2-6

 そういえば、まともに他人の住む部屋に入ったのはこれが初めてかもしれない――――ワンルームの広い部屋で一人正座しながら、ふとそんな事が頭を過ぎった。


 小学校に上がる前後には、もしかしたら友達の家に遊びに行く機会があったのかもしれないけど、当時の事は余りハッキリとは覚えていない。

 ただ、物心ついてからは常にゲーム中心の生活で、しかも家に一通りのハードとソフトが揃っていたから、友達の家に行く必然性が全くなかった。


 両親が子供の頃はオンラインという概念が家庭用ゲームにはなく、携帯ゲームのマルチプレイも有線のみとあって、友達とゲームをする為には顔を付き合わせる以外の選択肢がなかったらしい。


 でも俺達の世代では大抵の家庭でネット環境が整備されているし、専用のゲーム機がなくてもスマホでゲームが出来る。

 一人で遊ぶにしろ、多人数で遊ぶにしろ、自分の部屋から出る必要がない。


 だから、他人の領域に足を踏み入れる機会が少ないのは特別な事じゃない。


 そしてそれは――――逆の立場でも同じ事が言える。

 つまり、他人を招き入れる機会もまた少ない。

 そりゃ、ゲーム好きが皆が皆そうって訳じゃないだろうけど……少なくとも、リズはその部類に該当する人なんだろうと俺は推察していた。


 というのも……この部屋、明らかに奇妙だ。


 いや、奇妙というのは少々語弊があるのかもしれない。

 俺の知る常識からは逸脱している、と言うべきだろう。

 それが必ずしも世間の常識と重なるとは限らないんだから、慎重ではあるべきだ。


 とはいえ、それでも……この部屋は妙だ。

 ネットで調べたラフォルテ登坂の解説には"高級低層マンション"と記されていた。

 事実、内装はやや地味とはいえ確かに外見は高級感が漂う、いかにも家賃高そうなマンションだ。


 にも拘らず、この部屋には家具が全く存在しない。


 標準的な家の標準的なリビングにある家具は、主にセンターテーブル、収納家具全般、照明器具、カーテン。

 ワンルームなら寝具もあって然るべきだ。

 それに加え、クッションや各種インテリア、ソファーなども揃っているのが高級マンションの一室に抱く一般的なイメージ……だと俺は認識している。


 けれど、この部屋にはそれらの家具が"一つも"ない。

 一つ二つ欠けているんじゃない。

 何一つとしてないんだ。


 かといって、数年前に起こった謎の断捨離ブームを引きずったような、何もない空間って訳でもない。

 ダンボールがある。

 テレビもなく、ベッドすらなく、女性らしさ皆無のこの部屋を構成する物質の殆どはダンボールだ。


 テープを雑に剥がした形跡はなく、シワや折れ目もない新品同様のダンボールが、部屋の至るところに積み重なっている。

 引っ越し直後で荷造りされていない部屋かと最初は思ったけど、よくよく見るとワードローブっぽい高さに積まれたダンボールもあれば、キャビネットっぽい高さ、チェストっぽい高さのダンボールの山もあり、明らかに機能性を意識した配置。

 流石に中身を確認する訳にはいかないけど、どうも収納家具の代わりらしい。


 いや、それだけじゃない。

 中にはジェンガ風や螺旋状に積み重ねている物もあり、インテリアの様相も呈している。


 要するに、ダンボールで全て代用している部屋……らしい。


 その部屋の主は今、キッチンでお茶を入れている。

 同居している家族はいそうにない。

 というか、幾ら肉親と言えどもこの部屋を共有出来るとは到底思えない。

 どう考えても、自分以外の人間の存在を一切考慮していない空間だ。


「あの、お好きな物をどうぞ」


「あ、はい」


 そんな部屋のインパクトに圧倒されていた俺は、ようやく戻って来たリズを見た瞬間、思わずぎょっとしてしまった。


 緑茶。

 紅茶。

 麦茶。

 コーヒー。

 オレンジジュース。

 トマトジュース。

 コーラ。

 牛乳。


 八種類もの飲料水を入れたコップやらマグカップやらが敷き詰められた大きなトレイを、ガクガク震えながら運んできた。

 こんなの全部零したらえらい事だぞ。

 四歳の子供が初めて買い与えられた絵の具に興奮して大暴走した日の賑やかな思い出、そんな疑似風景の出来上がりだ。


「ふぅ……ふぅ……」


 彼女も震えているのを自覚しているらしく、恐ろしく緩やかな足取りで近付いて来る。

 本来なら急いでトレイごと受け取りたいところだけど、今それをしようとしたら彼女がビクッとなって全部落としてしまいそうだ。


「だ、大丈夫ですか?」


「はい……行けます……心配は……無用です……」


 ここまでか細い心配無用のセリフも珍しい。

 吹けば飛んでいきそうだ。


 最悪の展開も予想したけど、幸いにも何事もなく八つの容器を乗せたトレイはダンボールの上に置かれた。

 テーブル代わりのダンボールはかなり大きく、ざっと見た感じでは150×80×30cmくらいある。

 厚みもかなりあるのか、トレイの重さで凹んだりもしない。

 

「ふぅぅ……」


 無事飲み物を届け終え安堵するリズに、俺はあらためて目を向けてみた。


 顔立ちで年齢を当てられるような優れた人間観察眼はないんだけど、それでも同世代だと判断するには十分なすっぴん顔。

 かなり小柄だけど、全体像は中学生ほど幼くはなく、大学生ほど大人びてもいない。

 恐らく高校生だろう。


 大きめの目、長めの睫毛、綺麗な鼻筋、薄めの唇――――恐らく世間一般的には"可愛い"と評価され、クラスの男子が放課後に名前を挙げて色めき立つくらいの容姿だろう……けど、病人かと思うくらい血色が良くない所為か、若干危うさもある。


 加えて、髪のまとまりのなさや、やけに覇気のない表情が、より影を落としている――――と共に、二次っぽい雰囲気を醸し出している。


 というか、リズのアバターに顔立ちも髪型も酷似している。

 自己投影タイプか。

 これだけ整った顔なら美化の必要もないし、そういう意味ではオンラインゲーム向きの容姿なのかもしれない。


 一方で、幸いにも服装はリズとは異なり、禍々しいファッションって訳じゃなさそうだ。

 スカルのシルバーアクセサリーをジャラジャラ付けて、ヘソや舌にまでキラーピアスを付けて、好きなキャラのタトゥーとか入れてたらどうしようかと内心思ってたけど、幸いにも彼女が身につけていたのは地味なカーキのYシャツとグレーのロングパンツ。

 サイズが合ってないのか、両手の指が袖で半分以上隠れている。


「……」


 ――――と、あんまりマジマジ眺めるのは失礼か。


 観察はこれくらいにして、本題に入ろう。

 

「ええと、この度はお招き頂きありがとうございます。まさか了承して貰えるとは思わず、不躾なお願いをしてしまって申し訳ありません」


「と、とんでもないです。不躾だったのはわたしの方で……」


 彼女の声は未だに震えている。

 俺も相当緊張してるんだけど、向こうの緊張度合いの方が遥かに大きいらしい。


 まあ、普通に考えれば当然だよな。

 ゲーム内で一度会話しただけの異性を部屋にあげてるんだから、不安どころか恐怖さえあるのが真っ当な感情だ。


 だからこそ、未だに不思議で仕方ない。

 何故、彼女は俺の来訪を許可したのか。


 剛胆な性格ならまだしも、目の前の彼女は明らかに"招き慣れ"していない。

 この部屋の奇抜なレイアウトもそうだし、『お飲み物は何が良いですか』とさえ聞けずに一通り持ってきてしまうくらいだ。

 視線をこっちに全く合わせようとしないところを見ても、かなり重度の人見知りと見た。


「突然あんな変なお願いをした上に、お会いする時間もこんな非常識な時間帯で、それにちゃんとしたお迎えも出来なくて……わたし本当にもう、どうしていいか……」


「ちょ、ちょっと。大丈夫ですか? そんなに自分を追い込まないで下さい」


 突然泣き崩れたかのように両手で顔を覆い俯くリズに、俺は表面上慌てふためいたけれど、心の中ではとびきりの安堵を覚えていた。

 どうやら、彼女の一連の行動は俺以外の視点で見ても奇妙だったらしい。

 彼女自身、情緒不安定ではあるけど常識人っぽいし、これならおかしな事態にはならないだろう。


「すいません、大丈夫です。自分のダメダメさについ絶望してしまって……」


 その気持ちはわかる。

 俺も表情を作れない件で同じような思いを何度もした。

 それだけに、彼女にはちょっとしたシンパシーを抱いてしまう。


「なら、一旦仕切り直しという事で、あらためて自己紹介しましょう。俺は春秋深海。高校1年生です」


 適当に話をして、友達以上恋人未満の件を断って、行きの交通費だけ貰って電車で帰る――――そういうつもりでいた。

 でも今は、完全にフラットな状態だ。


 彼女の話を聞いてみたい。

 場合によっては手助けしたい。

 そう思うに至ったのは、彼女が可愛いから――――じゃなく、一所懸命だからだ。


 必死に頑張る人を見ると、尊敬の念を抱いてしまう。

 例え自分にとってマイナスになる事でも、つい協力しようと試みてしまう。

 昔からそうだ。


 勿論、これは俺の中の正義感や道徳心、或いはA(C)魂が揺さぶられるからって訳じゃない。

 ただの打算だ。

 そういう人達と思いを、感情を共有出来れば、俺のこの能面に変化が現れるんじゃないかという、自分可愛さ故の事に過ぎない。


 でも、それで良いとも思っている。

 誰だって自分が主体なんだから、自分本位になるのは必然。

 ゲームの主人公に自己投影するのも似たような心理なんだろう。


 だから俺は、更に彼女へ――――


「わたしは終夜細雨(シュウヤ ササメ)と言います。白鷺高校1年2組、同級生です」


 終夜と名乗った彼女へ共感を覚えてしまう。

 自己紹介をするだけで、息切れしてしまうくらい人見知りなその人間性に。


「あの、わたし、他にも貴方に謝らなくちゃいけない事があるんです」


 そして、それにも拘らず俺の無茶振りに応えようと家まで招いた勇気を尊重してしまう。

 だから俺は一先ず、自分の主張や弁護等は後回しにして、まず彼女の話を聞くべく頷いてみせた。


「貴方のギルドに入りたいと言ったのは嘘です。貴方と接触するのが目的でした」


 そしてそれはどうやら――――


「もしかしたら薄々気付いているかもしれませんが、わたしの目的は『フィーナ』という名前のPCなんです」


 見失いかけたフィーナとの、そして〈裏アカデミ〉との縁を手繰り寄せる蜘蛛の糸になったらしい。

 コンプレックスも偶には役に立つもんだ。


「もしかして……彼女と一緒に、あの普通じゃない〈アカデミック・ファンタジア〉の世界に行ったパートナーってのは貴女なんですか?」


 自分の中では十中八、九固まっていたストーリー。

 終夜細雨と名乗る彼女こそが、直ぐに逃げ出してしまったというフィーナの元相棒に違いない――――


「違います」

「仕方ないですよ。あんな急激な変化、誰だって驚くし怖いとも思う……」

「いえ、違うんです」


 ……やっぱり世の中、思い通りに事が運ばないのがデフォ設定らしい。


「す、すいません。てっきり貴方がフィーナが話していた相棒だとばかり……」


 俺は赤面しているのを猛烈に自覚しつつ、深々と頭を下げた。

 それに対し――――


「謝らないで下さい。わたし、嬉しいんです」


「……へ?」


「おかげで確信出来ました。やっぱり、あなたでした」


 それまで常に恐々と話していた印象の終夜さんが、初めて強い口調で、それも食い気味に主張してきた。

 相変わらず震えた声だけど、強い意志を感じる。

 芯の強さを持っている――――そういう印象を受ける一言だった。


「わたしが探していたのは、わたしが求めていたのはあなたで間違いなかったんです。よかった……本当によかったです。これでスタートラインに立てます」


 なら下手に頭の中で憶測を並べるより、彼女の言葉を待った方が良い。

 小さく相槌を打った俺の目を今度はじっと眺め、やがて意を決したように終夜さんは口を開いた。


「〈アカデミック・ファンタジア〉の開発・運営を行っているワルキューレの代表取締役の名前はご存知ですか?」


「いや。制作の主力スタッフには一応目を通してはいますけど、企業の代表者までは……」


「それが普通だと思います。代表取締役社長の名前は、終夜京四郎」


 終夜……?

 それって、まさか――――


「わたしの父です」


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