3-4
自分が生まれたサ・ベルという世界に対し、疑問を抱いた事なんて一度としてなかった。
世界樹の
けれども、その考え方は健全じゃなかったらしい。
仮に――――今いるこの世界が、10年後の未来だという話を素直に受け入れるならば。
「長らくレジンの恩恵を甘受し続けて来た我々は、ただただ無知だったのさ。世界樹が永久に存在し続けると錯覚し、イーターにも勝利し続ける事が出来ると思い込んでいた。今がずっと続くのだと」
エーキィリの言う"今"とは、つい昨日まで俺やリズが暮らしていた、あの日々を指しているんだろう。
事実、俺達……と言うのは烏滸がましいけれども、ソル・イドゥリマの人々は上手くやっていた。
レジンの軍事利用をより効率的、よりダイナミックに押し進め、武器防具・魔法をはじめ、あらゆる分野で画期的な発明を生み出し、周辺のイーター共を圧倒していた。
強い武器が生まれれば、それを使いこなそうとする人々の筋力と技術も自然と強化されて行く。
新たな魔法が誕生すれば、その使い道を数多の専門家チームが検討し、更なる発展へと導いていく。
高度成長。
スクレイユはまさに、その最中にあった。
「だが、永遠などこの世に存在しないと見せつけられた。君達がいた世界は、10年前――――ちょうど君達がこの時代に来る直前に様変りする事となる」
「様変わり……ですか? 一体何があったんです?」
半信半疑のスタンスを崩さない俺の煮え切らない問いにも、エーキィリは深々と頷き丁寧に答えてくれた。
「レジンの枯渇と、イーターの突然変異。この二つが同時に発生した」
枯渇――――それは、俺にとって全くピンと来ない、レジンとは結びつかない言葉だった。
俺は世界樹を直接見た事はない。
母国ヒストピアにはたった二本しかなく、少なくとも身近な存在じゃなかった。
話を聞く限りではとてつもなく巨大で、ソル・イドゥリマのどの建物より高くそびえ、天にも届こうという樹だという。
だから、イーター達が束になって食しようとしても、そう簡単に滅ぼされはしない。
まして、樹脂が枯れるなんて事はあり得ない。
そう教えられてきたから、なくなるものだという認識がそもそもなかった。
一方、イーターの突然変異に関しては容易に受け入れる事が出来た。
何より、自分の目で確認したばかりだ。
この世界にいた[ヴァイパー]は、どう考えても俺達の知る同名のイーターとは次元が違う強さだった。
広域を統べる幹部級、或いはそれ以上だ。
「レジンの不足は即座に世界恐慌を招いた。特に世界樹の少ないヒストピアはレジンの大半を輸入に頼っていた為、枯渇はどの国よりも早かっただろう。混乱と混沌の渦に呑み込まれ、スクレイユは機能不全に陥ってしまった。荒廃するまでに、然程時間は掛からなかった」
エーキィリの説明は簡易的なものだったが、声の端々に無念さと屈辱感が現れていた。
実際、俺達がいたスクレイユ、そしてソル・イドゥリマの活気と勢いからは、あの直後に敗北と崩壊が待っているなんて到底想像出来ない。
実証実験士の中にも、Lv.100を超える猛者が大勢いたしな。
「ソル・イドゥリマの惨状は見たのだろう? 突然変異種のイーター共に蹂躙された、なれの果てさ。我々にはあの叡智に満ちた研究都市を手放すしか道がなかった……あの時点ではな」
「今は違う、と?」
どれだけ悲観的な声で説明しようと、エーキィリの眼差しは負け犬のそれじゃない。
希望は果たして残っているんだろうか。
この、俺達の未来には。
「レジンが枯渇し、大半の実力者を失った我々にはイーターと対抗出来る術はなく、世界樹も全て食い尽くされてしまった。現在という時間において希望は失われてしまった。ならば……現在ではない別の時間を頼るしかない。そう結論付けたら、やれる事は一つしかなかった」
「時間を行き来する能力または道具の開発、ですね?」
若干興奮気味にリズが問うと、エーキィリの口元がゆっくりと弛緩していった。
時間を超える――――それは人類にとって見果てぬ夢。
俺達がいたソル・イドゥリマでも、その研究は実際行われていた。
詳しい理屈は、学者でも研究者でもない俺にはわからない。
記憶に残っているのは、『引き寄せる力』ってのが鍵を握るという話くらいだ。
俺達人間は空を飛ぶ事が出来ない。
跳躍は出来るけれど、やがて落ちていってしまう。
その当たり前の現象に対し、ソル・イドゥリマの研究者達は『落ちるとは即ち、大地から引き寄せられている事を指す』と言っていた。
このサ・ベルという世界の大地には、あらゆるものを引き寄せる力がある。
ならそれと同じ事が、時間にも言えるのではないか。
時間とは、未来が過去を引き寄せている事象を指すのではないか――――当初はそう考えられていた。
でも、違っていたらしい。
逆。
過去が未来を引き寄せているという。
正直、この理論は俺にはサッパリ理解出来ない。
でも、その後に例として挙げられた『癒やす力の存在』には妙にすんなり納得してしまった。
人間、動物、植物……命ある者は誰しも、自然治癒能力を持っている。
ケガをしても、小さいケガなら勝手にかさぶたが出来て、やがて傷は塞がる。
世界樹魔法〈ユグドマ〉の中には、その自然治癒能力を高める事で、一瞬にしてケガを治す治癒魔法も存在する。
この治癒という能力は、復元――――元の状態に戻す力だ。
人や物が死に絶え無に帰すのもそれと同じ。
過去が引き寄せる力とは、過去の状態に戻す力と同義らしい。
癒やしの力がこの世に在るのは、過去が未来を引き寄せている証。
ならばその力を利用すれば、時間を遡る事が出来る。
何より、過去と未来が時間軸を越えて干渉できるのなら、そこには必ず双方を行き来する為の道が拓ける。
時を越える事は決して不可能ではない――――それがソル・イドゥリマの、研究者達の総意だった。
とはいえ、少なくとも俺らがいた時代には、実証実験士の出番はなかった。
実証実験を行うほど、開発が進んでいなかったんだ。
でも、10年後……この世界は違う。
エーキィリの説明が真実なら、この時代にはもう時間を越える能力が存在している。
「我々の当面の目的は、イーター共に喰われ尽くした世界樹の再生だ。失われた生命は、如何なる治癒魔法でも元には戻せない。だが時間を巻き戻せれば、或いは……そう思い、拠点をスクレイユからこのアルテミオに移し、残された数少ないレジンを使い、最低限の規模で研究を進めた。そしてついに、時間の壁を越える事に成功した。その成果が……」
その証拠が、心ならずも――――
「君達、過去からの使者だ」
時間を越えるという能力の実証実験を行ってしまった、俺達自身だ。
「時間を巻き戻す為には、『過去に干渉する力』と『空間転移』の二つが必要だった。過去に干渉出来れば、その反作用を利用し未来へ向かわせる事も出来る。ただ、その時間移動には空間転移も必須。要するに、時空を越えなければならないのだからな」
「空間転移の開発には、もう成功してるんですよね?」
エーキィリじゃなく俺の方を凝視しながら、リズがそう問いかける。
確かに、先日テイルという名の研究者から課せられたオーダーは、その事実を裏付けるもの―――
「いや、そういった事実はないが」
当然、肯定の答えが返ってくると決めつけていた俺とリズは、思わず眉間に皺を寄せ合った。
……どういう事だ?
俺達はテイルから受け取った開発中のアイテムを使い、何度も瞬間移動を経験した。
その途中、イーター達の拠点かと思しきダンジョンにも足を踏み入れた。
低Lvの俺達では到底、辿り着く事が出来る筈のない場所だっただろう。
「テイル……? そういった名前の研究者は知らんぞ。少なくともここの研究者ではないな」
エーキィリのその言葉に、その体験が幻だったんじゃないかとつい自分で自分を疑ってしまう。
でも、俺だけなら兎も角、リズもテイルには出会っている。
空想や幻なんかじゃない。
「流浪の研究者……といったところだね。今の話が事実なら、ここより遥かに空間転移の研究が進んでいる別の研究施設の人間なのかもしれない」
不意に、俺とリズでもエーキィリでもない、別の人物が俺の真後ろから介入してくる。
ただし部外者の声じゃない。
俺とリズ以外にも、説明会に参加していた実証実験士がいたらしい。
振り向いて外見をチェックしてみる。
若干タレ気味な目で少し面長な、俺達より少し年上と思しきイケメンの男性だった。
最も特徴的なのは、目を覆うほど伸ばした赤毛の髪。
地毛という事は考え難く、染めている可能性が高い。
かなり明るめの赤で、恐らく夜間でもそれなりに目立つだろう。
一方、装備品は質素極まりなく、鎧もガントレットも革製。
胸部には何らかのサインのような刻印が控えめに施されている。
武器らしき物は何も見当たらない。
「だとしたら、その人物を早急に探すべきだね。身元を明らかにしておいた方が良いし、場合によっては協力も仰げる」
「あ、ああ。そうだな。もしまた見かけたら伝えてくれ」
そんな実証実験士らしくない優男に対し、エーキィリは明らかに狼狽えていた。
彼もこの人物が説明会に参加していた事に今まで気付いていなかったらしい。
「話を説明に戻そう。『過去に干渉する力』については、理論は既に完成し、現在は精度を高める段階に来ている。だがまだまだ開発途上。干渉は出来ても、意図する時代、相手との干渉は実現出来ていないし、せいぜい『過去から何かを召喚する』程度の事しか出来ないのが現状だ」
要するに、俺とリズは未完成の技術によって偶然この時代へと飛ばされてしまったらしい。
神様に選ばれたとか、救国の勇者として招かれたとか、そんな運命的なものとは縁遠い、典型的な『誰でも良かった』案件だ。
とはいえ、誰かに頼られるような実力者じゃないのは百も承知。
俺はLv.12だし、リズも18程度。
駆け出しの域を越えていない。
「あの、わたしたちは元の時代に戻れるのでしょうか」
不安げに問うリズのその言葉は、現状俺達の目指すべき目標そのものだった。
ここが俺達の元いた世界の未来というのが事実だとしても、やっぱり同じ世界という認識は持ち辛い。
まして、自分が居るべき場所とも到底思えない。
出来る事なら、元いた世界、元いた時代に帰りたい。
エーキィリの説明によれば、一応過去への干渉は既に可能という事だから、もう少し研究が進めば過去へ戻る装置なりアイテムなりが開発されるだろう。
問題は――――
「先程言ったように、『過去に干渉する力』と『空間転移』によって時空を越える力を得られれば、過去には戻れる。ただし、それがいつ完成するかは君達の今後の働き次第だ」
俺達に何が出来るのか。
エーキィリの説明は至ってシンプルだった。
「10年前とは違い、この時代は実証実験士が不足している。それに、時空を越える為の研究だけではなく、現在進行形でイーター達との戦いは続いている。新たな武器や魔法の開発と、その為の実証実験は急務なのでね」
つまり、実証実験士としての責務を全うせよ、って訳だ。
過去へ戻る為の研究を進めるには開発途中の試作品をドンドン実証実験する必要があるし、同時にイーターの脅威から街と施設を守らなくちゃならない。
10年後の世界だろうと、世界樹がなかろうと、俺達がすべき事に変わりはない。
「わかりました。微力ながら貢献出来るよう最善を尽くします」
「わたしも精一杯がんばります。出来ます。やれます。やってやるます」
大事なところで噛んだリズはその後暫くフリーズしていたが、やる気はちゃんと伝わったらしく、エーキィリは好意的な笑みを浮かべていた。
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