2-14
ラスダンに一目でそれとわかる雰囲気と格があるように、ラスボスがいる空間もまた、直ぐにそれとわかる独特の空気がある。
わかりやすいケースだと、BGMが止んで無音になったり、雑魚敵が出て来なくなったり。
その空間に入った瞬間、イベントシーンやムービーが挿入されるケースも多い。
これから最後の戦いに挑む、という緊迫感がピークを迎える瞬間だ。
けれど――――意外にも、ここまでは完全にラスダンとラスボスまでの道のりを確信させるような雰囲気で統一されてきたこのダンジョンにおいて、俺と終夜が突入を試みたこの部屋は、ラスボスのいる空間独特のあの感じが一切なかった。
部屋そのものは、何もない――――それこそ床や壁、天井もなく、異空間のような風景が広がっている。
よく『時の歪み』とか『次元の狭間』とかそんな感じで表現されるような、青緑の光がうねるように動きながら周囲を流れているだけで、足場を目視する事は出来ない。
それぞれのキャラクターが宙に浮いているような描写になっている。
その空間の中央に、一人のキャラクターがいた。
モンスターのシンボルじゃない。
鎧なども装備していない、ごくありふれた人間の外見をしている。
その人物がラスボス……かどうかはわからない。
お約束として、ラスボスは最終的には神話に出て来るような巨大で宗教的なデザインの化物である事が多いけど、そうじゃない作品もあるし、普通の人間が変化する事もある。
……どうする?
テイルの時とは違って、話しかけたら即戦闘のリスクはかなりある。
そして戦いになったら勝ち目はない。
いや、別に勝てなくても良いんだ。
仮にここで全滅しても、以前の巨大ウナギにやられた時のように、またやり直せる。
寧ろその方が、手っ取り早くテイルに報告に行けるくらいだ。
ただ――――俺の中で一つ大きな疑念がある。
それは、テイルが言っていた『ソル・イドゥリマは拠点じゃない』って話に由来する疑問。
なら、どうしてあの時全滅した後、ソル・イドゥリマで復活したのか?
無残にも巨大ウナギに潰されたシーラは、その後ソル・イドゥリマに強制送還された。
普通の事だ。
〈アカデミック・ファンタジア〉の拠点がソル・イドゥリマだという前提なら。
勿論、なんて事のない答えの可能性は高い。
この〈裏アカデミ〉では全滅すると『最寄りの街』へ強制送還される仕様――――それで説明は付く。
今更、本来の〈アカデミック・ファンタジア〉との食い違いやシステムの差異が一つ追加されても、驚愕には値しない。
もしこの仮定が正しいなら、全滅は怖くない。
この近くの街に強制送還されたところで、それが例え見知らぬ場所であっても、ソル・イドゥリマへ戻る難易度という点で言えば、この部屋に来ずに転移装置の試作品を使用する選択をした場合と同じ。
所持している金もないし、全滅のデメリットはないに等しい。
問題は、別のデスペナルティが用意されている場合。
昨今、MMORPGに限らずペナルティはかなり抑え気味で、そこまで大きな喪失はないのが普通だけど、その『普通』をどれだけ信用していいのかは不透明だ。
このゲームは明らかに俺の知る普通のゲームとは一線を画しているから。
そういう危険信号は、頭の中で常に点滅していた。
安直に行動するな、理性を保て――――と。
でもその一方で、俺は吸い込まれるように部屋の中央へ移動する自PCを止める気がない自分にも気付いていた。
この状況で逃げ腰になってどうするんだ?
これはRPGだ。
目の前に意味深な人物がいて、話しかけないなんて選択肢はない――――その自分は声高に訴えかけてくる。
失態を恐れるな。
恥を怖がるな。
気になる方、楽しい方へ突き進め。
それがゲームだ。
それは確かに、俺じゃない誰かの言葉だった。
そして俺は、その言葉に何の疑いも持たずに従い、中央にいる人物に隣接した。
終夜の操作するリズもまた、同じように俺の隣にいる。
そこに至るまでの思考回路や判断経緯は知る由もない。
でも、出した答えは同じだった。
友達以上、恋人未満……か。
変な表現だけど、意外と的を射ているのかもしれない。
確かに俺と終夜は、恋人とは全く違う、でも友達の要素はある程度含んだ奇妙な共通項で繋がっている気がする。
どっちが先に話しかけるか。
まるでそれを競うかのように、俺は躊躇せず会話ボタンを押した。
――――返事がない!
というか、反応がない。
あのテイルの時と同じだ。
って事は、この人物もNPCじゃない……?
おいおい、それは幾らなんでも不自然だろ。
テイルがいたのはPCが日常的に出入りするソル・イドゥリマの文化棟だったから、まだ理解は出来た。
でもここは、明らかにラスダンの最奥部だぞ?
そんな場所に、それも中央にいるのがラスボスじゃなくPC――――俺らと同じ立場のプレイヤーキャラクター……だと?
「あなたは誰ですか?」
混乱する俺を尻目に、終夜は間髪入れずAチャットでそう問いかけた。
肝が据わっている……と言うべきか?
いや、それは今までの彼女の言動には一致しない。
終夜には――――
「あなたは誰?」
この人物が誰なのか、目星が付いている?
「答えて」
その、初対面の相手に対する言葉とは思えない厳しい口調もまた、そう思わせる理由の一つ。
まるで見内に話しかけるような……いや、詰るような問い掛けだ。
俺は終夜のその言動に戸惑いを禁じ得ず、ただ黙って傍観する他なかった。
「そうか、ついに来たか」
やはりNPCじゃなく、PCだったらしい。
終夜に対し、部屋の主と思しき人物はチャットで返してきた。
そして、その反応は明らかに二人が知り合いである事を示唆していた。
それもただの知り合いじゃない、
何らかの事情を抱えて、こうして対峙している――――
「細雨。久しぶりだな」
紛れもなく、決定的な一言。
終夜を下の名前で呼んだ事で、俺の予感と疎外感は確定に至った。
ま、まさか……恋人同士じゃないよな?
いやでも待て、十分あり得るぞ。
こういうストーリーは考えられないだろうか。
終夜は何らかの理由で、ゲーム内にいる恋人とはぐれ、彼を探していた。
リアルやSNSでは連絡が取れなくなって、ゲーム内でその人物を探す――――そうそうない事だろうけど、非現実的とまでは言えない。
そして〈裏アカデミ〉の存在を知った彼女は、彼氏がそこを見つけ、入り浸っているのではと思い、自分もそこへ行こうと試みた。
だけどここへ来るには、最低あと一人チャット相手が必要。
そこで、"フィーナ"と接点を持つプレイヤーである俺に白羽の矢が立った。
理由は不明だが、フィーナと名乗るPCはこの〈裏アカデミ〉へ他PCを誘っている。
なら終夜の恋人は、フィーナに誑かされたのかもしれない。
その真相を探るべく、俺を利用してここまでやって来た。
だとすれば、俺にやたら『友達以上恋人未満』をゴリ押ししてきたのも納得だ。
恋人が既にいる以上、その言葉は抑止力になる。
彼女が強調したかったのは、『恋人未満』の部分だったんだ。
なんてこった……辻褄が合うじゃないか――――
「やっぱり、お父さんだった」
――――……あー。
その、なんだ。
どうやら俺は、脳内で勝手に終夜を彼氏持ちの悪女に仕立て上げた最低の妄想野郎になり果ててしまったらしい。
う、うわあぁ……ぃいいいいやぁあああああああああああああああっちまった!
は、恥ずかしい!
心の中とはいえ、こんな誤解を……今後終夜に、というか他人に対して確証のない身勝手な妄想をするのは極力控えよう。
「予感はあったよ。いつかお前がここに辿り着くという」
などと身悶えていた俺を余所に、親子らしき二人はやたら重い事情がありそうな雰囲気で会話を進めていた。
なんかもう、居たたまれない。
この際逃げ出してしまおうか。
「お前があのゲームに関わっていると聞いていたからな」
そう本気で思っていた俺は、終夜の父親というそのPCの言葉で不意に冷静さを取り戻した。
"あのゲーム"……?
ああ、そうだった。
終夜の父親は、ただの知り合いの保護者じゃないんだ。
〈アカデミック・ファンタジア〉を作って運営しているゲーム会社、ワルキューレの代表取締役社長だ。
名前は……ちょっとド忘れしたけど、相当偉い人なのは間違いない。
ゲーム会社で出世する経緯というのは、正直言って余りよくわからない。
中にはとてもわかりやすく、大ヒットゲームを生み出したプロデューサーや有名クリエイターといった表に出る人が社長になるケースもあるにはあるけど、そうじゃないケースも多い。
プログラマや営業として、裏方で実績を積み上げた人が就任する事もあれば、ゲーム作りとは縁のない、他分野での経営面の実績でヘッドハンティングされる事もある。
その辺りのわかり難さもあって、俺の中でゲーム会社の社長は興味の対象外になっていた。
勿論、代表取締役社長ともなれば経営方針を決定する重要な権限を持った人物であって、そのメーカーの作品の方向性は社長が握っているのかもしれないけど、それでもやっぱりピンと来ない存在だ。
「愚かな事を。MMORPGは既に死に体だと、あれほど口を酸っぱくして言っていたというのに」
――――けれど、終夜の父親についてはどうやら例外になりそうだ。
ワルキューレは紛れもなく、オンライン、そしてMMORPGに活路を見出し、生き抜いたメーカーだ。
そこの社長が……『MMORPGは既に死に体』だって?
「いつまでも死んだジャンルにしがみつくなと教えて来たつもりだったが」
「だからって、一番偉い人が仲間を見捨てていいの?」
「見捨てたのは私ではない。ユーザーに見捨てられたのだよ。私も、ワルキューレも」
二人が会話を重ねる度、不穏な空気が積み重なっていく。
……いや、違う。
「そういうご託はいいから、早く戻って来て。わたしがワルキューレと関わってる限り、社員のみんなはお父さんに捨てられたとは思ってないから」
「生憎、お前のやっていることは無意味だ。子供が無理をして大人の世界に首を突っ込むんじゃない」
これは――――空虚だ。
言葉尻を捕まえて並べれば、なんとなく意味深な事を言っているようにも見える。
でもこの会話には、本来なければならない中身が存在しない。
空虚が積み上げられた会話。
上っ面、上辺だけの親子のやり取り。
どうしてだろう。
俺には何故か、そう見えた。
「もうワルキューレには関わるな。お前は貢献しているつもりでも、未熟で人生経験も浅い人間が一人入るだけで現場の苦労は数倍に跳ね上がる。お前のやっていることは、会社の足を引っ張っているだけだ」
辛辣な言葉が並ぶ。
他人が見ているという感覚は、この親にはないらしい。
それとも、公開説教をお望みなんだろうか。
「そんなことわかってる」
正直、終夜親子の会話に関して、俺は半分も理解出来ずにいた。
事情を良く知らないし、知っている部分と重ね合わせても、二人の親子関係を知らないという決定的な欠落がある為、正確性を欠いてしまう。
だからここで俺が会話に介入するのは、どんなにカッコつけたところで、的外れなものになるんだろう。
「わかってるのなら――――」
「すいません、ちょっといいですか」
なればいい。
この親で大人でお偉い社長さんが全て正しく、終夜が間違っていて、俺もまた間違っていて恥をかく事になるのなら、そうなればいい。
「君は娘の同行者かね? これは失礼をした。私は」
「あなたの名前はあとで聞きます。その前に一つだけ」
どうしても我慢出来ない。
不愉快。
許しがたい事が一つあったから、しゃしゃり出た。
「文字で子供を責めるな。肉声で言え」
明らかに年上だとわかっている相手に、攻撃的な言葉を吐いたのは――――初めてだった。
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