1-6

「来未。ちょっと来て」


「んんーい」


 相変わらず肯定か否定かわかり辛い返事で、掃除の手を止めやってくる妹に対し、俺は猜疑の目を向けてみた。


「何? にーに、もしかして……こんな人気のないところで妹と一戦交える気?」


 来未は会心のドヤ顔で俺を煽ってくるが、俺以外には誰も聞いてないこの状況で誤解を招く発言をされても痛くも痒くも恥ずかしくもない。

 当然無視し、視線を不自然に挟まった紙へと向ける。


「ね、ねえ。無視は反則じゃない? 中学生の妹が下ネタ臭い事言ったら、せめて怒るとかしてくれないと」


「いいからあれを見ろ。どう思う?」


「にーにってば、つれないなー。そんなんじゃ社会に出て苦労するよ? ただでさえ表情が――――」


 そこまで言いかけたところで、来未は慌てて言葉を止めた。

 表情が――――それに続く内容を、俺は容易に想像出来る。

 そしてそれこそが、俺の持つ最大の"個性"であり"問題"だ。


「表情が"無い"からな。確かにつれないのは良くないかもしれない」


 そう。

 俺には、本来あるべき表情が存在しない――――らしい。

 らしい、と他人事のように表現するしかない。


 というのも、俺自身にその自覚はない。

 楽しい事があれば心躍るし、悲しい事があれば落ち込む。

 そういう感情の起伏は人並みにはあるつもりだけど、第三者の視点では、俺のその感情は一切顔には表れていないそうだ。


 顔の筋肉の動きは何となく実感しているし、怒った顔も、ふて腐れた顔も、ちゃんと表現出来ているつもりでいる。

 実際、鏡の前で口角を上げたり、目尻を細めたりすれば、ちゃんと出来ている。


 けれど、それはあくまでパーツパーツにおける能動的な動きに過ぎない。

 まとまった表情を自然に作る事は出来ていないらしい。

 だから、誰かが冗談を言った事に対しての反応や、怒らせるような言動に対するリアクションになると、途端に出来なくなってしまう。 


「ご、ゴメンね? つい……」

「気にすんなっていつも言ってるだろ? 寧ろこっちが謝らなきゃいけないくらいなんだから。"これ"の所為で、接客業手伝えないからな」


 接客業には笑顔が必須。

 必然的に客とは距離を置かざるを得ず、裏方に徹する事になった。

 その仕事が、このミュージアムの管理であり、プレノートの作成だ。


 だから俺はゲームをプレイし続けなければならない。

 そして、このミュージアムを守り続けなければならない。

 俺に出来る家族への貢献は、それしかないんだから。


「それもそっか。こういうのって、腫れ物触るみたいになる方が嫌だってよく言うもんね。わかったよ、にーに。その無駄に真に迫った感じの表情しか出来ないにーにの顔、来未ぜーんぜん気にしない。実は前から擽ったら真顔で嫌がるのか試してみたかったんだけど、気にしないで試してみるから!」


「おう、そうしろ。もれなく真顔でいきり立って妹に襲い掛かる兄も付いてくるぞ」


「あ、大丈夫でーす」


 幸いにも、来未はこういう性格だから、こっちも気を使わなくて済む。

 自慢の妹だ。


「って、そんな事より。この紙なんだけど、心当たりはないか?」


 うっかり脇道に逸れていた話を本筋に戻す。

 多分、来未にも心当たりはないと思うけど――――


「紙……? んーん。何それ、挟まってたの? 何か怖くない? でもちょっとワクワクするかも! ね、ね、早く開けてみようよー」


 案の定、身に覚えがないらしく、好奇心の旺盛さばかりをアピールしてきた。

 

 ワクワクは兎も角、確かに開けてみなけりゃ話が進まない。

 俺は意を決し、突き出た状態の紙を右手で引っこ抜き、その場で広げてみた。


 そこには――――手書きで、でも無個性な文字で、こう記されていた。





 アカデミック・ファンタジアへの案内状


 19時02分 ソル・イドゥリマ 魔法棟 1F 入り口で待つ


 



「……?」


 その短い文章に困惑した俺は、思わず来未と顔を見合わせ、同時に顔をしかめた。


 取り敢えず、この紙の持つ性質というか役割はこれでハッキリした。 

 少なくとも忘れ物や紛失物、ゴミといった類のものじゃないだろう。


 俺が今、アカデミック・ファンタジアをプレイしているタイミングで『アカデミック・ファンタジアへの案内状』と記した紙が偶然ここに放置されていた、なんてのもちょっと考えられない。


『ソル・イドゥリマ』はアカデミック・ファンタジア内の拠点となっている施設であり、少なくとも一般的に使われている固有名詞じゃない。

 となると、アカデミック・ファンタジアをプレイしていることが前提のメッセージのように思える。

 送り主だけじゃなく、受け取り主の俺もだ。


 ただ、もしそうだと仮定すると、明らかに不可解なのはこれが『アカデミック・ファンタジアへの案内状』という事。

 俺がそのゲームをプレイしている事を前提としたメッセージなのに、そのゲームへの案内状とはどういう事だ?

 既にプレイしているゲームへ案内されても意味がないし、待ち合わせ場所の指定がそのゲーム内となれば、尚更意味不明だ。


「何これ。イタズラ?」


 来未も頭上に巨大なハテナを浮かべているような顔で首を捻っている。

 すっ惚けている様子はない。


 というのも――――状況的に、実はコイツの悪戯の可能性もあると思っていた。

 先回りしてここにいたのも若干怪しかったし。


 けど、文面でアカデミック・ファンタジアに言及している時点でそれなさそうだ。

 俺がこのゲームをプレイしている事は今初めて伝えたばかりだし、それ以前にコイツがオンラインゲームのタイトルを知ってるとも思えない。


 来未は元々ゲームよりアニメや漫画が好きだし、両親がオンラインゲーム否定派だから、自然と知識は家庭用ゲームに偏る。

 アカデミック・ファンタジアはコミカライズやアニメ化はされていないし、興味の範疇じゃないだろう。

 案内するほど精通しているとは、とても思えない。


「ねー、なんかちょっと怖くない? もしかして、にーに誰かに恨まれた? 案内状ってのは実は皮肉で、呼び出し状なんじゃないの?」


「もしそうなら個人情報ダダ漏れだな……」


 流石にそれはない……と思いたい。

 不特定多数の人々に住所特定されてるとか怖すぎる。

 そもそも、俺がアカデミック・ファンタジアでまともに会話したのはアポロンとソウザだけだし、客観的に見てあの2人に恨まれているとは到底思えない。

 

 でも……だとしたら一体誰が何の為にこんな物を?


「にーに。時間大丈夫? ちゃんと掃除しとかないとお母さんの肘が鳩尾に飛ぶよ?」


「それはマズい! あれ食らうと一日中胃の下辺りがキューってなるんだよ……」


 しかも今日は平日。

 幾ら得体の知れない不気味な案内状が置かれていたとはいえ、それを理由に遅刻して許されるものでもない。

 この紙の事は学校で考えよう。


「ではお兄様。凍える子猫のようにいつまでも震えていないで清掃を再開致しましょう。さあ、ゴミがゴミを拾うのです」


「急にキャラ変すんなよ……慣れてても頭が混乱しそうになるだろ」


 結局、全ての問題を先送りにして掃除に集中してはみたものの――――心のモヤモヤは晴れなかった。

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