8-4
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十月になった。スタジオ練習も早一か月。最近はバイトの量をぐっと減らし、週に五度はバンド練習に費やしている。それまで週六、下手すれば七日で通っていたバイトには、平日三日、土日は朝いちから夕方六時までとシフトを調節し、毎晩遅くまでギターを抱えて喉を枯らす日々が続いていた。
学校がある日は図書室で宿題を終わらせ、コンビニでおにぎりやサンドイッチを食べ、ホリオ楽器に向かった。軽音部は部員が多いため練習場所としてキープするのは困難なので、みなさん可能な限り外部で確保しているらしい。それにしても、スタジオ代だって安くはないはずなのに利用代はどうなっているのだろう。心配になって一度聞いたことがあった。
「宝払いだよ」和也先輩はニヤリとして言った。
「宝払い?」わたしが首をかしげると、
「えっ!? ONE PIECE知らねーの?」さもびっくりしたみたいに北川くんはすっとんきょうな声をあげた。「人生の基本だぜ」読まなきゃ人生の三割は損しているとまで言い切った。なんなのだろう。
「よくわからないけど。アニメは何回かみたことある」
「だからさ、俺らは将来海賊王になるから、ロジャーが隠した財宝で今までのツケを支払うってワケ」和也先輩が説明してくれたけれど、
「すみません、ぜんぜん意味が分からないです」
つまり、われわれの場合は和樹先輩……堀尾さまのご実家というだけあって、スタジオ代は“ツケ”がきくし、場所はもちろん場所代についても困らないというわけだ。でもほんとうに将来“財宝”で支払いのアテなどつくのだろうか……。
とにかくそのようにして場所は確保され、メンバー全員が門限のもの字も持ち合わせない者ばかりなものだから、練習途中に意識がフッと飛んで、気がついたらスタジオの隅でギターを抱えたまま眠っていたということも少なくはなかった。
ここのところずっと北川くんは機嫌がわるい。とはいっても練習中に限られたことだから、単純に、スパルタというだけのことかもしれなかった。
「恋愛禁止だから」
こないだ谷さんと北川くん宅を訪れた晩、むすりとした顔で弦交換をする北川くんは、唐突に宣言をした。練習中、わたしの使っていたギターの六弦が急に切れてしまったのだ。思えばあのときからすでに機嫌がわるかった。わたしがエレキギターの弦交換のしかたがわからないと言ったからかもしれないけれど。
「は? 何急に」和也先輩は眉間にシワを寄せた。「彼女と別れろって?」
「違うよ。和也くんも和樹くんも好きにしたらいいよ。けどバンド内では恋愛禁止にしたほうがいいと思って」
和也先輩は「え?」と言って、さらに眉間のシワを深くし、わたしの顔を見、北川くんを見、それからまったく無関心なふうの和樹先輩に向かって苦く笑い「や、俺らは別に困らなないけど……」と言った。
「朝日ちゃんも彼氏いるよね? バンド内で彼女いねーの北川だけじゃん」
「あ、わたしもいないです」最近別れました。おずおず手をあげて申告すると、和也先輩はあれっと声をあげ、それからすまなそうにしきりにごめんと謝りはじめたので、こちらが気を遣わせてしまったことに申し訳なさを感じた。
「えー、そうか、うん、……うん?」余計何かわからなくなったようで、和也先輩は腕を組み、しばし黙ってしまった。北川くんはついでに他の弦も替えておくからとそっけなく言ったきり黙ったので、スタジオ内はシンとしずまりかえった。もとよりしずかな和樹先輩に加え、わたしもとりたてて発言することなどなかったせいだ。
ひとしきり沈黙が続いたあとで、でもまだ首をかしげたまま和也先輩は言った。「お前たちそれでいいの?」。というか、とくに北川は。困惑したようすで和也先輩は北川くんの真意を探ろうとしている。お前たち、というからにはわたしも当然含まれているのだと思い、「あ、はい。わたしは」と答えたら、ますます困った顔をされてしまった。
「ホントはプライベートもってしたいけど、今はみんな練習優先してるし」
「そんな横暴な。だいたい何の権利があってお前がそんなこと決めるの。リーダーは俺でしょうが」
「だからバンド外ならいーつってんじゃん」
二本目のペグを巻きながら、ぴしゃりとそんなことを言う。あんまりにも乱暴な言い方だったので、このままケンカにならないかとじつはヒヤヒヤしていたのだけれど、和也先輩はあきれたふうに鼻を鳴らしただけだった。さすが幼馴染。これくらいのことでは揉めないくらい、長い付き合いだということなのだろう。
お気楽な、古典的ロックンロール。単純なコード進行。むずかしいテクニックは一切なし、ジャカジャカとかき鳴らすのが愉しくて笑っちゃうくらい、ひたすら愉快な曲。
俺の女にならないか。
決めぜりふも、ばっちり。オーストラリア出身の四人組バンドの曲だ。この人たちのことはよく知らなかったけれど、この曲は、ラジオで流れていたのを耳にする機会があって知っていた。歌詞は北川くんのCDを何十回と連続で聴いているうちに、すんなりと覚えることができた。
ただ、
「やっぱ凄げーな、朝日ちゃんって。耳がいいし、覚えんのが早い」
500ミリのペットボトルの水を半分一気に飲んだのち、ため息とともに和也先輩はしみじみと言った。けど、と心配そうな顔をして、「だいぶ疲れてるよね?」言葉を続ける。
そう、目が死んでいます。
「だ、大丈夫です……」
「わー全然説得力がない」
お茶のペットボトルで指先を冷やしながら、わたしは苦笑いをする。これほど長い時間弦を触るということが最近はまったくなかったので、指先はひりひりを通り越して熱を持ち、感覚がぼんやりとぼやけている。頭も心なしかぼうっとする。
「並行してやんないと時間がねーんだよ、和也くん。大丈夫でしょ? 朝日ちゃん。オレだって、できると思ったことしか要求してないよ。できるっしょ?」
うー。わたしは唸って、それからため息をついた。
「……うん。できる」
「ちょ、無理しちゃダメだよ、朝日ちゃん」
鬼のような北川くんを睨み、心配そうに眉をひそめている和也先輩に苦笑してみせ、肩からベースをぶらさげ、立ったままうつらうつらしている和樹先輩の向こう、窓を眺める。目が細くなる。今夜もすでに真っ暗である。今日は何時まで練習するんだろう。正直、とりあえず今数分でもいいから、休憩させてほしい。がそんなことを新参者であるわたしが言おうものならどうなるかなど、火を見るよりあきらかなので、何も言えないのだけれど。
だって、この過密すぎるスケジュールはあきらかに、わたしに対して割かれた時間なのだから。申し訳なくなってしまう。
「うわ……ひどい顔……」
しかしそれから十分後、暴君北川くんの独裁政治に、とうとう和也先輩が革命リーダーシップを起こし、休憩時間が設けられた。
ひとまずトイレの水道で指先を冷やすことにする。最近、一日何時間ずつ寝ているだろう。睡眠時間は足りているのか。一般的な高校生に必要な睡眠時間とはいったい何時間なのだろう。寝ても冷めても音楽ばかりで、うつらうつらしながら、指先をひんやりと冷やす感触に浸る。時々目を開き、正面の鏡の向こうの、疲弊しきった自分を見据える。おそらく十年後はこんな顔をしているんだろうな、という、社会の荒波に揉まれてすりきれたような自分の顔(現在・16歳)を憐れむ。
でも、悪くはなかった。
いままでずっとひとりでやってきたから、誰かと一緒にひとつひとつつくりあげていく作業というのは、たのしくてしかたがないのだった。I say……わたしは鏡のなかのわたしに向かって、つぶやく。先ほどやっていた曲の、決めぜりふだった。
アー・ユー・ゴナ・ビー・マイ・ガール。
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