第3章 - 彗星の尾を掴む方法 -

3-1

 自分がいつ、どんなきっかけで表情を失くしてしまったのか――――

 俺はずっと、その難問に立ち向かう事を拒みながら生きていたように思う。


 特にこれといった理由はない。

 けれど、それは仕方のない事だとも思う。


 例えば、俺の記憶の中に確証が存在していて、思い出す事によって原因を解明出来るのだとしても、今そこにない記憶を自在に呼び起こす事など出来はしない。

 そもそも自分の中にある幼少期の記憶というのは大抵、自分の中で作り上げた偽の記憶や願望の投影。

 或いは、アルバムなどを見て『こういう事があった』と後になって知った事項をさも自身の記憶であるかのようにすり替えてしまっている。

 そんなあやふやなフィールドで宝探ししたところで、大抵の宝箱は空っぽかミミックだ。


「けれどもな、深海。思い出そうとする事自体が必要なケースもあるんだ。なんでも悟りきったつもりで己の自堕落や無気力を誤魔化すものじゃない」


 ……中々痛いところを疲れた俺は、思わず仰け反りそうになる心境で眼前の女性を睨んだ。


 ここは、【メンタルクリニック 菖蒲】という名の病院の診察室。

 そして彼女はというと、俺の従姉で名は天川アヤメ。

 12歳年上の開業医だ。


 専門は当然、精神科。

 俺が8つの時に進学の為この街を離れ、1年前に帰って来た。


 当時は26歳で、開業医となれる最低限の年齢。

 普通は20代半ばで自分の病院を持つなどあり得ないらしいが、彼女の場合は実家が診療所で、そこで医者をしていた父親が大病を患い引退せざるを得なかった為、跡を継ぐ事になったそうだ。

 尤も、先代は内科だったらしいから、引き継ぎではなくリニューアルとなったみたいだが。 


「そんな目で見るな。医師をそんな鋭い目で睨むものではない。この世の医師の九割は一国一城の主。少しでも敵意を見せれば立ち所に見捨てられるぞ」


「アヤメ姉さんも?」


「まあ、私もどちらかと言えばSだからな。舌禍にならないギリギリのラインを常日頃追い求め、患者の痛点を突くのが趣味と言っても過言じゃない」


 ……きっと先代も病床で熱い涙を流していることだろう。

 アヤメ姉さんは技能面と実績面では立派な精神科医らしいが、俺が知る限りではただの変態だ。

 とはいえ、同時にこれ以上なく心強い相談相手でもある。


 小学校低学年までの俺を知るアヤメ姉さんは、俺が表情を失うまでの変遷を断片的にではあるが知る数少ない人物。

 それもあって、彼女がこの街に戻ってきて最初の患者に俺が指名された。

 しかもわざわざ向こうからウチにやって来て、『これからは私がお前の主治医だ』と断言された。


 以降、俺は診療時間外に【メンタルクリニック 菖蒲】を月一回のペースで訪れ、アヤメ姉さんに現状報告を行っている。

 正直治る気配すらないし、精神科に通うのは気は進まないんだけど、真摯に俺を診てくれているアヤメ姉さんにそんな事を言える筈もなく、半ば慣習と化している通院を続けている。


 表情がない、表情を作れない、表情を変えられない――――そういう症状は、精神医学の領域において少なからず存在する症状だという。

 ただ、俺のようにそれが唯一の症状で、他には何も問題がないというのは、極めて異例だそうな。

 通常は何かしらの障害なり病気なりがあって、その一症状、それも副次的な症状として存在し、これを主症状とした病気はないらしい。


 要するに、“能面病”なんて病気はないって事だ。


「それで、経過はどうだ? どんな小さな変化でも、気が付いたなら言って欲しい」


「そんな唐突に医者の威厳を出されてもね……いや、特に変わりはないよ。相変わらず、俺の中ではちゃんと笑えてるし怒れてもいるけど、外見上の変化はないみたい」


「……そうか。なら今日は君のその症状について、少し踏み込んだ説明をしてみよう」


 そう告げ、アヤメ姉さんは開いたノートパソコンの画面を俺に見せた。

 そこには、彼女がまとめたと思しき病名の羅列が見える。


「まず"原因"について。表情が変わらなくなる症例として多いのは『ベル麻痺』をはじめとした顔面神経麻痺の後遺症だ」


 当然、俺も知っているし、今までかかった病院で何度も検討された病名だ。

 顔面神経の異常によって身体機能としての表情が作れなくなる、割とありふれた病気。

 ただ、その殆どは発症から1ヶ月以内に完全回復するし、それに――――


「だが君はこの症例には当てはまらない。既に検査で結果も出ているが、何より症状が全然違う。君の顔面には麻痺どころか機能障害が何一つ見当たらない」


 つまり、身体的な問題ではないという結論だ。


「なら当然、次なるアプローチは脳、若しくは精神面だ。私の領域だな」


「脳にも異常はないという検査結果は出てますけど」


「脳の検査に"絶対"はない。まだまだ解明されていない事が山ほどあるからな。MRIやMRA、CTなどの検査では中々捕まえきれない病気は幾らでもある」


 その道のプロがそう言うのなら、実際そうなんだろう。

 ただ、結局は『こういう病気の可能性がある』という曖昧な説明にしかならないから、俺にとっては実のある話じゃない。

 これまでに何度かそれらしき病名を与えられ、フワッとした治療を行ってみたけど、何も効果は得られなかったからな……


「とはいえ、現代の医学では『表情を作れない』という症状のみに絞った論文は見当たらないし、その治療法の確立は現実的とは言い難い。結局は仮定を並べ、一つ一つ総当たりで試していくしかない」


「なら、アヤメ姉さんは何が原因だと思う? どの仮定が一番可能性高いの?」


 余り説明が長くなると、今日のゲーム時間がかなり削られてしまう。

 そんな邪な気持ちが見破られているのか、それとも単に答えにくいのか――――アヤメ姉さんの元々鋭い目付きが余計鋭利さを増した。


「そうだな……まずは社会不安。この可能性を考えてみよう」


「社会不安?」


「自分の世界の外、下界へ出る事への強い不安、といったところだ。学校に行くのが怖い、職場に行くのが辛い、人前に出ると極度の緊張に襲われる……これら自体は多くの人間が共感出来る感情だが、度を越した場合は病名が付く。それが社会不安だ」


「俺には全く当てはまらない症状だと思う」


 表情の事があるから、初対面の相手と話すのは得意じゃないけど、かといって人見知りしている訳でもない。

 学校に通うのが嫌になった事はあるけど、それを理由に実際休んだ経験もない。


「ふむ。なら場面緘黙症はどうだ? 家では普通に話せる子供が学校や幼稚園など特定の場面では全く話せなくなるケースにおいて付けられる病名だ。殆どは幼児の時点で顕在化し、場合によっては大人になっても継続する」


「それも俺とは関係ないと思うけど……」


「教科書通りの症例でないのは確かだ。だが、一部重なる所があると思わないか?」


 話が出来ない。表情が作れない。

 その点での違いはあるけど、『普通の人は出来る事が出来ない』って所は確かに共通している。

 ただ、俺の場合は特定の場面ではなく、いつでも表情が作れていない訳で、やっぱり別物――――


「家では普通に話せる。その家というのが、お前の頭の中だとすればどうだ?」


「あ……」


 そうか。

 その仮定なら、特定の場面ってのは即ち『現実』。

 確かにそれなら、俺は特定の場面でのみ表情を作れないと言える。


「他に考えられるのは心的外傷。君達の年代ならトラウマと言った方がわかりやすいだろう」


「そうですね。良く聞く言葉です」


 ゲームでも頻繁に見かける、とても親近感の湧く症状だ。

 過去に受けた衝撃の影響を長期にわたって引きずり、何らかの問題を抱えてしまう状態。

 実際、数多の可能性の中で一番ピンと来るのがコレだ。


「過去に何か、表情を作れなくなる出来事があった。笑った事で酷く怒られたとか、泣き虫の矯正として酷い躾を受けた……とか。その場合、辛い記憶だけを失い表情を作れない症状だけが残るという事はあり得る」


「……なんか、アレだよね。急に中二っぽくなってきた」


「茶化すな。実際、似たような症例はごまんとある。高校生には刺激が強い内容も含めてな」


 なにそれ聞きたい――――と言いたい所だけど、なんとなく想像が付くし、それが当を得ているなら耳には入れたくない話題だ。

 大人しく謝っておこう。


「ごめん。あんまり深刻になるのもな、と思って」


「わからないでもない。確かに余り重大に捉えすぎても治癒から遠ざかるだけかもしれん。精神的な問題の可能性が極めて高いからな」


 今までの医者も似たような事を言っていた。

 精神的な問題だと。

 俺には全く身に覚えがないけど、それ自体が症状の一つ――――つまり苦しい過去は脳が勝手に消しちゃうらしい。


「と、ここまで三つ挙げてきたが、君自身はどうだ? どれが一番可能性が高いと思う?」


「俺は……って、アヤメ姉さんがどれだと思ってるのかって話だったでしょ? なんで俺に振るのさ」


「これも治療の一環だ。私が話す全ては治療だと思ってくれて構わない」


 本当かな……ま、治療中だけは真面目な人だし、ここは素直に受け取っておこう。


「俺はやっぱりトラウマの線が濃厚だと思うよ。でも、十何年間その原因になった記憶を思い出せない時点で、治療は絶望的だよね」


「そうでもない。思い出す、思い出さないは重要ではないからな。ただ、その場合は自然治癒が当面の治療法になってしまうが」


 それって実質匙を投げたようなものじゃ……


「何にしろ、君の自覚する"原因"は理解した。今日はここまでにしよう。中々有意義な時間だった」


「だと良いんだけど」


 こっちにはそんな自覚は一切ない。

 正直、出口があるなんて到底思えないし、半ば諦めてもいる。

 この無表情オンリーの状態で人生を歩んでいく覚悟は、とうに出来ているから。


 俺にはゲームがある。

 ゲームに表情は要らない。

 ゲームと向き合っていけば、楽しい時間は永遠に俺の傍にある。


 治らなくても良い。

 この、今の俺のままでも生きていける道を探せば良い。

 ゲームがあれば、楽しい時間があれば、きっと生きていける。


 もう人生の約半分、この症状と付き合ってきたんだ。

 そろそろ達観しても、きっとバチは当たらないだろう――――


 そんな俺の心理を見透かしているかのように、アヤメ姉さんは細めた目で俺の目の奥を見つめていた。

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