2-16

 二度目の〈裏アカデミ〉への訪問に始まり、突然の爆破に驚き、転移装置の実験で露天風呂へ飛ばされ、ラスダンっぽい所へ迷い込み、終夜父とのエンカウント――――

 そんなディープな一日に疲れ切っていた俺は、その後無事ソル・イドゥリマに戻ることが出来たものの、待ち構えていたリズに明日再訪するからと断りを入れ、今日はここでログアウトする事にした。


 正直、色々あり過ぎて疲れ切っていた。

 時刻は午後10時を少し回ったところだから、特に長時間プレイしていたという程でもない。

 家庭用ゲームで最長72時間連続プレイの経験がある俺にとって、たかだか3時間程度でグッタリするなんて異例中の異例だ。


 ま、それだけ濃密な時間だったって証だろう。

 予想外の出来事が、それも連続的に発生したんだから仕方がない。

 そういう意味では、ゲームでは久しく味わっていなかった感覚を存分に味わえた有意義な時間だった。


 今後について考えるべき事は多々あるけれども、正直今はもう頭が働かない。

 一旦寝て、1時間後くらいに起きてから考えるとしよう。


 終夜はちゃんと父親と向き合えているんだろうか――――ベッドに身体を投げ出し寝転んだ俺は、真っ先にその事を考えていた。

 同時に、以前訪れた終夜の部屋を思い出していた。


 あの部屋に、終夜以外の人間が住んでいる痕跡はなかった。

 間違いなく彼女が一人で住んでいる。

 恐らく同世代――――つまり高校生の彼女が一人暮らしってところに何も疑問を持っていなかった訳じゃなかったけど、あの様子だと経済的な援助がちゃんとあるのかどうかも疑わしい。


 俺がガラにもなく目上の相手に突っかかった理由の一つはそれだった。

 あの父親は、ちゃんとした親なんだろうか?

 父親としてすべき事を、注ぐべき愛情を、終夜にちゃんと提供しているんだろうか。


 そういえば、母親の事は何も話題に出ていなかったな。

 母親は終夜の一人暮らしをどう思っているんだろう。

 それとも、母親はいないんだろうか。


 もし、いないとすれば、俺と――――









 ――――フカウミ?


 声が聞こえる。

 懐かしい声だった。


 ――――深海、どうしたの?


 真冬に着るウール素材のコートのような、全身を包んでくれるような安心感がある。

 心地よくて、思わず頬が緩んでしまう。


 ――――もう、仕方のない子ね。こんな所で寝ちゃダメでしょ?


 多分俺は、まだ寝ていないんだと思う。

 だって声が聞こえているから。

 だけどこの心地良い感覚をずっと味わいたくて、そのまま眠気に身を委ねていた。


 子守歌を歌って貰った記憶はない。

 絵本を読んで貰った覚えもない。

 きっと、どっちも必要なかったんだと思う。


 俺はただ、あなたがいてくれれば良かった。

 揺りかごみたいな空間を作ってくれたから。

 だけど、多幸感すらも、今の俺にはおぼろげで断片的な記憶しか残っていない。


 お母さん。

 あなたは、どうして――――









 ――――フカウミ。深海ってば。


 ……?


「深海! いい加減に起きなさい! 遅刻しても知らないからね!」


 全身を緊張感が這いずり、上半身が一瞬震える。

 不意に飛び込んで来た声が現実のものだと気付くのは容易だったものの、内容が頭の中に入って来るのには少々の時間を要した。


 っていうか、時間!

 23時に起きるつもりだったのに、もう8時を回ってるだと!?

 なんてこった……あれから完全に寝落ちしちまったのか。


 そうか、これが俗に言う寝落ちってヤツか。

 オンラインゲームには付きものって噂だったけど、ついにその洗礼を浴びてしまった。


 どうやら俺の疲労感は想像以上だったらしい。

 まさか10時間も熟睡するとは……


「フ~カ~ウ~ミャア~~~~!」


「うわっすいません! すぐ起きるんで肘は勘弁!」


 一階から階段を駆け上がるかのような勢いで聞こえて来た母さんの怒鳴り声に、俺は思わずベッド上で飛び上がりそうになった。

 厳しくも優しい母。

 俺に遅刻させまいと、気が気じゃない様子が窺える。


 俺としても、ゲームを理由に遅刻するのは本意じゃない。

 というか、そんな事態を招くようじゃ学生ゲーマーの名折れだ。


 規則正しい生活という体面を保ち、教師や親から何一つ不安視されず、その水面下でしっかりゲームを楽しむ。

 それが俺の理想とするライフワークだ。


 ……って、こんな緊急時に何心のドヤ顔晒してるんだ俺は!

 歯磨き! 着替え! 登校準備!

 だーっ、宿題一ミリもやってねー!


 などと、大混乱の最中で朝を迎えたこの日。

 自分のスマホが悲惨な状態になってると気付いたのは、放課後になってからの事だった――――





「信じられません。本当に信じられません。わたし、怒ってます。あんびりーばぼーあいむあんぐりーです」


 その日の夜。

 まだ正式なログイン方法を知らない俺は、昨日と同じように終夜とCチャットを使って〈裏アカデミ〉の世界へ訪れることになったんだが……


「わたしを置いてきぼりにした上に、一日中放置プレイなんて、信じられません。やり場のない怒りでお部屋の貴重なダンボールが2箱も潰れたんですよ」


 俺のスマホにはその日、終夜からの着信が60件ほど入っていた。

 今までの人生で受けた全着信の数を上回ってるんじゃないかって勢いだ。


「いや、まさか俺だけじゃなく父親まで置いていくとは思わなかったからさ」


 どうやら、そんな事態になってしまったらしい。

 といっても、終夜父は何も悪くない。

 終夜が機械的な意味でフリーズしたと思ったらしく、それなら既にログアウトしているだろうと判断し、俺に続いてあの最奥部を去ったそうだ。


 けれどその後、終夜は戦線復帰。

 その場にいた筈の俺も終夜父も不在で、たった一人あのラスダンに取り残され、帰る方法もわからないまま暫く途方に暮れ、俺に何度も電話をかけたらしい。


「わたし、悟りました。男の人って信用出来ません。友達以上恋人未満の関係は一旦解消ですからね」


 怒っているからなのか知らないが、今の終夜は出会って以降最も饒舌だった。

 というか、その恥ずかしい関係性を解消されたところで、俺は痛くも痒くもない。


「つーか、そもそもなんで友達以上恋人未満に固執するんだ? ちょこっと親しくなった今だから言うけど、正直ワケわからないんだが」


 最初は、箱入り娘のお嬢様がMMORPGを始めたものの、不慣れ故にぼっち化し、孤独から逃れる一心で言い放った甘い誘惑かと思った。

 その次は、既に恋人がいて絶対に恋人にはなれないけど利用する為には親しくならなければならない、そんな悪女の所業かと疑った。

 けれども両方とも的に掠りもしていない。


 こんな妙な言い回しの関係性を初対面の相手に望む理由って、一体何なんだ……?


「ワケ、わからないですか?」


「わからない。定型句か何か? 外国の諺でこういうのがあるとか」


「普通の言い回しだと思いますけど……疑うなら検索してみてください」


 言われるがままスマホで検索した結果――――421万件ヒットした。

 マジかよ。

 世間知らずなのは俺の方だったのか。


「確かに、死語と言えばそうかもしれませんけど。まさか知らずに受諾していたとは思いませんでした」


 その終夜の言葉は呆れ気味なのか、それとも微笑ましいとでも思っているのか、或いは感謝してくれているのか、俺には判断がつかなかった。

 こういう事があるから、文字だけの会話はどうにも苦手だ。

 オンラインゲームに長らく手を出さなかった理由の一つでもある。


「固執する理由、でしたね。いいですよ、お話しします。無理に隠すほどの理由でもありませんから」


 終夜には少し秘密主義なところがあるのでは、と思っていた俺は、わりとアッサリ教えてくれるという彼女の姿勢に一摘みの驚きを覚えた。


「わたし、友達がいません。なのでずっと憧れていました。友達以上恋人未満という関係に」


 まあ……友達いないのはなんとなくわかるというか、そんな空気は感じていたけど。

 俺もハッキリ友達と言える相手は今の学校にはいないんで、わからなくもない。


「以上です」


 ……は?


「それだけ? てっきり好きなゲームでそういうフレーズが使われていたとか、そんな理由だと思ってたんだけど」


「ちちちがいますよ」


 終夜は文字でドモるほど動揺していた。


 まあ、ゲーム好きが誰もが一度は通る道だよな。

 気に入ったキャラのなりきり、特徴的なフレーズの多用……斯く言う俺もやらかした事はある。


〈ロード・ロードV〉の主人公が頭にターバン巻いてるもんだから、ネットでそれっぽいの買って着用してみたり。

 そんでもって、それで外を歩いて妹にバッタリ出くわしたり。


 ……あの来未が何もリアクションせず、しかも未だに一度もバカにしたり穿り返したりせずスルーし続けているほどの、俺のダークマター歴史だ。

 意地でも振り返らないようにしてるけど、偶に夜寝る前にふと思い出して悶絶したりもしている。


「気持ちはわかる。気にするな。恥ずかしがることなんてない。俺は笑わないから言ってごらん」


「なんかその言い方気持ち悪いです!」


 気遣ってみた結果、猛烈な勢いで反発されてしまった。

 しかたない、ここは来未を見習ってスルーの方向で。

 

「ところで父親とは話し合いできたの?」


「流されるのもそれはそれで後が怖いです」


 どっちが正解なんだよ……

 女子との会話は難しい。

 来未でさえ偶にそう感じることがあるんだから、他人となると尚更だ。


「父とは電話で話しました。その節は身内のゴタゴタに巻き込んでしまってすいません」


「それは別に良いけど」


 巻き込んだ自覚があるのなら、事情の一つや二つ話してくれや――――そんな脅迫めいたプレッシャーをかけるべく、暫く無言を貫いてみる。

 どうやら珍しくこっちの意図が通じたのか、終夜はポツポツと父親について語り始めた。

 その述懐は、誰かに話してスッキリする、ガス抜きするというような生易しい内容じゃなかった。


「父は、ワルキューレを潰そうとしているんです」


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