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「あなたは?」
「自己紹介の前に、まずはコネクト登録をしましょう。Cチャットで話したいです」
受け身になり過ぎないよう、敢えて挨拶もせず誰何した俺に対し、差出人と思しき人物のPCは異様な速度で返答してきた。
手紙の内容といい、忍び寄り方といい、レスポンスの鋭さといい、色々と不気味過ぎる。
俺はもしかして、関わっちゃいけない人物に関わってしまったんだろうか……?
とはいえ、今更後悔しても後の祭り。
薄気味悪い怖さはあるけれども、まずは向こうの話を聞こう。
メニューから『世界樹の書〈ユグドブック〉』という項目を選択し、コネクト――――他のゲームではよく『フレンド』という言葉を使っている――――登録をした相手限定で会話が出来る『Cチャット』を選択。
これで他のプレイヤーからこの会話を見られる事はない。
「あらためまして、こんばんは」
同時に、コネクト登録した事で相手の名前が判明した。
フィーナ、と言うらしい……割とありがちな名前だ。
その名前からは、彼女を操作する人物の人間像を特定する事は出来ない。
「こんばんは。早速ですけど、確認させて下さい。ゲームカフェ【ライク・ア・ギルド】をご存じですね?」
だから俺は、早々に核心に触れる事にした。
正直、この時間をさっさと終わらせたい気持ちもある。
けれども同じくらい、直ぐにでも真相を知って安心したいという焦燥がある。
……微かな期待がある。
この非日常的な刺激に胸を躍らせている自分もいる。
きっと、オンラインゲームをプレイしている人の多くが、この刺激を求めてログインしているんじゃないだろうか。
これは家庭用ゲームには決してない、魔の誘惑だ。
「はい。そのミュージアムに手紙を置いたのも私で間違いありません」
こちらの確認を先読みし、フィーナはやはり尋常じゃない速度で返答してきた。
相当オンラインゲームに慣れているのか、入力が得意なのか、どちらにしても……圧が凄い。
会話をせっつかれてるみたいで気分は良くないけど、今はそれより大事な感情がある。
「わかりました。ではその目的を伺っても宜しいでしょうか」
ただ、その感情が不安に起因するものなのか、それとも好奇心なのか、自分でも判断出来ない。
そういう不安定さを一刻も早く消したいというのが、一番本当のところなのかもしれない。
果たして、真相は――――
「私に協力して貰えないでしょうか」
意外にも、平々凡々とした内容だった。
正直、落胆もあったけど、安堵の方が遥かに大きかった。
少なくとも恨みや悪意による行動じゃないらしい。
「それは、協力プレイという事ですか?」
でも、完全に不安を払拭出来た訳じゃない。
単なる協力プレイの要請なら、こんな回りくどい事する必要は全くない訳で、別のニュアンスと考えるのが妥当だ。
「そうです」
けれど、俺のその推察は完全に外れてしまった。
そして一気に危険度急上昇。
協力プレイを懇願する為に、ゲーム外はおろかゲーム内ですら会った事のない俺の実家を訪れ、あんな謎めいた置き手紙を残し、ここに呼び出した――――これは怖い。
「私はあのミュージアムの一ファンです」
前言撤回。
この方は実に素晴らしい人だ。
一秒前までの猜疑心による暴言は全てお詫びしておこう、心の中で。
「個人のプレイヤーが書くゲームのプレイ日記や感想、批評はネット上に幾らでもあります。プレイ動画も同様です。中にはゲーム本編よりも楽しいものもありますけど、その殆どは『自己表現の為の感想』で、ゲームはそのツールという印象でした。一方で、ゲーム雑誌やゲーム情報サイトの記事は宣伝の為のもので、それはそれで価値のある内容ですけど、どうしても一面的な魅力に偏ってしまうものが多かったように思います」
な、長いな……こんな長文をチャットで送る人初めて見た。
しかも相変わらず異様な速さで次から次に文章が表示されていくから、読む方が追いつかない。
でもこの流れでそれを指摘するのは幾らなんでも礼に反するし、核心部まで暫く待とう。
「でも、あのミュージアムのノートに書かれている感想は、私が今まで見てきた感想とは異質で、その両方を満たしつつとても簡素に読みやすくまとまっていました。本当に感動しました」
……あ、やっと褒められた。
早くお礼というか、レスポンスを見せよう。
「恐れ入ります」
「特にRPG関連の感想は秀逸で、プレイ日記特有の尻切れトンボ感もなくて、最初から構成を決めていたかのように同じ熱量で――――」
無視された!
いや、これは……熱弁の余り俺の返事が見えてないっぽいな。
そっちこそ、なんて熱量だ。
一応、あのミュージアムはカフェ内の目玉コンテンツになっていて、常連客からも好評を博してはいる。
ただ、やっぱりその中心は来未のイラストだし、文章に関してここまでの熱量で褒められたのは初めての経験。
多少怖いけど、同時にありがたい。
ありがたいのは純然たる本音なんだけど……
「――――否定的な点をピックアップして指摘するのではなく、自然にそこが弱点だとわかるような文章になっているのもゲームを作った人達への敬意が表れていて――――」
長い、ひたすら長い。
いつまで続くんだこの褒め殺しは。
怒濤の羊の如く押し寄せてくる大群に飲まれ、俺は何もリアクション出来ないまま――――実に一時間、ずっと"褒め晒し"に遭っていた。
一時間だよ一時間。
褒め言葉だけで小説一冊作れそうな文章量だ。
素晴らしい人物なのは確かだけど……やっぱり怖い。
「あのすいませんもうそのへんで」
これ以上関わり合いになるのは危険と判断した俺は、最低限のマナーとしてそんな言葉を送り、Cチャットから抜ける事にした。
善意は必ずしも人の為にはならない……自分も気をつけよう。
「そうですね。一時間経過しましたし、これで十分です」
抜ける寸前、フィーナはそんな言葉を残した。
言いたい事を言い尽くして満足してくれたんだろうか?
そう思った刹那――――それが間違いだったと気付く事になる。
……なんだ、これは。
Cチャットから抜けた俺は、確かに"いつもの"研究都市『スクレイユ』へ戻った筈だった。
時間の経過によって景観に多少の変化はあるものの、チャット前には既に夜の景色になっていたから、そこから一時間経過しても何も変わらない。
なのに、俺の目の前に広がる光景は――――明らかに一時間前とは違っていた。
何らかの理由で別の場所へワープしてしまった。
サーバーの不調でバグが発生した。
変貌の理由として考えられるのはこの二つくらいしかない。
けれど今、俺の視界を支配しているスクレイユの街並みは、到底それらの理由では説明出来ない。
ここは、拠点『ソル・イドゥリマ』の魔法棟の手前。
それは変わっていない。
変わったのは――――グラフィックそのものだ。
この〈アカデミック・ファンタジア〉というゲームは、キャラクターは頭身高めながらアニメ調、背景デザインは実写寄りのリアル志向。
間違いなくその筈だった。
なのに、今、ここは…………背景もアニメ調になっている。
3Dなのは変わらないんだろうけど、とてつもなく描き込んだセル画に立体感を加えたような、デジタルの精密さとセル画の温かみとが融合したグラフィックだ。
ただし、全く別の世界になった訳じゃない。
さっきまでと全く同じ建物が、道路が、空が、全てそのままの構図で実写風からアニメ調に様変りしている。
表現方法が異なるから優劣を付ける訳にはいかないんだろうけど、個人的には以前より遥かに美しく洗練された背景に思える。
……一体この現状をどう信じろって言うんだ?
たった一時間の間に、ゲームコンセプトさえも揺るがしかねない大がかりな背景変更アップデートが行われたとでもいうのか?
そんなの、あり得る筈がない。
「私も最初に見た時は驚きました」
呆然、というより愕然としている俺に、フィーナは冷静に語りかけてくる。
彼女、そして俺自身のPCであるシーラの姿もまた、背景に合わせ先程とは全く違うグラフィックに変貌を遂げていた。
キャラクターは元々アニメ調のデザインだったけど、それが更にアニメ寄りになっている。
絵柄そのものは変わらないけど、3Dキャラクター特有の表情のぎこちなさや線の荒さが全くない。
イベントCGのイラストから、そのままキャラが飛び出してきたような印象を受ける。
「魔法棟前のこの場所で、日本時間にして19時前後に約一時間、Cチャット状態を保持する事。それが、"ここ"への移動条件」
その新たな姿のフィーナが行った説明は、さっきまでの褒め殺しの本来の目的を示すものだった。
道理で長々と……重要なのは"一時間"という時間、俺を留める事だったのか。
「もしこの事を先に話しても、貴方はきっと相手にしてくれなかったでしょう。信じる方がどうかしています。普通にお願いするだけでは、一時間もCチャットに付き合ってはくれなかったと思います。貴方の実家に得たいの知れない手紙があって、その謎めいた差出人が話しかけてきた。そういう事実があって、初めてここに辿り付けた」
否定出来ない。
全て彼女の言う通りだ。
そしてまんまと俺はその思惑通り、ここへ来てしまった。
この得体の知れない、〈アカデミック・ファンタジア〉というゲーム空間がまるで別のゲーム……いや、別の何かへと劇的な変貌を遂げている"ここ"に。
「長々と付き合わせてしまってすいませんでした。でも、私にはこれしか、貴方をここへ案内する方法を思い付く事が出来ませんでした」
それはいいんだけど、できれば改行しつつ、もう少しゆっくり送信して欲しいところだ。
現在はCチャット状態じゃないから、周囲の人にも視認できる簡易的な『Aチャット』を用いて、通常画面の右下に表示されるウインドウ上で文字による会話を行っているんだけど、長文だと前の部分がウインドウから消えちゃうんだよな……
「ここは、一体何なんですか?」
そんな不満を覚える程度には落ち着きを取り戻した事もあって、俺は思い切って核心に触れてみようと質問を試みた。
正直、怖さはある。
得体の知れない、日常から大きく逸脱した状況に対する畏怖だ。
「詳しい事は、私にもわかりません。ただ、ここは間違いなく〈アカデミック・ファンタジア〉の世界です。少なくともスクレイユ内の構造は何一つ変わっていません。グラフィックは見ての通りですけど」
でもそれ以上に、そして遥かに大きな好奇心が、今の俺を支配している。
だって仕方ないだろ?
今までプレイしていたゲームが、全く違うグラフィックになったんだ。
明らかに、普通のゲームとは訳が違う。
これでワクワクしないゲーム好きがこの世にいるのなら、そいつはきっと、目の前で人が死んでも何も感じないくらい、心が廃れた人間なんだろう。
例えば――――俺のように。
「お願いです。私に協力してください。この世界、私は〈裏アカデミ〉と呼んでいますけど、この〈裏アカデミ〉の世界を一緒に冒険して欲しいんです。貴方に」
ワクワクはしていない。
少なくとも、初めて遊園地の観覧車を見た子供のような胸の高鳴りはない。
けれど、好奇心はある。
それも、ただの好奇心だけじゃない。
そこには何故か――――ノスタルジーのような気持ちが入り交じっていた。
このゲームの中に、俺の探している"事象"があるかもしれない。
そういう予感と期待感が虹のように現れ、美しい光を放つ。
いつ消えるかわからない曖昧な光だ。
「私と、このゲームをプレイしてくれませんか?」
「了解です」
それでも俺は、フィーナから受けた提案に何の逡巡もなく肯定を示した。
そしてそれは、俺の人生に、そして――――他の何人かの人生に、少なからず影響を与える決断となった。
そう。
今はまだ眠りについている【君】にも。
寝落ちの君とワールズ・エンド
chapter.1
- 深海魚はトビウオの夢を見ない -
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