逃げ場所

 茜は教室の戸を恐る恐る開けると、皆が一斉にこっちを向いた。

「佐藤、どこ言ってたんだ、もうとっくに授業は始まってるぞ!」社会科の先生だった。

「すみません……」茜は焦って席に着くと、教科書やノートを取り出した。

 さっきの出来事が、私にとってすごく重要な気がして、気分が何故かあがっていて、せっかくの授業なのに、集中できなかった。


 …もう怖いものはないような、私の中に一つの光が射したような、そんな予感があった。




 授業が終わって休み時間になった途端、一人後ろから近づいてきて茜に声をかけてきた。

「ねぇねぇ、今日帰り一緒に帰ろうよ」

 大体こう誘ってくる時は、いじめ損ねた時や、帰っても暇な時の場合に多かった。

 そしてやってはいけないことを強制的にやらされるのだ。過去には万引きをさせられたり、女子生徒目当ての知らないおじさんを騙して、お金を巻き上げたり。


 …今まで彼女達に従ってきてしまった私は間違っていた。そんな彼女達を引き寄せてしまったのは、自分の弱さのせいなのかもしれないとも思った。


「…ごめん、補習があるから一緒には帰れない」

 と、この時初めて茜は断れた。

 相手は断られるとは思わなかったのか、驚いていたが「あっそ!」と言って自分の席に戻っていった。が、イライラが込み上げてきたのか貧乏揺すりが止まらなかった。そして睨まれた。他の三人が集まって何か話し合っていたが、もう私は気にせずに大好きな本を読むことにした。



 ***



 六時間目も終わり、下校のチャイムが鳴った。

 私は真っ直ぐには帰らず、保健室へ寄ることに決めていた。

 茜が教室から出ると、すぐに彼女達が追いかけてきた。

「どこ行くのぉ?」

「私達との約束忘れたの?」

「補習とか嘘なんじゃないの?」囲まれた。

「そんなんいいから一緒に行くよ」強引に腕を掴まれて連れていかれそうになった。

「離してっ……」


「佐藤さん!」

 この声は──振り向くと、彼だった。


「誰あいつ?」

「見た事ある、隣のクラスの男子じゃん」

「茜になんの用?」

 ホープはゆっくり車椅子で茜の傍まで来ると、みんなにこう言った。

「これから勉強を付き合ってもらう約束をしてたんだ。だからごめんね、佐藤さんを借りるよ」そして茜の手を取って、動き出した。


 橘くん……助かった……、ありがとう──。


「後ろ押すよ」茜はそう言って車椅子を押し始めた。

「ありがとう佐藤さん」

 彼女達は何も言ってはこなかった。



 見えなくなる所まで来ると、ホープが「ごめんね、勝手にあんな事言って」と謝ってきた。

「ううん、ありがとう、助かった…あのままだと保健室には行くことが、できなかったと思うし…」

「そうだったんだ、僕もこれから寄ろうと思ってたとこだから、丁度良かったんだね」

 そして二人で保健室に向かった。



 到着すると、茜が率先して戸を開けた。

「あら!二人ともお疲れさま〜!」

 すぐに豊田先生の嬉しそうな声が飛んできた。

「失礼します…」

「部活動が終わる頃までだったらゆっくりしてっていいからねー♪」

「豊田先生、いつもよりめちゃくちゃテンションあがってるね、佐藤さんが来てくれて嬉しいの?」

「そりゃ嬉しいよー!あ、佐藤さんお菓子食べる?甘いもの好きかな?私食べないと集中出来ないからさぁ持ってきてるの」そう言ってチョコやクッキーを差し出してきた。

「あ、ありがとうございます」

 私が来て、嬉しい…?


 そんな事、言ってくれるなんて思わなかった……。


「そういえば橘くん、いつもは五、六時間目もここに居るのに今日は来なかったね、ちゃんと授業受けたんだ?」

「うん、佐藤さんを見習ってね」

 …え?私を??

「偉い!佐藤さんのおかげで一歩前進じゃん!わたし涙出てきたぁ、佐藤さんありがとうだよ〜」

 え?え?と困惑しながらも、私のおかげで彼に良い影響を与えられたなら良かったと思った。


 この後の三人でする会話はすごく楽しかった。


 橘くんと豊田先生の出会いは学校ではなく、レンタルDVD店だった事。私と橘くんがお互いに好きな本が一緒だった事。豊田先生は今独身で恋人募集中だった事。

 学校でまさか、こんなに楽しい時間ができるなんて…

 友達がいなかった茜にとっては、すごく貴重で喜ばしい出来事だった。

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