3-15

 朱宮さんの真意は――――


「このままじゃ……今日中に読み終えられない! 終電も間に合わない! 店員さん!」


「は、はい?」


「僕はどうすれば良いんでしょうか!?」


 いや、俺にどうしろと。

 取り敢えずプレノートの内容がダメって訳じゃなくて良かった。


「先輩が『お前絶対ハマるから行ってみ』って言ってたのがその通りになってしまった形です。ストーリーに沿いながら作中で語られていない部分を的確に補完、その上でここまで読ませる文章を……なんだったらこれをこのままアニメ化して欲しいくらいですよ!」


「ど、どうもありがとうございます……」


 ここまで褒められてしまうと、完全に分不相応。

 照れを通り越してちょっと怖い。


「あの、どうしても持ち出しは……」


「厳禁です、すいません」


「なら、こうしましょう! 僕の人脈をフルに使って、名だたる声優のサインをこれでもかってっくらい掻き集めてくるんで、それと交換――――」

「ダメです」


 幾ら頼まれても、この原則は敗れない。

 正直なところ、ここまで評価してくれている人にならコピー本くらい幾らでも贈呈したい気持ちなんだけど、それをしてしまったら、ミュージアムにわざわざ足を運んでここで読んでくれている他のお客さんに申し訳ない。


 尚、遠くから4時間ずーっと俺達の様子を窺い続けている来未が『声優のサイン』って言葉に反応し、それを断った俺へ猛烈な呪怨を送っている気がするけど、今は気にしないでおこう。


「……ですよね。わかりました。また……来ます」


 売れっ子声優さんだから、そう簡単にこんな田舎にまでは来られないんだろう。

 かなり落ち込んだ様子でプレノートをテーブルに積み、スマホを取り出した。


「あー……やっぱり」


「どうかされました?」


「マネージャーからのSIGNがスゴいことになってます。実は明日、とあるゲームのアフレコ……収録があるんで」


 アフレコくらい流石にわかるけど、敢えて一般的な言葉に言い直す辺り好感が持てる人だ。

 って、そんな感想抱いている場合じゃない!


「それヤバいじゃないですか! 東京ですよね、終電もうギリですよ!」


「大丈夫です。いざとなったら自腹でタクシー拾うんで」


 ここから東京までタクシーって……5万くらい掛かるんじゃ……


「それくらいの覚悟で来ましたから」


 何故だろう。

 さっきまでの爽やかな彼とは少し違う獰猛な何かが、眼の奥に見える気がした。


「実は今日、この近くでイベントがあって、声優3人でそれに出る予定だったんですけど……」


「あ、はい。話は聞いてます。他の2人が食中毒で急遽中止になったと」


「実はそれ、僕の仕業なんです」


 ……はい?


「僕達が参加する予定だったイベント、この直ぐ近くでオープンする予定のキャライズカフェだったんです」


 伺ってます。

 ええ、そう伺ってますよ。


「イベントが成功したら、このライク・ア・ギルドにとって傷手じゃないですか」


 ですね。

 ただでさえ大手 vs 個人店という絶対に勝てない戦いに更なる追い打ちです。

 

「場合によっては、ここが潰されてしまうかも知れない。だったら成功させる訳にはいかないじゃないですか」


「いや、それはちょっとどうかと」


 まさか、その為に他の2人に腐った物を食わせたなんて鬼畜の所業を……?


「他の2人が食中毒になったのは偶然です。その後、イベンターの方に『僕一人でも構わないから出てくれ』と言われたんです……が、断ってやりましたよ。フフ」


 フフ、じゃねぇ!

 いや確かに3人の予定が1人になって、それでも出ろっていうそのイベンターも無茶苦茶だけども!


「もし予定通りだったら、仕事と割り切って下唇を二針縫うくらい噛みながら粛々とこなそうと思っていましたけど……そうじゃないのなら話は別です。そしてそれは正しい判断でした。ここは潰れてはいけない。レトロゲー好きにはなくてはならない場所、そう……聖地です!」


 聖地ってそういう事じゃない!

 神も仏も聖人も関係ないしアニメの舞台にもなってないから!


 きっと良い人なのは間違いないと思う。

 でもこれは……いや、これもまた全力で生きているからこその狂気、か。


「また、来てもいいですか?」


 朱宮さんは草原で風に吹かれているかのような笑顔で、そう問いかけてくる。

 危険人物ではあるが、困った事に嫌いにはなれそうにない。


「……ええ。その代わり、仕事は優先しましょうね」


「大丈夫。もし僕にその信念がなかったら、今日は山梨に……いや、ここに泊まり込んでいたよ。きっとね」


 愛が濃い!

 いやもう自分で何言ってるかわからないくらいの混乱だ。


「それじゃ。続きは必ず読ませて貰うよ」


 ダラダラと冷や汗を流す俺を尻目に、朱宮さんは持参の栞をプレノートの中の一冊に挟み、執事のような丁寧な一礼をして店を去った。

 とてつもなく良い声で。


 ……爽風と暴風って対義語じゃないんだなと学んだ数時間だった。


「来未ビックリ。朱宮宗三郎ってヤンデレ声優だったんだ」


 心身共に疲弊し切った俺に労いの言葉さえ掛けず、来未が寄ってくる。

 親父と母さんに至っては中途半端な距離でニコニコしていた。


「なんで俺に任せきりなんだよ……接客はお前の仕事だろが」


「来未が入り込む余地なんてなかったじゃん。サイン欲しかったのに。もう、なんであそこで断っちゃうかな」


「ミュージアムの管理人として、例外は認められないね。だろ? 親父」


 あそこは親父の人生そのもの。

 俺にはそれを守る義務がある――――


「この綺麗事野郎がァ! 声優のサイン色紙で壁を埋め尽くせば全国から客がガッポガッポだろうがァーッ!」


「親父!?」


 悪魔の顔をした経営者がそこにはいた。


「はぁ……でも良い男だったねー。ツーショット写真SNSに上げて優越感浸りたかったー」


「母さん!?」


 メスの顔をした既婚者が隣にいた。


 ……なんかもう、このカフェの為に頑張ろうって気が本当に失せてくる。

 っていうか、今日〈アカデミック・ファンタジア〉をプレイする気力さえなくなってしまった。


「あれ? にーに、どったの?」


「もう寝る。お疲れ」


 その日、俺はゲーミフィアもスマホも一切電源を入れないまま眠りに就いた。

 この疲れを一刻も早く抜いて、万全の体制で〈裏アカデミ〉に挑む為だ。



 ――――けれど、現実とは斯くも無情なものなのか。



 翌日。

 疲労の種が、それはもう綺麗な花を咲かせていた。


「なあに、このノート! 最低ね! 読むに堪えないとはこのことよ!」


 放課後、今日こそ〈裏アカデミ〉を進めるべく意気揚々と帰宅した俺を待っていたのは、やたら伸びの良い女声の罵倒だった。


「お客様、他のお客様のご迷惑となりますので、絶叫はお控え下さい」


 ミュージアムからプレノートを持ち出してカフェ店内で読んでいたらしき女性客に、来未が恐々と対応している。

 実際、今日に限ってはその女性客以外にもかなり多くの客が店内に足を運んでくれていた。


 本日は5月30日(木)。

 月末の木曜は一ヶ月の中で最も多くゲームソフトが発売される日であり、ウチにとっても最大のかき入れ時だ。


 来未のコスプレもそれに合わせて本日限定の特別仕様。

 アニメ化やスマホゲーム化によって幅広い世代に高いの知名度を誇る『destiny:what a wonderful world』の人気No.1キャラクター《アミュー》の格好――――天使の羽衣と騎士の鎧を融合したようなデザインの衣装に身を包んでいる。


「だって、こんな読み難いのじゃ参考にならないじゃない! せっかく期待して来たのに、もぉーもぉーもぉー!」


「お客様、困ります。ジタバタなされないで下さい」


 その強そうな来未をして縮こまって見えるほど、女性客は居丈高……というか駄々を捏ねる子供のような態度で衆目を集めていた。


「あ、お客様。そのノートを書いた張本人が来ましたよ。そのお怒りは全てあのムスッと野郎にブツけて下さいませ、店外で」


 盗っ人野郎みたいな言い方しやがって……って、どういう無茶振りだ妹!

 とはいえ、作者の責任は果たさないといけないし、あの人をこのまま店内に留めておくのは確かに危険だ。

 嗚呼、まさか二日連続で接客をするハメになるとは……


「あの、お客様……」


「あなたがこのノートを書いたの!? 言いたいことが山ほどあるから! このお店で一番の応接室に通しなさい!」


「ええと、取り敢えずこちらへお願い致します」


 応接室が複数あるカフェなんて存在するのか……という反論をグッと堪え、取り敢えずミュージアムへとご案内。

 幸い、来未のコスプレ目当ての客が大半だったらしく、こっちは閑散としていた。

 ……辛い。


「な、何よ。いきなり辛気臭い顔して。説教はこれからなんだからね!」


 昨日とは真逆の展開に、俺の心のアップダウンも相当なもの。

 いや、昨日は昨日で浮かれ気分だけって訳にはいかなかったけども。


「で、アンタがこのノートを書いた作者で間違いないのよね?」 


 そう詰め寄るように確認をしてきた女性客の顔を、ここでようやくハッキリと目視出来た。


 ……なんと。

 こりゃまたとんでもない美人だ。


『クラスで一番可愛い女子』とか『ご近所で有名な美人さん』などとは明らかに一線を画した、表現は下世話だけど――――容姿だけで食っていける次元の美しさ。

 人気アイドルグループにおける『センターより可愛い子いるよね』って感じの女性だ。


 その外見から正確な年齢を割り出すのは難しい。

 クリクリした目や小柄な体型からは同世代のようにも思えるし、艶やかな黒髪ロングの醸し出す雰囲気や少し薄めの唇から発せられる空気感は、もっと年上とも思えてしまう。


 身体の発育も同様。

 同世代の女子より遥かに抑揚が効いていて、来未や終夜と比べてもその大きさは歴然……いや、失礼な比較と凝視は控えよう。

 

「ハッキリ言わせて貰うけど、読み難い! こんな読み難い本は初めてよ!」


 黙っていれば神秘的でさえあるその女性客は、口を開いた瞬間、気心知れ過ぎてケンカばっかりする幼なじみのように自身の空気感をポップなものへと変換させていた。 

 ……あらゆる意味で終夜とは対極にある女子だな。


「申し訳ございません。あの、差し支えなければどのように読み辛かったか御教示頂けますでしょうか?」


 客商売である以上、下手に出るのは当然。

 幸い、どんな心境だろうとヘラヘラする事がない俺は、クレーム対応については結構経験があったりする。

 こういう時は兎に角、一刻も早く問題点を明らかにして、それに対して納得して貰えるまで謝るに限る。


「長文多過ぎ! こんな長々とバカじゃないの!? こんなダラダラダラダラしてたら途中で何書いてるのかワケわかんなくなるんだけど!」


 う……痛いところを突かれてしまった。

 俺の文章は冗長だと親父からもダメ出し食らった事がある。

 自覚はあるけど、実際にこうして客に指摘されてしまうと凹むなあ……


「せーっっかく、この星野尾祈瑠様が参考にしてあげようってお忍びで来てやったのに! もうガッカリ! これじゃ収録に間に合わないじゃない! どうしてくれんの、もぉー!」

 

「収録?」


「……え? ちょっと何? もしかしてアンタ、あたしが誰だかわかってない感じ?」


「いえ、お客様という事以外は……」


「はァ!? 何でよ!? ここってゲーム専門のカフェなんでしょ!? なんであたしがわかんないの!? 異世界!? ここ異世界カフェ!?」


 ラノベには絶対あるだろうけど、ウチは違う。

 というか、どうしてこの人はここまで自分の知名度に絶対的自信を持っているんだろう。


 考えられるのは――――色んなゲームに参加している有名声優。

 でもなあ……二日連続で声優さんご来店、なんて奇跡の安売りあり得るか?

 そりゃこのカフェはもう閉店セール寸前の状況だけど、神様だってそこまで慈悲深くはないだろう。


 いや、待て。

 逆に考えるんだ。

 昨日声優が来たからこそ、今日も声優が来た――――そういう事かもしれない。


「朱宮宗三郎様のご紹介でいらしたのでしょうか?」


 だとすれば、奇跡の辻褄が合う。

 どうよ、この名推理!


「違うけど? それ何処のお侍?」


 ……まあ、確かに昔の人の名前っぽいけど。


「仕方ないから、別の店員に質問する許可をあげる。そうすれば、この星野尾祈瑠様がどんな存在なのか、ここへ来ているのがどれだけ特別でスペシャルなのかがすぐにわかるんだから」


 そんな頭痛がheadacheみたいに言われても……まあいい。

 折角許可を貰ったんだし、来未に調べて貰おう。

 なんか自分から身分を明かす気なさそうだし。


「あ、苗字は漢字で書くとね、スターの星、野いちごの野、芭蕉の尾。名前は……」


 でも意外と説明は懇切丁寧だった。

 芭蕉はフルネームで言って欲しかったけど。

 

 その名前と主旨を来未にSIGNで知らせた三分後。


『わかったよ! 星野尾祈瑠、その人はね……』


 ――――スマホの画面に表示されたその返事は、少なくとも俺にとっては驚くべきものだった。


 

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