3-8

 自分の人生において、絶望が首をもたげ待ち構えている瞬間は、果たして何度訪れるのだろう。

 その回数を知っていれば、仮にその危機に瀕しても、ここを乗り越えれば今後の人生が幾分か楽になると希望を唱える事が出来るかもしれない。


 けれど現実は非情で、そんな便利な計数器は存在しない。

 今、俺達が体験しているのは紛れもない"絶望"であり、何よりも厄介なのは、これが無数に待ち構えているであろう絶望群の一つに過ぎないという純然たる事実だ。


 通常敵、すなわち"ザコ"に対し、現時点で最強の威力を誇る武器・ミョルニルバハムートをクリティカルヒットさせ、叩き出したダメージは――――


「……9」


 人類の叡智が生み出した巨大兵器の火力が、この世界のイーターには一切通用しないという実証実験の結果を噛みしめながらも、俺はこの悪夢を受け入れられずにいた。


「僕の力不足……という事に出来ればまだ希望はあるんだろうけどね。残念ながら、そういう訳にもいかない」


 Lv.150のプライドが大いに傷付けられたであろうブロウも、未だ信じられないといった面持ちで一歩、二歩と後退る。

 一方、ゴーレムは動かない。

 こちらの様子を凝視しながら、何をするでもなくその場に立ち尽くしている。


 実験は既に終わった。

 後はここから逃げて、アルテミオの街に帰ればオーダーはクリア。

 当面の目的は果たせる。


 でも、逃げ切ったところで、務めを果たしたところで、今後俺達はどうすればいいんだ?

 ブロウが抱えている、この余りに強大な武器を全くものともしない敵がそこら中を横行闊歩する世界で、俺に何が出来るんだ?

 何をすれば……元いた時代に戻れるんだ?


 いや、仮に戻ったところで、10年後にこの世界が訪れるのだとしたら、そこに希望はない。

 未来には絶望しかない、と知りながら過去へ戻らなくちゃならないのだろうか……?


 俺は一体、どうすれば――――


「ヌゥォォォォォォヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲ……」


 不意に生じたその雄叫びは、ゴーレムが発したもの。

 耳を劈くほどの大きな音じゃなかったが、得体の知れない不気味さが周囲の空気を重く、不穏なものへと変えていく。


 攻撃の為の気合い入れという訳じゃないらしい。

 雄叫びの後もゴーレムは不動のまま。

 そしてそれはこっちも同じで、俺やリズは勿論、高レベルのブロウとエルテさえも打つ手無しといった様子で棒立ちしていた。


 ミョルニルバハムートは、単なる打撃系の武器じゃない。

 攻撃した相手には、最高峰の世界樹魔法ユグドマであるバハムートが追加効果として襲う――――そう仕様書に記してあった。

 実際、その効果は視認出来た。


 けれど、それさえもほぼ無効。

 打撃攻撃に加え、爆破系の耐性も完璧という事になる。


 なら他の属性の魔法を試すべき……なんだけど、大抵の敵に効く爆発系がダメとなると、魔法でダメージが通る気がしない。

 それどころか、致命的な反撃を食らう可能性さえある。

 これだけの時間、全く攻撃を仕掛けてこないって事は、このゴーレムは反応型――――すなわち敵の何らかの行動に対しリアクションをとるタイプだと推察出来るからだ。


 それがわかっているから、ブロウもエルテも迂闊には動けないんだ。

 そして……その逡巡は、次なる危機の呼び水となった。


「え」「なに」「あれシーラ君あれなにあれ」


 取り乱したリズが矢継ぎ早に発するその声の原因を、俺はもう察していた。

 対峙し続けているゴーレム――――その遥か向こうに見える空に、無数の影がいつの間にか点在していた。


 鳥だ。

 翼を広げ猛烈な速度で近付いているその影の正体は、鳥型のイーター。

 さっきのゴーレムの雄叫びは、あの連中を呼び寄せる為のものだったんだ。


「僕が知る[エキゾチックゴーレム]に、仲間を呼ぶ習性はなかった。進化の過程で手に入れた能力なのかもしれない」


『あの敵の数、絶体絶命なので逃げるべきだとエルテはここに記すわ』


 アンダーラインを引いて絶体絶命を強調する暇があったら走れと言いたい気持ちをグッと堪え、首肯にて同意の意を示す。

 けれど、絶望はそう甘くはなかった。


 鳥型のイーターが現れたのは、ゴーレムの背後の空だけじゃなかった。

 俺達を取り囲むように、全方位から続々と現れてくる。

 

 10羽や20羽って数じゃない。

 ケタが一つ違う。

 もしあのイーター達が、このゴーレムや[ヴァイパー]と同等の力を持っていたとしたら……


「これではもう、アルテミオの街には帰れないね」


 ブロウの言う通り。

 この状態で街に逃げ込めば、あの鳥達も俺達を追って街に入り込むだろう。

 もしそうなれば――――全滅だ。


 ……なんて事だ。

 この世界へ来て最初のオーダーで、取り返しが付かない事態になってしまった。


 戦ってどうにかなる相手じゃないし、拠点に逃げ込めもしない。

 このまま黙っていても、数刻後にはあの鳥型イーターの大群に取り囲まれてしまうだろう。


「シーラ君! どうしますよシーラ君! このままでわ全滅です! っとか鳥のエサですよわたし達!」


 メンタルの弱いリズは、テンパると所々言葉遣いがおかしくなる悪癖があった。

 でもこの状況、リズじゃなくたってまともじゃいられない。

 俺も全力で泣き喚きたいくらいだ。

 

 でも、それをしたところで事態は好転しない。

 そして、こうカッコつけて綺麗事言ってみたところで以下同文。

 結局何一つ出来ないまま、呆然と人生の終焉を迎えるしかないのか――――


『短い間だったけど』


 万策尽きたと頭を抱えそうになった俺に、エルテがそう書き記した紙をズイッと掲げ手渡して来た。

 どうやらそれは、まだ続きがあるらしい。

 直ぐに次の紙にペンを走らせ、再度掲げてくる。


『みんなと一緒に冒険できて、楽しかった』


 これは……何だ?

 彼女が何をしようとしている?


『口がきけないエルテに優しくしてくれて、ありがとう』


 薄らと陰のある笑みを浮かべ、エルテはユグドマの出力装置であるYデバイスを装着している両手を組み、祈り始めた。

 それは魔法の予備動作。

 いや、これは――――


『さよなら』



 ――――自爆!



「っておい嘘だろ!? 待て待て待て待て早まるな!」


『離して! エルテは共に戦ったかけがえのない仲間を命と引き替えに助けるの! そして立派な最期を遂げた人物として世界中の伝記に……!』


「記されるか! ってか本当に短い間過ぎて思い入れ全然ないし、自爆されても感動とか生まれないから!」

 

 そもそも一緒に冒険した記憶なんてないし、十分かけがえはある。

 とにかく色々ムチャクチャだ!


『お願いだから死なせて! エルテをみんなの心の中で主人公にさせて! そう強くここに記すわ!』


「どんだけアンダーライン引いてもダメなものはダメだって! こっちには罪悪感すら残らないぞ!? いいから一旦落ち着け!」


 激しく取り乱すエルテを羽交い締めにして、どうにか自爆を阻止。

 どうやら彼女、リズとは違う方向性のポンコツらしい。

 なまじ能力が高い分リズより始末が悪い。


 尚、そのリズは緊張に耐えきれずフリーズしたまま白目を剥いている。


「でも確かに、何かを犠牲にしなければならない時が来たのかも知れない」


 地獄絵図にも似たその惨状を嘆くでもなく、ブロウは落ち着き払った声でそう口にし、天を仰いで鳥型イーターの群れを一瞥する。

 ロリババア愛好家という一点を除けば、この中で一番まともな奴――――


「そうだ。そうだよ。何故今まで気付かなかったんだ。僕に必要なのはこの身体を捨てて幽霊になる事だったんだ。そうすれば『見た目は幼女、頭脳はババア』な彷徨う魂と巡り会える。幽霊の多くは若い頃の姿だものね。なんということだ。シーラ君、僕は今悟りを開いた気分だよ!」


「どいつもこいつも死に急ぐなあああああっ!」


 静かに錯乱していたブロウに蹴りの一つでも入れてやりたかったが、もうそんな余裕さえない。

 鳥の群れはいよいよその個々の身体がしっかり視認出来るほどに近付いて来ている。

 相当デカい……恐らくゴーレムと変わらない大きさだ。


「あーもう! こんなところで諦めてたまるかよ! ブロウ、あの鳥に見覚えないか!? 10年前に!」


 10年の歳月を経て圧倒的に強くなったとはいえ、弱点を克服しているとは限らない。

 それがそのまま通用するのなら、倒せなくとも逃げる時間くらいは……


「残念だけど見覚えはないよ。シーラ君、覚悟を決めよう。僕達はもう、皆揃って幽霊になるしかない運命なのさ」


「お前はそれでいいんだろうけどな、こっちはゴメンなんだよ! エルテ! お前は!? 弱点とかわからないか!?」


『知らないし、そんなセコい戦い方じゃ伝説になれないとエルテはここに記すわ』


 この土壇場でも全っ然ブレない連中だな畜生めが!


 とはいえ、彼等は一応打開策――――じゃないが自分なりの指針をちゃんと口にしている。

 やる事をやろうとしている。

 それに引き替え俺は、ダメだダメだと連呼するばかりで、何もしちゃいない。

 

 何か、何かないか。

 何も出来なくても、何かをしなくちゃ。




 Lv.12の俺に一体何が、何が何が何が何が何が何ががががががががががが――――




「……が?」


 今のは……何だ?

 自分の中の、自分の頭の中で浮かべていた言葉が、急にコントロールを失っていたような……


 待て。

 ちょっと待て。


 これは……何だ?


 ふと意識を周囲に向けてみると、あの今にも俺達を取り囲もうと接近していた筈の鳥型イーター達が影も形もいなくなっていた。

 でもそれは、連中が消え失せた訳じゃない。


 俺が、さっきまでのフィールドとは全く違う場所に移動していた。


 そして、今目の前にある景色には心当たりがあった。

 ソル・イドゥリマ。

 研究都市スクレイユの研究施設、ソル・イドゥリマの文化棟――――その研究室と思しき部屋だ。


 室内は決して広くはなく、その上全ての壁が本棚で隠れている為、閉塞感で息が詰まりそうになる。

 中央の長机には本をはじめ食べかけの果物や縦笛のような物などが散乱していて、余りにまとまりがない。

 その一貫性のなさが、如何にも文化棟って感じだ。


 リズの姿は見当たらない。

 ブロウも、エルテもここにはいない。

 俺一人だけが、いきなり何の前触れもなくこの場所に転移していた。


 一瞬、今までの事は全部夢だったんじゃないかと思ったりもしたが、白昼夢にしては現実感があり過ぎる。

 だとしたら……考えられるのは二つしかない。


 まさかあのタイミングでとは思うが、10年前に戻ってこれたのかもしれない。

 なら、ここは元々俺やリズがいた時代のソル・イドゥリマって事になるが――――


「実験は成功だったみたいなの。よかったの」


 けれど、その可能性は即座に否定された。

 10年前のあの時代には、少なくとも顔を合わせた事のなかった人物が、明らかに俺を知っている口振りで話しかけてきたからだ。


 その人物は、俺の視界から僅かに外れた右斜め前方にいた。

 ほんの少し首を動かし、そこにいる"彼女"を視認し、そして確信する。


 もう一つの可能性。

 すなわち――――空間転移。

 そして、そこに関連する人物と言えば……一人しかいない。


 若草色の上着と黒のレギンスに身を包んだ幼女。

 かつて俺とリズに転移装置の実験を依頼した、あのテイルの姿がそこにはあった。

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