第1章 - 深海魚はトビウオの夢を見ない -

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 ここは――――現実とはかけ離れた世界。

 朝露に濡れた草木の清々しくも少し鼻につく匂いもなく、憤怒する幽霊の慟哭とさえ思える強風の音も聞こえない、仮初めの場所。


 整備の行き届いた公道には微かなヒビが不規則なようで規則正しく並んでいて、空を覆う雲も何処か立体感に欠けている。

 幻想的でありながら現実のエッセンスで塗りたくられた街並みは、まるで虹のような存在感を放っていて、手を伸ばせば届くというほど身近に感じる事は出来ない。


 それで十分だし、十分であるべきだ。


 過酷な困難や試練は多々あるけれど、その警鐘の大きさとは裏腹に、死のリスクも、負傷する危険さえも存在しない。

 安全に管理され、程よく錬磨された刺激。


 だから良い。

 だから、ゲームなんだ。


 現実では起こり得ない出来事や、身につけようのない能力が手に入るのは、確かに魅惑的だ。

 けれど、自分の人生、自分の本質へと襲いかかってくる脅威の前には、そんなメリットは些事に等しい。

 作り物とわかっているからこそお化け屋敷に入るし、安全が確保されているからこそジェットコースターに乗る。

 人間は誰しも、生命に危機が及ばないところで適度な刺激を求めるものだ。


 ゲームにはそれがある。

 専門家達がチームを組み、昼夜問わず検討し、莫大な予算と時間を掛け練り上げた"心地良さ"がある。


 だから俺は今日もここにいる。

 他にも幾つかの理由はあるけれども、根底にあるのはそれだ。

 ここにいれば気持ちが良いし、気持ちが楽になる。

 代替出来るものはきっとあるんだろうけど、敢えて乗り返る理由もない。


 俺はこの、現実感の希薄な、それでいて現実に近付こうとする不器用な世界が何よりも好きだ。


「俺はこの、現実を模写したようなグラフィックがなんか苦手なんだよな! それがこのゲーム唯一の欠点だな!」


 ――――だから、今しがた聞こえて来たその声に対しても、全面的に賛同する。

 絡むと面倒だからいちいちリアクションはしないけど。


「ゲームってのは現実じゃねーから良いんだろーがよ。現実要素は薄めで良いんだって。リアルなゲームってそういう事じゃねーだろ? ファンタジックなリアルさを突き詰めるもんだろ? な? つーか、ンだよこのノーリアクションはよ! もっとこう、あーだこーだ言い合おうぜ! 自分の嗜好を曝け出して行こうぜ! ラボの仲間に隠し事は無しでさ!」


 声はより熱を帯び、交流を求めてくるものの、場の空気は変わらない。

 熱される訳でもなければ、凍り付く事もない。

 今日もこのラボ【ノクターン】には、自由の風だけが穏やかに吹いている。


 ラボに所属しているといっても、俺はどこぞの研究所の研究員って訳じゃない。

 ここはゲームの中。

〈アカデミック・ファンタジア〉というゲーム内におけるシステム上の名称だ。


 MMORPGをはじめとしたオンラインゲームの世界には、プレイヤー同士が仲間となり協力してプレイするという基本概念が存在する。

 そして、ファンタジー世界を舞台としたゲームの場合、仲間同士でグループを作る際のシステムは大抵『ギルド』という言葉が用いられるけど、このゲームでそれに該当するのは『ラボ』だ。


 アカデミック・ファンタジアのラボ所属人数の上限は50人で この【ノクターン】は所属人数38名。

 一見それなりの規模に見えるけれども……その中で現時点におけるアクティブユーザー、つまり普段からゲームをプレイしているのは、俺を含め3人しかいない。

 元々は深夜にプレイするユーザーで集まって出来たからノクターンと名付けたらしいけど、今となっては夜想曲というより葬送行進曲だ。


 ここまで閑散としたラボになったのには相応の理由がある。

 発足当初のメンバーは『何も無理強いしない、来たい時だけ来るにしよう』と規約を一切設けず、また来る者拒まず去る者追わずの精神で、ストレスフリーの団体を目指したらしい。

 MMORPGにおける最大のネック、対人関係の摩擦を極力なくす為の方策だったみたいだ。


 けれどゲームは人生の義務って訳じゃない。

 強制力がないと自然に『ならいいや』となる人も多い。

 周囲が引くくらいの熱意で挑んでいたユーザーが、ある日忽然といなくなるなんて日常茶飯事。

 案の定、自由過ぎるこのラボからは一人、また一人といなくなり、あいつが来ないなら俺も、私も……と芋蔓式でアクティばないユーザーが増え、今に至るそうだ。


「なあ……何か言ってくれよ。まさか寝落ちしてねーよな? シーラちゃん! ソウザ君! 返事して! 頼むから会話して! オレを一人にしないで死ぬから孤独って毒の一種だから!」


 さっきから一人で構ってちゃんを演じているのは、数少ないアクティブユーザーの一人で、名前はアポロン。

 こんな敵やNPCに普通に付けられてそうな名前をキャラクターネームにしてる割には、結構前からログインしている古参らしい。


 アカデミック・ファンタジアには種族の概念はなく、全員が人間だ。

 一応、アバターはかなり細かくカスタマイズ出来るから、外見上の差異はそれなりにあるんだけど、デフォルトのキャラのままプレイする人も割と多い。

 俺の操作するプレイヤーキャラクター(PC)の外見は、一応は自分で作ったものだけど、オリジナルって訳じゃなく、自分の好きな家庭用ゲームのキャラクターを模したもの。

 これも良くあるパターンで、ゲームに限らずアニメ、マンガ、ラノベなどのキャラクターのデザインを流用しているPCは多い。


 その中にあって、アポロンの外見はオリジナリティに溢れていて、大昔のアメリカン・ロックをこよなく愛する売れないミュージシャンが転職の決意を固めて地元の床屋に行く日の前夜のような姿をしている。

 

 そんな彼に『シーラちゃん』と呼ばれた俺は、当然男だ。

 キャラクターネームの由来は"シーラカンス"で、その頭三つを取ってシーラと名付けた。

 それが女性っぽい名前だから"ちゃん"を付けられるってだけの事で、別にネカマでも女性キャラをアバターにしてる訳でもない。


「あれ? マジ寝落ち? 二人同時に? 勘弁してくれよ、水曜の28時だよ? 今が一番テンション上がる時間じゃん。おーいって。おーい。おーいおいおいおいおい」


「悪い。寝てた訳じゃないが、少し席を外していた」


 見捨てられ不安を抑えきれずに半泣きで悶えていたアポロンに、ようやく反応が返ってくる。

 ログイン中の三人の中の一人、ソウザだ。


 ゲームの知識と腕は確かだが人格はユニークなアポロンとは対照的に、ソウザはぶっきらぼうだけど根は優しい。

 外見もその内面をそのまま具現化したような、銀髪で優しい顔立ちのイケメンだ。

 まあ、イケメンじゃない男性PCなんて殆どいないんだろうけど。


「そうそう。俺もソウザと一緒。ついうっかり席を外してたんだ」


「嘘つけシーラちゃん! 君は絶対そこにいただろ! そして狼狽えるオレを放置して面白がってたドSちゃんだろ!」


「そりゃ被害妄想だ。俺はただ、お前と二人きりで話をするのが怖かっただけだ」


「なんで怖いんだよ! 同じラボの仲間じゃん! しかも俺って人畜無害のチョー良いヤツじゃん!」


 良いヤツなのは確かだけど、人畜無害とはとても言い難い。

 何故なら――――


「お前、俺を20%くらいの確率で女だと思ってるだろ? 優しくしておけばワンチャンあるとか本気で思い込んでるだろ?」


「バーカ。そんな訳ねーだる」


 動揺の形跡が見られたと判断した俺は、奴のアバターから少しでも遠くへ離れるべく後方ステップのムーブを試みた。

 戦闘フィールド以外でも高速移動出来るのはこのゲームの美点の一つだ。


「いやだって仕方ねーだろ!? ラボ登録して早々に『一ヶ月で辞めますんで』とか宣言するような奴、『あれ、アバターは男だけどもしかしてコイツ女じゃね?』って思うじゃん! 野郎しかいねーから逃げるんだなって思うじゃん!」


「おれは思わなかったが」


「ウッソだろソウザ君それマジ!? だったらなんで相手してんの!? 『一ヶ月で辞めます』宣言したクソみてーな奴だよ!? 女じゃなかったら存在価値なくね!?」


 優しさの欠片もない物言いだったけれども、反論の余地もない。

 実際、普通なら他のプレイヤーから相手にされなくなるどころか、反感を買うような宣言だ。


 一ヶ月で辞めますんで――――アカデミック・ファンタジアを始めた初日、このラボに登録した俺は確かにそう告げた。

 一応、それが許されるラボを選んだつもりだし、俺なりの理由もあるんだけれども、中々にロックな発言だと我ながら思う。


 アカデミック・ファンタジアは協力プレイ必須のゲームじゃなく、メインシナリオだけならソロプレイでも十分に進められる。

 大まかなストーリーはというと、万能の資源である『世界樹の樹脂〈レジン〉』を枯渇させてしまう異形生物『世界樹喰い〈イーター〉』を討伐するというもの。

 プレイヤーは『実証実験士〈オプテスター〉』と呼ばれる職業に就き、レジンを使って開発が進められてる武器・防具・装飾品・回復薬・補助アイテム・ドーピングアイテム・魔法・衣装・小物・料理などを試用する『実証実験』を行う事で、経験値や金を得る。


 要するに、オプテスターというのは、まだ完成していない武器や魔法が実際に使えるかどうか試す仕事だ。

 開発者の計算通りの威力や射程が発揮されることもあれば、そうじゃないこともある。

 予想もしない効果を生み出すこともある。

 そういうランダム要素を含みつつ、"オーダー"という形で開発者からクエスト的な依頼を受け、未知の武具、魔法、アイテムを試用し、イーターを倒したり商品化に協力したりする――――そんなゲームだ。


 他ユーザーと協力すればより有利に進められるけれども、一人で淡々とオーダーを受けていっても問題はない。

 だから一ヶ月で辞めるつもりなら、ラボに登録する必要はなく、ソロプレイに終始すればいい。

 そういう意味でも、俺の宣言は煽り、若しくは目立ちたがりと判断されて然るべき内容だった。

 どっちにしろ、相手にしようと思う奴はいない――――実際俺もそう思っていた。


「別に。放っておけなかっただけだ。本当に何も知らない初心者かも知れなかったしな」


「それはそれで相手にするの面倒だろ? ソウザ君、人良過ぎだって。いつか痛い目見るんじゃないかって心配だよマジで」


「どうって事ない」


 結果として、俺の『一ヶ月』発言に腹を立てた人物はいなかった。

 当時の時点で既に、ラボ内のアクティブユーザーはこの二人だけだったから。

 泥沼に沈んだ泥船のようなところかもと覚悟していたけど、ここを選んだのは正解だった。


「二人には感謝してる。おかげで、このゲームの魅力は十分に感じ取れたし、楽しい時間を過ごさせて貰ってる」


「ンだよ急にぶっ込むなよ。照れるじゃんか」


 俺の感謝の言葉に反応を示したのはアポロンのみ。

 でもソウザはソウザで、照れたような微笑みを浮かべている――――ように見える、なんとなく。

 たった三週間だけど、そんな信頼感が築ける関係にはなっていた。


「つーか、だったら一ヶ月なんて言わずにもっといろよ。どうせハイレベルなオーダーに参加できる戦力はねーし、却って気楽だろ?」


「他のラボに移るのか?」


 珍しく、アポロンに続いてソウザも追求してきた。

 それがOKな流れと判断したんだろう。

 彼の場の空気を読む能力は一流だ。


「いや、そうじゃないけど……ゴメン、撤回は出来ない。あと一週間で俺の楽しい時間は終わりだ」


 けれどもこれは譲れない。

 楽しいから延長する――――そんな余地があるのなら、そもそもあんな露骨に煙たがられるのがわかってる愚かな宣言はしない。


「そういう訳だから、残り少ない時間で俺に協力できる事はなんでもする。実験オーダー行くだろ?」


「ああ。なんだかんだで君がいないと受けられねーのが結構あるからな。今のうちに行っとくか」


「異論は無い。準備はとうに出来ている」


 アポロンとソウザの同意を得て、オーダーの主な受注場所、研究施設『ソル・イドゥリマ』へと向かうことにした。

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