第35話『勇者の登場』

 先の一撃は、村人たちへの見せしめとしての攻撃だ。逃げ出したら痛い目にあうぞ、というニュアンスを匂わせるためにあえて瀕死に至るような攻撃をザギュートは行ったのだ。逃げ出されてしまってはザギュートとしても面倒である。


 その一撃を受けた魔物は、自分の胸から生えた赤く染まったザギュートの右手を訳が分からなそうな表情で見つめる。それもそのはず、誰も自分の胸から手が生えてきたらそんな表情を浮かべるだろう。


 ザギュートは特にそれを気にせず、無造作にその手を引き抜く。


 突如、その魔物は糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。まるで命そのものを握り取られてしまったように。崩れ落ちたその魔物はピクピクとけいれんを起こすだけだ。


 残りの、既に逃げ出していた魔物達も同じこと。ザギュートによって容易く追いつかれ、背後からから腕をその身体へと貫通させられる。ザギュートはいたって無表情だ。ザギュートだってやりたくてこのような真似をしているわけではない。


 次々と逃げ出した村人たちが身体を貫かれていく凄絶な光景を前に、村人たちはザギュートへと決死の特攻を仕掛けるしか選択肢がなくなったのだろう。その瞳を闘志に染め上げると、ザギュートに向かって走り込んでくる。


 それは、不退転の猛攻。


 しかし、それはザギュートにとっては無意味な行為でしかない。ザギュートは、容易くそれらの攻撃を受け止め、即座に反撃。その一撃で村人はもう動かなくなってしまう。


 村人たちの特攻は、まるで集団自殺のようだ。


 その後も、ザギュートの蹂躙は続いた。


 倒す。倒す。倒す。倒す。倒す。倒す。倒す。倒す。倒す


 数えるのも面倒なほどの数の魔物をことごとくザキュートは打ち倒していく。残る村人たちがもともと立っていた魔物のおよそ四分の一になったぐらいで、ザギュートは村人たちといったん距離をとるために後ろへ飛びのくと、村人たちに呼びかけた。


「お前たちも分かっているだろうが、これ以上の戦いは本当に時間の無駄だ。お前たちもそう思わないか?続けたところで結果は見えているだろう?お前たちに勝ち目など皆無。先ほどから言っているが、私はお前たちに危害を加えるつもりはない。私の弟を殺した魔物を殺すことが我が唯一の望みであることを知れ。お互い無駄は避けたいだろう。頼むから教えてくれないか?」


 戦場を一人で蹂躙し続けている魔物としては、異例の礼儀正しさだ。


 それもそのはず、ザギュートはその見た目と膨大な魔力から狂暴な魔物と思われがちだが、本当はそんなことはない。根は善性の魔物なのだ。ザギュートは無用な殺生を好まない。打ち倒した村人たちも、命までは刈り取らないように注意して攻撃していたのだ。


 そんなザギュートの問いに対するは、しばしの沈黙。やはり村人たちの様子に変化は見られない。


 村人たちは皆が『何を言っているんだ、こいつ?』という表情を浮かべているだけだ。


 ザギュートは困惑していた。何故この村の魔物達は黙として語らないのかと。この村の最強の魔物を、いまこうやって目の目で打ち破るところを見せても、態度は変わらない。先ほどの戦闘において、村人たちの勝算は皆無だと思い知らせても、やはり態度は変わらない。


 何かがおかしい。


 もしやこの村には、まだ現れていない強者がいるのではないか?そう思わせるような態度だ。


 先ほど正門の制圧は完了しただろう、と村人達には言っていたものの、ロクスから任務完了の知らせは入っていない。つまりは、あのロクスをして手を焼くだけの相手がこの村にいるということだ。


 魔物は強者には従う。それは、強者に従わなければ、己が殺されてしまう恐れがあるからだ。強者に殺意を抱かれた弱者は死ぬしかない。それを避けるために、つまり生きるために、魔物は強者に従うのだ。


 魔物が強者に従うというのは、生物としてごく当たり前のことである。


 しかし、この場で最強であるはずのザギュートの言をこの村人たちは聞かない。それは、目の前のザギュートよりも強者だと村人が思っている魔物がまだ、この村にいるということに他ならない。


 つまり、目の前に立ち尽くす村の魔物たちは、その強者たる魔物からおそらく口止めをされているのだろう。そんなことは知らないという演技指導までさせるほどの徹底っぷりである。


 なるほどな、とザギュートは納得する。


 それならばガズルがこの村で消息が途絶えたのも納得がいく話だ。そしてそれはザギュートの全力をぶつけることが出来る相手がいるかもしれないということである。


 ザギュートの身体がうずく。


「お前たちが信じる強者はまた別にいるということか。それならば、そいつを連れて来い!このザギュートがそいつも倒してくれよう。その後で私の話を聞いてくれればよいのだから」


 村人たちがざわざわと相談を始める。おそらくは、連れてくるかどうかで話し合っているのだろうがそんな時間すらも煩わしかった。


「この村最強の魔物を出せと言っている!!それが最も早い手段だろうが!!バジュラ最強の魔物よ出てこい!!この私、カタストロフ頭領ザギュートと戦え!!」


 ザギュートはいら立ちを込めて叫ぶ。


 またしても返事はないものかと思われた。しかし、ザギュートのその予想は裏切られる。


 それに答える魔物が一人、いたからだ。


 その声は、まるでここまで全速力で駆けてきたかのように息切れを起こしてしているが、若く自信にあふれた声。


 その魔物の登場と同時に村人たちからはどよめきが起きる。


 とうとう現れたか…。ザギュートは何とも言えない喜びのような感情がこみあげてくるのを感じていた。


 その魔物のオーラはさきほどのザックと呼ばれていた魔物よりも強い。まるで太陽のような闇を照らす光り輝くオーラだ。


「ほう、貴様がか…」


 僅かな感慨とともにザギュートは目の前に現れた魔物を見つめる。その魔物はにやけたような不敵を浮かべながらザギュートを見つめ返してくる。


「このザギュートを前にして一歩も引かないとは、かなり肝の据わった魔物のようだな」


 村の魔物達の慌て具合からして、この魔物がこの村最強の魔物とみて間違いないだろう。その割には、村人たちの様子に落ち着きが見られない。先ほどのザックと呼ばれていた魔物が出てきたときのほうが村の魔物達に落ち着きが見られた。


 これは切り札を失うかもしれない恐れだな、とザギュートは理解する。


 だとすれば、この魔物を打ち倒すことで今後の統治がうまく進むということ。今後の統治がうまく進むことを考えザギュートはにやりと笑みをうかべる。


 だが目の前に立つ魔物の表情も、己の敗北など微塵も考えていない魔物のそれだ。


 弟もこの魔物にやられたのではないかという半ば確信に近い思いが、ザギュートの中で湧き上がる。


「貴様がこの村で最強の魔物か。問おう、貴様名を何と言う?」


 戦士たるザギュートをしてすれば、強者との戦いの前にはその名前を聞いておくのは基本だ。そのためそれとなく聞いたのだが、目の前の魔物は待っていましたと言わんばかりに目を輝かせる。


 戦闘前に己の名を名乗ることにためらいを見せない。それはつまり、戦士としての心構えが備わっているということ。通常ならば自分の情報をさらけ出すかもしれない自らの名前を、敵に名乗ることははばかれる行為なのだから。


 目の前の魔物は、息をすうっと吸い込むと、人差し指を天に掲げ、バカのように威勢のいい声で己の名を高々と宣言した。


「俺の名は勇者タツキ!!この村バジュラを守る村人たちの希望の星!!そしてこの村の侵略者である貴様を打ち滅ぼす魔物だ!!よく覚えとけいっ!!」


 タツキと名乗る魔物の宣言に、場が凍り付いたかのように静まりかえった。

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