達の書き込みを見て、感じを掴んでみよう。


 基本的には雑談スレッドが殆どで、何かテーマを掲げたスレッドはほぼ見かけない。

 この中に、個人宛のスレッドを立てるのはかなり目立つし勇気が要るな……


 いや、尻込みする権利なんて俺にはない。

 数少ない雑談以外のスレッドを参考に、2人に伝わるような投稿を――――


「……え?」


 高速スクロールで過去の掲示板を読み漁っていた俺の目に、信じ難い文章が飛び込んで来た。


『シーラへ』


 その極限とも言えるシンプルなスレッドタイトルは、だからこそ一瞬で俺の視界に突き刺さってきた。

 どう考えても、アポロンかソウザ、若しくはその両方から俺に向けへのメッセージだ。


 ついさっき、どんな罵倒だろうと受け入れる覚悟を持ったばかりなのに、いざ目の前にその現実が迫ってくると躊躇してしまう。

『死ね』とか書かれていたら……どうする?

 本名も知らない、付き合いも短い、ゲームだけの関係――――とはいえ、先日まで仲良く一緒に遊んでいた人からそんな事を言われたら、平常心でいられる訳がない。


 これから〈裏アカデミ〉をプレイする意欲さえも、消し飛んでしまうかもしれない。


 ……それでも、見ない訳にはいかないんだよな。

 逃げる権利なんて俺にはない。

〈裏アカデミ〉をプレイすると決めた以上、この“裏切り”は避けられなかったんだから。


「……ふぅ」


 小さめの溜息を一つ。

 緊張している自分が、その溜息の中にいる。

 心は軽くはならないけど、気持ちは固まった。


 意を決して、メッセージの確認を行った俺の目の奥に飛び込んで来た言葉は――――





 アポロン:


 いろいろあるかもしれねーけど、ずっと待ってっからさ! 引退報告はいらねーよ!!!



 ソウザ:


 また会おう。





 2人とも、俺が〈アカデミック・ファンタジア〉を始めた日からちょうど一ヶ月後に当たる5月25日にその文章を投稿していた。


 ……俺は本当にバカだ。

〈裏アカデミ〉の事で舞い上がって、彼等への挨拶について真剣に考えていなかった。

 ゲーム内で会話が出来なくなっていても、こうしてちゃんと探せば方法は幾らでも見つかるのに。


 こんな良い奴等を蔑ろにしてしまった。

 その俺の罪は、果てしなく重い。 


 表情を変える事が出来ないのは、心因性のもの――――ずっとそう言われてきた。

 仕方がない、君は何も悪くないと、アヤメ姉さんは優しく諭してくれた。


 でも、きっと違う。

 俺は薄情なんだ。

 本来あるべき人としての心が欠落してるから、笑顔一つ作れないんだ。


 やっぱり俺は、人間失格だ――――


「……?」


 不思議な感覚だった。

 何か熱い物が込み上げてくるような感覚もなければ、感触さえなく、スマホを持っていた右手の腕に幾つもの水滴が落ちる。


 泣くのが初めて――――という事はない。

 表情とは違って、涙腺には特に問題を抱えていないから、欠伸をすれば涙は出るし、感動して泣く事もある。

 だけど、それでも俺は、今日のこの自分自身の涙に救われた。


 優しさに涙を流すだけの心は在るんだ。

 何処かは知らないけど、何処かに在るんだ。

 

 なら、このままで良い筈がない。

 このまま去って良い訳がない。

 彼等に、アポロンとソウザの2人に言わなくちゃいけない事がある。


 でも、この掲示板に今の心境を綴るのは、例えどんな言葉を書いたとしても、おざなりで不埒に思えてしまう。

 彼等の好意を利用して、綺麗に取り繕うに過ぎないからだ。

 俺の本心がなんであれ、2人にそう思わせるような事だけはあっちゃいけない。


 今はアポロンの言葉に甘えよう。

 引退の挨拶はしない。

 1ヶ月限定は撤回だ。


〈裏アカデミ〉をクリアして、もう一度彼等と〈アカデミック・ファンタジア〉をプレイする。

【ノクターン】に戻って、今度はちゃんとした戦力になる。

 それが、彼等の優しさに応える唯一の方法だ。


 ……よし!

 目標の明度が増したところで、次やるべき事に着手しよう。

 それは当然、終夜、ブロウ、エルテとの会議だ。


 問題は、ゲーム内とゲーム外のどっちで行うか。

 普通なら当然ゲーム内のLチャットを使用すべきだけど、今回に限ってはゲーム外の方が好ましいように思う。

『ユーザーのリクエストが作中に反映される』というゲームシステムそのものへの言及が避けられないからだ。


 だとしたら……アレだ。

 前に終夜にも仄めかしたことがあったけど、いわゆる『オフ会』ってのを開かなくちゃならない。

 でもそれは、俺がオンラインゲームを忌避していた理由の一つでもある。


 表情を作れないという事情から、元々初対面の人と話すのは余り得意じゃないんだけど、あくまで気乗りしないってだけの話で、人見知りする方じゃないから、そこは気持ち次第でどうにでもなる。


 問題は――――オフ会そのものに対する恐怖。

 プレイヤーキャラクターと操作している人間との乖離性に関する問題だ。


 もし、ブロウやエルテのプレイヤーがとてつもなくイヤな奴だったらどうする?

 いや……それだけなら良い。


 ガチでやべー奴だったらどうする?


 例えばエルテがネカマで、実際にガチムチな中年男性だったとしても、全く問題はない。

 オンラインゲームにまだ思い入れの浅い俺は、そもそもそこにロマンを求めていないから。


 でも、コミュニケーションを取る上で大きな問題を抱えている人だったら、正直キツい。

 世の中には色んな人がいる。

 接客業こそしていないものの、カフェという不特定多数の人達が訪れる場所で手伝いをしている俺は、そこのところを多少なりとも実感している。


 それでも、俺一人ならまだどうにかなる。

 でも終夜はどうだ?

 あいつにオフ会、参加出来るのか?


 俺に対しては何故か直ぐ打ち解けられたけど、それ以外の人間……というかPCに対しての彼女の反応は、完全に人間嫌いの領域。

 冗談抜きで、ストレスに胃を殺られかねない。


 ……ま、俺一人がここで悩んでいても仕方がない。

 兎に角、提案するだけしてみよう。

 

 早速ログイン、と。

 さて、どうなる事やら――――





「生憎だけど、僕はブロウであってそれ以外の何者でもない。そう認識して貰えると助かる」


『エルテはエルテがエルテである存在証明の為にエルテの上にエルテを造るしエルテの下にエルテを造るとここに記すわ』


 意外にも、終夜以外の2人が即刻NGを出してきた。

 特にブロウは気さくな印象だっただけに、かなり意外だ。


「このままLチャットで問題ないんじゃないか? それとも、話し難いことでもあるのか?」


 俺のPC――――シーラは現在、他の3人と共にアルテミオの実証実験士専用宿舎で暫定的な会合を開いている。

 俺がログインするずっと前から既に3人とも集まっていて、俺にここへ来るようメッセージを送っていたらしい。

 それだけでも、モチベーションの高さが窺える。


「まあ、有り体に言えばそうだ。今の視点よりもう少し上、俯瞰した状態での話がしたいと思ってる」


 そういう事情なんで、今日の俺にはゲーム内に没入し、自分とシーラを一体化させるほどの集中力はない。

 客観性をある程度維持したまま、他の3人と話している。


『何が言いたいのかよくわからないとエルテは厳かに抗議を記すわ』


「んー、なんというか、これ以上具体的に話すのはちょっとな……要は神様の話というか」


『そういうことかと聡明なエルテはここに記すわ』


 どうやら意図は通じたらしい。


 オンラインゲームに明るくない俺でも、ゲーム内でのメタ発言が人を選ぶ事くらいは知っている。

 そういうのに全く無頓着な人もいれば、極度に嫌う人もいる。 

 さっきのブロウの言葉は、後者である事を強く示唆するものだったから、こっちとしても気を使わないといけないだろう。


 世界観を壊しちゃいけない。

 仲間だろうが他人だろうが、それがゲーム内における最低限のマナーだ。


「僕も概ね理解した。これから物事を前に進めていく上で、“この世界の理”について話し合いたいんだね?」


 上手い事言うなあ。

 実際、ゲームシステムを作中で言語化するならベストの選択だろう。


「ああ、その通り。出来れば、それに適した場での会議が望ましいんだけど……」


 例によって、さっきから一言も発していないリズの方に目を向ける。

 オフ会を提案した時点で、もう既にフリーズしていたな、こいつ。


「実証実験士という立場を離れて、1人の人間として……親睦会というか決起集会というか、そういうものを開こうかと」


『それは不可能だとエルテは率直に記すわ』


 そのリズだけでなく、エルテもかなり強固に拒んできた。


 ……もしかして、ネトゲ廃人だったりして。

 いや、オンラインゲームをプレイしている人の中には少なからずいる訳だから、可能性は十分にある。


 エルテだけじゃない、ブロウだってそうだ。

 廃人って程じゃなくても、一日の大半をオンラインゲームに費やし、殆ど外に出ず、人と会わずに生活しているのかもしれない。

 それを確認する術はないし、推察するしかないんだけど、いずれにしてもしつこく誘うのはマナー違反だろう。


 なら公式の掲示板は……と言いたいところだけど、プレイヤーとしての発言はブロウが既に拒んでいるし、こっちもNG。

 となると、ここで話すしかないか。

 メタ発言をしないよう、上手く言葉を置き換えながら進行するしかない。


 慣れていない事に挑戦するのはいつだってしんどい。

 でも、俺に弱音を吐く事は許されない。

 クリアの為には彼等との連携が必須だし、意思の疎通は最重要課題だ。


「わかった。ならここで本格的な会議を開こう。武器の開発、そしてこの世界『10年後のサ・ベル』に関わる話だ」


 終夜の安堵する表情――――など見える筈もないけど――――をなんとなく感じつつ、俺はこれから選ぶべき言葉の選別を始めていた。

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