8-3
すでにスポーツバッグに詰められたCDを一枚ずつ手にとり、眺める。そのいくつかに見覚えのあるジャケットを見つける。かつてアキちゃんのお気に入りだったCDたちだ。
「あ、これ。この人たち」
「リンキン・パーク。こないだ演った曲も入ったアルバムだよ。これ凄げーいいよ。凄げーかっけー。ミクスチャーとかもいいよね。朝日ちゃんがラップとかしたらメッチャウケそう。これ持ってる?」
「ううん」
「洋楽は聴かなきゃダメだって。これから毎日聴いてよ、全部」
その言いかたにすこしムッとして言い返してしまう。「むかしは聴いてたんだけどね。このへんは聴いたことある」
「おっ、レディヘ好き?」
「OKコンピューター……までかなあ、聴いたのは」
「マジ? オレ超好きなんだよね、トム。ザ・ベンズとか最高。ヘイル・トゥ・ザ・シーフもよかったよね、去年でたやつ」
「意外。北川くんはもっとうるさいのが好きかと思ってた」
「うるさくない? ジョニーのギター」
「歌詞がすごいよね。正気なのかな……トム・ヨークって」
ああいったたぐいの歌詞を書く彼の精神状態が心配である。
「二人ともすげー、詳しいんだね」
心底関心したみたいに、谷さん。悪い気がしない。わたしは照れ隠しに笑って言った。
「わたしは、アキちゃん……お姉ちゃんに聴かされてたって感じですけどね」
「え、朝日ちゃんってお姉ちゃんいんの?」北川くんが目をまるくした。
「おれは聴いたことあるよ。アキラって言うんだよね」フフンとなぜか得意そうな、谷さん。
わたしはうなずいた。「北川くんはたぶん趣味があったと思うよ。洋楽ロック大好きだったから」たぶん、北川くんは好きになる。もしアキちゃんが今も、
「へー。何歳? 何個上? 全然知らなかった」
「ああ、歳っていうか……もう亡くなってるんだけどね」
もしアキちゃんが今も生きていたら、ギターをはじめたのがアキちゃんだったら、
北川くんがバンドに誘ったのはアキちゃんだっただろうなと思う。もしもアキちゃんがまだ生きていたら――卑屈とかそういうことじゃなくて、その考えはつねにわたしの生活とともにある。わたしの体の一部となっている。影のようにぴったりと、つねにわたしの体にはりついている。体を構成するひとつの器官として、わたしの内臓に搭載されている。無視することなどできないし、切り離すことだってできない。
一瞬、シンと部屋がしずまりかえり、心なしか気温まで下がったように感じられた。沈黙。
「……あ、ごめんなさい」全然そんなつもりなかったのに。「もう全然、わたしは大丈夫なんですけど」
「や、ううん、ごめんはこっち。こないだ朝ちゃんがお姉ちゃんのこと話してたとき、凄くたのしそうに話してたから、まさかもう亡くなってるとは思ってなくて」
「中二のときに、事故で。自転車で家に帰ってくる途中で車にはねられちゃったんです」
「そうだったんだ」
「音楽がめちゃくちゃ好きだったんです。北川くんほどじゃないけれど、たくさんCDも集めてました。でも今は全部手元にはなくて」
「それで朝ちゃんもギター始めたんだ」
「はい、まあ」
頭を掻く。違うのだけど、違うという説明がむずかしい。ので、曖昧にうなずく。北川くんはわたしの隣でずっとおとなしくしている。
「でも感謝しなきゃね、お姉ちゃんに。おれはこうしてギターを弾く朝ちゃんに出会えたし。おかげでカッコいい音楽にも出会えたし。朝ちゃんがバンドするってなって、おれ凄げーうれしいよ」
側までやってきた谷さんのあたたかい手が、わたしの頭にのせられた。そのあたたかさが、その言葉が嬉しくて、わたしは胸がギュッとなって、こちらこそ感謝しなくてはならないことがいっぱいあったのに、何ひとつ言葉にできなくて、ただ微笑んだ。ありがとうという気持ちをたっぷりこめて、微笑んだ。
やがて、おひらきの時間がやってきた。谷さんはバイトを掛け持ちしている。いまから夜中まで、居酒屋のバイトなのだそうだ。わたしたちもこれからスタジオで練習だし、バイクでやってきた谷さんとは、北川家の玄関で別れる。
「朝日ちゃん」
颯爽と去っていった黒い大きなバイクを見送ったあと、北川くんがわたしの名前を呼んだ。
わたしは北川くんの顔を見上げた。あたりはそろそろ、夕闇が這いだして、わたしの立つ方向からみると、ちょうどその顔をすっぽり覆ってしまっている。真っ赤な髪とシャープな顔の輪郭の情報だけを、ぼんやりとわたしの目はとらえている。
「さっきは、ごめん」
「ごめんって?」
「お姉ちゃんのこと。デリカシーなかった」
わたしは首を振った。笑う。北川くんでもそういうこと、気にするのだなあと思う。
「気にしないでよ。しょうがないじゃん。平気だよ」
薄い夕闇のなかに溶けた北川くんの表情が、すこしホッとしたように緩むのを感じた。
「そっか」
「うん」
「お姉ちゃんのCD、今はどこにあんの?」
隠す必要性も思い浮かばなかったので、正直にこたえる。
「ヨルの部屋だよ」
「そう」と言って、北川くんは黙った。
しばし、沈黙。そのあいだ手持無沙汰に、ふたりして佇んでいる。集合は五時半だったはずだ。そろそろ行かなければならないと思うのだけれど、いつ出発するんだろう。
「北川くん?」そろそろ行かない?
「お、おーそうだな! っていうかさ、」気を取りなおしたみたいに、北川くんが茶化す。「朝日ちゃんて谷さんと仲いいよねー」
「あはは、そうみえる?」まんざらではない。
「夜中に会ったりしてるらしいじゃん? ふたりきりで。松田くん怒るんじゃないのー?」
「ああ」苦笑。「ヨルとは別れたの」
やっと自宅のドアに鍵をかけ、自転車のロックをはずしにかかっていた北川くんの動きが再び止まる。「え」
あたしはあわてて弁解する。
「わるいのはこっちだし。これももう全然平気」
「な、なんで別れたの?」
「あー……」
それはさすがにまだ言えない。
「そっか……別れたんだ松田くんと……じゃ、じゃあさ、」
「好きな人ができた、んだよね」自分の自転車のカギをガチャガチャやりながら、わたしは早口で言った。
そのとき、背後からガシャアーンとすごい音がして、わたしは飛びあがっておどろいてしまう。自分の心臓の音が聞こえるくらい。なんなら、からだの中からでてきてしまったかと思うくらい。
「び、びっくりした……」
「ご、ごめん!」
わたわたと北川くんが倒れてしまった自転車を起こす。
「え、その、好きな人ってさあ……まさか谷さんとか言わないよねえ」
ボッと顔に点火したみたいにわたしは真っ赤になった。無言で自転車にまたがり、漕ぎだす。そのあとを、アッと声をあげた北川くんが慌てて続き、横に並んだ。
「そうだけど。悪い?」
遅れてやってきた北川くんが横に並んだのを確認してから、わたしはなるべくそっけないふうを装って、言った。暗くてよかった。真っ赤なの、ばれませんように。二学期が始まってから、陽が落ちるのがずいぶんはやくなってきた。こういうの、秋のつるべ落としと言うのだっけ。
そうなんだと呟いたきり、北川くんは何も言わなかった。二台の自転車のライトが、夕闇に染まった住宅街の道をふらふらと照らした。
そのあとはお互い黙って一言も発さず、わたしたちはホリオ楽器へと向かった。
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