2-7

 同学年の女子の家に、夜が明ける前に訪問する――――

 冷静に考えてみたらとんでもない事をやってのけた気もするその翌日。


 俺はというと、またしても〈アカデミック・ファンタジア〉内で女性と待ち合わせをしていた。


 時刻は19時。

 場所は魔法棟の前。

 "あの日"の待ち合わせと同じ場所だ。

 尤も、あれは待ち合わせというより単なる呼び出しだったんだけど……


「こんばんは。お待たせしてしまいましたか?」


 そして相違点がもう一つ。

 今回会うのはフィーナじゃなく、リズと名付けられたPCだ。


「いや。今来たところだよ。それじゃ早速――――」

「はい。Cチャットに入りましょう」


 目的は一つ。

 この場所で、あの〈裏アカデミ〉へ行く為の"儀式"を行う為だ。


 Cチャット状態を一時間保持。

 たったそれだけの事だけど、これからの事を思うと緊張は禁じ得ない。

 チャットだからといって常に会話をする必要はないんだろうけど、不思議なもので沈黙のまま待つってのはどうにも気分が落ち着かない。


「一時間って短いようで長いですよね。何を話しましょうか」


 どうやら向こうも同じ心境らしい。

 ただ、昨日よりは明らかにお互いの警戒心は薄らいでいると思う。

 理由は当然、実際に会って話をしたからだ。


 俺は話すネタを模索する過程で、その時の事を思い返していた――――





 ――――終夜細雨。

 株式会社ワルキューレの代表取締役社長、終夜京四郎の娘。

 ゲーム制作会社の社長令嬢……って訳か。


 確かにお嬢様なのではと予想はしていたけど、俺が思っていたお嬢様像とは少し、というか大きく外れていた。 

 もっとこう、深窓の令嬢的なのを期待していたんだけど……っと、こんな表現は相手方に失礼か。

 心の中であっても、軽率な発言は控えるようにしないと。


「クレジットはされていませんけど、あのゲームの開発にはわたしも加わっています」


「な……え?」


 そんな戒めをジェット噴射機でヴァルハラまで消し飛ばすような勢いで、終夜細雨は更に畳みかけてきた。


 "あのゲーム"とは当然、〈アカデミック・ファンタジア〉だろう。

 つまり、今目の前で不安そうに話すこの女子が、ゲームの開発スタッフの一員……って事になる。 

 寝耳にタイダルウェイブとはこの事だ。


「プログラム的な事は殆どわかりませんけど、世界観の発案やキャラクター設定、シナリオなどで参加しました。一応今も関わっています」


「ちょちょ、ちょっと待って。話が急過ぎて頭に入って来ない」


 思わず敬語がすっ飛んでしまったけど、どうせ同い年だしそれはいい。

 それより問題は彼女の今の話だ。


 世界観の発案って……ほぼ原案とか原作とかそのレベルじゃないのか?

 一番上にクレジットされるポジションじゃないか。

 俺と同世代の女の子が、それなりに知られたMMORPGの原案と脚本を手掛けてるなんて……


「親の七光りなんです。それに、わたしは好き勝手自分の思った事を言ったり書いたりしてるだけで、それをちゃんとゲームとして成立する形にしてくれているのは他のスタッフの皆さんですから」


 随分と謙虚な社長令嬢だ。

 長らく景気が回復しない所為か、現代は令嬢でも控えめな性格に育つらしい。


「もし、今の話が信じられないのであれば、見せられる範囲でプロットや資料をお見せします」


「いやいや、そこまでしなくても信じるよ。というか、そんな嘘を俺に言う意味ないでしょ?」


 ……つい反射的に断ってしまったけど、どうせなら見せて貰えば良かったかな。

 ただ、今のところ〈アカデミック・ファンタジア〉は俺にとってそこまで思い入れのあるゲームじゃないから、未公開の資料にあんまり心惹かれないのも事実。

 それより、引っかかっていたのは――――


「でも、スタッフの人が自分の関わってるゲームにプレイヤーとして参加するのは大丈夫なの?」


「他の会社の事情はわかりませんけど、ワルキューレでは基本ダメです。ただ、黙ってこっそりプレイしている人はきっといると思います」


 ここにも一人いますし、と言わんばかりの自嘲的な微笑みを浮かべる終夜。

 彼女の笑顔を見たのは、これが初めてだった。


 なんてこった、やたら可愛いじゃないか。

 15年の人生の中で、自分に向けてこんな慎ましやかな笑顔を向けた女子が一人もいなかった所為か、ついときめいてしまった。

 こういう感覚は現実ならではというか、ゲーム世界では味わえないな。


「けど、なんでわざわざ自分の関わったゲームを? ゲーム内の問題をいち早く解決する為とか、治安維持とか?」


「それもない事もないですけど、純粋に自分達で作ったゲームを楽しむ人も多いんじゃないでしょうか」


 そう話す終夜の声は、何処か他人事のように聞こえた。

 彼女の目的は別にあるのかも知れない。


「開発の段階から最終デバッグまでの間、スタッフはそれはもう毎日、就寝時間を除けば殆どゲーム画面と睨めっこしています。特に終盤はアルバイトの方も交えて、社内全体でテストとデバッグを夜通し行うので、配信が始まる頃には暫くタイトルも見たくないって人も出て来るくらいです。それでも、少し間を置くと恋しくなるみたいです」


 みたいです――――か。

 言葉尻を捕まえるようで気持ちは良くないけど……やはり自分もそう、という訳じゃなさそうだ。

 

「それでは、そろそろ本題に入らせて下さい」


 そう切り出した終夜の声は、ここに至るまでずっとそうであったように、未だ震えていた。

 これが地声かと思うくらいだ。

 これだけ喋れば緊張は解けそうなものだと思うんだけど……そこまで強固な人見知りなのか。


「わかった。ただ、その前に一つだけ俺から話さなきゃいけない事があるんだ」


 彼女にとって、俺を部屋にあげるのがどれほどの事なのか――――この少ないやり取りの中でも、十分に汲み取れた。

 ホイホイ部屋に男を入れる女なら……いやそれならそれはそれで、という気持ちがあったのは否定出来ないけど、俺の好みからは大きく離れている。 


 俺は、健気な人間が好きだ。

 自分の夢や目的、好きな事、生きる事に必死な人を支援したいと思っている。

 そして、残念ながら表情ではそれを伝える事が出来ないから、言動で示さなくちゃいけない。


「申し訳ない。最初は貴女に協力しないつもりだった。だから、貴女の方から断って来ると思って、家にあげろって無茶なお願いをしたんだ」


 正直に話す事で伝わるものでもないのかもしれないけど、話さずにはいられなかった。

 そんな俺の暴露に対する終夜の反応は――――


「おあいこですね。わたしも嘘をついていましたから」


 幸いにも、微笑みという友好的な反応だった。


 ……そう、これだ。

 これなんだよ。

 この向けられる相手を暖かな光で照らすような微笑みが、俺には出来ない。


 今ここで、彼女の少しぎこちないながらも懸命に俺を気遣ってくれる笑顔を見て、確信した。

 やっぱり人間、表情は絶対に必要だ。

 現に俺は今、救われた気持ちでいる。


 必ず表情を取り戻す。

 必ずだ。

 あらためて、心中でひっそりとそう決意した。


「すいません。でも、わたしにはあなただけでしたから」


 こういう誤解を招く発言に正しい反応をする為にもな!


 ……あなただけ、か。

 一生の内に一度は言われていたい言葉だけど、彼女の意図するところは恐らく、そんな甘い響きじゃない。


「現在、アクティブユーザーの中であの"フィーナ"と接点を持つプレイヤーは、今のところあなただけですから」


 ああ、やっぱりそう繋がるのか。

 そして、彼女が本当に〈アカデミック・ファンタジア〉開発スタッフの一員だとしたら、その目的は――――





「一刻も早く彼女が何者なのか、つきとめたいんです」


 ――――Cチャットに入って、もう30分くらい経過しただろうか。


 終夜は昨日俺に肉声で伝えた事を、今度は文字で伝えてきた。


 そう。

 彼女が俺に接触してきた目的は結局、こっちの予想とは寧ろ真逆の内容だった。

 終夜はフィーナの相棒ではなく、寧ろ面識そのものがなかったんだ。


 でも接点が全くなかった訳でもない。

 彼女の行動――――〈裏アカデミ〉へ他プレイヤーをこっそりと連れ出しているのは知っていた。

 ただし、〈裏アカデミ〉がどういう場所で、どういう原理で存在しているかはわからないらしい。


『あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!「今日初めて知り合ったフィーナってPCとチャットで長時間話した後、グラフィックが変わった」』


 終夜の話によると、今から一ヶ月ほど前、短文投稿サービス『Whisper』上にこんな文章が投稿されたという。

 それが〈アカデミック・ファンタジア〉内での出来事だという記述はなく、孤独なプレイヤーだったのか、ありきたり過ぎるジョジョネタに引かれたのか、特にフォローやリツイートもなかったらしい。

 そして、暫くしてその投稿はひっそりと削除された。


 終夜はこの投稿文を目撃したことで、フィーナの存在を知った。

 ただしそれは偶然じゃなかった。


「フィーナというPCが妙な動きをしているのは、プレイしながら気になっていたんです。魔法棟の前で長時間会話していたかと思ったら、ふといなくなって……」


 パトロールというほど大げさなものじゃないらしいが、終夜は〈アカデミック・ファンタジア〉に自PCでログインし、ゲーム内で怪しい事をしている奴がいないか軽くチェックしていた。

 その中で、フィーナの妙な動きが気になっていた為、見張っていたら案の定……って訳だ。


「それが私の知る限りでは二度ありました。そして、あなたと一緒にいた時に三度目が起こったんです」


 あの転送の瞬間、第三者の視点からもキャラクターが消えていなくなるらしい。

 まあ、あの〈裏アカデミ〉がここと同じサーバー内にあるとは思えないから、当然と言えば当然だ。


 そんな事が二回も続けば、ゲームスタッフである彼女が『フィーナ』というPCに何らかの疑惑を抱くのもまた当然。

 ただ、キャラクターが消えたとはいえゲームそのものに大きな問題が生じた訳じゃなく、苦情も届いていないから、スタッフとして動く訳にはいかないし、他のスタッフに話しても『見失っただけ』と相手にされない案件。

 フィーナ自身に声をかけようにも、彼女は普段ゲーム内にいない。

 終夜にはせいぜい『フィーナ』でネット検索してみるくらいしかやれる事がなく、その結果、奇妙な投稿文を目にする事となった。


「あなたと会話している途中に二人とも消えたのを見て、おかしな事が起こっていると確信しました。だから、あなたがまた〈アカデミック・ファンタジア〉にログインしてくれた時はチャンスだと思いました」


「それで、俺と接触する為に『ギルドに加入したい』とメッセージを送った、と」


「はい。わたしにとっては賭けでした。だから、あなたが怖い人じゃなくて本当によかったです」


 そう漏らす終夜の顔は、当たり前だけど、俺には見えない。

 だから彼女の真意を知る事は出来ないけど――――俺にとっては、ある意味救いの言葉だった。


 終夜は最後まで、俺が表情を変えない事について、何も問いかけてはこなかった。

 それ自体は珍しい事じゃない。

 寧ろ初対面で『あなた、全然笑いませんね』とか『ポーカーフェイスなんですね』等と言われる方が稀だ。


 でも、だからこそ敏感になるというか、相手の反応でどう思われているかは大体わかる。

 終夜は今の彼女自身の言葉通り、俺を不気味に思っている素振りは一切見せなかった。


 真意はわからない。

 他人の被る仮面を剥ぎ取る権利は、誰も持ってはいないから。


 けれど、それでも――――俺は終夜に感謝をしていた。


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