3-2

「……君の苦悩と、ある種の諦観は理解しているつもりだ。一人の医師として、そういう結論を抱かせている事を情けなく思う」


 案の定、アヤメ姉さんは俺の考えを全て見通していた。

 ちなみにこんな殊勝な事を言っておきながら、俯いたり頭を下げたりする素振りは一切なく、寧ろふんぞり返っている。

 彼女はそういう人だ。


「だが深海。どうか深海よ、希望だけは捨ててくれるな。諦めるのは良い。それで少しでも絶望から身を守れるのなら、それも良い。でも私や医療を避けるような事だけはしないで欲しい。いつかそう遠くない未来、君を根っこから救える日が来るかもしれない。その時が来るのを期待していてくれないか」


 そしてこういう人でもある。

 ……多くの人に神様と崇められたりヤブだと罵られたりする医者という職業は、普通の人格では務まらないのかもしれない。


「わかってるよ。アヤメ姉さんには感謝してるから、その感謝の意味も込めて通院は絶対に止めない」


「嬉しい事を言ってくれるな。君のその綺麗事大好きな性格は一瞬気が緩むと反吐が出そうになるが、概ね好きだぞ」


 なんか凄まじい中傷を受けた気がしたけど、敢えてここは流そう。

 アヤメ姉さんとの会話をいちいち真に受けていたら身が持たない。


「しかし出来れば、学生の間に改善したいところだな。社会人になって仕事をするとなると、表情を作れないという弱点は職業選択を狭めかねない」

  

 ああ……問題はそこなんだよな。


 先日、我が家――――ゲームカフェ【ライク・ア・ギルド】のすぐ近くに大手企業が運営するキャライズカフェが新店舗を構えると発覚した。

 はっきり言って勝ち目はない。

 生存競争に敗れれば、場末のゲームカフェなんてあっという間に潰れてしまうだろう。


 家を継ぐつもりは元々なかったけど、その選択肢が完全に消えるとなると、それはそれで追い詰められた心持ちになってしまうもの。

 気付けば、毎日のように将来について考えるようになっていた。


 この俺に何が出来るのだろう。

 どんな仕事なら一人前の社会人としてやっていけるのか。


 当然、頭に浮かぶのはゲーム。

 ゲームクリエイターだ。


 多くのゲーム好きが一度は夢見る、作る側になるという夢。

 俺も勿論例外じゃなく、子供の頃は漠然と抱いていた。

 

 でも『仕事にしちゃったら楽しめなくなる』という、これまたありきたりな誰かの言葉に心を乱され、その道はとうの昔に諦めていた。

 そもそも、ゲームが好きな奴は時間の許す限りゲームで遊ぶから、ゲームの作り方を学ぶ時間がないんじゃないだろうか。

 ……そんな言い訳を自分に何度してきた事か。


 だから今の俺には夢と呼べるものはない。

 学生の本分である勉強をおろそかにしない範囲で大好きなゲームを楽しみ、カフェの一コンテンツとして預かっているミュージアムを充実させる。

 その日々を送る事が、唯一の人生設計図だ。


 けれどその設計図は無残に破られようとしている。

 カフェが潰れれば必然的にミュージアムも役目を終える。

 それだけは、なんとしても阻止したいんだけど……


「悩みがあるような顔だな。私でよければ相談に乗ろう。普段は患者相手にそんな事はしないのだが、君の場合は身内だからな。何があった?」


「ええ、実は家が潰れそうなんです」


「補強しろ。シロアリなんぞに悩んでいる場合ではないぞ、君は」


 ……果たして本当に立派な精神科医になんだろうか、この人は。

 子供の頃から親しくしていた――――という訳でもないから、人となりもイマイチ良くわからない。

 親身になってくれているとは思うんだけど……


「ま、何にせよ月一の経過観察だけは怠らないように。何しろ君のような、表情以外何一つ問題ないという症例は世界的に見ても稀有だ。治療経過を論文にまとめて発表すれば、私の医者としての地位も安泰というもの」


「そういう事口にしちゃダメだって医学部では教えてくれないんですね」


「うむ」


 うむ、じゃねぇだろ……全く。

 本当にこの人が主治医で良いんだろうか。


「兎にも角にも、ストレスを溜め込まないよう生活する事だ。早寝早起き、一日三食、規則正しい生活を送る事を強く推奨する」


「はあ……」


 結局、今日も具体的な治療計画が立てられる事はなかった。

 でもそれも仕方がない。

 難病だという自覚はしている。





 それに――――ストレスなく規則正しい生活というのも、中々の難題だった。





「にーに。お帰り。ただいまは? 挨拶のおさぼりはニートの始まりだよ?」


「……ただいま」


 家の玄関前で半眼煽りしてくるこの妹がいる限り、ストレスのない会話だけで生活するのは無理だ。

 まあ、世の中には兄を汚物見る目で睨む妹や、理不尽な暴力を振るってくる妹も少なくないと聞くし、それと比べれば来未はまだマシな部類だろう。


「ちなみに、今日の晩ご飯はカップラーメンだって。特売で買った55円のやつ、もう開けてお湯スタンバイ中」


「うっわ最悪だ!」


 そもそもゲームを愛する者にとって、カップラーメンは深夜の主食。

 夜食じゃなくて深夜の主食ね。

 それを夕食に食べるのは、じゃあ夜に何食えばいいのさってなもんだ。


 それでも普段食べない高いのならまだテンション上がるんだけど、多分普段深夜に食ってるのと被ってる可能性大。

 ストレス溜まるわー……


「ひっどい顔。厳しい現実が待ってるのはわかるけどさ、せめて主人公とヒロイン助けて後はカッコつけて死ぬだけって時のサブキャラの渋い顔くらい出来ないの?」


「現実はこんなもんだ」


 いつもなら軽口の応酬くらい付き合ってもいいんだけど、今日はそんな気になれなかった。

 今日だけじゃない。

 笑顔一つ作れない俺に、これから明るい人生を送る事が出来るんだろうか……


「お父さんもお母さんもお兄ちゃんも完全に諦めムードだけど、来未はまだ希望を捨ててないからね! 限界を越えて舞うから!」


「そういう底なしにポジティブな所は素直に凄いと思うよ」


「ありがと。それよりにーに、お客さん。30分くらい前に来て、ミュージアムで待ってるってお父さんが言ってたよ。早く行ってあげて」


「客? 誰?」


「それは聞いてないけど、女の人だって。にーにってば、もしかして今時ハーレム願望持ってる人だったの? やめた方がいーよ、もうブームじゃないし。イマドキ優柔不断系の男子はウケないよ? やっぱり一途じゃないと。それに現実だと毎日がドロドロ&ギスギスで思ったほど気分良くないと思う」


 誰が持つかそんな破滅願望。

 ただでさえ表情の件で他人と接するのが大変だってのに、複数の女性にイイ顔しなきゃならないハーレムなんて地獄でしかない。


 そんな来未の世迷言は兎も角、俺にとって客の心当たりはたった一人。

 終夜だ。

 あいつ、半引きこもりとか言ってたのに……今度は自ら進んでやって来たのか?


 ――――その終夜が以前我が家を訪れたのは、一週間前の事。

 現在の時刻は18時30分だから、逆算して16時頃に向こうを出発したらしい。

 流石に今回は早退じゃなく、放課後になって直ぐこっちに向かったと思われる。


 恐らく原因は、一週間前に俺が『ゲームどころじゃない』と口走った件だろう。

 実際、今はゲームに興じる心の余裕はない。

 現実逃避の場にしてしまいそうだ。


 ただ、あれから時間を置いた所為か、俺の考えは少し変化していた。

 というか、気になる事があった。

 テイルが言っていた『プレイ実績によっては、就職も可能』という点だ。


 もし、本当に〈裏アカデミ〉をプレイする事が就職に繋がると言うのなら、今の俺にとっては願ったり叶ったり。

 こんな話を鵜呑みにする訳にはいかない……けど、気になるのも事実。

 意欲とモチベーションという意味では、この一週間でかなり回復している。


 一週間と言えば――――


『一週間後、細雨に答えを話してくれれば良い』


 ……そう言えば、終夜父に〈裏アカデミ〉を続けるかどうか返事をするのが今日だったっけ。

 その答えを聞きに来たのか、アイツ。


 正直、俺の中ではまだ明確な指針が定まっていない。

 ま、なるようになれ。

 終夜との会話の中で、自分の気持ちがハッキリするかもしれないし。


 そう結論付け、俺は自分の庭のミュージアムへ向かった。


「お待ちしておりました」


 ……そこには、見知った女性がいた。

 予想通りの人物――――の筈だった。


 俺は、見くびっていた。

 終夜細雨という人物を見誤っていた。

 もうすっかり彼女の人となりや全体像について、把握したつもりでいた。


 けれど今、目の前にいる終夜は、俺の知る彼女じゃなかった。


 まず服装が違う。

 今日は制服だ。

 フォーマル系のウチの学校とは違い、淡いピンク色のリボンとチェックのスカートが特徴的な可愛いデザインの制服を身につけている。


 けれど、それは大した問題じゃない。

 服装で雰囲気が変わるという人は大勢いる……けど、今の終夜の"変化"は制服どうこうじゃない。

 

 まるで……別人。


 顔の作りは勿論、髪型もそのままだというのに、雰囲気がまるで違う。

 今日の終夜は、それこそ俺が最初に空想したような、どこぞのお嬢様のような落ち着き払った面持ちで俺の方を見つめている。

 表情も姿勢も、纏う空気さえも、昨日までの終夜とは全く違って見える。


「あ、入ってはいけませんでしたか? 許可は得ていますので、勝手に入った訳ではないのですが……」


 口調もこれまでとは全く異なり、たおやかさが全面に出ている。

 これまでのダウナー系から一転、清楚系に転身しやがった。

 悔しいが――――可憐だ!


 でも、これは一体……?


「いえ、大丈夫です。ところで今日はどのようなご用件でしょうか? もしかして、終夜さんのご家族ではないですか?」


 幾つかの可能性を健闘した結果、終夜の双子の姉か妹に違いないと結論付けた俺は、初対面の相手に対する接し方でそう問いかけてみた。

 ゲーム内とは違い表情が作れない分、声を出来るだけ柔らかく発し、警戒心を持たれないよう心掛けて。

 その結果――――


「終夜本人です」


 まるで寒いギャグでダダ滑りしたような心持ちにさせてくれた。

 いや待て、恥ずかしがるのはまだ早い。

 他には――――


「そ、そうでしたか。では、あなたの主人格と意思の疎通を図ることは可能でしょうか?」


 多重人格。

 ゲームのキャラクターにおいても、かなり頻繁に登場する特徴の一つだ。


 ただ、アヤメ姉さんという精神科医と接している俺は、現実の多重人格について多少の造詣がある。

 解離性障害の一種『解離性同一性障害』の症状として、人間には別人格が出現する事があるらしい。


 アヤメ姉さんいわく――――


 人間は心に強い負荷が掛かると、その負荷から逃れる為に様々な転化、すなわち『誤魔化し』を無意識で試みる。

 例えば、身体の一部が痛んだり、逆に感覚がなくなったり、声が出なくなったり目が見えにくくなったりする『転換性障害』。

 心の負荷を一部身体の負荷に置き換え、分散させるようなイメージらしい。


 それと同じ概念で、自分の意識を自分自身から遠ざける事で、心の負荷の自覚を薄めるというのが解離性障害。

 こちらは意識が朦朧としたり、現実感がなくなったりする。

 更に大きな負荷の場合は、その原因を完全に忘却してしまったり、意識せず現在の生活を捨てて何処かへ逃避してしまったりする事もあるそうだ。


 解離性同一性障害も、この中の一つ。

 本来、人格は一人に一つしかなく、自分の痛みや苦しみは自分自身が全て受けなければいけないものだけど、別人格を作ることで一時的にその人格に『避難』し、まるで苦しみを他人のものであるかのように錯覚するという防衛手段だ。

 過去に虐待やそれに匹敵する酷い目に遭った人が、別の人格を生み出すケースが多いという。


「わたしは多重人格者ではありません。わたしは終夜細雨、その一人だけです」


 ……長々と的外れな知識を脳内で語り続けたこの気恥ずかしさよ。

 ともあれ、彼女の人格は一つらしい。


「ならこの様変りはなんなんだ! 急にお嬢様デビューされた俺はどんな対応すりゃいいんだ!?」


「お嬢様だなんてそんな。えっと……恥ずかしいです」


 こ、このムズ痒いような違和感ときたら……!

 明らかにコミュニケーションが苦手で、だけど少しずつ打ち解けてきて、友達以上恋人未満とやらは兎も角友達らしくはなってきた――――って矢先に性格激変しやがって!

 ここ数日の努力が全部無駄になった気分だ。


「あ、わかった。アレだ、操作するキャラクターによって意識して自分の性格を変えるタイプなんだろお前。今日はリズとは違うPCを使用するから、そのPCに合わせての事か?」


 操作PCの性格に寄せ、自分自身の性格も変える。

 自分で言っておいてドン引きしてはいるけど、あり得ない話じゃない。

 実際、来未が似たようなキャラ変を毎週やってるし。


 尤も、アイツの場合は仕事の為に既存の人気キャラを演じているだけ。

 自分で作ったキャラクターに自分自身を寄せる奴なんて、果たして存在するんだろうか……


「確かに、そういう人はいます。例えば複数のPCを動かしていると万が一知れ渡ったら、あらぬ誤解を招く立場の人など」


 終夜の説明は必ずしも十分じゃなかったけど、俺には理解出来た。


〈アカデミック・ファンタジア〉もそうだけど、MMORPGの多くは一つのログインIDで複数のゲームアカウントを取得出来る仕様になっている。

 だから、複数のPCを持つ事は誰でも出来るし、当然違反でも何でもない。


 ただ、様々な理由でそれを悟られたくないユーザーも多くいて、彼等は会話の使い分けなどでかなりの苦労を強いられていると推察される。

 例えば終夜がリズ以外のPCを操作していて、ついリズの口調で喋ってしまえば、あっという間に白けた空気が漂うだろう。

 特に終夜はスタッフという立場にいる訳だから、もし複数PC持ちが一般ユーザーにバレでもしたら『アクティブユーザー数の水増しだ』という非難は免れない。


 それを防止する為、リズと他の自PCに会話やプレイスタイルの共通部分が出ないよう、別人を演じている――――そんなところだろう。


「でも私は違います。わたしはリズであって他の誰でもありません」


「こっちも違うのかよ! なんだこの時間!? 無駄にも程がある!」


 俺には探偵の才能はない、という事だけはわかった。

 就職先の選択肢がみるみる減っていく……


「このミュージアム、素晴らしいです。家庭用ゲームの歴史を完全に網羅していますね」


 落ち込む俺を尻目に、終夜は周囲を見渡しながら相変わらず似合わない口調でそう褒め称えた。

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